2010年6月19日土曜日

藤原鎌足を巡る明日香の旅(2)多武峰談山神社

今年はまだ談山神社に行っていない。ちょうど一年前の田植え時、桜井からバスで談山神社へ行き、そこから明日香、石舞台まで歩いたことを思い出す。ヤマト国中を見下ろしながらのケモノ道、暗雲たれ込める二上山に大津皇子の怨念を感じ、権謀術数渦巻く飛鳥の地がなんとのどかで平和な里であることか。一番印象的な時空散策であった。

ここ談山神社は多武峰とよばれ、藤原鎌足を祀る神社だが、元々は妙楽寺という寺であった。
明治期の廃仏毀釈の動きなかで、僧侶は還俗、寺は神社となった。

しかし、境内に立ち入るや否やその建物の配置、たたずまいは伝統的な神社のそれではなく、仏教寺院のそれであることが見て取れる。ご神体を祀る本殿や鳥居は後の創建であり、藤原鎌足像を祀る拝殿は、明らかに仏教寺院の本堂。ランドマークの桧皮ぶき十三重塔はまさに仏教のシンボルだ。ご本尊はどこかへ移されてしまったのだろう。
廃仏毀釈という「文化大革命」の痕跡はここ談山神社にも残されている。

談山神社の背後には御破裂山というすごい名前の山がそびえている。
名前が示すように、太古には火山であった。時々天変地異や争乱の前に山が揺れた、と語り継がれた山で、いかにも鎌足ゆかりの多武峰にふさわしいおどろおどろしい山である。

ここは、いわゆる「大化の改新」の談合を行った場所として語り継がれており、中大兄皇子と中臣鎌足が密議をかわした峰が山頂近くに残っている。また、鎌足の墓もある。

この御破裂山に登り頂上の古墳から明日香が一望できる。なるほど、宮廷クーデタを語るには良いロケーションだ。西には二上山が望め、ヤマト国中が手に取るように見渡せる。飛鳥の宮の背後にそそり立つ場所であり、鎌足生誕の地、大原のさとからも近い。この倭国ヤマトという小さな世界の中での歴史的な出来事を思い起こさせるには絶好な舞台設定だ。それにしても箱庭的風景であることよ。

御破裂山を下り、明日香石舞台方面へ、向う。ちょうど田植えの時期で、明日香を見下ろす傾斜地の棚田はどれも水を張って鏡のように美しい。豊かな明日香の山里を彩る花々も美しい。所々で何かを燃やす煙が立ち上っている。
青い山と水を張った棚田のグラデュエーションがまことに美しい。

うまし國ぞ安芸津島ヤマトの国は...