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2025年5月3日土曜日

今日は「憲法記念日」〜「天気晴朗なれど波高し」〜

 

仏塔と梵字と鳥居
日本は海外からの文化を受容し日本的に変容させ習合してきた国だ
これまでもこれからも


今日は憲法記念日だ。大型連休後半でお天気も良いので行楽日和だ。なぜ今日が休日なのかは誰も気にしないが連休なのでどこかへ行きたいとソワソワしている人が多い。かといって円安、インフレ、賃金安なので海外旅行での出国は少なく、観光客と言えばインバウンドばかり。日本人は近場でという過ごし方が多いようだ。今年の憲法記念日は、皮肉にも戦後日本に「民主的憲法」を教えたアメリカの民主主義が激震の真只中という、まさに記念すべき日になった。連休ボケ、平和ボケの頭を引っ叩いて、民主主義の将来と日本の将来を考えてみたい。

今のアメリカを見ていると、基本的人権尊重、三権分立、法の支配、民主主義政治、思想信条の自由、言論の自由、学問の自由、平和と平等主義。そして多国間主義、自由貿易体制という人類が長い戦いの歴史の中で勝ち取ってきた理念や価値観がどれも危機に瀕している状況だ。まるで17〜18世紀の絶対専制君主の時代に戻ろうとするが如き「歴史的反動」の嵐が吹き荒んでいる。「ホワイトハウス宮殿」の「アメリカ帝国皇帝陛下」は議会も司法も無視して支離滅裂な命令を出し続けている。こういう「反動」的動きは思った以上に一気に来るものだと改めて知らされる気がする。築き上げるのは長い年月がかかるが壊れるのは早い。そして意外にも抵抗勢力が沈黙している。議会にも司法にもエドワード・コークは現れない。おそらくこれは今の大統領が替われば元に戻るなどと言う単純なことではなさそうだ。恐ろしいことだ。

17世紀イングランドで、主席裁判官であったエドワード・コークはコモンローの優位、法の支配、司法の優位、議会の優位を説いて王権神授説を唱える絶対君主ジェームス1世と対立し、弾圧にもめげず闘った。13世紀の「マグナカルタ(大憲章)」に始まる議会と専制的な王権の戦いは、コークの「権利の請願」、清教徒革命での国王処刑、クロムウェルの共和政、そして王政復古。そして名誉革命で「権利章典」へと発展し、18世紀には議会と議院責任内閣による「君臨すれども統治せず」の立憲君主制が確立した。またジョン・ロックは「市民政府論」で、国民主権と国民の抵抗権を説いた。これはフランスのルソーの人民主権と革命権やモンテスキューの三権分立論に影響を与え、やがてはフランス革命による絶対王権打倒、共和政に繋がり、アメリカ植民地ではイギリスからの独立戦争、ジェファーソンやフランクリンの独立宣言の思想的バックボーンとなった。こうした流れがが現代の民主主義、自由主義、法の支配を標榜する憲法の歴史の基底をなしている。

一方で、18世紀のアダム・スミスの自由主義経済(「神の見えざる手」)、資本主義経済、自由貿易が、それまでの国王が一方的に定める関税で保護された重商主義的貿易体制を壊し、都市資本家の経済活動の活性化で海外進出を果たしヨーロッパの経済発展を進めた。さらにニュートンによる科学技術発展は、科学万能、合理主義の時代を到来させ、産業革命の原動力となった。こうして都市のジェントリー、ブルジョワジーによる産業資本、自由貿易の仕組みと植民地主義が組み合わさって帝国主義的世界競争の時代に向かい、覇権国とそのほかの未開発国(旧文明国)と言う格差が生まれた。

