2013年4月11日木曜日

都市のランドマークとしての駅舎建築(Tokyo Central Station & Grand Central Terminal 100 Years Anniversary)

 戦争中の爆撃で破壊され、建て直しか、復元か、戦後ながらく懸案だった名建築東京駅赤煉瓦駅舎の復元が遂に完成し、東京の新たな観光名所になっている事は周知の通りだ。歴史的な建築物が建ち並ぶ丸の内地区は丸ビル、新丸ビルのリニューアルに続いて、東京駅が復元され、ついこの間は駅前の東京中央郵便局跡にJP Towerも完成し、ショッピングモールKitte、オフィスビルとしてオープン。このように東京駅丸の内口の再開発が進み、従来あまり観光客や買い物客が集まる場所ではなかった東京駅周辺がにわかに「賑わいの場」として脚光を浴びている。

 再開発には破壊が伴う事が多いのだが、近代建築物を歴史的な遺産として保存/修復しようという動きが高まっている事は良い事だ。しかし,その手法には様々なバリエーションがある。駅前のランドマークであった丸ビルや新丸ビルは、旧ビルの面影を多少デザインに残してはいるが、完全立て替えで近代建築保存の手法はとられていない。JP Towerは、完全立て替えの予定で工事が進められていたところ、ご存知の通り某担当大臣の一声で、かろうじてファサードに外壁の一部が薄皮仮面のように残された。中身は全く残ってない最近流行の「なんちゃって保存」ビルだ。そういえばつい最近リニューアルオープンし、こけら落とし公演が始まっている銀座の歌舞伎座も、てっぺんにglass and steel高層ビルが生えた。それらに比べると東京駅舎はほぼ完全オリジナル復元ビル。これには感動。出来上がってみると、周りの高層ビル群の中に埋もれて、高さでは目立たず、たしかに内部は今の駅舎やビルの基準からみると狭く,スペース効率が悪いが、この土地一升金一升の丸の内に、経済効率一本やりでないある種の贅沢な余裕を感じる。それが新たな経済効果も生み出しているのだから、「経済合理性」の考え方も変えなくてはいけない。

 東京駅は、官営鉄道の起点であったであった新橋駅と、民営鉄道の起点であった上野駅とを結ぶ線の建設に伴って、その間に東京中央停車場(Tokyo Central Station)として1912年着工、1914年に完成したのが始まり。したがって新橋や上野のようなterminal(終着駅)ではなく、station(停車場)である。東京帝国大学の辰野金吾博士の設計になる赤煉瓦造り3階建ての建物は、にぎやかな八重洲、京橋側ではなく、何も無い原っぱであった丸の内側、すなわち皇居の真っ正面に中央玄関を設けた。国の威信をかけた帝都東京のシンボルとして建設されたものだ。戦時中の米軍による爆撃で、駅舎が破壊され、戦後はとりあえず3階建てを2階建てに補修して再スタートを切ったが、その後の経済成長のなかで、常に取り壊し再開発議論の対象となった。しかし、市民の熱心の保存復元運動の結果,駅開業100年目の2012年に元の美しい姿を取り戻すことが出来たわけだ。何でもすぐに壊してしまうこの時代に喜ばしい限りだ。現在東京駅自体は、プラットホーム数日本一で、JRの在来線が地上5面10線、地下4面8線、新幹線が地上5面10線。また東京メトロが地下1面2線、というビジーな駅となっている。また日本の鉄道の起点になる0キロポストがあり、東京駅を起点とした「上り」「下り」路線表示が使われるなど、文字通りの日本のCentral Stationだ。

 一方、ニューヨークのシンボルであるグランドセントラル駅(Grand Central Terminal)は御影石造りの壮麗な駅舎である。1871年に最初の駅が建設され、1913年に完全改装。今の駅舎の原型が出来上がった。今年で100周年を迎える。この駅も1966年には取り壊し再開発の計画が持ち上がったが、ニューヨーク市民、ジャックリーヌ・オナシスなどの反対運動で保存が決まり、1998年にリニューアルオープンにこぎつけている。2014年には,同じく100周年を迎える東京駅と姉妹駅になるそうだ。

