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1906年の日本アジア協会紀要第10巻補遺の表紙 |
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1906年リプリント書籍版の表紙 |
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Tattle版「古事記」1982年ペーパーバック初版 (表紙デザインと中身は関係ありません!) |
バジル・ホール・チェンバレンのThe Kojiki or "Record of Ancient Matters"は、世界で初めての「古事記」英訳として、1882年(明治15年)4月12日、5月10日、6月21日に日本アジア協会(Asiatic Society of Japan)で講義:read、発表され、翌年に出版された。本書は1906年(明治39年)2月に、同協会の紀要の第十巻補遺に再掲され、同時に同協会から書籍として刊行されたものである。チェンバレンが海軍お雇い外国教師の時代の著作である。革装、マーブルボードの美しい装丁である。また日本アジア協会紀要のオリジナルの表紙(1906年版)が挿入されるなど、おそらく所有者がリバインディング、再製本を手がけたもののようだ。かなりの部分がアンカットのままで、読まれた形跡がない。愛蔵版として所蔵されたのであろう。現在Tuttle社から出版されている1982年の英訳新版(ペーパーバック版)は、アストンの注釈、解説の1919年、1920年の再版が元になっている。出版社巻頭言によれば、1923年の関東大震災の時に1882年の原本と残部数の多くが消失したため、ウィリアム・アストンの手持ち書籍を元に復元再販したとある。しかし1906年版には言及されていない。書誌学的には不明な点があるが、チェンバレン、アストン存命、活躍中の出版で、最も古い版である点で貴重な書籍である。ちなみにわずかに現存する貴重なオリジナルの1882年版は東大図書館に収蔵されている。
チェンバレンの翻訳の特色
チェンバレンは、古事記を文学作品,あるいは神道の聖典としてではなく、日本、日本文化の源流を知る上での「古代の出来事:Ancient Matters」の「記録:Record」、すなわち文献史料として取り上げており、したがって客観的かつ正確に翻訳しようとした。彼は本書の巻頭言で、この古事記英訳の目的と方法論を明確に述べている。これがチェンバレンの「古事記」研究総論であると言って良い。その姿勢は文学者、言語学研究者というよりも、むしろ文献史学者的ですらある。したがって、物語や叙事詩のように読んでいて面白みがある訳ではない、ないしはあまりにも素朴な文体で表されているとして、後世の研究者,特に文学研究者から批判される所以である。もう一人の著名な日本研究者であるウィリアム・アストン(「日本書紀」の翻訳がある)は、チェンバレン訳に、注釈、補筆、修正を加え、よりわかりやすい解釈を加えている。またのちのドナルド・キーンなどの新訳ではそうした物語としての魅力が表現されるようになる。しかしチェンバレン自身は、そもそも古事記の表現に、文学作品のような文体の美しさがない。したがって素朴な響きを感じるのは元々そうだからだと言っている。彼の翻訳にはさまざまな議論があるが、日本古代史の画期となる最古の歴史書で神話の体系である「古事記」を英訳し西欧に伝えたことは、翻訳史上,学術的に画期的な成果であった。チェンバレンはまた、巻頭言でこの翻訳にあたって、その前提となる日本の古代思想や宗教、習俗、政治思想の起源、古伝説などについて解説している。中国文化と同一視しがちな西欧人向けに、日本古代文化は、中国から多くの思想、宗教、文化を入れているが、使われている文字(漢字)以外は、日本が受容し変容した独自の世界観が表現されていると評している。もっともそう説明しながらも、そこに表されている神話や世界観に、古代中国やギリシアなど西欧神話などとの共通性も指摘している(後述)。