2021年5月12日水曜日

「根拠のない楽観主義」「神風」は日本の宿痾なのか? 〜「この道はいつか来た道」〜

 

「かくて日は沈み 一将功ならずして 万骨枯る」

コロナパンデミック対策、ワクチン接種で混乱が続いている。感染は大型連休を前に大波である第四波を迎え、政府は重い腰を上げて3回目の「緊急事態宣言」を出した。短期集中と称し連休明けの5月11日に終わる予定だったが、東京に限らず大阪や兵庫など関西圏は変異ウィルスによる感染者数が首都圏を上回り、しかも重症患者が急増し医療崩壊の瀬戸際となるありさま。さらには福岡、愛知など地方の都市中心にこれまでにない感染者数を記録し続けている。まさに全く感染が収束する見込みはなく、毎日6000人以上の感染者数を記録し、死者数も1万人を突破するなど止まるところを知らない勢いである。したがって緊急時事態宣言を福岡、愛知にも広げ31日まで延長することとした。しかし、度重なる「緊急事態宣言」や「蔓延防止対策」、「休業要請」と「時短要請」での乱発で、人々は何がいけなくて何がいいのかわからなくなっている。国民は自粛疲れというよりは徹底しない小出しの「自粛要請」の連打に「オオカミ少年」状態で、パンデミックを押さえ込む効果が薄れてきている。いくら総理大臣や担当大臣、自治体の首長が「密を避けて」「協力をお願い」などと言っても人流は一向に減らない。事業者側は休業要請や時短要請に応じてもその補償は不十分である。一方でワクチン接種は遅れに遅れて、医療従事者の接種率もまだ23%。高齢者(対象者3600万人)の第一回接種率など1%未満と、世界でもっともワクチン接種が遅れている国のグループに属しているという体たらくだ。厚労省のワクチン認可も遅すぎる。緊急事態に対応したものではない。ワクチン確保は完全に失敗した。そしてワクチン接種体制も混乱中だ。もちろん世界中どの国も未曾有の出来事で失策や試行錯誤はあるものの、トップがリーダーシップを発揮してその失敗に学び、軌道修正していった国もあることを知るべきだろう。日本の状況は一時は感染爆発で対策に失敗したと言われたアメリカやイギリスが、バイデンやジョンソンのリーダーシップで急速にワクチン接種を進めて感染者数の激減を実現させているのと対象的だ。

ワクチン開発競争から取り残され、その確保に失敗し、その結果としての接種の遅れは今更だが、市町村などの自治体に丸投げされている接種体制も混乱と人員不足を来たし、高齢者向け接種体制など、ある種の惨劇を見るようだ。インターネットも、スマホも使ったことのない75歳以上の高齢者にネットでの予約を強い、それができないなら電話で予約。その電話は何度かけても繋がらない。困り果てて役所の窓口に押しかける老人たちは、ここでは受け付けないと門前払いされて、途方に暮れ立ち尽くす。まさにワクチン難民だ。可哀想で涙が出てくる。そもそもいつになったら高齢者接種が終了できるのか、その目標も明確でない。首相はそういう批判を受けて今日になって「7月までには完了させる」と言ったそうだが、言うだけなら誰でもできる。それをやるのは現場の市町村と医療従事者。国はやれるための具体的な施策は示さない。国民に「お願い」しかしない政治リーダー。政治は何を行わなくてはいけないのか分かっていないようだ。政治の無為無策、迷走、思考停止、暴走は目を覆いたくなる。

感染は変異ウィルスがいまや大層を占めて拡大している。検疫体制が脆弱でイギリス型変異ウィルスの日本への侵入食い止めに、ここでも失敗した。あっという間に増え、いまや感染の80%はこのイギリス型変異ウィルスだと言われている。ウィルスは感染が拡大するに伴って変異が進むと言われているから、とにかく早期に感染数を抑える必要がある。これに失敗するとインドのように変異ウィルスによる感染爆発が起きる。インドでは1日の感染者数が40万人を超え、1日の死者数が3600人という恐ろしい事態となっている。もちろん医療は崩壊し、医者に見てもらえないまま死亡する人が出ている。そして死者の火葬すらできない。このインド型が入ってくると目も当てられないことになる。一時はアメリカやイギリス、EU諸国がこの危機にあったが先述のように、初動の失敗を反省して、トップのリーダーシップで対策を一変させて抑え込みに成功しつつある。

