2019年5月27日月曜日

河津バガテル公園に春バラを愛でる 〜Jardin de Bagatelle〜






 パリ郊外のブローニュの森にバガテル庭園というバラで有名な庭園がある。毎年6月に国際バラ新種品評会が催される場所としても知られている。元はルイ16世の弟アルトワ伯爵の離宮の一つバガテル城のあった場所で、そこの庭園の一角に作庭されたバラで埋め尽くされた庭園( La Roseraie de Bagatelle)である。と言っても広大なバラ園で1100種、9500株の薔薇があると言われている。現在はパリ市が運営管理しているという。私自身はここを訪ねたことはない。ブローニュの森はパリの西郊外に隣接しており、大都会とは思えない静かな森で、当時は、昼間の散策は良いが夜は立ち入らない方が良いと忠告されたものだ。今はどうなのだろう。この文字通り森閑とした空間にバラで満たされた庭園を作ろうなどと考えたセンスは抜群だ。いや王侯貴族ならではの着想で文字通りエクスクルーシヴでプライベートな空間である。

 伊豆半島の河津のバガテル公園はこのパリのバガテル・バラ公園を忠実に再現したものであるという。2001年にその姉妹園としてオープンした。ロケーションは、伊豆急線の河津駅から車やバスで15分くらいの山の中である。バスは一時間に一本程度しかない。歩くと山道をダラダラと登らねばならない。正直に言ってアクセスは良くない。ご存知のように河津は河津桜で有名なところで、その季節になると川沿いの土手は早咲きの河津桜並木でピンク色に染まり大勢の花見客が訪れる。そんな駅近、観光スポット近くでなくてなぜこんな不便な所を選んだのか。観光施設ならもう少しアクセスの良いところに作っても良かったのではないか。河津駅のまわりにもいくらでもスペースはあるのに、とついつい観光客目線で考えてしまう。しかし、この疑問は、山の中に位置する庭園の真ん中に立ってみるとすぐに氷解した。周りは新緑美しい伊豆の山々に囲まれていて日常的な生活の風景は全く見えない。ここは日常から隔絶された、まさにエクスクルーシヴなスペースなのだ。そうブローニュの森のバガテル庭園のように。いわば借景にまで意を配した異空間を体験できるロケーション設定になっている。3ヘクタールの庭園には1000種類6000株の薔薇が、古風なオランジェリーを中心に幾何学模様のフランス式庭園に咲き誇る。またキオスクという展望台から庭園全体を一望することができる。季節としては春バラが5、6月。初夏が7月。そして秋のバラは10、11月である。なかでも春バラが一番種類が多く、一斉に咲き誇り見事である。秋バラはその香りが素晴らしい。この日は5月の薫風爽やかな、というより全国各地で30度越えるという異常な暑さ、伊豆は多少涼しくて28度という真夏日であったが、青い空と新緑輝く山々に囲まれた異空間での1日。美しく咲き誇る色とりどり、多品種のバラを満喫することができた。

 ここはバラの種類の多さにも驚嘆するがどのバラもこれまた見事な咲きっぷりだ。つるバラをタワーに仕立てたり、連続するアーチを色とりどりのバラで形作ったり人工的な造形がいたるところに現れている。自然な草花とバラを配した英国式庭園とは異なるフランス式庭園の造形技術がふんだんに取り入れられている。キオスクから展望すると幾何学模様の地割ももちろん、この庭園が自然を征服できる人間の力の誇示にすら見える。よく言われるように、自然と共生する、自然の一部である人間、という日本人の思想哲学、自然観とはある意味で対極にある。しかし、それにしてもこれだけの一本一本のバラの花と、全体のバラ園を維持管理するのは容易ではないだろう。この日も観光客に混じって、大勢の庭園師が手入れに余念がなかった。パリ市の公園管理局からの技術指導も受けながら、高度なバラ栽培技術を涵養している。これだけのバラと庭園を温帯モンスーンの日本(すぐに雑草に覆われてしまう)に維持するのには並並ならぬ苦労があろう。そのわりには季節性のある庭園なので、集客時期が限られている。しかも先述のようにアクセスが良いとはいえない。そうなると作庭時の理想の姿が現実の有様と乖離して維持できなくなってゆく。その結果、色々な集客趣向を盛り込んで、どこかテーマが曖昧になり一本通したストーリーが失われてしまいがちだが、最初のバガテル庭園の作庭思想を貫こうと努力しているように感じられる。こうしたこだわりは伝統の日本庭園のそれに通じるものがあるようにも思える。実際に事業としては苦しい状態が続いたのであろう、2001年の開園時の事業運営会社は解散してしまい、2015年からは河津町が運営しているという。なんとか事業継続(business continuity)を応援したいものだ。バラの季節の入園料は大人1000円。それほど高くない。おそらく町の税金で補助しているのだろうか。良いなと思ったら、度々訪れるのが究極の応援だろう。