翻訳にあたっては、まず日本文化を深く理解するため古事記だけではなく、日本書紀、続日本紀等の史書や、そのほかの多くの古典にあたり、万葉集、古今和歌集、和名類聚抄など、48種の古書籍を参考にしている(巻頭言の最後に参照文献リストが掲載されている)。古事記注釈書である本居宣長の「古事記伝」をしばしば引用、言及している。またチェンバレンは本文中で、訳文に細かく注釈をつけて、登場する神々の名前、天皇の系譜と事績、日本古語の意味、そのように解釈した理由、その背景などを逐語的に解説している(したがって本文よりも注釈に多くの紙幅を費やしている)。また追補で本文中の和歌のローマ字表記、歴代天皇の系譜を紹介し、索引は46ページにわたるものである。これが人名辞書、地名辞書の役割を果たしてくれており、外国人が日本の古代文化、日本を学ぶ上で役に立つ、一種の注釈書,コンメンタールとなっている。こうした本書の構成を見ても、この翻訳作業が、極めて学術的、まさに書斎学派的な営みであったことがわかる。
比較神話学の視点
古事記の英訳紹介は、比較神話学的な観点からもヨーロッパで大きな反響を呼んだ。古事記が日本の神話体系、宗教的伝統のルーツとなっている点を紹介した。ただ、チェンバレンは古事記の神話体系は、日本独自に創造されたのものではなく、混沌/カオスから天地が生まれる点、人間的な多くの神々の登場など、例えばギリシア神話との共通点も多いと指摘。また古事記に描かれた神話と神代と区分なく人代の王権(天皇)の歴史(皇祖神の存在とその子孫による、万世一系の天皇系譜など)を語るストーリー展開も、これは何も日本だけが誇る独自の世界観ではない。王権の統治権威が、神に由来する天から与えられたものである。こうした説、理論は西欧(”devine right of Kings”)にも中国(天帝思想、易姓革命)にも認められる。またそのストーリーが一貫せず矛盾に満ち満ちた筋立てであるのは、太平洋諸島、中国などの大陸諸国に伝承された神話の数々を8世紀の編纂当時に取り入れた結果であり、必ずしも日本独自の神話だけで統一性を確保できているわけではないからであると分析している。戦後になって皇国史観への批判、古事記/日本書紀の批判的研究が解禁になってもたらされた研究成果の先駆けとなる分析、考察であろう。また各国に伝わる神話が世界的に類似したエピソードを共有していることや、それらが地域を超えて交流していたことは最新の神話学、民俗学的研究でも証明されてきている。これまでギリシア神話やキリスト教創世神話、北欧神話中心の比較神話学に一石を投じた影響は大きい。また神道という日本古来の宗教的伝統の存在とそのルーツを西欧に紹介した意義も評価されるべきものだろう。
チェンバレンの日本観と背景
チェンバレンの日本観はよくラフカディオ・ハーンのそれと比較される。二人はともにジャパノロジストとしては著名で一流の評価があり、ともに親交があり、その記録として「書簡集」が残っている。しかし、日本への向き合い方には違いがあり、それが激しい論争にも発展する。ハーンがジャーナリスト、文学者の視点に立ち、人々との接点を重視するフィールドワークの民俗学的、実証主義的であったのに対し、チェンバレンは学者の視点、すなわち書籍を通じた研究者の視点、研究アプローチ(いわゆる「書斎学派」)をとる。そこには西欧文明と対比する比較研究的(comparative study)な姿勢が根底にある。チェンバレンはマルチリンガルでコスモポリタンであるが、基本的にはアングロサクソンの視点に立脚し、ラテン言語圏の文学作品からスタートする。ギリシア哲学、キリスト教を底流とした西欧文明。これに対比される「異教徒の文明」という東洋観、日本観になっている。この頃の来日外国人の中にあった、「文明開花」とは「キリスト教文明化することである」という暗黙理解が底流に潜んでいたが、チェンバレンもその一人であったと言える。この点はハーンが、キリスト教世界観と西欧的価値観への懐疑に立脚して、むしろケルト的、多民族主義的視点で日本に接していたのとは大きく異なる。ハーンは、日本の文明を独自のものと捉え、むしろ共感する(Japan sympathy)立場に立ったといえる。
