2022年8月12日金曜日

古書を巡る旅(24)チャールズ・ディケンズ全集 〜なぜ文豪ディケンズの邦訳全集は出なかったのか?〜

 


The Works of Charles Dickens 16 volumes
Chapman & Hall, Ltd.,London
1890-1891

田辺洋子訳「ディケンズ全集」第一回配本(萌書房)


2021年1月に日本語訳ディケンズ全集が刊行開始された。出版社は2001年に奈良で創立された萌(きざす)書房(白石徳浩社長)。同社の創立20周年記念事業として企画された。チャールズ・ディケンズは、『オリヴァー・トゥイスト』や『二都物語』など,今なお世界中の多くの人に親しまれ,映画・演劇・ミュージカルとしても知られる作品群を生み出したイギリスの国民的作家。そのの個人訳による本邦初の全集である。そう、「本邦初」なのである。

訳者は英文学者で現代ディケンズ研究の第一人者の田辺洋子氏。広島大学院文学博士で広島経済大学教授である。これまでもディケンズ作品を翻訳し三つの出版社から出しているが、今回、訳者によってこれまで邦訳出版された全小説や寄稿集を修正・改訳したものに、これまで翻訳されていなかった書簡集などを加え、全30巻に及ぶ全集として刊行を開始した。第1回目の配本は,小説家として地歩を固める前後までの,友人知人や出版社・編集者,後に妻となるキャサリン・ホガースらとの交流を物語る1,061通を収める書簡集。続いて2021年に「ドンビー親子(上巻)、2022年に「ドンビー親子(下巻)」と第2回、第3回配本がなされている。

しかし、この全集が「本邦初」であるというのは如何なることなのか。もちろんこれまでも文庫本や「世界文学全集」的な刊行物にディケンズは収録されてきたが、ディケンズほどの英国を代表し、世界中で愛されている偉大な文豪の日本語訳全集が、これまでなかったことは世界の不思議の一つと言って良いくらいである。なぜなのか?全集は売れないという理由からなのか。日本の出版文化の重要な欠落部分であったのではないか。世界的な名著を、作家の全仕事を各国語の翻訳し残してゆくことは歴史的な文化事業であり、採算性よりも、後世に残すべきレガシーとして取り組むべき事業であろう。またそういう外国作品を求める読者、研究者が数多くいることがその国の文化的な層の厚さと知的なパースペクティブを示すものであろう。そういう意味においても、東京の大手出版社ではなく、謂わば地方の新興出版社である萌書房の企画と刊行には敬意を払いたい。白石社長は刊行にあたり、この全集が全国の大学図書館、公立の図書館に配備されることを願うとしている。今回の邦訳ディケンズ全集の刊行は単にディケンズファンとしてだけでなく嬉しいニュースだ。萌書房の出版人として、文化人としての矜持に拍手を送りたい。

神保町の古書店でも、最近は全集ものはなかなか売れないという。ディケンズのオリジナル英文全集も、かつては大学や図書館からの注文があって、必ず仕入れ、在庫していた定番作品であったものが、最近は引き合いがないので在庫として置いていないと、老舗洋古書店店主は嘆いていた。これは図書館の危機、書籍の危機、出版文化の危機、いや知的な欲求の衰退という危機である。コンテンツがオンラインで公開されているので直接原典にあたらない読者や研究者が増えているからだという。しかし「本」そのものが歴史的な作品であり、貴重な史料であることが忘れられている。逆に、今回の邦訳ディケンズ全集の出版が引き金となって、原書であるディケンズ全集が神田神保町の書肆の棚を飾り、全国の大学/図書館に並ぶことができれば嬉しいことである。大学図書館はディケンズくらい揃えておけよ!と。

ところで、今回紹介するのは、オリジナルのディケンズ全集である。1890〜91年にロンドンのチャップマン&ホール社:Chapman & Hall, Ltd.から出版された革装の16巻からなる全集だ。巻頭にはディケンズ自身の言葉でチャップマン氏からの作品の出版にあたっての熱心な勧奨と支援があったことに謝意を示している。またいくつかの作品の冒頭に、彼自身による作品を執筆するにあたっての経緯や意図についてコメントした巻頭言が記されている。したがって初版はおそらくディケンズ存命中(1870年に他界している)の1860年代と思われる。手元には同社から1865年、1866年に刊行されたディケンズ作品の「ピックウィックペーパー」」と「我らの共通の友」2巻があるので、この頃から継続して版を重ね続けたロングセラーと考えられる。この全巻揃いの全集は神田神保町の老舗洋古書店にも問い合わせたが見つからず、バラバラの状態で何巻かが英文学の棚に確認できる程度であった。先述のように、最近は英文学の定番中の定番とも言えるディケンズ全集を店頭で見かけることは少なくなった。この全集はネット検索で地方のある古書店で見つけた。見知らぬ土地の古書店の現物を見ない取引になるので不安があったが、問い合わせに対して、店主には丁寧に写真付きメールで対応していただいた。このシリーズはディケンズのオリジナルの全集の一つで、出版人による改訂の記述はなく、初版と内容は同じであること。読書家、愛蔵家の好みに応じて装丁を変えたり、収録作品の選定を変えたシリーズがいくつか出されており、これはその一つであること。革装はオリジナルであることなどと説明してくれた。ちなみに店主によると、最近はネットと宅配があるために地方でも日本全国、世界中と古書商売ができると言っていた。確かにロンドンやニューヨークの馴染みの古書店も、今は店舗なしで世界中とネットで取引している。地方の古書店にとっては新しい流通チャネルの出現だろう。古書ハンター側から見るとこうした地方古書店は穴場かもしれない。