 フランス絶対王政時代の王侯貴族がお金と時間に糸目をつけず作庭し、維持してきた、全くのプラーベート空間を日本で再現し、しかもパブリックに公開して商業的に成功させるというのは、相矛盾する欲求を同時に実現させる必要があり厳しいものがあるだろう。しかし、それだけにこの庭園を散策しに来る価値がある。ただし、レストランやお土産屋などいろんな観光施設を期待する向きにはお勧めできない。カフェはあるが食事はできない。バラの苗や香水は売っているが「バガテル饅頭」はない。子供向けの着ぐるみゆるキャラもいない。ペット同伴での庭園散策ができるので、多くのペット連れが写真撮影しているのが微笑ましい。子供が楽しめるかはその親と子供次第だろう。ただひたすらこの庭を愛しバラを愛する心でファンになりたい。


玄関
オランジェリー













キオスクから庭園全体が見渡せる









ペット写真撮影が人気


庭園から伊豆の海が展望できる

周囲を新緑の伊豆の山々に囲まれている








オランジェリーの窓から

プチトリアノン的な建物はカフェと休憩施設

(撮影機材: Leica Q2,  Leica CL + Apo-Vario Elmar T 55-135 ASPH. 最新のQ2は画素数4700万画素フルサイズセンサーを誇る高精細デジタルコンパクト。Summilux 28mm f.1.7というレジェンダリー高速レンズを搭載し近接撮影もできる。広角を生かした広いパースの画も、花のクローズアップもカバーできる。望遠が欲しい場面では軽量なCL + 55-135が活躍してくれる。この組み合わせ、結構気に入った!)





2019年5月20日月曜日

「時空トラベラー」の撮影機材整理 〜大山鳴動してLeica Q2一台 の巻〜



Leica Q2
Leica Camera AG Homepageより




 写真機ファンである「時空トラベラー」も、ふと気がつくと周りにやたらに使いもしないカメラやレンズが転がっている。連れ合いからもなんとかしろと言われる。これまでも新しいカメラを買うときには必ずこれまで使っていた機材一式を下取りにし、いわば総とっかえで出費を最小限にしているのだが、それでも長い年月の間に結構使わないカメラ・レンズが増えた。どれも思い出が詰まった機材だから始末に悪い。またそんな愛着の持てるカメラ・レンズしか手に入れることはない。とは言え使わない機材を防湿庫の肥やしにしては愛機のためにもならないだろう。この際、少しづつでも整理してゆこう。しかも最近重い機材を一式担いで「山河を跋渉して寧所に暇あらず」がしんどくなってきた。なんとか機材を軽くしたい。しかし画質には妥協したくない。軽量だからといってプラスチックな家電製品化したカメラを持ち歩く気にななれない。ましてスマホで済ますことは断じて許されない。なかなか「弘法筆を選ばず」の境地には達していない。カメラはフォトグラファーの感性で被写体の情感を切り取る大事な「お道具」なのだから。スマホじゃなくてカメラで写真を撮るということが特別な経験になりつつある今、それが自分の撮影ストーリとなる。だからこそ面倒なお作法があっても高品位なカメラを操りたい。しかし重い機材は嫌だ。相矛盾する要求のジレンマに苦悩するという快楽。どうしようもない道楽ですな。というわけで撮影機材を整理、見直ししようということになった。しかし、その際、絶対に譲れないポイントがある。

