2026年1月22日木曜日

古書を巡る旅(74)Democracy In America:トクヴィル『アメリカのデモクラシー』 〜今のアメリカを見通していた?〜




1966年英訳版表紙


Alexis-Charles-Henri Clerel, comte de Tocqueville (1805~1859)



トクヴィル『アメリカのデモクラシー』:

アレクシ・ド・トクヴィル:Alexis-Charles-Henri Clerel, comte de Tocqueville (1805~1859)は、19世紀フランスを代表する政治思想家、政治家、法律家。立法、行政、司法全てに携わった経験を持つ。貴族であるが民主主義者。彼の『アメリカのデモクラシー』: De la democratie en Amerique を今回は取り上げたい。フランス革命後の、ナポレオン帝政、共和政というフランスの混乱状態の中でアメリカ合衆国を訪問。9ヶ月にわたってアメリカの民主主義を見聞し論じた、いわば「民主主義共和国論」である。アメリカ独立宣言(1776年)から60年後、フランス革命勃発(1789年)から40年後に発表され、1835年に第1巻(概論:「なぜ共和政の議会制民主主義がアメリカではうまくいっているのか」)が、1840年には第2巻(分析:「アメリカの民主主義に潜む問題について」)が刊行された。母国フランス人に向けて書いた著作だが、たちまちHenry Reeveによる英訳が出版され、むしろアメリカ人に愛読され、長く政治学、社会学、歴史学の古典として親しまれた。本書は、その後の研究成果を反映した1966年の新英訳版(J .P.Mayer, Max Lerner編集)である。日本における受容も早く、福沢諭吉が「西洋事情」で、ミル、ギゾーとともに取り上げている。日本語訳も多く刊行されており、岩波文庫版『アメリカのデモクラシー』松本礼二訳がある。我々の学生時代には、政治学、社会学、歴史学の必読古典書とされ、指導教官から与えられたリーディングリストには必ず登場した。今アメリカで、世界で起きている民主主義の危機を目の当たりにして、再びこのトクヴィルの著作が脚光を浴びているが、すでに19世紀に、民主主義、とりわけアメリカにおける民主主義に内在するいくつかの危険な兆候が指摘されていることに改めて気づく。パクスアメリカーナに酔いしれる中で、これまで何となく看過されてきたこれらの兆候が顕在化している今、本書を読み直す意義を強く感じる。本書は大部にして多様なトピックスの詳細な分析であり、また独特の文章は読むのに苦労するが、主要な論点を要約してみたい。


トクヴィルの論点:

(1)アメリカ民主主義の特色と優位点:

・ヨーロッパの宗教的、政治的、経済的しがらみから抜け出たアングロ・アメリカン(イギリス人移民)が作った合衆国憲法とその共和国である。

・自由と平等による民主主義の共和国である。

・貴族などの知的階層なしで行われる議会制民主政治である。フランスの議会は、「知的階級(貴族、聖職者)」と「無知な平民」という構造(身分制三部会のような)とみなされていることへのアンチテーゼと捉える。

・タウンシップ(全員参加型)という自治体が国家構造の基礎となっており、その上に郡(county)、州(state)、連邦政府(federal government)がある。連邦政府は外交と軍事のみ。

・裁判は陪審員制で市民参加。ただ法曹がエリート化する。

・身分制のない「平等」が市民の政治参加、社会参加、経済活動参加を促し、それが民主主義を支える「民」を鍛えた。

・政党、結社の自由。自主的に様々な政治・社会活動に参加できる

・政教分離。宗教が民主主義を支持し、抵抗勢力にならない(フランスとの相違点)

・広大な未開拓の大地が、移民に平等な自己実現機会を提供した。いわゆるアメリカンドリーム、西部開拓による新たな富の創造。

(2)アメリカ民主主義が内包する問題点:

