保育園の子供達が歩くペリーロードはアジサイの季節を迎える |
伊豆下田では恒例の黒船祭が開催された。今年は第77回、例年より少し遅い20〜22日の開催となった。国際色豊かなパレード、コンサート、踊りや、祭で町中が賑わっている。公式パレードはペリー提督上陸ポイントを出発するが、この静かで情緒あふれるペリーロードを迂回して、賑わう商店街の方向へと進んで行く。したがって祭りの最中もこの辺りは比較的落ち着いた雰囲気を保っている。ペリーロードの背後にある下田公園の山はアジサイが満開になると見事だが、これはもう少し先の6月に入ってから。しかし、色付き始めたまだ若い楚々としたアジサイはこの古い街並みに似合う。もっとも下田が下田らしい季節だと思う。
このペリーロード、もちろん昔からそう呼ばれていたわけではない。1854年ペリー提督率いる米国海軍東インド艦隊が下田條約を締結するために寄港。上陸地点の下田湾頭(現在はペリーポイントとして記念碑が建つ)から、調印式の行われた了仙寺まで隊列を組んで行進した800メートルほどの道で、ペリー提督にちなんでそのように呼ばれている訳だ。当時のIllustrated London Newsや、ペリーの「日本遠征記」に挿入されているハイネの画を見ると、いまの了仙寺やペリーロード界隈の町の佇まいがほとんど違っていないのに驚く。時空の扉に閉じ込められた地区だ。明治になってこの川沿いの街は花街として栄えた。今でも残る江戸末期から大正期に建てられた伊豆石や海鼠塀の遊郭、置屋、商家、蔵などの建物が、今はカフェやギャラリー、レストランなどになっている。川にかかる石橋、川沿いのガス灯、柳、アジサイと共に独特の情緒ある町並みを形成している。下田の観光スポットではあるが、小さな通りなのであまり観光地ズレせずに済んでいるのが不思議なくらいだ。多層な歴史を積み重ねたこうした地区を残してゆかねばと思う。
ペリー提督に同行した画家ハイネの描いた了仙寺界隈 今のペリーロードあたりの風景 |
以前のブログ:
最初の開港場 伊豆下田 〜ペリー提督が歩いた街〜
大正期に建てられた古民家はカフェになっている。 風通しのためちょうど窓を開け放った時、花瓶の花が輝いた |
下田公園から市街地を下田富士を望む。 本格的アジサイの季節はこれから |