・フルサイズセンサー、高解像度、高諧調、ボケ味、収差が少ない。
・LRによるポストプロダクションに耐える情報量(画素数は2400万画素以上)。
・手にした時のカメラボディーの質感。
・高品位レンズ。



現在のラインアップと入れ替え候補:

I. 作品撮影のための機材:
 1)SONY α7システム(4本のズームレンズ)
 2)Nikon D850システム(F時代からのFマウントレンズ群資産)
 3)Leica SLシステム(3本のズームレンズとマウントアダプターR/M)
 これらをNikon Z7システムに切り替えることの適否を検討することにした。この「軽量」かつ「高画質」を両立させる選択肢としてのNikon Z7の登場が、そもそも機材入れ替えを検討するきっかけとなったといても良い。

II. 日常撮影/ストリートスナップのための機材:
 1)Leica CLシステム
 2)Leica Q
 3)Leica M 10
 これらは特に整理対象とする必要を感じていないが、QのQ2へのアップグレードの適否を検討する。M10は実用性というよりはやや趣味性優先機材なので今回の入れ替え評価対象からは除く。


評価:

 1)ニコンの最新ミラーレス、Nikon Z7は軽量化と高画質化という点では極めて魅力的な選択肢である。Nikon D850やSONY α7、Leica SLの次期主力システム候補である。大口径レンズマウントとショートフランジバック。これからユニークな高性能レンズが出てくるのだろう。今はまだ揃ってないが。期待は膨らむ。軽くて高品質。文句のつけようがない様に思えた。しかし、実際に店頭で手にとっていろいろいじくり回してみたが、なんかイマイチ所有欲を刺激しないのだ。物欲煩悩がムラムラと沸き起こってこない。どこが悪いというわけではないのだが、年季の入った職人風貌ではなくて未だ完成していない青二才の趣なのだ。さらに使い手に媚びない頑固さ、というよりソニー製品のように使い手を意識しすぎている。天邪鬼なもので、そうなると少し引いてしまう。満を持して登場した、というより、市場戦略上急いで出した、という感じの「製品」で、まだまだブラッシュアップが必要な感じがある。レンズ群も未揃い。マウントアダプターを介してFマウントレンズを使うのではあまり投資する意味も無かろう。道具としての成熟度はまだまだ。当然ながらいろんなフォトグラファーに使いこなされていないから評価はこれからだ。いろんな修羅場をくぐって大人になるにはまだまだ時間がかかりそうだ。「初物食いにはご用心」という言葉がふと頭に浮かんだ。

 2)SONY α7はミラーレスではトップランナー。Nikon Z7に先立つ事5年の実績がある。Minolta αのDNAを引いている。しかし、私がミノルタ派であった時代は遠い昔になってしまったし、そのレガシーが今のソニーに生きているという実感はない。ニコン派にとっては所詮他人(!?)のカメラ。3年ほど使ってみたが飽きた。最新テックてんこ盛り、なんでもソツなすこなす優秀な子だが個性はなくて面白みはない。それとボディーが小さすぎる(手に余る)。交換レンズは普通に大きくて重いのでバランスが良くない。レンズ群もボディーに合わせて小型化できれば、さすがソニー!となるのだが。決して悪いカメラではないのだが面食いなのでやはり恋には落ちない。