・ソフトな専制主義 (Soft Despotism):気づかないうちに民主主義が専制主義に移行してゆく恐れがある。

・多数決という専制主義(Tyranny of the Majority):民主主義の基本とされる意思決定方法が独裁を産む危険性がある。多数派の横暴である。

・思想の独裁:知的自由の欠如(多数に迎合する。少数の排除、迫害)あるいは「世論による専制政治」に陥る可能性がある。

・行き過ぎた個人主義:これに伴う社会的孤立 。公共心や連帯感の欠如。

・人種問題:白人、黒人、現地人という3つの人種の存在。やがて奴隷制が廃止されても(南北戦争の前の考察であるが)、人種問題は「平等」と「自由」を標榜するアメリカに内在する構造的、文化的課題として永遠に残るだろう。

・貧富格差・富の偏在:人種問題に加えて新たな「平等」への脅威になる。西部開拓が終わりに近づくと国富拡大の恩恵にありつける人が少なくなる。アメリカのダイナミズムの縮小。産業化に伴う富の再配分メカニズムが働かない社会、すなわち格差社会の出現。これが平等、民主主義を危うくする。

・新たな貴族の出現:大規模産業資本家が新たな「貴族制」を生み出す可能性。

・文化的欠点:アメリカ人は功利主義的で思弁的ではない。したがって文化芸術(文学、詩、歴史、哲学)で優れたものは出てこない(ヨーロッパ人共通の意識?!)(明治期の日本についてもこう指摘するヨーロッパ人が多かった)


トクヴィルの「予言」:

トクヴィルはアメリカの民主主義の力と脆さを同時に見抜き、その平等と自由の精神を称賛しつつも、民主主義が「専制」へと転落する可能性を指摘した。世論による専制政治、多数派による暴政、知的自由の欠如。これが政治家の資質の劣化、学問のレベルの低下を招くだろう。そして人種問題と、富の偏在による経済格差がアメリカを分断に向かわせるだろうと指摘した。大規模な産業資本家という新たな「貴族階級」の出現が「平等」と「民主主義」の脅威となるとも。

19世紀の彼の分析は、200年を経た現代のアメリカの民主主義が置かれている危機的状況をすでに予見している。今論じられている「民主主義が独裁者を生み出す」「民主主義は容易に全体主義に移行する」という政治思想パラドックス問題がこの時にすでに見通されている。選挙で選ばれた多数党の党派根性か凶暴化する。民主的な選挙で選ばれた熱狂的カリスマ指導者が独裁化する。反知性主義とポピュリズム、主権者である民の思慮欠如と思考停止(体制への迎合)が専制主義を許す。トクヴィルが言うように「知性が多数を導けなくなる。賢人の判断が、無知の偏見よりも下に位置付けられるようになる」。そして富の極端な偏在が新たな身分、階級を生み出し、そこに政治権力が集中する危険性があるという点。民主主義にはこうした危険性が内包されていることを改めて認識させられる。


トクヴィルの視点から今日的アメリカ考える:

アメリカはその後の歴史の中で、多数による専横や圧倒的多数の白人による人種的マイノリティー差別を禁じ、奴隷解放、黒人の公民権法制定、数々のマイノリティー保護、優遇措置を講じてきた。こうした「平等」の問題への取り組みにもかかわらず、トクヴィルが指摘したように、この問題はアメリカ社会に根ざすより複雑な解決すべき課題として残り続ける。すなわち、マジョリティーの白人(アングロ・アメリカン)を圧倒しかねない人種的マイノリティー、特にラティーノ、アジアンの伸長。多様な地域からの移民(合法、違法を問わず)の流入。人種を超えてさらには女性の地位向上、フェミニズム、LGBTなど性的マイノリティーの権利が強調されるようになり、かつ経済格差が顕在化すると、いわゆる「プアーホワイト」「ラストベルト」「ヒリービリー」の「非対称差別」論が横行するようになる。これが「移民国家」における「反移民」政策を生み出す。また一部の知的エリート層が大多数の庶民層を支配しているとする陰謀論や反知性主義が横行し始める。ついには「マイノリティーがマジョリティーを搾取している」との言説を流布する国家のリーダーを選ぶようになる。ここはマジョリティーが支配する国アメリカなのだ。そしてトクヴィルが予言したように「ソフトな専制主義」が生まれる。一方で、機会は「平等」に与えられるとしながらも、(トクヴィルも指摘した)富の偏在を是正する再配分の仕組みが機能しないことから、新たに突出して豊かな支配階級(新貴族)が生まれる。皮肉なことに、民衆はそうした「新貴族」:Rich and Famousを「アメリカンドリーム」の英雄として崇め、我々の味方だと信じ込んでいる。結局、アメリカ人はヨーロッパの王侯貴族に憧れているんじゃないのか、と皮肉を言いたくなるような現実がある。どうやら国家に内在する「安定復元装置」:built-in-stabilizer(例えばコモンロー:CommonLaw のような?)がどこか欠如しているのかもしれない。これはやはり長い歴史の中で受容され変容されて生み出されるものだ。この点はトクヴィルならどう評するのだろう。移民が建国したアメリカ。「自由」「平等」「民主主義」という理念を国家のアイデンティティーとし、それによって合衆国市民としで団結していたアメリカ人が、それを失うと、たちまち分断化され対立する。パクスアメリカーナの夢から覚めると、自分たちが置かれている民主主義社会が脆弱さを内包していることに気付く。

