2010年4月26日月曜日

田村圓澄先生の「飛鳥の時代 倭から日本へ」を読む

 書店で田村圓澄先生の「飛鳥の時代 倭から日本へ」(2010年4月1日第一版)を見つけた。買っておいてから、なかなかまとまった時間が取れなくて読むことが出来なかったが、この週末、一気に読んだ。
明快で、説得力を持った飛鳥の時代の新たな解釈に引き込まれた。

 田村圓澄先生は1917年のお生まれだから、今年93才。失礼ながらこのお年で新たな著作を世に問われた事だけでも舌を巻く。この古代史、仏教史の巨人の、衰えぬどころか益々研ぎすまされた歴史を見る眼。新たな視点に基づく飛鳥時代研究のアップデートが明解に展開されていることに驚嘆するとともに、まさに尊敬の念を禁じ得ない。

 学生時代、法学部の学生だった私も、時々先生の講義を聴講させていただきに出かけたが、私のような未熟な学生には難解な講義であったような印象が残っている。この著作では、先生の永年の脈々たる研究成果が、最新の研究でアップデートされており、その解説に目から鱗の感動を頂いた。時に部分部分の事象にこだわって全体の流れが見えなくなるのは私のような浅学非才の徒の陥りがちな傾向だが、この著作では繰り返し全体の俯瞰図を示していただいており、非常によく歴史のトレンドを理解することが出来た。

 「やっとわかりました、先生」。「いやいやまだ君はわかっとらん」? 浅学非才を恥じるばかりだが...

 さて、この最新の著作では、新たな次の二つの視点で日本の古代史、特に聖徳太子(厩戸王)以降の飛鳥時代の考察を試みておられる。

(1)飛鳥時代の「倭」が、隣の朝鮮半島、中国の動向と深く関わっていること。
(2)この時代に出現した、人民の集団としての「百姓」と「仏教」の役割。

 この2点を新たな視点として、厩戸王の仏法を基礎とした政治改革から「大化の改新」、「壬申の乱」を経た後の天武天皇の時代、すなわち「倭」から律令国家としての「日本」への成立過程を説明している。

 特に、厩戸王、天智大王の歴史的役割の再解釈を問うた上に、壬申の乱で勝利した天武天皇の歴史における役割の新たな評価に、あらたな興味を持って読ませていただいた。東アジアの「倭」地域に統一国家「日本」が成立したいきさつが明解に解説されている。

 私は日本の歴史の中で、統一国家として成立する過程に、大きく3つのマイルストーンあったような気がする。一つは明治維新。二つは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と続く天下統一。そして三つが、この「倭」から律令国家「日本」の成立。
この3番目の解釈評価はまだ十分に定まっているとは言えないが、先生の考察で私の頭はかなり整理された気がする。
 
ちなみに、日本が経験した直近の大きな対外戦争での「敗戦」の事実がもう一つの大きなターニングポイントであるが、長い歴史の中で、これから客観的に分析され評価されて行くことと思う。まだまだ感情が煮えたぎっていて、歴史の時間の中での熟成と「歴史認識」の客観化が出来ていない。まだ生々しいのである。

 さて、いかに「倭」が「日本」になったかだが、そもそも「倭」と「日本」とはどのように違うのか?

 「倭」
(1)「倭」は一世紀の奴国や3世紀の邪馬台国のように弥生時代以来の農耕集落がクニとなり、クニグニの連合体 となったもので、国王が国土と人民を統一支配する「国家」ではない。
(2)自ら名乗った国号ではなく、大陸の中華帝国の王朝が名付けた、東の海に浮かぶ島々を中心とした「地域」の 名称である。
(3)4世紀に成立したであろうヤマト王権後も地域の氏族・豪族(物部氏、蘇我氏などの)が分割支配。
(4)地域の氏族・豪族が土地と人民を領有・支配する「私地/私民制」。
(5)「八十万の神々」という多神教の世界。それぞれの神はそれぞれの地域の氏族・豪族とその土地(私地)、人 民(私民)加護する。
(6)神々には姿形はなく、教えも説かない。
(7)「連合王国」の首長は「大王」であって「天皇」ではない。皇祖神を持たない、神につながらない存在。
(8)仏教伝来後も氏族仏教(蘇我氏の法興寺、厩戸王の法隆寺など)。

