2023年9月12日火曜日

浦島太郎、恥ずかしながら只今帰ってまいりました!の巻 〜「時空トラベラー」のタイムパラドックス〜


昨晩、突然、福岡にいる高校時代の同級生から電話をもらった。私が電話に出るなり「やっと見つけた!」と歓声を上げた。「みんなで探しよったとヨ!」「どげんしよったと?」と。なんと50ウン年ぶりに聞く「ふるさとの訛懐かし」旧友の声だ!SNSやネット検索で探し、私が出ているある対談記事を見つけたのだそう。私の元の勤務先にまで問い合わせたらしい。そろそろ最後の同窓会をやろう、ということになって行方不明者の私を捜索してくれたそうだ。同窓会名簿には、なぜか私の名前がなかったとのこと。そう言えば、昨年、同じことを教えてくれた同窓生がいて、同窓会事務局に問い合わせたら、1979年までは名前があるが、それ以降、私の名前は掲載されていないという。そんな馬鹿な... 事務局が学籍簿で確認して、誤りを認め謝罪の上、再掲載されるようになった。何故削除されてしまったのか。その間ずっと、私は東京同窓会、NY同窓会などで、先輩、同級生、後輩と旧交を温め、在校生の「先輩会社訪問」ツアーをホストしたり、大先輩に仕事のご指導頂いたり、母校や同窓生との交流が続いていたというのに。東京同窓会の会費も毎年払っていたはずだ。たしかに、福岡の同窓会には一度も出席したことはないが... 長い間私は「経歴詐称のニセ同窓生」だったというわけか?

いずれにせよ、「捜索の結果、発見!」されたようで、めでたし、めでたし!来月には同級生で集まることになった。早速、去年の同級生の集まりの写真を送ってくれた。懐かしい顔、顔、顔... のはずなのだが、 しかし、どの顔見ても、全く誰だかわからない。古い卒業アルバムを引っ張り出してきで名前と顔を確認しながら、もう一度見たが、それでも分からない。荒井由実の歌のような訳にはいかない。そりゃそうだ、18歳の若者の面影を70歳の高齢者に求めることがいかに困難かを思い知らされる。50年の時間の流れという現実。タイムパラドックス。今度会ってもわかるのだろうか。

こうした出来事をきっかけに、ふと我が人生を振り返ってみると、世間知らずの青二才が故郷を出奔してからはや半世紀。がむしゃらに世渡り街道を突っ走ってきた。未知の体験にワクワクし、世間の闇をくぐり抜け、理不尽にも泣いたこともあったが、感動に涙したことも度々。多くの人びとに出会った。良き友人を得た。助けてもらった。そして何よりも良き伴侶と幸せな家族を得た。見たこともない世界を彷徨し、冒険の旅が続いた。東京、ロンドン、ニューヨークを拠点に、世界20数カ国を駆け巡った。遥けき旅路であった。旅路の果てにふと気がつくと、古希を迎えた翁の自分が居る。まさに「一炊の夢」である。しかし「我思う故に我あり」。その夢を見ている私は確かに実存している。自分の歴史を築いてきた。そう実感する。しかし、故郷の旧友にとって、私はいつの間にか行方不明になり、捜索の結果、50年後に発見された浦島太郎だった。南海の孤島のジャングルにからひょっこり姿を表し、現代に戻ってきた兵士だった。私と同級生とはパラレルワールドを生きてきたのだ。いや、人はそれぞれのパラレルワールドを生きている。私の旧友も、私の知らない世界を生き、多くの物語を紡いできたに違いない。帰ってきた浦島太郎はすっかりオジイサン。亀を助けた覚えはないし、乙姫様にもてなされた記憶もない。まし竜宮城で享楽に耽る日々を過ごした記憶もない。しかし確かに、海辺にたどり着いたときには、手に玉手箱を持って立っていた。どこで手に入れたのか。いや、どんな旅路を歩んでこようとも、人は必ず玉手箱を持たされる。そしてそれを開けた途端に...

浦島太郎、恥ずかしながら只今帰ってまいりました」(直立不動敬礼)



写真集:行方不明の間はコンナことしてました!


テムズ川

ケンブリッジ

LSE

マンハッタンの空見てました

マンハッタンの住人でした

大阪大学で講義もしました


帝国ホテルで挨拶しました

パネルディスカッションのモデレータやってます




ユヌス先生をお招きしてパネルディスカッションしました




九州大学院生と

3つのゼロ

財団賞授与式

鏡割り