アメリカはそうした絶対君主制、植民地主義に抵抗して建国した国家であった。信教の自由を求めてピルグリムファーザーズがメイフラワー号で移民した新天地であった。そのはずだった。しかし建国250年を迎える今、アメリカはそんな初志を忘れてしまったようだ。信教の自由、思想信条、言論の自由、学問の自由を高らかに宣言し実践したのではなかったか。大量の移民を受け入れ、労働力の確保と生産性向上、多様で自由闊達な議論による知恵の創出と、フロンティアスピリットで国を発展させたのではなかったのか。奴隷制を廃止し公民権法を制定し自由と平等の国を目指したのではないのか。アメリカはそうした人類の自由と民主主義の専制主義への戦いの歴史のながで生まれた自由の申し子であるはずだ。イギリスの植民地を基盤とした帝国主義的な貿易体制を批判し自由主義的な経済システム、金融システムを主導したのは新興国アメリカであった。そのアメリカが、アジアでは植民地支配競争に血道をあげるヨーロッパ列強に先駆けて、鎖国日本を開国し、近代化を助け、日本の世界に引っ張り出した。そして帝国主義、ファシズムに走った軍国日本を徹底的に壊滅させ、戦後の経済復興と民主化を助け、アジアにおける自由主義陣営の主要な同盟国にした。冷戦下ではそうした自由主義的価値観、民主主義を守る戦いの先頭に立って、共産主義や全体主義と戦い勝利したのではなかったか。そうしたアメリカを取り巻く自由主義同盟国アライアンスができた。にもかかわらず今、ロシアや中国、北朝鮮の専制主義、全体主義陣営に、そのアメリカさえもが参加しようとしている。あの尊敬し憧れるアメリカはどうなってしまったのか。悲しい。あれは我々の祖先、祖父母がやったことで我々ではないと。まるで別人のような顔をして17〜18世紀の専制君主主義、保護主義の時代に、そして20世紀の全体主義時代に戻ろうとしている。なあんだ、アメリカ人は結局、旧世界の「王様」に憧れていたのか!ファシズムの独裁者を熱望しているのか!そんな人物を選挙で選ぶ国になってしまったのか。自由と民主主義を守る同盟国を裏切り、全体主義・専制主義国を利する国になろうとしている。しかもその「王様」の言動は朝令暮改、支離滅裂だ。もう正義の味方、良い子でいることに疲れたのか?大国の責任を果たさぬまま自宅に引き篭もろうと言うことか。それが引き起こす混乱はとてつもなく大きい。

さて、そんな今年の「憲法記念日」だ。歴史教師はこう言うだろう。「マッカーサー君、日本国憲法を起草したのは君だろう!日本人が書けない理想的な自由・民主・平和憲法。アメリカは最後までその責任を果たせよ。」日本では戦後ずっと今の憲法はアメリカから押し付けられた憲法だ。だから「自主憲法」を制定しなければならない。そう言ってきた。もっともこれは戦後保守政治勢力の共通スローガンであった。いっぽうで、民主的な憲法を自分で起案できない保守政治がそれを言う資格はない、というのが革新勢力の共通理解であった。「保守勢力は改憲」「革新勢力が護憲」という奇妙な対立関係が戦後長く続いてきた。憲法改正論議は今も続いていつ終わるともしれないし、そもそも何を改正するのか論点すら見えない。改憲することに意義があるという訳か。そんなことで時間ばかりが経過するうちに「押し付けた」アメリカはいまやリベラルで民主的な価値観から遠ざかり、その主導者、守護者の立場から降りようとしている。そして自由主義陣営の正義を守る「世界の警察」の役割も返上しようとしている。憲法九条も非核三原則もアメリカの安全保障の下での話であって、「お前らに搾取されてきた」などと同盟国に捨て台詞はきながら店仕舞いし、自宅に引き篭もろうとしているアメリカの後ろ姿を目の前にすると、これが現実的なものなのか心許ない。今こそ真剣に自国の民主主義と安全保障を考えなくてはならない。憲法改正で問題が解決するのか。戦争も放棄したかもしれないが、強かな外交もインテリジェンスも培われてこなかった。戦後冷戦構造の時代は終わり、アメリカ一極の時代も終わり、専制主義的国家を牽制するパワーバランスが壊れるG-0の時代を迎えている。世界は危険な状態に入った。