ディケンズ肖像




チャールズ・ディケンズ:Charles John Haffum Dickens (1812-1870)とは何者か?ディケンズはビクトリア朝。パクスブリタニカの申し子である。と言っても輝かしい帝国の版図拡大や、産業革命と科学の時代、資本主義の成果を誇る側ではなく、それによって生じた社会の矛盾と経済格差に苦しむ庶民、新しく生まれた労働者階級の側に立ち、社会風刺や理不尽を描いた作家としてである。謂わば帝国の「光と陰」の陰の立場に立ってビクトリア朝時代を描いた。それを英国人特有のユーモアとウィットで描いた。サムエル・ジョンソンのようなオックスフォードやケンブリッジのインテリ層、上流階級や有産階級ジェントルマンのBritish sense of humourとは少し違う辛辣なジョークの使い手である。しかし、概して結末は丸く収まる(ハッピーエンド)で読み手を安心させる手法も取り入れ、モチーフの重さとは裏腹に読後の爽やかさがあり人気があった。ディケンズの作品は、作品の筋だてやストーリー展開が、時に意外な方向に進んだり、途中で筆致が変わったりすると批評家から指摘される。その理由は、当時の新聞や雑誌に連載された彼の作品が元になっており、また発表形式としても月刊分冊であったことに起因するようだ。連載中に読者の評判や、人気、売れ行きに影響されて筋を変えることがしばしばあったためだと言われている。また最後は「めでたしめでたし」で終わるパターンも晩年の作品まで踏襲されていった。こうしたことから、ディケンズは通俗作家として、芸術至上主義的な文壇からは批判されていたが、一般大衆の人気は衰えることはなかった。彼は国民的人気作家として英国でもてはやされるだけでなく、世界中の人々に愛される作家でもあった。トルストイはディケンズを英国が産んだシェークスピア以上の歴史に名を残す作家であると評している。ディケンズ自身は中産階級の出身であるが、幼い時から貧困と両親によって与えられた理不尽な生活環境で育った。「リトル・ドリット」に出てくるマーシャルシー債務者監獄は実際に彼の父が収監されていたし、彼もひどい環境の工場での労働を強いられ、精神的なダメージを受けてもいる。「デビッド・コッパーフィールド」は彼自身がモデルになっているとも言われる。「オリバー・ツイスト」の悲惨な孤児としての半生や、「大いなる遺産」のピップの半生にも彼の経験や社会への眼差しが込められている。一方で、上流階級やインテリ層と言われる人々の滑稽さや悲哀も描いて見せて、人間としての共感も示している。彼は若い頃に高等教育を受ける機会に恵まれていないが、法律事務所の事務員や新聞社の記者(モーニングクロニクル社)などの経験を活かしジャーナリストとして活動した。この時に「ボズのスケッチ帳」というエッセイを新聞と雑誌に連載し、それが注目されて1836年に第一作目として出版された。この時、この作品に注目し出版を薦めたのがチャップマン氏であったことは、彼の巻頭言に記載されている。以降、ロンドンのチャップマン氏の出版社「チャップマン&ホール社:Chapman & Hall, Ltd.」が彼の作品を一手に引き受けて、ついにはディケンズ全集を出版する。今回手に入れた全集もこのシリーズの一つである。