日本は「民度が高い」国だから、「ファクターX」の国だから、感染など広がらないのではなかったのか?コロナで1万人の死者が出ているのに「さざ波程度で笑わせるな」と宣った某内閣参与がネットでバッシングされている。この民を見下した態度...そんな人間が政権中枢にいる驚き。こういう事態においてもなおオリンピックを強行しようとする。「選手には無料のワクチン接種と医療従事者を選手村に常駐させて、必要なベッドも確保する。絶対に感染させないから安心してくれ!」とオリンピック委員会。「それができるならまず我々にしてくれよ!」と国民。ますます平和の祭典から離れてゆく。一方で開催強行に反発する一部の人間がSNSで、オリンピックに向けて努力しているアスリートに大会不参加表明を押し付けようとする。民心の乱れも引き起こし、高いはずの「民度」はどうなっていくのか。

国民に「お願い」しかしない政府、自治体とは何か?自助、共助ばかり「お願い」して公助はなし。「お願い」の内容は日々支離滅裂の度合いを増してゆく。感染が収まらないのは国民の自粛度が足りないからだ。政治の怠慢を通り過ぎて、無能を露呈し始めている。効果の出ない優柔不断な小出しの「打ち手」。専門家に相談して決める」と言いながら専門家の言うことは聞かない。科学的なエビデンスによる判断よりは、政治的な判断が優先する。世界最高を謳う医療先進国の医療崩壊。科学技術先進国のはずがワクチンは開発から製造まで全て海外からの輸入頼み。そして確保の失敗から来るワクチン不足。見たくない現実を毎日見させられる etc.etc.etc.

まあ、日々のニュースを見ていると、理念と言葉を持たない政治リーダーの迷走に次々と「文句」「皮肉」を言いたくなって止まるところを知らない。戦後の団塊世代にして70年安保/学生運動時代をくぐり抜けてきた昭和老人にとって老人性パラノイアを増進する怒りは精神衛生上良くないからこの辺にするが。

5月10日付の日経新聞のコラムに同紙の外交問題コメンテータの秋田浩之氏は、このコロナ混乱の政治のあり様を見て、昭和のあの時代の戦争に突入して敗戦に至る過程をなぞらえて、この政治意思決定プロセスは真珠湾攻撃以来80年何も変わっていないとの分析が掲載されている。今更だがまさに分析の通りだと考察。あえて加えれば、この80年に限らず、明治維新以降敗戦までの「根拠のない楽観主義」による戦争の歴史は、古代から続く「有事対応能力の欠如」の歴史の延長線上にある。誤解を恐れず言えば戦争/外交が下手な国家は「有事」に対処する視野、勘所、意思決定、突破力に欠ける嫌いがある。そうした思考回路が脳内に形成されず、また共有されていない。その結果、隣人を未曾有の戦禍に巻き込んだだけでなく、360万人以上の同胞が殺され、挙句に国土を外国軍隊に占領される完璧な敗戦という、「神州不滅」のはずの日本史上未曾有の事態に遭遇しながら、なおその経験と歴史に学んでいない。そしてまた同じことを繰り返す...これは日本の宿痾なのか?

振り返ればこの道はいつか来た道。宣戦布告もなく政治の意思決定もないままずるずると拡大していった日中戦争。合理的に考えれば勝てないことが分かっていたのに、日露戦争勝利という僥倖で憶えた「一撃講和」戦略で勝てると信じて開始した対米戦争。ドイツが降伏し、日本の負けがはっきりしているのに、全く当てにできるはずもないソ連に仲介による講和を期待した外交。連日の都市空襲、沖縄の陥落、広島の原爆投下、長崎の原爆投下、それでも「本土決戦」「一億総玉砕」を叫んで戦争を止めようとしなかった軍部。軍部独裁と言いながら軍部は終戦の責任を取らない無責任体制。終わらせ方のシナリオを持たずに始める戦争。最後は、超人的なパワー「神風」が国を守ってくれる。「神州不滅」神話に逃げ込む。そんなバカなと思いつつも、どこか漠然と万に一つの僥倖を期待する。そんな「根拠のない楽観主義」もまた日本人の宿痾なのか。政治のリーダーは国民を守ってくれないどころか国策戦争に駆り立て、最後は「お国のために死ね!」と言うのみであった。空襲があっても、老人、女性、子供しか残っていない市民を避難させるのではなく、バケツとハタキで消火せよ、と焼夷弾降り注ぐ街中にからの退去を許さなかった。こうした意思決定のプロセスと根拠を検証して、前者の轍を踏まない、後世に教訓として残すことができているのか。これをきちんと総括しないまま、戦後の冷戦構造の中での免罪符、その結果としての「高度経済成長」などに浮かれて、かつての失敗と責任と贖罪を忘却の彼方に追いやってしまう。こうした歴史に学ばない国の行く末は心許ない。ただこれは、中国共産党や韓国/北朝鮮の為政者たちが言う「正しい歴史認識」などとは全く異なる「歴史認識」であることを付言しておきたい。

