2024年3月15日金曜日

「アーツ・アンド・クラフツとデザイン展」探訪 〜ウィリアム・モリスの系譜を辿る〜

展覧会図録
大阪大学名誉教授藤田治彦氏の解説
モリス肖像と代表作の一つ「格子垣」(1864年)





千葉県立美術館で開催されている「アーツ・アンド・クラフツとデザイン」展(1月30日〜3月24日)を観てきた。これはブリティッシュ・カウンシルの後援、日本における早くからモリス展を企画してきたブレーントラストの企画協力で、去年4月の松本市美術館を皮切りに、久留米市美術館、そごう美術館、山梨県立美術館、そしてここ千葉県立美術館で締めくくりとなる巡回展である 

モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動だけでなく、その影響を受けたアメリカにおけるティファニーなどによるムーヴメント、そしてフランク・ロイド・ライトの建築に受け継がれたデザインまでを展示している。また千葉県立美術館の独自企画として、「千葉とアーツ・アンド・クラフツ」として千葉ゆかりの浅井忠、豊田勝秋、高村豊周の作品も展示されている。

今回はモリスとモリス商会作品とアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会のメンバーの作品を中心に見て回った。特に、古書ファンとして見逃すことができないのは、ケルムスコット・プレスの私家本原本5点が展示されていたことであった。この貴重なヴェラム装の原本を見ることができたことは大きな収穫である。また、我が家が長年のファンであるロンドン・リージェント・ストリートのリバティー商会や、ニューヨークのティファニーグラスの作品も一部展示されており、さらにはフランク・ロイド・ライトの建築にも触れている。一連のモリスの系譜を俯瞰できる展示であった。

また今回の展示には含まれていないが、モリスはロンドンの下町で現在も活動を続けている古建築保護協会(1877年創設):SPAB(The Society for the Protection of Ancient Buildings)の創設者である。この協会は、建築家、美術家、デザイナーなどのメンバーが運営しており、歴史的な古建築の保存に関して、「破壊的な修復」に反対するAnti-Scrapeを唱え、対抗することを目的とした活動を行っている。1895年に設立されたナショナル・トラスト:National Trustの活動に各種の協力と助言を行なっている。「破壊的な修復」どころか、「完全破壊」してしまう国に住まうものとしては、このような活動が続き、歴史的建築遺産を守り続けているイギリスは羨ましい国だ。モリスのレガシーがここにも生きている。

以下に、個人の好みでいくつかの展示作品を選んでみた。


(1)ウィリアム・モリス&モリス商会

ウィリアム・モリス:William Moris (1834-1896)は、オックスフォード・エクセター・カレッジに、最初は建築を学んだが、ジョン・ラスキの思想に影響を受ける。のちに社会主義団体を立ち上げる。またラファエル前派の画家、詩人のダンテ・ガブリエル・ロゼッティと知己を得て大きな影響を受け活動を共にする。親友のエドワード・バーン=ジョーンズとともにロゼッティに学び、レッド・ハウスで家具や内装の仕事を始める。やがてこの場所に生まれたのがモリス・マーシャル・フォークナー商会である。同商会は1861年設立されたが、やがて1875年にはモリス商会に改組される。

産業革命による大量生産で工芸品の質が低下することを危惧。中世のもの作り手法に範を求めて、手仕事による工芸の質的向上と技法の継承を目指した。また多くの職人が職を失い、彼らが単純労働に従事する工場労働者になっていくことにも強い危機感を持っていた。職人の手仕事の復興、保存を目指した。このように彼が目指したのは芸術・工芸復興運動であると共に、同時に社会運動の側面をも有していた。彼自身社会主義者であることを自認している。製品としては、当初は教会のステンドグラス製作などを中心としていたが、テキスタイル部門を強化し、織物やプリント、綿布、壁紙などの室内装飾に力を入れた。そして「アーツ・アンド・クラフツ運動」へと発展してゆく。


代表作の一つ「いちご泥棒」(1883年)

「るりはこべ」(1876年)


「ガーデン・チューリップ」(1885年)


