2011年11月11日金曜日

村の鎮守さま ー新幹線の車窓風景の妙はここだ!ー

 新幹線で東京から新大阪へ向う時、関ヶ原古戦場跡を過ぎ、滋賀県に入ると、右手の車窓からは近江八幡市が見えてくる。小さな山が田園地帯にぽつんぽつんと見え始め、いかにも歴史の故郷然としたアンジュレーションが続く楽しい車窓風景だ。たちまち佐和山城趾の看板、安土城趾→の看板が見える。いかにも戦国末期の山城構築に適した山々ではないか。五個荘の町並みも車窓をビュンビュン飛び去って行く。

 やがて穏やかな田圃風景の真ん中に形の良いこんもりした緑濃い杜が見えてくる。村の鎮守の神様だ。田圃のなかの一本道が続き,その先に小さな鳥居が見える。ところが,よく見るとこの鎮守様、鳥居と杜との間が新幹線と並行して走る東海道線でちょん切られているじゃないか。何とも無惨な... そんな「唖然」もつかの間、あっという間に風景は舞台転換して行く。新幹線,速すぎ!

 この神社はどういういわれの神社なのか、以前から、ここを通り過ぎるたびに気になっていた。Google Mapで調べて見た所、ここは野洲市長島の長嶋神社だという事が分かった。野洲市 長島神社で検索すると「村の鎮守さま(野洲市)」ホームページに行き着く。これによると、野洲市には数多くの鎮守の杜があるが、この長島神社もその一つ。祭神は玉津姫命と菅原道真だという。但し、その由来は不明。神社自体のホームページはないが、どうやら古式豊かな拝殿が線路の向う側にあるらしい。何とも謎めいていて時空トラベラーの旅心をおおいにくすぐるタイムスリップホールだ。

 時速200キロ以上で疾走する新幹線からはじっくり観察する術もないが、何とも心ひかれる佇まいであることよ。日本人の心の拠り所である「鎮守の杜」ではないか。これまた田圃の真ん中を真一文字に走る東海道線が、この杜を横切っている所が、古代からのお社と江戸末期から明治にかけての近代化の中での村の鎮守さまの立ち位置を表している。鉄道通す時に、「鎮守の杜を迂回して欲しい」なんて誰も言い出さなかったのだろうか? この「無礼者」は何のてらいもなく鎮守の杜を分断している。だだっぴろい田圃の真ん中に、古代からの神社と明治近代化のシンボルである鉄道しか見えないので、余計にこの取り合わせの「妙」が目立つ。

 それでもこの鎮守の杜はその穏やかな古代の神の鎮座まします佇まいを今に残している。この長嶋神社のすぐ北に隣接して長島の集落が位置している。まるで肩を寄せあうように田園風景の中に存在している。長嶋神社はまさにこの「村」、長島の守り神だった、いや今も守り神なのだ。

 何時か訪ねてみたい。いや必ずカメラ持って行かずばなるまい。

 村の鎮守さまホームページ:
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/chinju/yasu/giou.html

 あたりの地図:
http://shrine-temple.jp/print/15066




(長嶋神社の写真は残念ながらまだ撮れてません。この山は近江富士と言われる三上山。新幹線からは新大阪方向左に見える)




(やっと撮れました!ちょうど東海道線の電車が鎮守の森を横切るところです。)