2013年6月8日土曜日

大和今井町 〜キット戻ってくるから〜

 気がつくと大阪に転勤になって5年も経っていた。その大阪ともついに別れの時が来た。我がサラリーマン人生最後のお勤めで東京へ。なかなか悠々自適させてもらえない。「会うは別れの始め」。祖母の口癖だった。会った喜びの瞬間に,既に別れの時を考えて悲しんでいる。このみごとな諦観... 祖母は悲観論者かと思っていたが、実は哲学者だったんだ...と今理解した。出会いと別れは繰り返す。輪廻転生である。確かに別れは思ったより早くやって来て、そして悲しい。

初めての大阪勤務。初めての土地での単身赴任。その心細さを、関西の風土、文化、人情が慰めてくれた。いや、そんなネガティブな受け止め方ではなく、もっとポジティブに多いに楽しませてくれ興奮させてくれた。「週末は新幹線新大阪駅から帰京」というのが大阪単身赴任者の定番スケジュールであるが、私の場合、「週末はカメラ担いで奈良へ、京都へ、紀州へ、播州へ」であった。私の住んでいた上本町エリアは奈良へのゲートウエー。しかも住所が、なんと父と祖父母が暮らした町のすぐ隣だった。奇遇だ。キット父と祖父母が呼んだのだろう。父の青春時代に「時空旅」する事もできた。

ああ、これから東京での生活が始まる。どないしょう? 週末行くトコあらへん... 引越まで週末はあと二回しか無い。もう一度行っておきたい所,それは今井町。学生時代に初めて訪れ、その時空を超えた町の佇まいに衝撃を受けた、あの今井町だ。私の大和路散策のスタート地点だ。

この「時空トラベラー」ブログも、旅先カテゴリーとしては「奈良大和路散策」が圧倒的に多い。それだけ奈良大和路が好きであちこち廻らせてもらった。海外生活が長かった私のサラリーマン人生。帰国してからの人生の後半戦で赴任した関西。国内で初めての転勤だった。しかし、それは日本人として日本の文化の豊かさ、美しさ、楽しさを知る「知のラビリンス」への旅立ちだった。

特にイギリスに居た時に感じた、ヨーロッパの田舎の美しさ、豊かさ、馥郁たる文化の香り、人々のライフスタイルの美しさは印象的であった。日本は高度経済成長時期で、当時の日本人は古いものよりも,新しいものをより好むというライフスタイルを形成していた。田舎生活よりも都市生活へ。そしてイギリスを英国病の老大国だと揶揄した。しかし、このイギリスの田舎の豊かさを目にして、本当の豊かさとは?という疑問を感じたものだった。確かにバーミンガム、リバプールやマンチェスターなどの産業革命以降に発展した都市は、往年の輝きを失っていた。しかしケントやサセックス、コッツウオルズなどの田舎へ行くとゆったりしたquality of lifeを楽しむ人々がいる。大国の興亡のプロセス、国のライフサイクルにおいて、イギリスは既に都市の繁栄の時代を終えて地方の繁栄の時代に突入していた。

そして、アメリカ・ニューヨークでの生活。この全てがカネを中心に廻っている資本主義の牙城にあっても、実は古い街角や、アートを楽しむ人々の生活が息づいていた。カネじゃない、ビジネス以外の価値観で人生を楽しむ人々が大勢いた。そして皮肉な事に、そうした人々の関心の一つに日本文化があった。フジヤマ.ゲイシャガールではなくて、リサイクル社会であった江戸時代や、中世さらには古代の日本人のエコな生活スタイルに対するものだ。そこから生まれて来た文化、芸術、哲学に関するものだ。もっとも多くのミッドタウンやダウンタウンのニューヨーカー達の関心は「日本株式会社」から中国やアジア諸国の経済成長に移っているが。

日本にもどると、母国は、こうした時空を超えて生き残る本物の価値、美、ライフスタイルが破壊されてしまったようだった。明治の初期の頃の西欧文明一辺倒主義や、廃仏毀釈の嵐の再来か。しかし、日本も世界第二の経済大国の座を中国に明け渡し,韓国の元大統領にも「もはや頼る必要は無い」とバカにされ、かつて「英国病の老大国」とイギリスに向けて発した傲慢な言葉は、はやくもいま自らに向けられている。その一方で「日本再生」に向けて、アベノミクスに一喜一憂しつつも、そろそろ違う価値観の時代に入りつつあるのでは,と予感し始めている。

