2023年6月6日火曜日

ウィリアム・ホガース版画展 〜東大「知の継承」プロジェクト 駒場の旧制一高図書館にて〜

東京大学駒場博物館



東京大学経済図書館蔵 ウィリアム・ホガース版画(大河内コレクション)「近代ロンドンの繁栄と混沌」展を見てきた。東京大学駒場キャンパスの駒場博物館で開催されている。東京大学が進めている「アダム・スミスからの「知の継承:2020−2023」プロジェクトの一環としての展示会である。展示されているウイリアム・ホガースの銅版画は、東京大学経済学部で長く教鞭をとり、日本におけるアダム・スミス研究、スミス旧蔵書のコレクションに尽力したことで知られる、大河内一男・暁男両教授が、親子二代にわたって収集されたものである。後に大学に寄贈されて経済学図書館・経済学部資料室の貴重なコレクションの一つとなっている。大河内教授といえば、70年安保、全共闘大学紛争世代にとって、東大紛争真っ只中での総長であったことも記憶されている。経済学部は2019年に創設100周年を迎えた。経済学図書館・経済学部資料室もその前身の設立から、それぞれ2020年に120周年、2023年に110周年となった。それを記念して、東京大学は2020年から、先述の「知の継承」プロジェクトを展開してきた(東京大学「知の継承」ウェッブサイト)。


東京大学経済学図書館・資料室デジタルミュージアムに
ホガースの版画集やスミスの「国富論」初版本など、貴重な蔵書が展示されている。




ウィリアム・ホガース:William Hogarth (1697-1764)

ロココ時代のイギリスの画家。版画家、社会批評家、風刺画の父と言われる。一般にイギリスの画家と言われてもなかなか名前が出てこない人も多いと思うが、ホガースはこの時代に風刺画を中心に版画作品を多く世に出したことで知られる。こうした「政治的な風刺画」は「ホガーシアン:Hogarthian」と呼ばれている。ロンドンの下位中産階級の家庭に生まれ、父は借金が返せなくなり債務刑務所に収監されるなど、決して恵まれた環境で育ったとは言い難い。こうした幼少期の生育環境が彼の絵画や版画に社会に対する眼差しの鋭さをもたらしたと考えられる。彼はフランスやオランダなど大陸で絵を学び、ロンドンを拠点に活動した。当時のヨーロッパ絵画の主流であった貴族や金持ちの肖像画のような油彩画、版画ではなく、世相を物語風に描き出す連作版画(「読む版画」と言われた)を生み出し、18世紀という時代の潮流に乗り人気の作家となった。彼の作品は版画で大量に流布され、後に18世紀、19世紀のイギリスの風刺画家、ローランドソンやクルックシャンクなどに大きな影響を与えた。代表作として、「当世風結婚シリーズ」「娼婦一代」「放蕩息子一代」「残酷の四段階」「ビール通りとジン横丁」「南海の泡沫」「勤勉と怠惰」などがある。今回のホガース展でもこれらの代表作が展示されている。

ホガースの銅版画は、同時期のイギリスの世相を反映したもので、日本の江戸時代における浮世絵のように庶民にも人気があり、当時の人々が争って購入したものであった。のちに美術作品としても評価されるとともに、18世紀前半のイギリスの社会や文化を知る貴重な資料となっている。ホガースの作品は、当時の社会世相や政治、風俗などをビビッドに、かつシニカルに描き出しており、細部にわたって同時代の人々に向けられた様々なメッセージが込められている。彼が生まれ育ったロンドンは、17世紀に起きたペストの大流行とロンドン大火で、何世紀にも渡って無秩序に形成されてきたロンドンの都市空間は消滅した。その後に再生された街であった。ロンドンは18世紀になると産業革命による商工業や貿易業の隆盛を見ることとなり、金融資本のシティーへの集積や、それに伴う金と物と情報のロンドンへの集中があり「アーバンルネッサンス」と言われる都市活性化が起きる。これが19世紀のヴィクトリア朝時代の大英帝国繁栄へと繋がってゆくが、そうしたロンドンは輝くような繁栄と、その輝きの分だけ、濃い陰も存在する街となっていた。ホガースはこうして時代のロンドンで活躍し、彼の描き出したロンドンの「ビール街」と「ジン横丁」の対比が「繁栄と混沌」「光と陰」を象徴している。一方で、彼のフランス嫌いも作品の随所に現れている(「カレーの門」)。イギリスは長い間フランスと戦争を繰り返しており、そうした時代背景も彼のフランス嫌いにはあったのであろうか。


大河内コレクション

今回は、ホガース版画の大河内コレクション71点すべてが駒場博物館に展示されている。これだけの作品が一堂に並ぶのは貴重で圧巻の展示である。これら、イギリスの社会・日常生活に焦点を当た、道徳的、教訓的主題の社会的諷刺版画は、「描かれた道徳」(pictured Morals)とも称された。ホガースは頻繁に、この時代を象徴する情報交換の場、ロンドンのコーヒーハウスに通い、クチコミや、新聞や雑誌を読み漁りネタを仕入れたと言われている。アダム・スミスが生き、思索し「道徳感情論」「国富論」を著した18世紀のイギリス。アイザック・ニュートンに代表される「科学の時代」のイギリス。産業革命、産業資本家の台頭、アフリカやインドの海外植民地との交易(アフリカから北米への奴隷貿易や、インド綿花輸入によるマニュファクチャリング加工貿易)、絶対王制から立憲君主制への移行、北米植民地経営の困難とアメリカ独立運動、フランスとの戦争、フランス革命、英国国教会とピューリタンの対立という「光と陰」の交錯する時代である。「南海泡沫事件」のようなバブル崩壊も経験した、まさに「近代ロンドンの繁栄と混沌」を描いた作品集である。19世紀ヴィクトリア朝、大英帝国繁栄の時代へと繋がるプロローグの世紀はかくなるものであったのかと。19世紀のディケンズが小説で描いた「繁栄と混沌」「光と陰」が、すでに前世紀のロンドンに現れているのだと。

