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大森貝塚庭園「モース博士像) |
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今年は桜の開花が早く、東京は3月14日に開花宣言。早くも22日には満開!World Baseball Classic:WBC2023もサムライジャパンが、初戦から一回も負けることなく22日のフロリダでの決勝戦でアメリカに勝ち、ワールド・チャンピオンに!ブルペンとダッグアウトを行き来する大谷の投打の活躍と、最後はエンジェルスのチームメイト、トラウトとの奇跡のような勝負に勝ち、劇的な優勝を飾った。そういう気分の良い勝利に桜満開が、文字通り華を添えた。コロナ、コロナで沈んだムードであったが、きれいに吹っ飛んだ。3年ぶりにお花見気分を思い出させてくれた。やはり日本の春は桜だ。
1790年ダブリン版全6巻 |
商業の神マーキュリーのシンボル |
表紙 |
世界地図 |
古代の世界地図プトレマイオス図 |
今回取り上げる古書は、18世紀イギリスのアダム・アンダーソン:Adam Anderson著の「商業の起源に関する歴史的・年代記的推論」:HIstorical and Chronological Deduction of the Origin of Commerce 。6巻からなる大著である。初版は1764年であるが、本書は1790年の第三版である。本書には、長々しい表題が付けられている。この時代の書籍にはありがちな、本の内容をひと目でわかりやすく説明するためのサマリー形式のタイトルである。参考までに掲載すると下記のようになる。
抄訳すると、
この表題が本書の内容を「わかりやすく」説明しているかどうかは別にして、要するにヨーロッパにおける商業活動、通商の起源を「ノアの箱舟」の創世記にまでさかのぼり、古代、紀元前の交易から解き明かす。その上で、ローマ帝国、ヨーロッパ各国、そして大英帝国の海外進出、貿易、植民地、製造業などに及ぶ商業活動を時系列的に記述している。国家財政、交易商品、物価、通貨、株価、人口、貿易量に関する詳細なデータが紹介され、さらに法令・条約も掲載されているなど、網羅的であるとともに詳細を極めた年代記となっている。ヨーロッパ諸国・大英帝国の商業史研究にとっても、また歴史書として貴重な大作であることから、後世の研究書や論文等に度々引用されている。年代から出来事の検索でき、またキーワードによる索引も充実しており、いわば経済史事典としても重宝されている。商業活動が「国家の富」と認識された重商主義政策時代の著作だが、すでに産業革命の時代に入っており、やがてデヴィッド・ヒューム、アダム・スミスの自由主義貿易政策の時代へと転換してゆく。そういう時代の大きな転換点にあって、商業活動の歴史を俯瞰した通史としても重要な著作である。日本語の翻訳は出ていないようだ。
著者アダム・アンダーソンとは?
今回の書の著者であるアダム・アンダーソン:Adam Anderson(1692or3〜1765年)はスコットランド生まれ。ロンドンの特許会社、南海会社:South Sea Companyに40年以上、経理社員として奉職し、最後は株式・年金資金運用の責任者として退職:Chief Clerk for the Stock and New Annuities of the South Sea Company。ジョージア植民地のトラスティーの一人にもなったという人物である。しかし彼に関する記録は少なく、生まれやアカデミック・バックグラウンドなど、本書の編集者による序文にも著者についての紹介がない。上記3作の著者は、アダム・アンダーソン以外は、歴史学者であったり高位の聖職者であるが、アンダーソンは、このように経済学者でも歴史学者でもないし、高位高官の地位にあったわけでもない。会社の会計担当者の一人に過ぎない人物であったのだが、その博識と長年の実務的な観点からの分析能力、資料批判力がこの大著を書かせたのだろう。内容には翻訳や二次資料引用に伴う間違いが多いとされるが、過去の二次資料からの引用は別として、後年の記述は正確であり資料としても信頼性は高いと言われている。こうした誤りや不足分は彼の死後に編集者(William Combe)によって訂正と追補がなされている。したがって今日まで、この年代記が当時の商業史の代表作であると評価されている。ある経済史研究者は、「アダム(聖書の創成記に登場する最初の人間)とアダム(自由主義経済を主張したアダム・スミス)の間をつないだもうひとりのアダム(アダム・アンダーソン)」と評している。少し褒めすぎとは思うが。現代風に言えば、彼は大企業のサラリーマンで、最後に管理職に昇進してリタイアーしたという経歴の人物である。在職中、よほど社内外の情報、資料に接する機会が多かったのか、歴史を勉強し執筆する時間に恵まれたのか、このような網羅的、詳細な商業史編纂をものすることが出来たとは。同じように一つの会社に40年以上奉職した終身雇用時代のサラリーマン経験者の筆者としては、驚嘆するとともに敬意を評したい。