 3)そこで、振り返るにNikon D850の完成度は捨てがたいとの思いが沸き起こってくる。これだけの歴史的なF ecosystem(生態系)の頂点に立つカメラを捨てられないだろう。所有の大三元レンズ3本が酷使によって外見がくたびれてはいるが、その買い替え時期が来ればZシステムへの移行は検討の余地はある(それまでにレンズラインアップが充実することが前提だが)。としてもその愛着ある相棒達は捨て難い。Z7に比べれば少し重いことを除けばさしたる欠点も見当たらない。当然それだけ完成度が高く信頼度も高い。かっちりとしたD850ボディーのペンタ部のなだらかなカーブは官能的でもある。丸いファインダー枠は美しい瞳だ。プロ用の最高峰D5こそ分相応を旨とするため使わないが、Dfなどという蠱惑的なカメラもある。

 4)Leica SLは、いかんせん重すぎる(カメラボディーと広角ズーム、標準ズーム、望遠ズーム3本合わせるとなんと5kg超になる)。これを一式担いで撮影旅行に出ることはもはや難行苦行だ。鉄アレーとバズーカ砲を担いでの行軍は勘弁してほしい。年齢のせいもあり彼らとの「山河を跋渉して寧所にいとまあらず」が難しくなっている。カメラザックに一式入れて多武峰への撮影旅行を敢行した時にはっきり悟った。発表から3年になるので、昨年スタートしたLマウントアライアンスでデビューしたパナソニックのLumix S1R(4700万画素フルサイズセンサー搭載)に機能面で既に凌駕されている(価格ははるかに安いのに)。ボディー側に手振れ補正なしで、AF方式も今やコンベンショナルなコントラスト方式のみだ。レンズはズームとしては全く素晴らしい解像度で単焦点並みの性能を有するのだがとにかく重い。全金属鏡胴の90−280mm望遠ズームは、その形状も全くバズーカ砲にしか見えない。性能は良くても機動性を犠牲にしての撮影はやはり難しくなっている自分がいる。SLボディーはLeica MレンズをEVFで正確にピント合わせして使うには最適ボディーであるという人もいる。しかし...

 5)Leica CLは、実は現時点で最良のパートナーだ。標準、広角、望遠ズームレンズ3本合わせても小さなカメラバッグに収納できるコンパクトさと軽量さと機動性。最も持ち出す頻度が高い。EVFファインダーがとても見やすく気に入っている。SLのそれよりもクリアーで良い。ズームレンズ(Made in Japan)の画質も最高、収差もなく軽量で使いやすい。Mレンズをマニュアルフォーカスで使用するにこのEVFファインダーとフォーカスアシスト機能が役に立つ。ただ手ぶれ補正がないのが難点(特に望遠ズームでこれは辛い)だ。APS-Cサイズセンサーだがこの画質なら許せる。SLとマウントが共通なのでメイン/サブの関係で持ち出せる。結局はサブのはずのCLの出番の方が圧倒的に多いのが実情だが。

 6)Leica Qは、2400万画素フルサイズセンサーでSummilux28mm f1.7固定レンズを奢る高品位のコンパクトカメラ。手軽に持ち出せて最高の画質を得られる稀有なカメラだ。これはライカにしては近年稀に見る傑作だ。SLを愛でる人が多いが、「一眼レフ型」ミラーレスは実績を有する先行プレーヤーもあり、後発もあっという間に追い上げてくる。Qはスペック上はレンズ以外はさしたる優位性のあるカメラではないが、独自の世界を打ち出している。ストリートフォトに最適のカメラだ。やがてレンジファインダーが退場してゆくときにはこのQをベースにしたコンパクトデジカメがMに代わる主役になるだろう。したがってこれを処分する理由はない。あるとすれば後継機種Q2とのリプレースだ。

 ちなみに私はキャノン派ではない。かつて取引関係でCanon 5D Mark II使ったことはあるが、その後レンズ群を含めて機材一式全て手放してしまった。嫌いではないが特に好きでもない。要するに恋には落ちなかった。


結論:

 1)Nikon Z7導入は見送る。次のバージョンが出るまで待つことにする。新規格にあった高性能でユニークなレンズラインアップが充実するまで待ってもいいだろう。もう少し道具としての成熟度が増すまで手を出す必要はない気がする。すくなくとも、今D850+FレンズをZ7に切り替える自分的合理性はない。機材の軽量化は先送り。体力を温存していくしかない。ちなみにNikon Zシリーズを導入してもNikon D850は処分しないだろう。
 2)したがってこれまで通りNikon D850+Fマウントレンズ群を中心機材とする。この道具としての完成度と愛着は捨てがたい。durable and dependable Nikon !
 3)現行のSONY αシリーズはNikon Zシリーズへの切り替えの決断の時期が来たらが売却する。それまでにソニーも頑張って魅力的なカメラを出してくるだろう。個性的なお道具カメラ出してくれると、クラっときてNikon Z7から心変わりしてしまうかもしれない。そういったハイクオリティー競争は大歓迎だ。
 4)Leica SLは当面処分保留だ。今年の末と言われるSL2の登場を見て切り替えの適否を判断することになるだろう。SL2が心の琴線に触れないのなら何かの下取りに出すことになるかもしれない。それまではこの重量級機材の出番は確実に減る。まさかSL2はパナソニックからのOEMじゃないだろうな?!コスパは最高になるだろうがそれじゃあシャレにもならん。
 5)コンパクト機材は、引き続きCLとQで行く。ただしQをQ2に切り替える。普段使いならCL+Q2のコンビは最高だ。

 今年3月に発売開始となったLeica Q2はなかなかブラッシュアップされていいカメラになった。Qから4年で後継機種が出てきたわけだ。コンパクトとしては高価なカメラだというのに人気沸騰でなかなか手に入らない状態が続いている。供給量も少ないのだろう。外観はQとほとんど変わらない。どこが新製品なのだ?というくらいだ。しかし中身は大きくグレードアップした。従来通りSummlux28mm f.1.7というレジェンド名を冠した高速レンズに、コンパクト機としては極めて高画素の4650万画素のCMOSセンサーを持ち、これに対応した画像エンジンに入れ替えられている。極めて贅沢なコンパクトカメラだ。高画素化したおかげでクロップで35mm(3000万画素)、50mm(1500万画素)とさらに75mm(800万画素)が選べるようになった。それぞれでマクロが使えるのが嬉しい。ズームというわけではないが、一台で画角を変えられることは便利だ。DNG撮影時には28mmの画像が記録されており、LRなどで後で画角の修正ができるのが良い。そしてこれに見えの良い有機ELの EVFが備わっている。ファインダーの見え方は写欲に大きく影響する。かつてライカMが圧倒的な高性能光学レンジファインダーを搭載して世間を驚かせたが、あの衝撃に匹敵するEVFだと思う。ボディーにはプロの要求を満たす防滴防塵シールドが施された。バッテリーは大容量化されてSLと共通(SLとのペアで持ち出しやすくなったが、一方、CLとの組み合わせにはチョットマイナス評価)。これ一台でストリートフォトはOKだ。ライカMは相変わらず、アナログ時代の設計思想を引きずっていて、それに回帰しようとすらしているが、光学レンジファインダーを捨ててライカがMスタイルのコンパクトデジカメ作るとすればこうなるのだろう。捨てないだろうが...

 ライカは栄光の光学レンジファインダーから脱却し、ニコンは栄光の光学ペンタプリズクから脱却する。その技術トランジションがビジネストランジションの成功に結びつくのはどっちか。50年前のバトルが再燃するのか?ライカファン、ニコンファンとしては緊張で見ていられない勝負になりそうだ。

 こうして「撮影機材整理プロジェクト」は、いろいろ検討した割には「大山鳴動してLeica Q2一台!」と相成った。結局のところ機材は減らなかった。Nikon Z7を買わずNikon D850を残したということと、Leica QをQ2に取っ替えただけだ。まあ考えてみると妥当な結果か。やっぱり思い出の詰まった情感カメラが残るのだ。妻よ許せ!結局、使う喜びを感じるカメラがいい。テクノロジー合理性が使い手の感性にどう訴えかけるのか、撮り手の表現手段としての写真作品にどう貢献できるのか、という数値化できない価値(intangible value) が重要だ。なかなか経済合理性だけでは評価、判断できないのが趣味の世界だと改めて実感する次第だ。ライカのカメラなぞその最たるものだ。こうして多くのカメラを所有し続けることを正当化するのだ。