今回のコロナパンデミックの混乱をみて、この国はこのままでは戦争になったら勝てない国だと確信した。逆説的だが、だから戦争をやってはいけない国だ。「有事」「戦時」と言う概念が日常の思考回路、制度や意思決定プロセスに存在してない。アメリカやイギリスなどの、かつての戦勝国には「平時」からこれがある。「戦時」「有事」を論じることががタブーではないし、「平時」の社会/経済システムに「有事」対応がビルトインされている。勝って兜の緒を締めよなのか、戦争慣れしているのか。またイスラエルのような準戦時体制下の国や、常に地政学上の緊張感に晒されている台湾の、コロナパンデミックへの対応は迅速かつ効果的であることを目の当たりにした。平和ボケした日本にそれを求めるのは難しいのかしれないが。今更ではあるが戦争は武器を使って軍隊が戦うだけではない。サイバーセキュリティーもパンデミックも戦争だ。ワクチンの日常からの確保は有事への備えである。経済戦争という有事にも対応遅れが出てくることになる。まあリーダーシップと責任なき政治に殺されるのはまっぴらごめんだというのが国民の本音だ。少なくとも今回、この国のリーダーにはその発する言葉とは裏腹に、国民の命と生活を守ると言う目線が乏しいことに残念ではあるが気付かされた。そんなどさくさに紛れて、国民目線を持たない無為無策の政治屋が憲法改正論議をリードしようとしているとすれば危険極まりない。国民をどこへ連れて行こうとしているのか。この国は主権在民の民主主義の国だということを主権者である我々がしっかり思い出して、主権者として振る舞わねばならない。そうでないとどこかの隣人のように選挙もない専制民主主義人民共和国になってしまう。彼らは我らの体たらくを見て、「だから民主主義なんて役に立たないのさ!」と悪魔の高笑いをしている。




2021年5月5日水曜日

「目黒インテリア通り」を歩く 〜ブラタモリ風「なぜ目黒通りはインテリア通りになったのか?」〜

 


目黒通りは、山手通りとクロスする大鳥神社交差点から、碑文谷、自由が丘あたりまでの数キロの間は「家具屋通り」あるいは「インテリア通り」と呼ばれている。なんと60〜70店ほどの様々な個性的な家具屋、インテリアショップが並ぶ。日本はおろか世界的に見てもこれだけの家具、インテリア関連ショップが建ち並ぶ通りはユニークだという。なぜこのような家具屋街、インテリア通りになったのかについては、後ほど解明してみたい。さて、JR目黒駅の西口を出て長い権之助坂を下り、目黒川を渡って歩くと山手通りとの交差点、大鳥神社を過ぎる頃からはまた上り坂となる。この通りは結構な高低差があることに気づく。この界隈は古くは目黒川を谷筋とする地形に開かれた街並みということになる。ちなみに目黒通り沿いに「元競馬場前」というバス停がある。ここには1907年(明治40年)から1933年(昭和8年)まで目黒競馬場があった。ここで日本初の日本ダービーが開催されたが、わずか開催2年で閉鎖となった。ここには1マイル1600メートルのコースがあったが手狭であったことと、周辺が住宅地化していったことから、競馬場は府中に移転し現在のJRA中央競馬会東京競馬場となった。今でも重賞レース「目黒記念」にその名残を見出すことができる。住宅がびっしりと建ち並ぶ現在の街並みを見ると、ここに競馬場があったこと自体が不思議な感覚だが、かつては手狭な競馬場とはいえそれなりの広さを確保できる余裕があったのだろう。わずかにトラックのカーブの痕跡が住宅街の路地に残されている。


目黒競馬場の古写真(Wikipediaより)

ここでブラタモリ風「タモ手箱」が登場する!お題は「なぜ目黒通りはインテリア通りになったのか?」Ready? Go!