初版及び改訂版の内容
初版:1764年 2巻フォリオ版 原著 ロンドン出版 London: A. Millar; J. & R. Tonson; J. Rivington; R. Baldwin; and others
献辞:ウィリアム・ピット:William Pitt, First Lord of the Treasury and Chancellor of the Exchequer
第二版:1787年 4巻フォリオ版 編集者による増補改訂版 ロンドン出版 London: J. Robson; T. Payne & Sons; B. White & Son; L. Davis; and others
第三版:1790年 6巻 さらに追補・改訂しフォリオ版を廃して6巻本とした ダブリン出版 Dublin: Printed by P. Byrne
献辞:ジョン・フォスター:John Foster, One of the Lord Justices, and Speaker to the honourable the House of Commons of Ireland
1764年の初版(ロンドン版)は原著者アンダーソンによる記述 (1762年まで)である。彼の死後、1787年に第二版が編者Mr. Combe (William Combe:後述の参考1)による追補改訂版(原著に2巻追加して全4巻とした)が出版された。1790年のダブリン版はさらに改訂追補され、アンダーソンの死後、現在(1789年)までのアップデート版ということになる。したがって、原著には記述がなかったアメリカ植民地十三州の独立宣言(1776年)と独立承認(1783年)、フランス革命(1789〜)前夜の緊張状態など、世界史の画期となる出来事が盛り込まれている他、1770年頃から産業革命期に入ったことから、マニュファクチャリングの隆盛が記されている。また新たな事柄で出版までに間に合わなかったヨーロッパ諸国における出来事についてはAppendixにまとめて追加されている。たとえば、新しい産業機械の発明(蒸気機関や自動織機など)や、Genaral Post Officeの改革が取り上げられているのが興味深い。
本書は年代別に、商業活動、貿易、航海に関する記事の他、その年の王室の動き、政治情勢、海外情勢についても掲載しているので、先述のように、いわば経済史事典、あるいは歴史年表としても使える。特に、アルファベット順、年代順のインデックスが充実しているので、記事の検索に非常に便利である。第4巻一冊の殆どがこのインデックスになっている。例えば、「イギリス東インド会社(English East India Company)」というキーワードで検索すると、年代順に130件の記事が拾い出せる。さらに、その東インド会社の日本との交易関係を検索すると3件の記事が見いだせる。我々が慣れ親しんでいる現代の百科事典とは編集形式が異なるが、その違いを理解すれば便利に使える。ちなみに、対日貿易に関する記事を読んでみると、1613年の項(下記参照)で、ジョン・セーリスが東インド会社の艦隊を率いて日本へ渡航し平戸に入港。イギリス商館を開いて交易開始した、と短く触れられている。しかし、ポルトガルの宣教師やオランダの妨害に会い、セーリスは日本撤退を余儀なくされたしたとしている。実際には、平戸に駐在したのはリチャード・コックスであり、コックスは1623年の平戸撤退まで10年にわたって日本で奮闘しているのだが、その活動記事はない。また、このきっかけを作ったウィリアム・アダムスに関する言及もない。その後の1681年のリターン号の日本ミッションらしい記事も見えるが、中国との交易交渉のほうがメイントピックとなっている。大英帝国にとって成功しなかった対日貿易に関する記録は簡略化されているように見受ける。ただ、ライバルであるオランダとの東インドにおける攻防(アンボイナ事件など)に関しては詳細に記録されている。
18世紀後半といえば、アメリカ植民地の独立、フランス革命によるヨーロッパの混乱、戦争、産業革命による製造業の発展、インド植民地貿易の全盛へ。商業活動や経済発展がイギリスを大英帝国へと発展させる途上の時代である。商業活動を支える経済政策が重商主義から自由貿易主義へと転換する時代でもある。いわば、ジョサイア・チャイルド(重商主義者、東インド会社総督)から、1776年の「国富論」の発表に象徴的なアダム・スミス(自由貿易、レッセフェール)へと、経済思想、政策の主役が交代する時代である。本書はこうした、大きな時代の転換点、すなわちアダム・スミス(1723~1790)の時代の前夜までの歴史的記録であると言えよう。