ディケンズの作品は今更列挙し、解説するまでもないが、こうして全集を概観してみると、意外に日本では限られた作品しか人々に浸透していないように思う。おそらく誰でも知っているのは「クリスマスキャロル」であろう。これはまず児童文学として取り上げられた(村岡花子などにより)。そう、子供の頃に聞かされたお話として記憶している。「オリバー・ツイスト」も映画や演劇作品で馴染みがあろう。あとは「二都物語」「大いなる遺産」くらい。しかし、それ以外は、その膨大な作品量からか、ロンドンの下町英語表現や独特のジョークの難解さからか、日本語に翻訳された作品は限られており、翻訳された作品も小説として親しむよりは、むしろ海外からの映画や演劇、ミュージカル作品を通じて知った、というのが多いのではないだろうか。明治期や大正デモクラシー、昭和の時代にディケンズを研究し、日本に積極的に紹介した研究者や文豪は意外にも知られていない。日本の国民的作家、「日本のディケンズ」とも言うべき夏目漱石も、英国に留学時代にディケンズを読んだようである(しかし漱石の遺した蔵書にはディケンズが少ないとも言われる)。ディケンズに言及した漱石の論文(漱石全集「文学論」)はあるが、あまり高い評価をしたり、彼の文学に影響を受けたりした形跡がない。一方で「坊ちゃん」は「ニコラス・ニクルビー」の影響を受けているとする研究者もいる。しかし漱石がシェークスピアーを英文学の原点と捉え、作品を多く読み、研究した。また17世紀のローレンス・スターンの「トリストラム・シャンディ氏の生活と意見」の影響を「吾輩は猫である」に遺しているとする研究者はいるが、漱石がロンドンに滞在していた頃にすでに人気作家であったディケンズの影響を受け、彼の作品を日本に紹介した形跡は少ない。ディケンズはいわば漱石にとってイギリスの通俗的な「現代作家」であり、古典作家ではなかったからだろうか。こうした漱石のディケンズへの眼差しが象徴するのか、戦前の日本でディケンズを研究し全集の翻訳に取り組もうという人は少なかった(少なくとも文壇や研究の表舞台で活躍することにはならなかった)のかもしれない。まして、大手出版会社で邦訳全集が企画されることがなかった。先述のようにこれは文学の世界の不思議の一つであろう。ちなみにシェークスピア全集は明治期の坪内逍遥の大作をはじめ、小田嶋、松岡和子の個人訳が筑摩書房から出ている。トルストイ全集もドストエフスキー全集も、ゲーテ全集も大手出版各社から出されている。そういう意味で、あらためて今回の萌書房のディケンズ全集刊行は画期的であると思う。また、広島で長年ディケンズ作品に熱意を持って取り組んでこられた田辺洋子教授の地道な努力と成果に、全身全霊で敬意を示したい。遅まきながら...とは言えである。

ちなみに「ディケンズ・フェローシップ日本支部」という同好会、研究団体がある。1970年英国の本部から日本支部として認証されたという。

以下はこの全集に収録されている作品の中から、私がかつて読んだことがあるか、映画やミュージカル、ネット動画で見たことがある馴染みの作品をリストアップしてみた。

出世作は「ボズのスケッチ集」:Sketches by Bos

「オリバー・ツイスト」:Oliver Twist
「デービッド・コッパーフィールド:David Copperfield
「大いなる遺産」:Great Expectation
「クリスマスキャロル」:Christmas Carol
「二都物語」:Tale of Two Cities
「リトル・ドリット」:Little Dorrit
「荒涼館」:Bleak House
「我らの共通の友」:Our Mutual Friends
「ピックウィックペーパー」:Pickwick Papers
「骨董屋」:Old Curiosity Shop
「ニコラス・ニクルビー」:Nicholas Nickleby

これらの作品の映画化、TVドラマ化、さらには演劇、ミュージカル作品化されたものなど、どれも秀逸な出来である。このほかにBBCのドラマ「ディケンジアン」が面白い。ディケンズのそれぞれの作品に登場する人物がロンドンの下町に集うオムニバス風のドラマ。ディケンズが現代のイギリスのドラマ作品や演劇に与えた影響の大きさを感じることができる。脚本、構成、演出、フィルムワーク、もちろん出演俳優の演技とセリフ。どれをとってもイギリスの文芸、演劇、映像表現の豊かさ、奥深さが感じられ、エンタメ/娯楽作品とはいえその上質さが際立っている。これもディケンズのレガシー(遺産)であることは間違いないだろう。シェークスピアのレガシーに重層化されて息づいている。こうした現代の映像作品を見てからディケンズの原典に立ち返る。これもまた楽しからずや。イギリスはやはり面白い。



ディケンズのデビュー作「ボズのスケッチ集」表紙



「偉大なる遺産」表紙



「オリバー・ツイスト」「二都物語」表紙


「ピックウィック・ペーパー」表紙

「リトル・ドリット」表紙

「デビッド・コッパーフィールド」表紙


革装の背表紙


マーブルプリントの背表紙

ディケンズ生誕100周年(1812−1912)の記念シール
が各巻に貼られている。おそらく所有者が貼ったものであろう。


ロンドンのディケンズ博物館
ディケンズが住んだ場所というのがあちこちにある
ここは大英博物館近くのホルボーンの住居跡
(ディケンズ博物館HPより)

ディケンズの書斎
『ディケンズ博物館HPより)

LSE近くに現存するThe Old Curiosity Shop


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