「フリトレイリー」(1885年)


キャビネット(1900年頃)と肘掛椅子(1890年頃)

暖炉の衝立(花の鉢)(1890年ごろ)
ゴブラン織



(2)アート・ワーカーズ・ギルドとアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会

1884年に、芸術作品や工芸、建築に携わる職人のアート・ワーカーズ・ギルド:The Art Workers Guildが、モリスの盟友で画家のエドワード・バーン=ジョーンズを中心に、ウェッブ(建築)、ウィリアム・ド・モーガン(陶芸)、W.A.S.ベンソン(ランプ)、それに社会主義芸術運動を提唱したウォルター・クレインなどが参加して立ち上げられた。当初は総合芸術、ないしは合同芸術(Combined Arts)と称していたが、美術と工芸(Arts and Crafts)の名を冠した。のちに、このトレンドを作ったモリスも参加し、こうして「アーツ・アンド・クラフツ運動」が始まった。

そして、このアート・ワーカーズ・ギルドメンバーが中心となり、その下部組織としてアート・アンド・クラフト展覧会協会:The Arts and Crafts Exhibition Societyが1887年設立。
その翌年には、デザイナー、工芸家、建築家たちによる合同芸術(Combined Arts)を、美術と工芸(Arts and Crafts)と命名した展覧会を開催。以降、毎年ロンドン・リージェント・ストリートのニュー・ギャラリーで開催されることとなった。しかし、次第に頻繁な開催に伴う作品の質の低下が見られるようになったので、1893年にモリスが会長に就任してからは3年に一度の開催とし、作品の質の向上に努めた。その成果もあって優れた製品/作品が登場するようになり、ここから多くの工房作家や事業家が生まれ育ち、モリスの系譜を引くイギリスの、いや世界のアーツ・アンド・クラフツ運動の揺籃となる。しかし、こうした手仕事による工芸品は、機械化された量産品に比べ高価になり、皮肉にもその運動の理念と裏腹に、徐々に庶民の手の届かないものになっていったことも否めない。




「ポピー」C.F.G.ヴォイジー(1895年ごろ)


「夏」ウォルター・クレイン(1870年)


蓋付きマフィン銀皿(1900年ごろ)
チャールズ・ロバート・アシュビー
ギルド・オブ・ハンディークラフト


銀ボウル(1915年)
エドワード・スペンサー

置き時計(1900年ごろ)
アーチボルト・ノックス

銀製宝石箱(1900年ごろ)
アルバート・エドワード・ジョーンズ

銅製小箱(1904年)
ジョン・ピアソン

ボウル
ウィリアム・バトラー
ジェームズ・パウエル・アンド・サンズ
モリスの依頼を受け、中世ステンドグラスの色再現や伝統的吹きガラス手法を用いた美しい作品を生み出した


ボウル
ウィリアム・バトラー
ジェームス・パウエル・アンド・サンズ


扇形カットグラス花器
ジョン・ウォルシュ・ウォルシュ
バーミンガムのガラス工房 装飾ガラス、カットガラスの
製品で人気

ワセリンガラス花器
ジョン・ウォルシュ・ウォルシュ




(3)リバティー商会

こうしたロンドン・リージェントストリートのニュー・ギャラリーを拠点としたアーツ・アンド・クラフツ展覧会は、イギリスやアメリカにおける運動の展開をさらに促し、先に紹介したジェームス・パウエル・アンド・サンズ、ジョン・ウォルシュ・ウォルシュ、ジェームス・ディクソン・アンド・サンズなど多くの工芸家や、工房、事業家を生み出していった。その一つがリバティー商会である。1875年にアーサー・ラセンビー・リバティーによって設立され、モリスの製品も販売したが、自らの工房を持ちモリスのライバルでもあった。やがて他の作家や工房の製品も扱い、テキスタイル、ファッション、家具、金工、陶芸、グラス、グラフィック等、さまざまな制作と販売を手がけるようになった。展示されているアーチボルト・ノックスの銀、錫製品もリバティーを代表する製品である。ロンドンのリージェント・ストリートのニュー・ギャラリーの向かいにリバティー商会百貨店を開業し、現在の独特のハーフチェンバー洋式の建物は1924年に建てられた木造の歴史的建築である。まさにその建物に象徴されるように、店内を歩くとギシギシと床が軋む独特の雰囲気の百貨店はArts & Craftsのワンダーランドと言って良いだろう。またリバティー商会は日本や中国、インドなどアジアの美術、工芸品を輸入し、ジャポニズム、シノワズリ、オリエンタルのトレンドセッターとなっている。今でも日本人観光客に人気のリバティープリントが有名。