チェンバレンは「日本事物誌:The Things Japan」の中でも、ヨーロッパ人の日本への理解の浅さと、西欧中心的な価値観に基づいた一方的観察、あるいはエキゾチシズムから来るロマン主義に警鐘を鳴らしている。しかし一方で、日本の文学についてこう述べている「日本文学は、その文学性において、英文学の詩歌と比べ劣るものである」「古典作品においても、想像的才能、思想、論理的な把握力、深さ、幅、多面性に欠けている」「総じて狭小で偉大ではない」と。たとえば「古事記」の世界観においても、ギリシア神話の神々は世界を見渡しているのに対し、古事記の神々は日本の支配者のルーツとその統治正当性しか語っていない。このチェンバレンの日本の文学への評価を、ハーンは西欧文明とは異なる日本独自の文明に根ざした文学の基層を理解しない言説であるとして異を唱えている。そしてその背景には、日本の文学作品はキリスト教世界観、思想に裏打ちされておらず、所詮は「異教徒」の文化の限界がそこにある、という理解があると批判している。また神話の共通性についても、ハーンはギリシア神話やキリスト教創世神話に基づく世界観を前提とした理解であり、それ以外の文明を十把一絡げにして論じていて、その多様性、独自性を見ていないと批判している。チェンバレンがヨーロッパ人読者に「無理解による誤解」や「ロマン」を戒めていることを考えると皮肉に見える。おそらくチェンバレンのこのアプローチと視点は、短期間に西欧文明を取り入れて消化したと称する明治期日本人の高揚感への皮肉と、一方でも選民意識のよって立つ「皇国史観」への盲信に警鐘を鳴らし、西欧文明(キリスト教とギリシャ/ラテン文明の上に成り立つ)の範を示すべき西欧人としての反応、そして反論であったのかもしれない(アーネスト・サトウの日本観にも共通するものが散見される)。過去のブログ:古書を巡る旅(12)Things Japanese:「日本事物誌」チェンバレン
「古事記」に出てくる固有名詞の英訳例
天照大御神:the Heaven-Shining-Great-August-Deity
伊邪那岐神:the Deity of the Male-Who-Invites
伊邪那美神:the Deity of Female-Who-Invites
大国主命:the Deity Master of the Great Land
高天原:the Plain of High-Heaven
葦原中国:the Land of the Middle of the Reed-Plains
根之堅洲国:Distant Land(本居宣長の解釈は翻訳不能としている)
「神」を「god/goddess」ではなく「deity」と訳している。これはキリスト教でいう「god」とは異なる「神」であることを意味しているほか、「神性;divine nature of gods」を表す言葉として使われる。ギリシア神話のゼウス、アポロンなどの不死身の人格神に近いが、古事記の人格神には人と同じ寿命があるので同じではない。悩ましいところだ。変体漢文の文字を逐語的に英訳しているので、英語として理解しにくい訳であるが、むしろこれらの名前の由来を知っている日本人には「神性」を持った「人格神」の英語名として理解しやすいかもしれない。いわば意訳を極力廃し直訳を用いたので、逐語的な注釈が必要だった。地名についても同様で、「天空に広がる平原」「地上に広がる葦の平原」「木の根っこの国(地中の国)」と直訳しているので、神の存在と「天国:Heaven」と「地獄:Hell」の観念が掴みにくいだろう。このように英語読者にとってはそれぞれの言葉が解説を必要とする上に、全体のストーリーとしては想像力を掻き立てる物語というよりは、客観的、具体的、硬い論文を読むようで面白みに欠けるのであろう。確かに学術的史料解析に徹していて古代史や神話のロマンは感じにくい。チェンバレンの英訳「古事記」の再和訳が出ると面白いと思う。チェンバレン「古事記」の研究者も結構いるはずだが、むしろ翻訳論的研究が主流なのだろうか。ウェイリーの英訳「源氏物語」再和訳と比べ、出版としては売れないだろう。これは余計なことだが。ドナルド・キーンの「日本文学史」で取り上げられている「古事記」解説が役にたつ。
参考: AIはチェンバレンの英訳をどのように評価するか?
