2013年9月17日火曜日

野分け そして茜雲

台風18号は愛知県豊橋付近に上陸し、本州を縦断するように北東に進路を取った。東京は16日午前中から暴風域に入り、我が家の植木鉢も盛大にひっくり返っていた。久しぶりの首都圏直撃の台風である。フライトキャンセル、新幹線の運転見合わせ。鉄道各社も運休や間引き運転で交通網がマヒ。3連休の最終日で大勢の旅行客が立ち往生した。幸い帰省していた娘夫婦は前日夕刻に成田からJFKに向けて帰途に付き、間一髪で東京脱出に成功。ようやく午後3時頃には風雨も徐々に収まり、西の空に薄日が射し始めた。

テレビの映像は、京都の桂川が氾濫し、景勝地嵐山が水浸しになっている様子を映し出していた。あの普段は観光客であふれる渡月橋は濁流に洗われ、あわや崩壊か、と思われるほどであったが、さすがに見かけは古風な欄干を持つ橋も、しっかりしたコンクリート製の橋脚に支えられていて、激流にも微動だにせず立ち向かっている姿が感動的だった。しかし、近畿、東海あちこちで猛烈な豪雨に見舞われ、人的被害も甚大だ。ここのところ日本全国でゲリラ豪雨、落雷や竜巻など、「今までに経験したことのない」災害が多発していている。今年は記録的な猛暑であったし、そうした事態に対応するために新たに設けられた「特別警報」が頻繁に発せられた。

野分とは台風の古語である。野を分けるほどの大風というところから名付けられたらしい。台風と言うより野分と言った方が風雅な響きがする。源氏物語の28帖「野分(のわけ)」や、夏目漱石の「野分(のわき)」で取り上げられているのせいだろうか。しかし、昔から大きな被害をもたらす自然の猛威であることに変わりはない。過去に台風で倒壊した歴史的な建造物は枚挙に遑がないほどだ。古代人は、人知を超えた自然の猛威に神の意志を感じたことだろう。ただ「野分」という言葉の語感に神への畏れのニュアンスが感じられないのは何故なのだろう。

しかし、台風一過。ふと見上げれば、なんと美しい夕焼け空だろう。こんなに美しい東京の空を観るのは久しぶりだ。普段は霞んでいてスッキリとした青空が見える事は少ない。高村光太郎の妻千恵子がゼームス坂の病院で「東京には空がない」と言った意味がよく分かるのだが。この野分はさんざん暴れ回ったあとに、こんな穏やかで美しい茜色の雲の切れ端を置いていった。試練をくぐり抜ければあとには安らぎと感動が待っている、と言わんばかりに。ところで、野分の後の夕焼け空をあらわす風雅な言葉はないのだろうか。












(撮影機材:Nikon D800E+AF Nikkor 24-120 f.4, Leica M Type240+Summicron 50 f.2)