この通りは横浜から都心に向かう幹線道路で、沿線には自由が丘、碑文谷、学芸大学などの高級住宅地があり、セレブ御用達の店やレストランなどが立ち並んでいた。中でも目黒通り沿線には多くの外車ディーラーが並び、かつては「外車通り」との異名を持っていたという。一説では、そんなセレブ通りだから高級な家具/インテリアショップが進出してきたという。が、ちと話が出来過ぎていてやや「都市伝説」的である。もちろんそうした顧客向けの家具/インテリア店が存在していたことは事実であろうが、実際にはバブルの時代を過ぎ、その外車ディーラーの多くが撤退し、その跡地にインテリア関係の店が進出してきたというのが真相のようだ。確かに一定の敷地を確保できるし、地域柄からもセンスの良い顧客層がいるだろうということでこうした店が集まってきたとしてもおかしくはない。またフランスの雑誌ELLE DECOに取り上げられて海外でも一時話題になったことでますます出店が増えていったという。評判が評判を呼ぶという相乗効果だ。しかし出店している店は、必ずしもセレブ御用達の高級店ばかりというわけではなく、時代の移り変わりを反映して最近は若い世代向けやカジュアルで個性的でユニークな店が多い。北欧、イタリアン、ブリティッシュ、アメリカンから和風、アジアン... アンティークからレトロモダンな家具屋、オーダーメイド家具やインテリア装飾を手がける工房もあり、決して敷居の高いお店がズラリというわけではない。むしろ小洒落た小型の店舗も多く、ロンドンのポートベロやエンジェル、カムデンタウンのような骨董市的なテイストを漂わせる店も多くブラブラと見て回るだけでも楽しい。また通りにはこれまた素敵なカフェやレストランも並んでいるので歩き疲れたらふらりと寄るのもまた良い。

今回は、GEOGRAPHICAという英国アンティーク家具、骨董を扱う比較的大型のお店を訪ねた。三階建てのロフト風の建物で、地下には重厚なマホガニー家具、一階は洋骨董、二階がカフェ、三階にはオークやウォールナットの書斎家具が並ぶという英国好き、ブリトラ(British Trad)にはたまらない豪華な店だ。直営の工房を併設していて英国で買い付けた骨董家具の修復、補修を行っている。ちょうど「Travel Notes」という旅行をテーマとしたフェアーを開催中で、旅行書や19世のガイドブック、ポストカードなどのアンティーク小物、英国伝統のティーカップ、銀スプーンなどの食器、アクセサリーなどが比較的手頃なプライスタグで並んでいた。今回はいつもお世話になっている神保町の北沢書店さんがコラボ出店していて、素敵な洋古書を展示、販売。これまたクラシックな本棚に並んでいた。アンティークな英国家具と革装の洋古書のマッチングは最高で、まるで19世紀英国のカントリーハウスの書斎にいるかのような佇まいであった。この時期英国旅行など叶わぬ「時空トラベラー」にとって至福の時間を過ごすことができた。店内にはカフェレストランもあり、折からの連休で、しかも緊急事態宣言中の「遠出自粛期間中」でもあり、家族連れで賑わっていた。であるからして我々「前期高齢者」は遠慮して退散した。

それにしても東京は奥深い。まだまだ未知のゾーンがあちこちに潜んでいることを再認識した散策であった。


JR目黒駅西口を出て権之助坂を下る

目黒川にかかる目黒新橋

目黒川の桜はもう終わりで新緑が眼に染みる

立派な石柱を持つ橋だ

「元競馬場前」バス停


目黒インテリア通り

古民家活用の骨董店

タイ国大使館


GEOGRAPHICA

目黒通りのインテリア/家具ショップコミュニティーのポータルサイト。目黒インテリアショップスコミュニティー:MISC


(撮影機材:Leica SL2 + Lumix-S 20-60/3.5-5.6)