鍋島藩窯は、江戸時代には門外不出の御用窯で、朝廷や将軍家、大名家、海外の王侯貴族向けの、いわば鍋島家権威財生産を担った。その製品は年間限られた数の生産しかしない「限定品」であった。しかも有田や波佐見などと異なり、その製品が一般市場に出回ることは少なく、したがって江戸時代の色鍋島や鍋島青磁、染付など、古伊万里にカテゴライズされているものは、現在では骨董美術品的な扱いとなっている。
明治の廃藩置県以降、藩窯は廃止されたがその鍋島窯の伝統技法は引き継がれ、現在の伊万里大川内山には、30軒ほど窯元がありそれぞれの個性を競っている。なかには現代の生活にも受け入れられやすいデザインの作品を出している窯元もある。しかし御用窯のデザインと御用窯だけに許された染付など、一定のボトムラインの上にそれぞれの特色を出した作品を生み出している。有田の香蘭社や深川製磁のような主に海外市場を狙って明治期に設立された日本を代表する有名な大手ブランドや、柿右衛門、今右衛門などのように世襲ブランドを守っている窯元などと異なり、大掛かりにブランドエクイティーを押し出していない窯元が多く、それだけ奥も深くて、自分の好みの窯元を探して巡る楽しみがある。
そしてその集落の佇まいは密やかで美しい。街並みを見て歩くだけでも楽しい。そういった時の流れのなかで秘められた「美」が熟成し、芳醇な香りをあちこちに漂わせている。しかし、一方、その歴史と伝統を担ってきた無名の陶工たちの無縁仏群が、この里のもう一つの異空間を形成していることにも気付かされる。
以前訪ねた時のブログです。
時空トラベラー The Time Traveler's Photo Essay : 伊万里秘窯の里 大川内山を巡る ー「違いの分かるオトコ」の窯元散策ー: 「伊万里焼」と「鍋島」と「古伊万里」と「有田焼」の違いをご存知ですか?私は今回の旅でようやく分かってきたような...気がします。まずは大川内山のご案内を。 1675年から廃藩置県の1871年まで、大川内山は肥前佐賀鍋島藩の御用窯がおかれていた。ここでは独特の磁器製造技術を藩...
鍋島藩の秘窯は切り立った大屏風風奇岩に囲まれた谷間にあった。 中国の景徳鎮の官窯を模して開いた。 |
度肝を抜かれるのがこの村の入り口に架かる橋 |
「トンバイ塀」 窯の耐火煉瓦を積み重ねたもの |
橋にも河岸にも陶器やトンバイが埋め込まれている |
伝統の登り窯 現在はほとんどがガス窯で焼くそうだが、 陶工の伝統技法を伝承するために年一回、この登り窯で焼成するという。 |
それぞれの窯元のギャラリーを見て歩くのは楽しい。 |
里はまもなく稲の刈り取りシーズンへ |
コスモスが村を彩る |
川の左手に幾多の陶工達の墓が連なる かつてここは閉ざされた異空間であった。 |
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伊万里焼、有田焼、古伊万里、鍋島、などの違いを知りたい方はこちら(↓)をご覧ください。
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