 以下はLeica Q2作例。DNGからJPGへストレート現像。高画素なのでDNGからの後処理にはPCに大きな負荷がかかる。PC環境のバージョンアップも必要だ。



28mmレンズ絞り開放で。ピントとボケのなだらかさが素晴らしい。

マクロモード撮影
水滴までくっきり

曇天での撮影
上向きのアングルだが自然で歪みのない安心感

絞り開放でも隅々まで破綻のない写り
水準器が役立つシーン
75mmクロップでの撮影

2019年5月14日火曜日

ボート遊びだけではない洗足池の物語

洗足池



 子どもの頃の思い出には色々あるが、ボート遊びは父親との思い出につながることが多い。私の場合も、父親にボート乗りに連れて行ってもらった思い出が遠い記憶に刻まれている。福岡の博多湾岸の今川橋育ちなので、夏の百道(ももち)の海水浴場のボートを思い出す。樋井川の川向こうに海水浴場があったので父がまずボートを借りてきて、川のこっちで待っている私をギッチラコッと漕いで迎えにきてくれたものだ。小学一年生なので堤防から乗るときにちょっと揺れて怖かったのを覚えている。生まれも育ちも東京山手の連れ合いは、洗足池のボートが思い出だという。やはり父親に連れて行ってもらったのだという。今みたいに足こぎのスワンなどなくて全て手漕ぎボートなので父親の腕の見せ所だった。我々の子供の頃は、週末の家族での娯楽といえば遊園地や水辺でのボート乗りであった。思春期になると大濠公園での甘酸っぱいボートデートの思い出になる。今の連れ合いに出会う、ずっとずっと古の昔の出来事である。もちろん今の連れ合いとも井の頭公園でのボートデートの思い出があるのだが...  まあそんな話が今回のテーマではない。

 話は洗足池のことだ。東京の城南に暮らす人々にとっては「洗足池」というと「ボート遊び」を連想するという。あと桜の名所であるがそれ以外なにかあるのか洗足池。地元の人にとってもイメージがわかないようだ。現在の住居表示は大田区千束。あたりは高低差のある地形で東急池上線沿線の閑静な住宅街である。私にはあまり馴染みのない土地柄だったのだが、連れ合いが幼少期から女子高生時代まで過ごした土地である。で、洗足池に妙に親しみを抱いたというわけだ。そんな洗足池、実は意外なストーリを持つ池なのだ。

 「千束(せんぞく)」という地名の初見は平安時代の文書だという。稲束千束の免税特権があった寺社領地があったのでこの名がついたという。鎌倉時代になるとここは日蓮聖人所縁の地となる。日蓮が身延山久遠寺から常磐國に向かう途中、千束池端の草庵「御松庵」に立ち寄ったという。ここはのちに江戸時代には「妙福寺」という日蓮宗の寺となり現在まで続いている。今は境内に日蓮聖人「袈裟懸けの松」がある。また日蓮聖人が足を洗ったので洗足池と呼ばれるようになったとも伝承されている。ありがちな地名由来であるが。このように日蓮聖人にゆかりのある場所なのだ。日蓮聖人といえば池上本門寺。その創建を担った池上氏はこの辺りを治めた有力な豪族であった。平安時代、平将門の乱を収めるために京都から派遣された鎮守副将軍藤原忠良がここの千束八幡を氏神として定住し、その末裔が池上氏となったという。池上氏は日蓮聖人を保護し、その入滅の地に池上本門寺が創建される。

