続・新緑の太宰府路 太宰府天満宮編
大宰府政庁や観世音寺、戒壇院、学業院などの古代大宰府都城の中枢部から離れ、条坊の東北の郭外に位置する太宰府天満宮に移動する。観光客は太宰府というとこちらの天満宮を想起するであろう。西鉄の太宰府駅もこの参道の入り口に位置している。しかし、ここは本来の太宰府の外れであることを知っておいていただきたい。菅原道真公はこの地に没し、現在の天満宮のある場所に埋葬された。その天満宮の門前町として発展したのが後世の太宰府である。一方で菅公没年の250年以前から存続した「遠の朝廷(とうのみかど)」の中心部は、ここから西にあったがその後徐々に廃れていった。みやこの中心が時代と共に「東」へ遷るのは、平城京(奈良)や平安京(京都)においても同様である。これは単なる偶然なのであろうか。
太宰府天満宮
ご祭神は菅原道真公。非業の死を遂げた道真公はこの場所に埋葬されており、そこに菩提を弔う安楽寺が創建、そして神仏習合で安楽寺天満宮となった。しかし、明治になると今度は神仏分離で現在の太宰府天満宮となる。学問の神様として全国の受験生に絶大なる人気を誇る。福岡の観光名所としても絶対一位の人気スポット。天満宮は「飛梅」など梅が有名だが、この季節は巨大なクスの樹の新緑が美しい。まさに境内は「巨樹の大海」に揺蕩う神域となっている。
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太宰府天満宮楼門と大クス |
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天満宮参道 コロナ以前はインバウンド観光客で賑わう観光地のメインストリートであったが、 最近は落ち着いている |
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参道に出現したスタバ 隈研吾設計
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延寿王院 天満宮宮司西高辻家(菅原道真公の直系末裔)邸 幕末には「七卿落ち」の滞在先となった |
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赤い太鼓橋
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太鼓橋を二つ渡ると楼門だ |
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楼門 |
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本殿 小早川隆景創建 この本殿の下に道真公が眠る
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この日も修学旅行生で賑わっていた |
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神域全体は樹齢数百年を超える大クスの杜である
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巨木の杜と太鼓橋 |
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夫婦楠 本殿の背後に聳り立つ |
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天満宮といえば牛 |
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多くの文豪に愛された「お石茶屋」 |
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光明禅寺へと続く道 |
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名物「梅ヶ枝餅」 |
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太宰府へは西鉄電車「旅人」で |
(参考)
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大宰府条坊制と天満宮、博多津、鴻臚館、水城の位置関係
(太宰府市教育委員会文化財課資料より)
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(撮影機材:Nikon Z9 + Nikkor Z 24-120/4)