質問「バジル・ホール・チェンバレンの「古事記」英訳の評価と意義について」
今回初めてGoogle GeminiとChatGPTを使ってみた。結果はよくまとまっている。が、いずれも可もなく不可もない回答。質問が一般的なのでこうなるのだろう。もう少しキーワードを挙げれば詳細かつより多くの回答が得られるのだろう。更問いでアストンを入れてみた結果が二番目。驚き、感動はない優等生的な回答。学生の論文:thesisとしても「可」がいいとこか。
Google Gemini:
1)バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain、1850–1935)による**『古事記』の英訳**(1882年刊行)は、近代初期に日本の古典文学を英語圏に本格的に紹介した、非常に重要な業績です。その評価と意義について整理します。
評価
先駆的翻訳
チェンバレンの『古事記』英訳(The Kojiki: Records of Ancient Matters)は、欧米で初めて古事記を体系的に紹介したもので、翻訳史上きわめて画期的でした。
彼の翻訳は、日本語原文への忠実さを重視しつつも、英語話者が理解しやすい形でまとめられています。当時の水準としては非常に学術的かつ高品質なものでした。
学術的正確さ
チェンバレンは原文の微細なニュアンスや神話体系をできるだけ丁寧に説明しようと努めました。脚注や補足解説も豊富で、単なる翻訳にとどまらず、日本神話の背景知識までカバーしています。
限界も指摘される
ただし、当時の日本学(Japanology)の限界もあり、誤訳や文化的誤解が一部存在するのも事実です。
さらに、彼は古事記を**「文学作品」というより「資料集」**として扱う傾向があり、物語性を重視した現代的な翻訳とはやや異なります。
意義
西洋への日本神話紹介
西洋社会にとって、日本の神話世界はきわめて未知の領域でした。チェンバレンの翻訳を通じて、欧米の学者や知識層は初めて、日本の神話・古代史に本格的に触れることができました。
これは、日本文化への関心(特に明治期以降の「ジャポニスム」現象)をさらに後押ししました。
比較神話学への貢献
同時代のヨーロッパでは、比較神話学(インド=ヨーロッパ神話などの研究)が盛んでした。チェンバレンの翻訳は、日本神話を比較神話学の枠組みで分析するための重要な素材となりました。
日本学の発展への基礎
チェンバレンは日本文化・言語の研究者としても知られ、彼の業績は後の日本学(特に神道・古代文学分野)の発展に大きな影響を与えました。
まとめ
チェンバレンの『古事記』英訳は、
▶ 「日本古典の国際的紹介の礎」
▶ 「比較神話学・文化研究の素材提供」
▶ 「近代日本学の出発点のひとつ」
と位置づけられます。学術的な限界を抱えつつも、その意義は今日でも非常に高く評価されています。
2)チェンバレンの古事記英訳の評価とアストンの役割
ChatGPT:
バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850–1935)は、明治期日本に滞在し、日本研究に大きな貢献をしたイギリス人学者です。彼の『古事記』英訳(1882年刊行)は、最初期にして最も影響力のある英訳のひとつとされています。その評価と意義について、主な点をまとめます。
評価
画期的な初訳
チェンバレンによる『古事記』英訳(The Kojiki: Records of Ancient Matters)は、西洋世界にとって『古事記』を知る初めての本格的な機会を提供しました。
当時、まだ近代的な日本学(Japanology)は発展途上であり、彼の翻訳は日本神話・古代史を英語圏に紹介する重要な役割を果たしました。
正確性と注釈の丁寧さ
チェンバレンは、ただ訳すだけでなく、数多くの注釈を付し、日本語原文の難解な表現や神話的背景、文化的文脈を解説しました。
そのため、単なる翻訳にとどまらず、学術的なリファレンスとしても高い評価を受けています。
限界も指摘される
当時の言語学的・神話学的知識の限界から、現代の日本古典学や比較神話学の観点から見ると、訳語や解釈にやや時代的な偏りや誤読もあります。
特に、神々の名前や儀礼の描写において、現在では異なる解釈が主流になっている箇所もあります。
意義
日本文化・宗教への関心を喚起
チェンバレンの訳によって、西洋の学者や読者たちは、日本独自の神話体系や**宗教的伝統(神道)**に初めて体系的に触れることができました。
特に「天地開闢(てんちかいびゃく)」や「イザナギ・イザナミの国生み神話」などは、以後の日本イメージ形成に大きな影響を与えました。
比較神話学・東洋学への影響
世界神話研究の中に日本神話を位置づけるための基礎資料として、チェンバレン訳は大いに役立ちました。
たとえば、北欧神話やギリシア神話と比較して、日本の神話の特色(生成過程、性別観、自然観)を論じるための材料となりました。
後続の翻訳・研究への橋渡し
チェンバレン訳を踏まえ、後の研究者たち(例:ドナルド・キーン、ウィリアム・アストンなど)が、さらに緻密で洗練された日本古典の紹介を進めました。
チェンバレン自身が『日本事物誌』(Things Japanese)や『日本語文典』(A Handbook of Colloquial Japanese)なども執筆しており、彼の『古事記』翻訳はその広範な日本研究活動の一部と位置づけられます。
まとめ
バジル・ホール・チェンバレンの『古事記』英訳は、「学術的先駆性」と「日本文化の国際的紹介」という二重の意義を持っています。完全な訳とは言えない部分もあるものの、その影響力と歴史的重要性は今なお大きいものがあります。