今の「王様」がいなくなってもアメリカの凋落は避けられないだろう。パクスアメリカーナは終わりを迎える。日本はこれからどうする。アメリカベッタリはもはやありえぬ。かといって背後には中国やロシアという(民主主義など意に介しない)専制国家が控えている。『前門の虎,後門の狼」だ。気が付けば少子高齢化が急速に進み人口減少、経済規模が縮小し、かつての世界第2位の経済大国もGDPで中国、ドイツに抜かれて第4位に。やがてインドやイギリスやインドネシアに抜かれて7位に転落しそうな勢いだ。軍事大国ではないし、もはや経済大国でもなくなりつつある日本。国家としての国際的な発言力、影響力の低下も避けられない。歴史を振り返れば、日本はどこともベッタリせず独自の道を歩んできた。「中国ベッタリ」(朝貢冊封体制)からは8世紀には脱した。「アメリカベッタリ」は20世紀後半のことだ。これも(否応無しに)脱する時期が来た。国家レベルの外交関係とは別に民間レベルでの近所付き合いはこれからますます重要になる。これからはアジアの国々やヨーロッパ、アフリカの国々、中南米の国々ともうまくやって行けるだろう。「アメリカか中国か」という二択の罠に陥らないよう第三、第四の選択肢を用意しておくことだ。民主主義、法の支配、自由貿易という普遍的価値観を共有する仲間作りを主導するのは日本の役割だ。だからといって中国やアメリカと仲違いするというわけはない。多くの友人や仲間、家族がいる国だ。大国の狭間で生きる国の運命だが、別に鎖国する必要はないが、大国のせめぎあいから距離を置く。争いに関わらない。どっちつかずでぬらぬらする。それは勇ましいことでもカッコイイことでもないだろうが、したたかにその狭間で生きてゆくのだ。

2025年5月1日木曜日

五島美術館探訪 〜崖の上の邸宅、庭園、茶室〜

 

古老門


五島美術館は、東急電鉄、東急グループの創設者、五島慶太翁(1882−1959)が建てた上野毛の邸宅跡を活かした美術館である。翁が戦前から戦後にかけて収集した日本と東洋の古美術をもとに構成されており、収蔵品総数は国宝5点、重要文化財50点を含む約5000点にのぼると言う。また敷地内には大東急記念文庫もある。この上野毛一帯は広大な敷地を有する豪邸が多く、この美術館もその一角をなす。敷地は6000坪である。美術館の建物は吉田五十八の設計で、寝殿作りの要素を現代建築に取り入れたもの。常設展はなく、すべてが企画展だそうだ。当日は「春の優品展」THE BESTと銘打って五島翁の銘品コレクションを一堂に展示した豪華な展示であった。中でも国宝「源氏物語絵巻」同じく国宝「紫式部日記絵巻」の写本は圧巻である。飛び石連休期間の谷間の平日であったが、お天気も良く行楽日和の一日。多くの鑑賞者で賑わっていた。やはり中高年が多かったが。

ここは多摩川が武蔵野台地を侵食してできた断崖の上に位置する。この武蔵野の面影が残る自然環境をそのまま生かし、そこに邸宅、庭園が築かれている。庭園には「古経楼」「富士見亭」の二つの茶室がある。回遊式の庭には、二つの池、大日如来など石仏、石塔、石灯籠や門が配されている。ただこれを見て回るのは結構体力を要す。断崖の庭園というだけあって高低差が35mというちょっとした低山ハイキングばりの健脚コースだ。散策は高齢者が多いことにも配慮して、階段には手すりが設けられ、遊歩道に敷石を引き詰めれれている。また本館のある台地上まで戻らなくても、一番下まで降りると、そのまま二子玉川駅へ抜けれる出口が設けられている。五島慶太翁はここで足腰を鍛えていたのであろうか。桜の古木が有名だそうだが、その季節は過ぎ、ツツジも終わりでショウブの季節の始まりである。新緑が眩い庭園をゆっくりと散策する。見晴台からは富士山も展望できるという。この日は見えなかった。都会にいてちょっとしてトレッキング気分である。

自然の武蔵野崖線と武蔵野の雑木林をそのまま生かした庭園は、まさに18世紀イングランドの美学者ウィリアム・ギルピン、ユヴデール・プライスの風景論、庭園論に現れる「崇高」と「美」、そして「ピクチャレスク」の世界である。人工物である茶室や石塔なども、経年変化による自然との融合が具合よく進み、良い佇まいである。時間の経過による自然と人工の曖昧さ。詫び、寂び、美しい古び。それが人口稠密で極度に近代合理主義的、資本主義的論理で再開発されたメトロポリス、東京に古い日本の痕跡のように残されている。こうした日本庭園の美的感覚はプライス、ギルピンにとって共感するものが大いにあるだろうが、この21世紀の東京の景観をどのように評するのか、その評価を聞いてみたいものだ。果たして「ピクチャレスク!」と叫ぶだろうか。