「往年の名優」時代の舞台がくるりと廻って、イギリスのような「老大国」、いや、「初老大国」「小金持老人国」になりつつ在るこの時期、そろそろ次の価値観を探し始めている。そして関西へ来て、「おお、なんだこんな所に本物の美がまだ生きているじゃないか。歴史に裏打ちされた美的センス,生活スタイルが生きているじゃないか」と気付いた。これまで捨ててしまって顧みなかったもの、気づきもしなかった価値に、ふと目を留める心の余裕が生まれ始めたのかもしれない。

そもそも東京のようなグローバルな大都市は、ある意味世界中どこへ行っても同じ顔を持っていている。各国に一つや二つあるこんな国境を越えて繋がっている都市は、むしろその国を代表する町ではなくなっているのかもしれない。ニューヨーク、ロンドン、香港、シンガポール、上海。もちろんそれぞれに特色を持つが、すでに世界都市として自立してしまっている。北京や上海や広州のような都市に農民工が集まってワイワイやっている姿は、産業革命時代のロンドン、パクスアメリカーナ時代のニューヨーク、バブルエコノミー時代の東京の姿だ。経済発展途上の都市の光景だ。進化の過程でいずれはその時期が過ぎ去る。新しいThe Theory of Evolutionだ。

そして皮肉な事だが、あの凄まじい高度経済成長期の人口の都市への集中化、経済成長の恩恵に取り残された田舎や地方都市にこそ、「再発見」するような価値観や、景観、生活のスタイルが生き残っている。関西にはそうした日本の伝統が息づく町や村がそこかしこにある。大阪の街中にも古い町家が残り、街角にお地蔵さんが祀られている。ある意味偉大な日本の「田舎」だ。何も京都ばかりが日本の文化を体現している町ではない。外国からの観光客や,東京人(その定義は皮肉たっぷりだが)は、「そうだ。京都。行こう」とばかりに集まって、いかにも、という「京都どすえ〜」ショップや「これがはんなりどすえ〜」食事処を廻って喜んで帰って行く。

同じ関西に在る古都でも、奈良はもうチョット通(つう)の行く所だ。飛鳥はさらにアドバンストコース。今井町はニッチコース。奈良は外国人観光客でも、アメリカ人や韓国人や中国人よりも、フランス人、イタリア人観光客が多いと言う。確かにどうも同じガイドブックを手にしている。そして個人旅行を楽しむ旅行者をあちこちで見かける。室生寺、長谷寺でも、バックパッカーの欧州からの若者が十一面観音に手を合わせている姿を見る。五條新町のフレンチレストランは超一だ。

さすがに今井町にはまだ外国からの観光客の姿は少ない。しかし、ここは新たな「日本ふれあい旅」の聖地になるだろう。スポイルされていない伝統的な町並み、何代も続く名家の当主の話は興味が尽きない。土地の古老の伝統的な生活スタイル。農村とは異なる日本人の都市生活の原型がここにある。そうした人の暮らしが魅力的だ。ステロタイプの観光施設が上手に街中から消去されている所がいい。この辺がならまちと違う所か?

今井町の地元NPOの方に伺うと、最近は他の地方の町の例の漏れず、若者がドンドン町を出て行ってしまい(大抵は道が狭くて車が家に停めれない、などという理由だという。地方の若者にとって車は大事なエンタメなのだから)、住人の高齢化が進み,空家が増えていると言う。「ここは近鉄の八木駅からも近くて便利ですねんけど...」と。しかし、これからは高齢化時代。日本は世界最速のの高齢化先進国だ。そのポジションを成長に生かさない手は無いだろう。これはチャンスだ!

今井町に住みたい。ここの町並みを守りたい。ここの生活スタイルを世界に発信したい。インターネット時代なら出来る。バーチャルな世界でのふれあいだけでなく,リアルの世界にも引き込めるだろう。この時代、なにも東京に居なくてもクリエーティブな活動が出来る。情報発信が出来る。どこに居ても世界と繋がっている。今井町が世界へのゲートウエーになる。

という夢を語り始めると、なんだか自己暗示にかかり現実味すら帯びてくる。おお!ますます関西離れ難し。