 こちらは地下駅で地上にはホームも線路も無い。駅舎はマンハッタンの中心を南北に貫く大通り、Park Avenueの真上に通りをブロックするように立っている。ホームと線路はこのPark Avenueの真下に2層になっており、29面、46線を有するという巨大なターミナル駅だ。そもそもPark Avenue自体が鉄道の線路上にフタをして出来た大通りだそうだから、道路下を掘って地下駅を作った訳ではない。逆なのだ。通りを歩くと分かるが、歩道の側溝の金網の下に線路が見えている!さらに我々日本人の感覚では信じられない事だが、Park Avenue沿いの高層ビル群のすぐ真下が空洞になっていて、線路やホームや待避線が地下を縦横に走っているのだ。しかも、かつては機関車で牽引する列車だったことから,地下に広大な方向転換して入線するためのループ線まで残っている。この御影石造りの堂々たるグランドセントラル駅舎自体もこの空洞の上部に鎮座ましましている。岩盤の上に街を築いたマンハッタンとはいえ、この都市の構造は我々には信じられない。今は、主にWestchesterやConnecticut方面に向かう近郊通勤電車の始発駅だ。私もNY時代に毎日利用した。当時はNYには日本人駐在員が大勢いて、みな郊外に住み、夜になると帰宅する日本人サラリーマンで溢れる電車だった。いわゆる「Orient Express」だ。日本が元気な時代であった。ちなみに車両は川崎重工製。ワシントンやボストンなどの大都市間を結ぶ長距離列車やアムトラック(Amtrak)はペンステーション(Penn Station)が拠点となっている。アメリカが誇る高速鉄道アセラ・エキスプレス(Acela Express)もペンステーションが始発だ。

 このように,両駅はその生い立ちも役割も少しずつ異なるが,東京とニューヨークを代表するのランドマークである点は共通だ。そして、いずれもその駅舎は地域の再開発のために一度は取り壊しの対象となり、いずれも市民の運動で破壊を免れたという歴史を有する。鉄道という19〜20世紀の公共輸送手段は、航空機や自動車の発達に伴い、その交通体系におけるドミナントな地位を失ってしまった。特にアメリカでは、その開拓フロンティアを支えて来た鉄道はその役割を終えた感すらある。それでも、単に輸送手段としてだけではなく、こうした歴史的な駅舎や、人が集まる場所としての魅力、情報が集まる場所、金が集まる場所としての仕掛け造りが、再び駅を蘇らせ、賑わいの場になり、都市の顔としての役割を復活させている。そうしたなか、観光やエキナカビジネスや、さらには乗車券の代わりのカードを利用した決済ビジネスを生み、レガシーな鉄道と駅舎+IT+リアルという、新しいエコシステムを生み出している。そうした「時代の変遷」という視点からも東京駅とグランドセントラル駅とがともに開業100周年を迎え、来年姉妹駅になるコトは嬉しい事だ。21世紀の新しい鉄道の時代に向けて出発の時を迎えている。



 皇居から続く広い行幸通りも整備し直されて、東京駅赤煉瓦駅舎を正面から見る絶好の場所となった。



 新装なったJP Tower(旧東京中央郵便局)の6階展望デッキからは、赤煉瓦駅舎を見下ろすことが出来る。



 南北のドームの下は、駅の改札エリア。



 ドーム天井はオリジナルのデザインで復元された。仮復元時代のパンテオンもよかったが。



 Grand Central Terminal正面。Park Avenueの南側から姿。右の橋桁はPark Avenueを通る車両が駅舎ビルを左右に通り抜けるためのもの。



 駅ビル正面のマーキュリーの像。後ろはMetlifeビル。昔のPanAmビルだ。



 1950年代後半、私の父が撮影した当時のGrand Central Terminal。今と違って黒っぽく煤けた感じだ。。



 内部は神殿のように広く厳か。星条旗が常に掲げられている。




 コンコース。中央は駅の観光案内所。待ち合わせの目印にする人が多い。