美術館玄関

吉田五十八設計の本館



この界隈には広大な敷地を有する邸宅が


天佑庵門

茶室「古経楼」

茶室「富士見亭」



藤の季節は終わっている


赤門










(撮影機材:Nikon Z8 + Nikkor Z 24-120/4 展示室内は撮影禁止)

2025年4月26日土曜日

荏原・畠山美術館リニューアルオープン 〜「花ひらく茶と庭園文化展」と新緑美しい庭園・茶室を鑑賞〜

 


リニューアルオープンの荏原畠山美術館(旧畠山記念館)再訪。2019年3月以来しばらく休館していたが、改装工事とともに3階建ての新館が増設され展示スペースが広がった。2024年10月5日新たに「荏原畠山美術館」としてオープンした。私にとっては8年ぶりの再訪である。本館はほぼ元のままだが、そういえば以前は靴を脱いで入館したが、今回は「土足」のままで良い!これは大きな変化だ。折しも新緑が美しい季節。エントランスからのアプローチ、庭園、茶室もその新緑に映えて相変わらず美しく心癒される空間だ。そういえば前回は紅葉の季節に訪問した。8年前の「畠山記念館」時代の訪問記はこちら。2017年11月21日「畠山記念館探訪」

今回は「花ひらく茶と庭園文化」と銘打って、松平不昧(治郷)公(1751〜1818)の茶湯文化の足跡と、茶道具コレクション「雲州蔵帳」、名器油屋肩衡と大師会茶会、彼が開いた名園「大崎茶苑」を偲ぶ豪華な企画展示であった。品川区北品川(大崎御殿山)にあった出雲松江藩の下屋敷。ここは不昧公が隠居後に、二万坪の敷地に11もの茶室を設け、いわば一大「茶の湯テーマパーク」ともいうべき「大崎茶苑」を築いた場所であった。領国の松江にも数多くの名茶室、庭園を設け、高価な茶器を買い入れ、さらに銘菓の開発にも力を入れて不昧流の名を欲しいままにした。財政的に苦しかった松江藩は不昧公の茶の湯三昧で一時破綻に瀕したが、家老や、後継の藩主によって財政再建され藩は存続した。松江では、今でも不昧公は「道楽三昧の暗君」としてではなく、茶道不昧流の開祖にして「文化人」として敬愛されている。もちろん畠山則翁の不昧好みへの思い入れも、「雲州蔵帳」のコレクションの多くを所有していることからもわかる。今回の展示にも所蔵品が一堂に会しその熱意が表れている。松江藩江戸藩邸下屋敷。今はその不昧公「夢の跡」の痕跡も残っていないが、往時を偲ぶ資料が松江歴史館と国会図書館に残されており、今回それらが展示されている。品川、御殿山界隈には維新まで薩摩や土佐、筑後久留米などの大大名の下屋敷があり、出雲松江藩の下屋敷もその一角にあった。しかし黒船騒動による品川台場造成の土取りで、御殿山が切り崩され、また明治の鉄道開通でさらに開鑿され、かつての桜の名所として親しまれた風光明媚な御殿山はズタズタになり、別天地の風情は失われた。そして維新に伴い大名屋敷も無くなったが、明治になると益田鈍翁、原三溪などの財界人にして茶人、近代数寄者がこの地に邸宅を構えた。則翁の邸宅(現美術館)は少し離れた島津山にあるが、この界隈に不昧公の夢の跡があったとは。新しい発見である。何か土地の記憶と空気が、時空を超えて茶人、数寄者を呼びよせるのであろうか。そんなことを考えさせる展示であった。

