森の中の広大なキャンパスに工房や展示館が点在する |
ニューヨーク・マンハッタンから車で1時間半、ホランドトンネル、ニュージャージーターンパイクを進み、デラウェアー河を渡るとペンシルバニア州に入る。その川沿いの街がニューホープ。コロニアル様式の歴史的建造物が並ぶ小さな美しい街だ。この街の探訪記は別のブログで紹介するとして、街はずれの森の中にジョージ・ナカシマ木工家具工房(George Nakashima Woodworker)がある。工房といっても、鹿が横切る広大な森に囲まれた敷地にギャラリーや工房、小さな美術館が点在するコンプレックスだ。以前訪問しブログでも紹介した京都の並河靖之七宝工房とはかなり趣が異なる(これはこれで美と技と才が凝縮された濃密な空間であるが)。ここはアメリカなのだ。ちょうど秋も深まり、インディアンサマーの心地よい空気と、紅黄葉が真っ青な空に映える素晴らしい環境だ。ここで木工家具の巨人ジョージ・ナカシマは家具制作に没頭した。
このコンプレクスは米国歴史的遺産施設に指定されていて、遠方から訪れる人も多いが、記念公園・史跡では無く、現在も実際に木工家具の製作と販売を続けている。ショールームはあるがほとんどが注文生産で、その場で即売、というわけにはいかないようだ。作品はどれも木のぬくもりを感じるシンプルなデザインのものが多い。家具としての構造的な合理性とアーティスティックなデザインとが一つの作品に共存していて欲しくなるものばかりだ。ただ、どれも博物館級の作品で、メトロポリタン美術館のジャパンギャラリーや、他の多くの美術館に展示、ないしは実際に使用されている。訪れる人も、ギャラリーで作品を楽しんだり、たまたま通りかかるナカシマの愛娘のミラさんや、工房でのご子息とのフレンドリーな会話を楽しんだり、広大な森の散策を楽しんだり。日常生活の中での凝り固まった知性も感性も開放して豊かな時間をゆったりと楽しんでいる。こういう空間が存在すること自体羨ましい。
ジョージ・ナカシマは1905年米国ワシントン州スポーケン生まれの日系二世。ワシントン大学、ハーバード大学、MITで林学、建築学を学ぶ。建築家としてフランク・ロイド・ライトの帝国ホテル設計に参加するために来日。その後アントニン・レイモンド事務所に所属。前川國男、吉村順三、丹下健三とも同時期を共にしている。その後米国に戻り、戦時中は日系人収容所に収容される。戦後帰国したレイモンドを頼りペンシルバニア州に移り住む。やがて米国近代建築に失望し、自己完結的にデザインから制作まで取り組める木工家具作家に転向。ペンシルバニア州ニューホープに工房を開く。1990年この地で没するが、その後も娘のミラ・ナカシマが工房を引き継いで現在に至っている。
日本には四国の高松市郊外の牟礼町にジョージ・ナカシマ記念館がある。彼は都会にない温かみに共感し、讃岐民具連の活動に参加したという。ニューホープ以外でジョージ・ナカシマの作品に触れることができるのはここだけだ。交流のあったイサム・ノグチの庭園美術館も同じ牟礼町にある。今まであまり気づかなかったが、四国の牟礼町は世界的なアーティストの日本における活動拠点であり、そのレジェンダリーなロケーションになっている。
以下、ニューホープの工房の写真をお楽しみいただきたい。ただしギャラリー展示の作品は撮影が禁じられているし、実際に現地をたづねて現物に触れていただく方が良いと思うので掲載していない。
ナカシマの代表作のコノイドチェアー |
ミングレン館 友人であるベンシャーンの壁画で飾られている。 |
ショールーム建物 |
ショールーム横の見事な紅葉 |
ショールーム |
コノイド・スタジオ |