 洗足池は湧水池である。4箇所の水源から地下水が流れ込んで出来ていると言われる。江戸時代には大池とか千束池と呼ばれていたようだ(広重の絵にも千束池とある)。この辺りは当時、江戸近郊の農村地域で、農産物を湧水池で洗って出荷していた。こうした遊水池がこの池上台地上のあちこちにあった。台地が海に落ちるあたりにある大井町の「大井」もこうした湧水池に由来する地名だ。湧水池や水神様の名残は高低差ファンには嬉しいランドマークだ。歌川広重の名所江戸百景にも「千束池と袈裟かけ松」として取り上げられ庶民の行楽の地であった。

 時代を下る幕末から明治。実は洗足池は勝海舟と西郷隆盛という時代を作った英雄にまつわるエピソードが残る地である。江戸城総攻撃のために進軍してきた新政府軍の本陣が池上本門寺にあった。ここに進駐してきた参謀の西郷隆盛に勝海舟は旧幕府代表として会いにきた。歴史に名高い「江戸城無血開城」の会談だ。会談は何度か行われた。歴史ドラマのように江戸高輪の薩摩藩邸で、勝海舟の談判に西郷がいきなり「わかり申した」となったわけではない。駿府における山岡鉄舟の会談に始まり幾たびかの交渉があった。ここ池上本門寺での勝海舟と西郷隆盛の会談で大方の段取りが決められたようだ。勝海舟は西郷隆盛との交渉に向かう途中、中原街道沿にあった洗足池傍らの緑濃い高台の茶屋で一息入れてから本門寺へ向かったという。ここで大きく深呼吸したに違いない。

 明治になり、懐かしさもあったのであろう勝海舟はこの地を愛し、ここに土地を購入し別邸「洗足軒」を建て終の住処とした。西郷も度々ここを訪れては勝と歓談したという。そのすぐ近くの池畔には西郷隆盛の留魂詩碑がある。西南戦争で自刃した西郷隆盛を偲んで勝海舟が自費で建てたものだ。あの歴史的偉業を成し遂げた二人の英雄が合間見え共有した時間。それを思い起こさせる史跡である。勝は西郷を、西郷は勝を深く敬愛し、西郷の死後はその遺児の育英に力を尽くすなどその遺徳を偲ぶ活動を続けた。すぐ隣には勝海舟夫妻の墓がある。海舟は死後、富士の見えるこの地への埋葬を望み、青山墓地に埋葬されていた妻の遺骨もその隣に並んで埋葬された。勝海舟と西郷隆盛。時代の画期を駆け抜けた二人の好敵手が、双方の信頼感と時代認識の共有により偉業を成し遂げた。そうした友情の証がここにある。盟友が寄り添い永遠の安らぎを得た地が洗足池だ。勝海舟夫妻の墓碑には「南無妙法蓮華経」と刻まれている。

 現在、「洗足軒」跡は区立中学校になっているが、その隣に勝海舟記念館が建設中だ。旧「清明文庫」の古い建物を保存改修してして令和元年9月にリニューアルオープン予定だ。勝海舟没後、財団法人「清明会」が、海舟関連の資料/図書の収集、閲覧、講演会などの目的で昭和8年に「清明文庫」を開館した。戦後、この建物は学習研究社の所有となっていたが、平成12年に国登録有形文化財指定を受け、平成24年に大田区が土地建物の寄贈を受けた。ネオゴシック調の外観を持つ美しい近代建築遺産を生かした記念館の開館が待ち遠しい。


歌川広重 名所江戸百景
「千束池の袈裟掛けの松」

日蓮聖人「袈裟掛けの松」
妙福寺
日蓮聖人

境内の竹林の緑が爽やか

黄菖蒲の季節








名馬「池月」
源頼朝がこの地で、美しくも猛々しい名馬を見つけこれを吉兆として喜んだという伝承がある。
「宇治川の先陣争い」で佐々木高綱の騎乗馬となった「池月」だ。
ちなみに梶原景季の騎乗馬は「磨墨」。



西郷隆盛の留魂詩碑

西郷が読んだ漢詩
が刻まれている
徳富蘇峰が供えた碑文



勝海舟夫妻の墓碑

旧清明文庫
勝海舟記念館としてリニューアルオープン予定