展示はユニークである。まず写真撮影は禁じられていない。そして、むしろ展示されている作品についてのコメントを自由に書いて、作品の周辺にポストイットで貼り付けることが奨励されている。ただ展示物を眺めて終わるのではなく、作品の発するメッセージとインタラクティヴに会話する。このコメントを一つ一つ読むのもまた楽しい。作品を見る側のリアクションがわかる。なかなかシニカルなコメントや解釈も有り知的好奇心をくすぐられる。天井が高く、広々とした空間が独特の陰影を生み出す、昭和初期の名建築、旧制一高の旧図書館という器が、ホガースの作品を引き立て、アダム・スミスの時代への妄想をふくらませてくれる。東京大学ならではのこの知的空間と知の継承。見事な企画であると感じた。「知の継承」は、「再開発」という名の破壊からは生まれないことをあらためて体感することができた。



作品に対する観覧者のリアクションがポストイットで表現される

ホガース流「イギリスとフランス」の対比

ホガース自画像
愛犬家で常にパグと一緒に描かれた

「美の分析」

演劇「リチャード三世」

ヘンリー8世とアン・ブーリン

ジン横丁

ビール街

「カレーの門」または、イギリスのローストビーフ


「美の分析」原本

美の分析



東京大学駒場博物館

この展示が行われた場所は、旧制第一高等学校の図書館であった歴史的建物である。2003年に美術と自然科学に分かれていた博物館を統合し、駒場博物館としてリニューアル開館。まさに東京大学が誇るアダム・スミス文庫、ホガース版画集というレガシーを語り継ぐにふさわしいベニューである。老舗の酒蔵には伝統の酒が生まれる。そして革新の温床となる。そこに住み着いた酵母の住処を奪ってしまっては、味わい深い古酒も、新しい酒も生まれない。「知の継承」とはそのようなものである。駒場キャンパス内には一高時代の遺構や建物が数多く保存、活用されている。時計台のある本館(現一号館)を中心に、向かって右手には図書館(現駒場博物館)、左手には講堂(現900番教室)が現存している。この2つの建物は左右対称を意識した配置となっており、外見は双子の建物である。また当時の建物としては特設高等科(現101号館)があり、いずれも内田祥三の設計になる、いわゆる「内田ゴシック」建築である。この他にも一高同窓会館(現ファカルティーハウス)などが修復保存され現在でも活用されている。緑濃い構内は、近代日本の歴史と知の殿堂、知の継承を感じさせ、その観念が、その実存とあいまって、誠にアカデミックな佇まいである。

旧制一高は、1886年(明治19年)に、日本の近代国家建設に必要な人材の育成を目的として第一高等中学校として創設された。1894年(明治27年)には第一高等学校と改称され、帝国大学の予科となった。第一高等学校は、もとは帝国大学本郷キャンパスの隣の弥生町に開設された。向ケ丘にあったことから「向陵」と呼ばれた(一高寮歌:「嗚呼玉杯に花うけて」にも歌われている)。しかし、1935年(昭和10年)に駒場にあった帝大農学部とキャンパスの交換を行い、駒場に移転した。したがって駒場キャンパスは、一高の64年の歴史の中では比較的新しい。終戦を挟んで、移転から15年後には旧制高等学校が廃止され、新制東京大学の教養学部となった。

ちなみにこの西側には駒場IIキャンパスがあり、先端科学技術研究センターや生産技術研究所などの日本を代表する最先端研究施設がある。またこの2つのキャンパスの間に、旧前田侯爵邸、日本文学館、柳宗悦の日本民藝館がある。



駒場博物館エントランス



「近代ロンドンの繁栄と混沌」展

ドーム状の天井が高い










東大駒場キャンパス散歩

東大本郷キャンパスと同様、駒場キャンパスに現存するゴシック調の建築は、内田祥三の設計によるものである。いわゆる「内田ゴシック」と呼ばれる、伝統的な帝国大学建築様式といってもよいもので、重厚さと独特の雰囲気を今に伝えている。元農学部の構内だったせいか巨樹が多く、多様な植生が確認できる。枇杷の巨木が本館横にあり、たわわに実っているのが不思議な光景だ。学生たちが木を揺すって実を落としていた。まだ青くて食べられないと思うが。とにかく緑濃きキャンパスだ。ちなみに農学部時代の建物は残っていないようだ。


正門

旧制第一高等学校校章
「文」をあらわすミネルバのリーブと「武」を表すマルスの三つ柏

旧図書館(現駒場博物館)

玄関

旧本館(現一号館)



本館北面

旧講堂(現900番教室)

玄関


旧一高同窓会館(現ファカルティーハウス)

旧特別高等科(現101番教室)

緑濃いキャンパス
元農学部だったせいか

なぜか枇杷の大木が鈴なり




(撮影機材:Nikon Z8 + Nikkor Z 24-120/4)