2016年3月14日月曜日

私の「三都物語」 〜「青い鳥」を求め Tokyo、London、New York、そして... 〜

 夢を求めて故郷博多を離れた私は東京へ。そしてそこからロンドンへ、ニューヨークへ。まさに「昨日、今日、明日」の「三都物語」が書ける人生であった。今思えばそれは長い旅路であったような、短い一瞬の出来事であったような。グローバルな24時間ノンストップ金融市場、その三大センターを渡り歩いた訳だ。その間、金融市場としての東京の地位は大きく低下したものの、それでも世界を代表する経済センターの一つであることにかわりはない。その三都というステージで広い視野を養い、日本のICTをworld class serviceとして世界視野で展開するという、高い目線で仕事をすることができた。とりわけ、あの高度経済成長の時代が終焉を迎え、少子高齢化が急速に進むなか、日本国内市場の成長の先行きが見えた。不可避的に海外市場への進出を選ばざるを得ない事業環境。加えて基幹サービスのコモディティー化に伴い、高付加価値サービスを求めて異なるレーヤーのサービスへの進出し、ビジネスモデルイノベーションに挑戦することが求められる経営環境。その双方の要請からもグローバルな事業展開を20年前にいち早く着手したことは、先見性があったものと自負できる。そういう意味ではビジネスマンとしての幸せの「青い鳥」に出会うことができたと言って良いだろう。

 しかし、私の「三都物語」は何の予告もなく終わりを告げる。ニューヨークにいた私は、突然日本に引き戻された。一本の事務的な電話で。

 帰国後の会社人間としての人生は、これまでのような膨らむ勝利への期待と、それに付随するリスクがないまぜとなるようなワクワクするものではなかった。いわばリタイアーに備えた閑職。しかも帰国するとまもなく大阪へ異動させられた。もちろん大阪が国内事業の重要な拠点であることは間違いないが、海外事業畑の私にとって「なんでやねん」の転勤だ。周囲の人々の驚きもモノかわ、人事異動は淡々と進められてゆく。経済的には定年までのサラリーマン人生を不自由なく過ごさせてもらったので文句言う筋合いではないのだろうが、もはや新しいプロジェクトを企画し、事業を起こし、それをリードする立場にもなく、新任地はそういったロケーションにもない。海外で築きあげた人脈や経験を生かす術はもはやない。結局、「組織人」たるサラリーマンは「ビジネスロジック」だけで動かされるのではない。組織には経済合理性だけではない様々な確執が存在し、そこには別の「えも言われぬロジック」が働くものだ。従っていまさらそれを理不尽だとか、不合理だとか言って嘆くつもりもない。

 いずれにせよ、時差をモノともせず広い世界を飛び回る生活、異なるメンタリティー、多様なビジネススタイルの人たちとのつばぜり合い生活は突然終わった。これまでしゃにむに走り続けていた自分が、前のめりに転びそうになるほどの急ブレーキであった。毎日定刻に出社して定刻に帰るという、「スーダラ」サラリーマン生活の経験はこれまでない。昭和型「モーレツ」サラリーマン生活(その時はそうは思わなかったが、振り返って切るとアレが「モーレツ」だったんだと)と、多くの時間を空港と機内で過ごす「国境なき」サラリーマン生活を過ごしてきた。その落差は急激なものであった。大阪本社ビルの最上階に役員個室が用意され、毎日秘書が運んでくれる新聞を読み、お茶を飲み、法令で求められる形式的な会議に出席する。文字通り「窓際」から大阪の街を展望するのを心の癒しとする。マンハッタンのオフィスから展望する都会の景色とある意味で重なる部分もないではないが、その心象風景は大きく異なる。ぽっかり空いた心の空白。なんと平和で居心地の良い「座敷牢」生活...

 しかし、そうして心のカタルシスを強制され、煮えたぎっていた血肉、熱き心が冷めて行くにつれ、私の脳は戦時モードから徐々に平時モードへリセットさてれていった。そう、彼らの筋書き通りに事は運んだ。そこで私は、新しい世界を発見した。路傍に咲く雑草のたくましさ、名も無き花の美しさに気づいた。いや、普段見慣れたはずの風景に今まで気づかなかった新しい価値、美を再発見した。関西という土地柄はそういうリハビリには誠に適切な時間を提供してくれる。ここはなんというculture richな土地柄だろう。ここに佇み、たっぷりとした時間を過ごすと、日本という国・社会の成り立ち、世界史の中での立ち位置が見えてくる。そのはるか時空の線上にはナニワ、ヤマト、ミヤコ、そして遡ればはるかにツクシが見えてくるではないか。稲作農耕社会たる弥生倭国の姿が浮き上がってくる。美しい風景はただ美しいだけでなく、それは長い時間の経過のなかで熟成され、そこに育まれた文化と、人間の欲望に基づく闘争の歴史によって形作られた原風景なのだから。そこには短い時間の中で移ろいゆく栄枯盛衰の繰り返しではなく、変わらぬ不動の時間が確かに存在している。

 こうして日本の文化と歴史というこれまで当たり前で、振り返ってみようともしなかった世界をふと垣間見てしまった。「日本の心」などという日本観光のキャッチフレーズのようなキーワードがリアルに蘇ってきた。そうだ、これからは使用言語を英語から関西弁に切り替えて、大阪、京都、奈良という新たな三都物語を紡いで行こう。それはその先にある博多・太宰府という筑紫倭国の世界へと繋がってゆく。こっちは博多弁、ネイティヴ言語だ。ユーラシア大陸の東の果ての海中に存在する日本、倭国という小宇宙。それは私の人生にとっての「新しい冒険のパラダイム」。再び「ワクワク」の世界が広がってきた。

 幸せの「青い鳥」は遠くの見知らぬ異国にいるのではなく、この日本という身近なところにいた。故郷を出て「青い鳥」を探す旅路の果てに夢半ばで帰り着いた故国に、それを再発見した。だが、話はそこで終わらない。 メーテルリンクの「青い鳥」は、最後には自宅のカゴから逃げ出していなくなってしまう。結局は、この話はよく解説されているような「遠くの幸せを夢見るのではなく日常の生活の中で幸せを見つけよ」という単純な教訓話ではない。真理の探究心はとどまるところを知らず。やはりハングリーに新たな三都物語を目指して旅立つしかないのだ。

追記:

 これまでの自己意識は、戦闘モードに耐え抜き、結果を出して他人に認められる(認めさせる)、すなわち他人による「承認」を求める精神構造に基づいている。しかし、過ぎさって見ると「他人の承認」ではなく、「自己の承認」という自らの普遍の価値の発見に向かう自己意識があることに気づき始める。それは人との競争、共存やコミュニケーションからではなく、自らの内面の観照から生まれるものである。それは時として孤独な世界に引きこもることになりがちではあるが、人が認めるものが良いものなのではなく、自分が良いと思うものが一番良いという意識、精神構造に基づく自己意識である。これは煩悩からの解脱とも違う。唯我独尊とも違う。まして価値絶対主義でもない。普遍的価値というものも実は相対的なものである。人が認める普遍性と、自分が認めるものが異なっていることは常にある。しかし、いわば人の評価に依存せず、自分の評価に基づいて自分の普遍的価値を見出すよう物事を意識して行こうということだ。



我々日本人はどこから来てどこへ行くのだろう
過去から未来へという時の流れの「今」という一瞬を切り取ることはできるが...

縄文遺跡「大森貝塚遺跡」にて