経済史の原点「年代記編纂の時代」
現在では経済史という研究領域があるが、いつ頃からこのような経済や商業、貿易に関する歴史に関心が持たれるようになったのだろう。イギリスにおける経済史学の黎明期は17世紀だと言われており、この時期にいくつかの経済活動に関する著作が表れる。以前のブログで紹介したジョサイア・チャイルドの著作もその一つである。こうした経済思想や商業活動の歴史への関心の高まりは、かつては貿易や商業活動が、都市や一部の富豪の富の形成という問題に眼が向けられていたのに対し、18世紀になると「国家の富」:Wealth of Nationの問題へと関心が移っていったことと連動している。経済政策が国家の大きな課題となり、国富の増大と、その実現のための研究が必然的に求められるようになった。その一つが、当時商業活動、海外進出で発展著しかったオランダへの関心である。当初のオランダの海外進出は、各都市ごとに船団を組み、富豪がそれに投資するという方式であったが、投資効率を上げ、利益率を最大化するため、株式会社制度を生み出し、税制優遇措置、特許会社化などを含め、国を上げた「連合」会社形式での海外進出、交易拡大に向かい成功を収める。その成功モデルに学ぼうというもの。もう一つは古代における航海と商業の起源を探ることであった。この頃の歴史家は、その起源を聖書の創世記にさかのぼって語ることが一つのスタイルであったようだ。アンダーソンの年代記も「ノアの箱舟」が金を運んだエピソードを交易の起源として取り上げている。歴史家が直近の成功事例と、過去の事例、さらにその起源となると考えた聖書のエピソード、古代の事蹟、そこから発する歴史に何らかの教訓を探ろうとしたのは、これから商業活動を発展させ「国家の富」を形成しようという重商主義的な時代の要請であった。特に海外進出に積極的であったイギリスの王室、政治家や投資家、学者にとって、強力な競争相手であるオランダの強みの秘密の解明と、その他の諸国の動向、イギリスの現状との比較研究は必然であった。また、その一方で計数的な分析・評価方法が、過去の成功の秘密を解き明かす有効な手法と考えられた。このいわば「政治算術」ともいうべき、一種のマクロ経済的な課題分析手法、予測手法が生まれた時代でもあった。こうした17世紀後半の商業活動の事例研究に対するニーズは、やがては18世紀初頭の、極めて広範かつ多岐にわたる資料の収集と編纂、資料批判、計数的方法による分析、という新たな「年代記の編纂の時代」:Age of the Annalistへと繋がっていった。
その「年代記の編纂の時代」の代表的な編纂者、著作としては、次の三人が挙げられる。
ウィリアム・フリートウッド:William Fleetwood (1656-1723) Chronicon Preciosum:「物価の年代記」1707
ジョン・スミス:John Smith ( -1747) Chronicon Ruscum-Commerciale; or Memoir of Wool etc., 「農村商業の年代記、別名 羊毛の覚書」1747
アダム・アンダーソン:Adam Anderson (1692,3-1765) Historica and Chronologica Deduction of the Origin of Commerce 「商業の起源に関する歴史的・年代記的推論」 1764、追補改訂1787, 1790
また、このアンダーソンの業績をベースとし、それに加筆、追補した著作に、デビッド・マクファーソン:David Macpherson (1746-1816) Annals of Commerce, Manufactures, Fisheries, and Navigation, 4 vol. 「商業・製造業・漁業・航海の年代記」1805 がある。
アルファベット順、年代順のインデックス 「ノアの箱舟」に始まり1787年まで |
1613年の項 セーリス艦長の率いる東インド会社の艦隊が日本の平戸に入港した記事 |
南海会社と南海泡沫事件
ところで、著者アダム・アンダーソンが40年在職したという、南海会社:South Sea Companyとはどのような会社であったのか。この会社名を聞いて、イギリス経済史における「南海泡沫事件」:South Sea Bubbleという歴史的事件を思い出す人も多いであろう。この南海会社は当時のイギリス経済の「バブル崩壊」のきっかけを作った会社である。以下に簡単に紹介しておきたい。
南海会社:South Sea Company(1711〜1850年)
