2019年10月14日月曜日

伊豆高原の別荘 〜バブルはじけて20年。別荘物語の第二章始まる〜




伊豆高原駅前に開業したフレンチレストラン「MIKUNI IZUKOGEN」
地元の別荘族を狙ったという


別荘と聞くと、何やらバブリーな響きを感じて、無縁のもの、敬遠すべきもののように感じるのは、我々戦後生まれ団塊世代の(勤労サラリーマンの)受け止めだろう。軽井沢、那須、日光、箱根、伊豆と首都圏に近い別荘地はいずれも、かつては皇族や政財界の大物の別邸が設けられたところであった。憧れの別荘ライフは、そもそも庶民にはとても手の届かぬ「憧れの世界」でしかない時代が長く続いた。庶民の日常的な「ある姿」と非日常の「あるべき姿」の乖離は絶望的とは言わないまでもとてつもなく大きかった。しかし、戦後の高度経済成長の中で、一億総中流となり、別荘も単なる夢や憧れでない時代がやってきた。勤労サラリーマンの中にも小さな別荘を買う層が現れたものだ。東京都心のマンションや土地付き住宅が異様に高騰して、こっちの方が「憧れの都心マンションライフ」となり、勤労者は狭小住宅しか手に入らず、そんな息が詰まりそうなな庶民が、せめてもの週末の息抜きに都心に比べると入手しやすい「リゾートマンション」「別荘」に憧れ購入。しかし、やかてバブル崩壊。中流崩壊。格差社会がやってきた。再び別荘なんて夢のまた夢。無理して買った人は代々そのツケを払わされることになった。

こうした別荘地やリゾートは、もともとは幕末、明治にやってきた西欧の外国人が開いたもので、都会での生活とは別の、オン/オフを切り替えて過ごす彼ら流のライフスタイルに基づいて開発されたものであった。私がかつて暮らしたイギリスやアメリカでは、今でも勤労サラリーマン世代でも、郊外に小さなコテッジやシェアーハウスを持ち、週末や長期バカンスの静養の場として生活に欠かせないものとなっている。猛烈に働いてお金を貯めて、資産運用で増やして、なるべく早期にリタイアーして、ケントやサセックス、いやスペインのコスタデルソル、ギリシアあるいはフロリダやハワイに生活の場を移して老後はゴルフ三昧。もちろん貴族のマナーハウスや、トランプの豪邸のような別荘もあるが、程度の差はあれ、働き盛りの息抜きと、老後の生活の場の確保としての「別荘生活」は今も普通の人々が「手の届く夢」のライフスタイルである。もっともこうしてリタイアーして「別荘」生活にはいった直後にハートアタックで死ぬ人も多いが。それはさておき、そういうライフスタイルを日本人もマネ、取りいれるようになっていった。日本ではこれに温泉湯治という貴重な付加価値がついてきたので、日本独特の別荘地が生まれた。

しかし、バブル崩壊20年。格差社会の到来とともに、別荘地には大きな変化が訪れている。ここ伊豆別荘地を廻るとそれがわかる。大きくて立派で、手入れのよく行き届いた豪邸が立ち並ぶ一方で、草むし、荒れ果てた廃屋が点々と。中にはすでにほぼ自然に返りつつある一画も。バブルの遺産の成れの果てだ。小さくても瀟洒な別荘も多く、意外に別荘を手に入れるのは難しくはない。土地家屋は東京の異常な不動産相場に比較すればお手頃物件に見える。しかし、それを長年、子孫代々にわたって維持し続けるのは難しい。現役時代には息抜きの場として、老後は都会の喧騒を忘れて静かな余生を送るために求めた別荘は、その世代交代とともに、子や孫の世代に引き継がれることは少ないようだ。親世代の時代はそうした別荘を購入し維持する経済力があったが、その子世代にはその力がない事態が増えている。日本はかつては分厚かった中間層が痩せ細りつつある。したがって相続しても維持できない。購買層の縮小傾向が常態化すると買い手もつかず売却もできない。したがって放置される。そんな(元)別荘が、先ほどの廃屋、自然に還る土地である。別荘地の不動産屋の売り物件は豊富で、しかも驚くほど安いが、かと言って買い手市場で活況を呈しているわけでもない。