「日本」
(1)天皇が国主として全土の土地と人民を統一・支配する「国家」である。
(2)政治制度としての律令制を取り入れた。
(3)氏族・豪族に代わり天皇が生産手段としての土地と人民を支配する「公地・公民制」。
(4)この天皇の支配を権威づける皇祖神の創出。氏族ごとの神(八百万の神々)の体系か。すなわち「大王」は「天皇」を名乗り「神」となる。
(5)これまでの「八十万の神々」の上に立つ最高神、皇祖神としての天照大神を設定。
(6)これは金光明経(仏教)の「帝王神権説」に基づき創出された国家理念。
(7)姿形を有し、言葉を持ち、教えを説く神、仏教を国家理念の中心に据える。
(8)国家仏教(大官大寺建立、地方にも寺院建立)へ。仏教による中央集権化。

 この「倭」の「日本」化を進めたのが天武天皇(大海人王)である。初めて「大王」から「天皇」となり、国号も外来の「倭」を嫌い「日本」とした。天武天皇が事実上の初代の「日本」の「天皇」となる。

 時代背景としては、天智大王が中大兄王時代から飛鳥で繰り返した、血なまぐさいクーデター(のちに「大化の改新」とよばれ、最近は「乙巳の変」と呼び直されている)や、権力内部での殺戮の連鎖。さらには人民「百姓」をも駆り出して挑んだ対外戦争の大敗(660年の白村江で唐・新羅連合軍との戦いの敗戦)。大王家の故地である飛鳥とその民の放棄(難波宮への遷都、さらに孝徳大王を見捨てての飛鳥帰郷。さらに近江京遷都)などから、人民「百姓」の心は大王からはなれ、「百姓」の集団での抵抗にあった時代であった。

 天智大王亡き後の「壬申の乱」は、ただの皇位継承争いではない、とする。すなわち倭の「軍国」化を進めた天智大王の近江王朝を廃して、新たな「国家」造りに挑んだのが天智大王の弟、大海人王であった、という解釈である。

 氏族・豪族の「私地・私民制」を天皇の「公地・公民制」に変革するイデオロギーとして、「八十万の神々」の上に最高神「天照大神」を置き、天皇家の皇祖神とし、「大王」が「天皇」すなわち、氏族/豪族に共立された権威ではなく、神に繋がる権威としての天皇となって「国家」を統一・支配するという、新しい国家像を創出した。ここに国家の統治制度としての律令制を導入して国家の形を整えた。この基本になる理念が仏教の「金光明経」の帝王神権説であるというわけだ。そしてこの天皇を中心とする新しい国家像を権威づける為に「天照大神」を皇祖神とする系譜を表した古事記、その天皇が支配する倭国に変わる「日本」起源をまとめさせたのが国史としての「日本書紀」である。

 この天武天皇の国家理念は、皇后であり皇位を継承した持統天皇に引き継がれて、日本という国家の礎が出来上がったとされる。この時代、天武天皇は自ら政治を執り行う天皇親政を行ったと言われる。ちなみに明治維新の時の「王政復古」の大号令は、この天武親政時代の国体を復古せよということなのだ。また持統天皇の時期まで遣唐使の派遣を取りやめている。新しい「日本」の体制固めを優先したのだろう。従って「日本」という国号が唐に認められるのは遣唐使が再開されて粟田真人が長安の則天武后に謁見を許されるまで待たねばならない。

 この意味では、歴史のターニングポイントは我々が習った645年の「大化の改新」ではなくて672年の「壬申の乱」と、天武・持統天皇の時代を待たねばならないのかもしれない。また「日本」という国号を用いた最初が、聖徳太子(厩戸王)の遣隋使小野妹子が随の皇帝に持参した「国書」にいわく「日の出る國の天子...」だとされている解釈にも修正が必要、ということになる。

 まだまだ新たな事実の発見、異なる考察があり続けるだろうが、先生が93才にしてアップデートされた飛鳥の時代のイラストレーションは、私にとっての永年の疑問に対する明解な回答を示してくれた。先生の益々のご健勝と歴史の謎を解明する新たな考察を期待しております。

未知の世界への扉の一つがまた開けられたことに感謝。これから明日香を訪ねる時の一つの「歴史認識」が出来た。この本は時空トラベラー必携のガイドブックという訳だ。時空旅はますます佳境に入ってゆく。

(先生は2013年7月10日に福岡で永眠されました。これからというときに残念の極みです。ご冥福をお祈り申し上げます。)




飛鳥時代 倭から日本へ飛鳥時代 倭から日本へ
価格:¥ 2,415(税込)
発売日:2010-03