2020年1月13日月曜日

新国立競技場と聖徳記念絵画館 〜神宮外苑の時空散策〜

完成した新国立競技場
National Olympic Stadium 2020

Tokyo 2020

聖徳記念絵画館
ラグビーの聖地「秩父宮ラグビー場」
昨年の2019ラグビーW杯の日本代表の活躍により、
今月から始まったトップリーグが人気となっている。

野球の聖地「神宮球場」
ヤクルトのフランチャイズ
東京六大学野球の会場
かつての早慶戦の舞台


 いよいよ今年は2020TOKYOオリンピック/パラリンピック開催の年だ。年末に新装なった新国立競技場(オリンピックスタジアム)を観に行ってきた。設計コンペで、すったもんだした競技場がついに竣工を迎えた。場所は明治神宮外苑。神宮外苑は言うまでもなく明治天皇を祀る明治神宮の敷地である。そこは聖徳記念絵画館を中心に幾何学的な洋風庭園として設計された。敷地内には憲法記念館(現在の明治記念館)も設けられた。しかし、現在、その外苑敷地内には所狭しとスポーツ競技施設が軒を接して建て込んでいて、とても幾何学的な整然さを保った洋風庭園とは言いがたい佇まいだ。どうしてこんなことになったのか、経緯はいろいろあるようだがとにかく、国立競技場(正確には文部省に移管されたので明治神宮の敷地では無いそうだ。お役所的な定義だが)、秩父宮ラグビー場、神宮野球場、第二神宮球場、テニスコートといったスポーツ施設が立ち並ぶ一大スポーツ公園となっている。

 今年開催の東京オリンピック/パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場は去年十一月の竣工。当代人気の建築家、隈研吾の設計になる。国産の木材を多用した独特のデザイン。階層ごとに木を植えて、長い間にはスタジアム全体が森のように覆われるというエコロジー発想に基づくデザインを意図したのだそうだ。まあ福岡のアクロスのように都会の森なるにはまだまだ年月が必要だろう。我々世代には馴染みの1964年の東京オリンピックの開会式を行った国立競技場を取り壊し、その跡地に建てられた。あれから56年。二度目のオリンピック東京開催である。それを遡ること1943年(昭和18年)、同じこの場所にあった明治神宮陸上競技場では出陣学徒壮行会が雨の中挙行され、多くの文科系大学生が徴兵猶予を解かれて戦場へと送り出された。同じ若人の晴れ舞台でも、その持つ意味はあまりにも異なる。一方は戦場へ、一方は平和の祭典へ。学徒出陣から2年後の1945年8月には敗戦。そのわずか19年後にはおなじ場所で平和の祭典オリンピックを開催するという「快挙」を成し遂げたわけだ。戦後日本の復興ぶりの見事さが語り継がれるが、それとともにあそこから出陣していった戦没学徒の記憶がどんどん過去へと追いやられる。私の父は医学系学生であったので出陣しなかったが、義父は文科系だったので出陣した。九死に一生を得て復員したが、二人ともすでに鬼籍に入って当時を語る術もない。将来このエコなオリンピックスタジアムを見て、もはや「雨の出陣学徒壮行会」を思い起こす人はいないだろう。旧国立競技場にあった「学徒出陣の碑」を新競技場建設でどこに移すのか、一時議論がああったがその後どうなったのだろう。「柿落とし」の喧騒の中で忘れられてしまったのだろうか(新聞報道によると、現在は一時的に秩父宮ラグビー場に移設され、今年春には新国立競技場の敷地内に戻されるとの事である)。

 元々はこの外苑は聖徳記念絵画館を中心として造成された。しかし先述のように巨大な国立競技場や野球場がすぐ隣に立ち並んだので何だか影が薄くなってしまっている。だがやはりこの外苑のランドマークはこの絵画館なのだ。この聖徳記念絵画館は明治天皇、昭憲皇后の事績を顕彰するために建設された。デザインは一般公募で、明治神宮が主体となって最終意匠が決められたと言う。鉄筋コンクリート造り。国産の大理石とタイルで装飾された洋風ではあるが日本独特のデザインの建物である。いわゆる上野の国立博物館本館などのような帝冠建築とはまた異なるようだ。明治天皇の大喪の儀が執り行われた青山練兵場の跡地に1919年(大正8年)着工、1926年(大正15年)に竣工。明治天皇の事績をしのぶ,当時の一流の画家たちにより描かれた日本画、洋画の80点が、ゆかりの有る個人や団体から奉納され展示される美術館である。美術作品としての価値が高いだけでなく、歴史的な出来事を記録する絵画資料としても高い価値を有している。ここに来ると幕末から明治維新と、それ以降の有名な歴史的な出来事を振り返ることができる。大政奉還、戊辰戦争、明治憲法発布、日清/日露戦争など教科書で見た有名な歴史的場面の出典はここにあったのだと。

 しかし、明治天皇はその後の満州事変も、日中戦争も真珠湾攻撃も知らずに崩御された。もちろんその大日本帝国の崩壊も見ることはなかった。したがってこの絵画館のすぐ隣で繰り広げられた雨の中の学徒出陣の行進も、幾多の同胞の戦死者を出した悲惨な戦争も、空襲で壊滅した各都市も、沖縄戦も、広島/長崎の原爆もここには描かれていない。ここには地獄絵はないのだ。ここに掲示されている華々しい明治維新から「一等国」への道の偉業はこの絵画館の中にまるで封印されてるかのように見える。なぜこのような「栄光の」大日本帝国が潰えたのか。このギャップを噛み締める必要がある。もちろん戦後のめざましい復興とその高度経済成長の始まりの画期をなす1964年の東京オリンピックと、高度経済成長の終焉を飾る2020年の東京オリンピックに関するものもない。明治天皇はご自身の崩御ののちの皇御国の有り様を見て何を思われるのだろう。国立競技場、聖徳記念絵画館。この二つの隣接する建造物を目の当たりにして、大きな「時空のギャップ」を感じた散策であった。




新国立競技場 2019年竣工

2020TOKYOオリンピック/パラリンピックのメイン会場となる
早く中に入ってみたいものだ。







国産の木材を多用した建物

やがては建物自体が都会の森になる「予定」だ







聖徳記念絵画館 1926年竣工

洋風庭園である神宮外苑の中核をなす建物だ。堂々たる美術館建築。内部は撮影禁止なので外部だけ。












絵画館前から見る新国立競技場

冬枯れの銀杏並木


1964年、アジアで初のオリンピック/パラリンピックがここで開会式を迎えた。その時のメイン会場となった国立競技場。我々世代には「国立」と言えばここだった。今はもう無い。

旧国立競技場

1964年(昭和39年)東京オリンピック開会式

そのオリンピックのわずか21年前には同じ場所で「出陣学徒壮行会」が雨の中挙行された。

1943年(昭和18年)10月21日
学徒出陣壮行会