しかし、最近は、別荘物語は第二章へ進みつつあるようだ。すなわちこうした廃屋付きの土地を安く購入して、別荘としてではなく住居として住み始める人が現れている。流行りの田舎暮らしの古民家ブームに似ている。都心の狭小住宅やタワーマンションを多額のローンに縛られて買うよりは、はるかに安く手に入るし、自然環境はもちろん良い。であるから都会から移住する人が増えているという。もとより地元に働き口があるわけではないし、畑三昧の田舎暮らし、などという安易な農業回帰もできないので、若い世代はここから都会へ通勤するのだ。軽井沢や那須は新幹線通勤ができる。伊豆は直通特急「踊り子」で2時間超で都心へ出れる。リタイアー世代は東京の家を売却して永住の地として移り住む。伊豆高原の場合、学校もスーパーも整備されていて普通の生活には不自由がない。車さえ運転できれば移動に不自由はない。歳をとってからの問題は病院だが、最近大きな総合病院が駅前に開業した。しかも老人ケアー施設付き。生活インフラは意外に整備されている。私の周りの知り合いもここ伊豆に移り住んでいる人が多いことに気づく。現役時代に別荘として買っていたところに移り住むケースが多いようだ。

さて、こうした新「別荘生活」はオススメなのだろうか。なんとも言えない。人それぞれのライフスタイル、居住地観による。私のように地方から出てきて東京や大阪や海外でほぼ人生の大半をサラリーマンとして過ごした人間がリタイアー後にどこに住むか。結構重要な決断を求められる選択だ。確かに東京は便利だ。長年の生活の場にもなっている。ビジネスやキャリアディベロップメントの場としては忙しくもエキサイティングであるが、リタイアーしてみると、「憧れの都心マンションライフ」に固執する意味はあるのか疑問が湧いてくる。そもそも人が多すぎて人間関係もギスギスいていてなんか息苦しい。かと言って、今更故郷に帰れるか。若い頃あんなに「こんなとこにいつまでもいるか!」「人間関係が息苦しくて!」と言って飛び出した故郷に、今になって急に里心ついて帰ることなんてできない(勝手なこと言うなという声が聞こえる...)。それに半世紀も経つと故郷には親も兄弟もいない、子供の頃の友達もそれぞれの人生を歩み何十年も経つとすっかり疎遠になってしまった。帰っても全くの「浦島太郎」だ。「故郷は遠きにありて思うもの。そして悲しく歌うもの。...帰るところにあるまじや」である。いっそ、娘夫婦と可愛い孫がいるニューヨークに移り住むか。緑豊かなロンドン郊外もいいなあ。などとありえない妄想が膨らんでいく。じゃあ、近場で伊豆に移り住むか? しかしなんの所縁や根拠があって伊豆なんだ?それもなあ。とグルグル回り。理屈っぽい人間はその意思決定の合理性に拘るので困る。結局ため息つきながら、思考停止して東京のマンションの一室で呻吟している。イギリスやアメリカ時代の友人のように、土地にしがらみを持たない「終の住処」思考様式が、なんか新鮮に見えてしまう。彼らは母国にすら拘らないのだから世界中に散らばっている。「人生至るところ青山在り」は日本人の思考様式、美学ではなかったのか? 鴨長明や吉田兼好はどこへ行ってしまったのだ、などと考えながら伊豆別荘地の散策を終える。


大室山から展望する伊豆高原別荘地

一碧湖周辺


豪邸は桜並木沿いに



季節の花に埋もれる別荘ライフ

建物もそれぞれに意匠を凝らす


噴水通り

閑静な別荘地内にあるベーカリーカフェ
少々分かりにくいロケーションにあるが
地元の客で賑わっている





なるほど絶品ランチ!

テラス席がお勧め




伊豆高原駅
シンボルはこの楠の巨木

駅前に出来たフレンチレストラン



開業したフレンチレストラン「MIKUNI IZUKOGEN」
建物は当代人気の隈研吾設計

横浜から伊豆に向かう豪華観光列車「The Royal Express」
これも人気の水戸岡鋭治デザイン

スーパービュー踊り子
伊豆大川駅での離合

トンネルを抜けるとそこは駅だった
伊豆熱川駅