展示室内部は一切撮影禁止で、畠山即翁や不昧公の茶道具、書画などのお宝をここで紹介することはできないが、新緑が眩しい庭園と茶室は撮影可。この美術館の特色の一つは、7点の国宝を含む充実の収蔵品のほかにも、その立地、佇まい。特に庭園と茶室の配置の美しさにある。日本庭園は自然を重視し、岩や植栽で山や谷、森、清流などを表現する、いわゆる「見立て」が用いられていて美しい。また茶室という木造の「人工物」が経年劣化による美的佇まいを自然の庭園の中に醸し出す姿は、18世紀イギリスで起こったエドモンド・バーク、ウィリアム・ギルピン、ユヴデール・プライスなどの風景論、庭園論で展開された美学論争、「崇高」と「美」、そして「ピクチャレスク」に通じるものを感じ取ることができる。イギリスと日本の美意識は似ている、などと短絡的な議論をするつもりはないが、洋の東西を問わない共通美意識があることに気づくことは嬉しい。ことさら違いを強調して、二項対立を煽る風潮を毎日見せつけられていると、多様な価値観や意識をお互いに尊重し、その中に共感が生まれ、違いを超えた普遍性をそこに意識することがいかに心地よいか。お互いのレスペクトはそこから生まれる。

以前と比べると、今回は外国からの訪問者が多かった。熱心に茶道具や書画、そして庭園や茶室を鑑賞している。こうした美への共感、普遍的価値観を共有する世界の仲間が増える。これも嬉しい。この美術館の再開を心から喜びたい。まさにこれからの日本は、明治以来の「富国強兵」「殖産興業」による「一等国」を目指した時代、そして戦後の「経済大国」、バブル崩壊の時代を卒業して、岡倉天心のいう「茶湯の精神」が評価される「文化一等国」日本に脱皮して欲しいものだ。

荏原畠山美術館HP:https://www.hatakeyama-museum.org/


(参考)

18世紀イギリスのギルピン、プライスの風景論、「崇高」「美」「ピクチャレスク」論とそれに伴う庭園論と、日本の庭園思想との共通点を求めるならば次のような点が見出される。

ギルピン、プライスの美的感覚日本文化における共鳴
経年劣化の美                  侘び・寂び、美しい古び
不規則さの価値   枯山水、借景庭園
人工と自然の曖昧さ   庭園における見立てや抽象化

特に、自然に人工物を配する中に「時間の経過が美を深める」という感覚は、日本の美意識と非常に相性が良い。西洋人の日本庭園理解や茶の湯文化への評価に結びつくと感じる。その一方で、日本人の英国式庭園の美意識理解と評価につながっているとも感じる。

参考文献: English Landscaping and Literature 1660-1840 ' by Edward Malins, Oxford University Press, 1966




門から本館へのアプローチ

本館入り口




茶室

新たなしつらえの庭園

石を引き詰め、水の流れに見立てる


館内唯一の写真

「ピクチャレスク」


(撮影機材:FUJIFILM GFX 100RF Fujinon 35mm/4)


2025年4月22日火曜日

新緑の日比谷公園はフジ、ツツジ、ハナミズキ、ネモフィラが主役に 〜FUJIFILM GFX 100RFデビュー(1)〜

東京は桜が散りゆき、新緑が眩い季節になった。桜の喧騒が一段落するこの季節が好きだ。日比谷公園は藤が満開。池畔とテニスコートの藤棚が綺麗だ。ツツジも見頃である。アメリカから贈られたハナミズキも盛りだ。ネモフィラ、チューリップは早くも終わりを迎えているようだ。ところで公園には見慣れないオブジェがところどころ配置されている。これは「Hibiya Art Park 2025」というイベントの展示物だそうだ。第一期(4月25日〜5月11日)の開始に向けて準備中。鶴の噴水の周りに。何やら金属のオブジェが設られている。心の字池には「青い手」が出現!どんな展示会になるのだろう。日比谷公園も次々と改装工事が進み、お馴染みの大噴水も工事中で仮囲いで見ることができない。芝生の広場はイベントスペースとして使う予定とか。アートとかイベントとか都会のオアシスとしての性格も変わってゆく。

この度ゲットしたFUJIFILM GFX 100RFを早速持ち出して、日比谷公園の新緑の季節を切り取ってみた。ラージフォーマットの圧倒的な解像度と豊かな階調。さすがだ。ファイルが重いのでポスプロ処理速度が遅いのと、ブログやSNSへのアップにも制限があることが悩みだが。それ以外は大満足だ。






「青い手」いやタイトルは「しあわせな手」だそう

何やら準備中

















(撮影機材:FUJIFILM GFX100RF RAWで撮影 LRで現像)