リバティープリント

ピューターとエナメルのティーセット(1900年ごろ)
アーチボルト・ノックス
リバティー商会の主要デザイナーの一人
銀製品よりも安価なピューター製品を得意とした


(4)ケルムスコット・プレス

モリスは1888年の第一回アーツ・アンド・クラフツ展覧会で、エメリー・ウォーカーの「文字の印刷」という講演を聞き、以前から装飾本やカリグラフィー制作に強い興味を持っていた彼は、大きな刺激を受けた。モリスの書籍制作の熱心な誘いにも関わらず彼女の協力は得られなかったものの、折々の指導を受けて、1891年に、モリスはハンマースミスの自宅ケルムスコット・ハウスにケルムスコット・プレスを設立。自ら印刷機を持ち込み出版事業を始めた。私家版印刷工房であり、まさに芸術作品、工芸品と言って良い美しい限定版の書籍を次々と生み出した。

彼は、理想の書籍として、次の三要素を重視した。

① 選び抜かれた活字しか用いない。このために自ら中世の書籍の活字に範をとり、ゴールデン活字、トロイ活字、チョーサー活字を生み出し、無駄のない簡素な活字体にこだわった。

② 美しい用紙、耐久性と見た目の質感を重視する。手漉き紙、リネン紙、どうさ紙(インクが滲まない紙)を選び、表紙にはヴェラム(羊皮紙)を使った

③ 版面レイアウトに拘る。中世の写本、印刷本の「余白の法則」を活かした字間、語間、行間を注意深く取り入れた。

こうして53点、67巻、1万8千部以上の本を出した。時々、美術館などで展示を目にすることもあるが、古書業界では稀覯書として、高値で取引されている。従来の古書の概念を超えた工芸作品としての価値が評価され、年々その人気がエスカレートしているようだ。今回展示されていたのは5点だが、まだまだ多くの彼の作品が古書市場に潜んでいるに違いない。ただ残念ながら庶民の手の届くところにはなさそうだ。


「ユートピア便り」(1892年)
22世紀のロンドンを旅するというファンタジー。モリスが描いた理想郷。15世紀イタリアの活字をもとにして生み出したゴールデン書体。挿絵はモリスの別荘ケルムスコット・マナー

「ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネットと抒情詩」(1893年)
ロゼッティの詩に大きな影響を受け、彼としばらく同居していた。


「サミュエル・テーラー・コールリッジ作品集から詩選集」(1896年)


「クースタンス王と異国の物語」(1894年)と「アミとアミーユの友情」(1894年)
ここに展示されていないがチョーサーの著作もある



千葉県立美術館とその周辺



県立美術館エントランス

千葉ポートタワー





(余談)
話は変わるが、ここ千葉みなと公園エリアに立つと、初めて来たのに不思議なデジャヴを感じる。いや、この景観、佇まいをどこかで見たことがある。そう。我が故郷、福岡の「シーサイドももち」である。福岡タワーがシンボルタワーとなったベイエリアの海浜公園、すぐ隣に福岡市立博物館などの文化施設とオフィスビル、マンション街。福岡ドームとホークスタウンを遠望する。千葉ポートタワー。県立美術館、市役所、千葉ロッテマリーンスタジオ遠望..... あれと生き写しだ。もちろん千葉市と福岡市はその成り立ちや、歴史、気候風土、立地も異なるが、このベイエリアだけは、びっくりするほどよく似ている。驚いた!一瞬福岡へワープしたかと思った。


福岡タワー