18世紀のイギリス特許会社。南海(アフリカ、南米)向けの奴隷貿易のために設立された。しかし裏の目的は、当時財政破綻に瀕していた政府の負債(債権、証券)を引き受けて、貿易の利益で補填することが目的であった。しかし、奴隷貿易は十分な利益が上がらず、富くじ:Lottaryを始め、大きな利益を上げたことをきっかけに、金融事業を始める。債権や国債を引き受けて市場の売買で利鞘を稼ぐ「財テク会社」として大儲けした。また政府債権と会社株式の交換レートのトリック(「南海計画」と称する仕組み)を利用し、会社の株価が急騰(半年間で100ポンドの株が、700ポンド、さらに1050ポンドに跳ね上がった)。株主や投資家の間で「南海成金」を生むも、すぐに暴落して多くの破産者が出た。その後も南海会社は清算されず、奴隷貿易や北極海での捕鯨事業などに手を出すがうまくゆかず、細々と金融事業などで1850年まで存続した。ちなみに特許会社は、この他にも有名な、イングランド銀行や東インド会社 (17〜19世紀 キャラコバブル インド植民地経営)や、ハドソン会社 (1670〜現在もカナダで存続 百貨店チェーンThe Bay)などがある。これらは国営、ないしは王立というわけではなく、勅許により独占的な権利を与えられた民間からの出資による株式会社:joint stock companyである。
南海泡沫事件:South Sea Bubble(1720年)
先述の、南海会社の株式急騰と暴落(バブル崩壊)による混乱事件であるが、さらに南海会社の株式急騰に触発されて、事業もせず投資資金だけを募る無許可の泡沫会社が190社以上も乱立、投機熱を煽ることとなった。当時は裕福な中産階級が生まれ、その内部留保資金の運用先を求めて、マネーが動くという一種の金余り状態であった。結果、多くの会社が破綻し、投資資金が回収できなくなり、都市ブルジョア(中産階級)はじめ、貴族、ジェントリーから庶民までが破産するという大惨事となった。有名人ではアイザック・ニュートンやヘンデルもこれで大損失を被ったと言われている。「バブル経済」の言葉の由来となった事件である。ニュートンは「天体の動きは計算できるが、人間の不可解な欲望の動きは計算できない」と言葉を残している。これを受けて、ロバート・ウォルポールが財務相、また首相となって規制法を制定(Bubble Act 1720」。責任者の追求、処罰は曖昧なままであったが、この結果、大半の泡沫会社が消滅させられ、株券が紙くずとなり、いっそう破産者が増える結果となった。しかし、これで経済パニックは収束していった。以後、この事件が、近代的な会計監査制度、公認会計士制度が始まるきっかけとなった。南海泡沫事件に関しては、本書の1720年の項でアンダーソン自身が詳細に記述している。インサイダーが見た「南海泡沫事件」顛末記というわけだ。読んでいると、まさに労働や交易から生まれたリアルな富ではなく、金融操作によるあぶく銭、フェイクな数字で人が踊らされた出来事であって、まさに「歴史は繰り返す」と、バブル崩壊を経験した日本人なら痛感するであろう。我々は本当に歴史に学んだのだろうか。しかし、イギリスは、そのバブル崩壊後、これを教訓として会社のコンプライアンス制度を整え、財政再建に成功し、技術イノベーションである産業革命とインド植民地経営拡大で大英帝国繁栄への道を歩んでいった。日本はバブル崩壊後の再生の道を模索して30年になる。トンネルを抜けるのはいつなのか。
参考1)
1787年版の編者のWilliam Combe (1742−1823)は18〜19世紀前半のイギリスの著述家。様々な旅行記や詩を書き、また、ノンフィクション作家として翻訳や歴史物を手掛けた。代表作はコミック詩集「The Tour of Dr. Syntax」。当時人気のイラストレーター、トーマス・ローランドソンが挿画を担当している。またローレンス・スターンと交流があり、彼の作品「トリストラム・シャンディー」の中で出てくる手紙などのシャドウライターであると言われている。後半人生を債務刑務所で過ごし、ここで多くの著作をモノしている。アンダーソンの著作の編集、追補もここで行ったと見られる。このように、ほぼ手当たりしだいと言ってよいほどに幅広いジャンルを手掛けていたことにも驚嘆させられる。
Wiliam Combe (1742-1823) |
参考2)
日本は、第八代将軍徳川吉宗(1714−1745年)の「享保の改革」(緊縮財政、質素倹約、上米の制)の時代から、老中田沼意次(1767−1786年)の「重商主義政策」(専売制、会所制、冥加金)の時代、そして老中松平定信(1787−1793年)の「寛政の改革」(倹約令、棄涓令、寛政異学の禁)へという時代であった。
南海会社ロンドン本社(19世紀頃) |
南海会社社章 |
当時の諷刺画家ウィリアム・ホガースによる |
投機バブルを皮肉る漫画(ウィリアム・ホガース) |