一方で、グローバリズムに対しては「同盟国から搾取されている」という言説がまことしやかにこの国家のリーダーの口から発せられる。新モンロー主義の標榜。多国間主義/国際的枠組みからの離脱、背叛へと向かう。しかし トクヴィルが見た19世紀のモンロー主義、ジャクソン主義は、独立まもないアメリカという新興の民主共和国をアンシャンレジームのヨーロッパの干渉から守る立場から主張されたものであったが、現代では専制主義的な大国間でのテリトリー分割、相互不干渉という新たな「帝国主義」の枠組みを提唱しているに過ぎない。「自由と民主主義の守護神」という理念による紐帯よりも、他の専制主義国家と利権を競い合う国になってしまった。ちなみにトクヴィルは、ロシアがこれからのアメリカの競争相手になるだろうと予見している(中国については予見不可能であったのだろう)。世界をブロック化して自分のテリトリーを確保する。これがアメリカでは一定の支持を得ている。MAGA:Make America Great Againである。これが多数党である共和党を支配している。ボーダレス自由市場体制が一方的にアメリカを弱体化させたと主張し、法外な保護関税を武器に言うことを聞かない国を恫喝する、あるいは市場から排除する。他国を「植民地化」いや「領土化」する。気に入らない他国の元首は特殊部隊を差し向けて拘束、拉致する。「力による現状変更」が「国際協調」、「法による国際秩序」にとってかわる。そして二度の世界大戦で獲得した「民族自決」という大原則は大国のエゴの前に再び失われることになる。国外では帝国主義、国内では三権分立という民主主義の基本を無視する(無視されてもて対抗しない立法と司法もどうしてしまったのか)絶対専制君主、いや「アメリカ帝国皇帝」が登場するという「アメリカ民主主義」の行き着く先。建国250年の若い国の迷走。さすがのトクヴィルもここまでは予見できなかったろう。


追記:

Edmund Burkeの『フランス革命省察』と合わせて読みたい。

18世紀末のイギリスの政治思想家エドムンド・バークは、彼の著作『フランス革命省察』の中で、全ての歴史や文化的背景を拭い去る革命によって成立する国家体制に疑問を抱き、フランス革命を批判した。そのような急進的変化ではなく、イギリスの17世紀の一連の王権と議会の戦いや革命のような長い歴史の営みの上に起こす漸進的変化こそ望ましい進化であるとした。彼はその帰結としてのイギリスの立憲君主制こそ最良のものと考えた。ちなみにバークはアメリカ革命(独立宣言)を、新天地に新たな歴史を作り出すものとして支持した。ちなみにバークもトクヴィルもは保守主義の政治思想家と見做されている。保守主義とは何か曖昧だが。

民主主義の母国とされる、アメリカとフランスとイギリス。この3カ国の民主主義の発生と成立を歴史的に比較評価してみると見えてくるものがある。さてどのモデルがこれから民主主義を健全で持続可能な形で発展させることができる強靭さを持っているのだろうか。

アメリカ: 君主も貴族もいない平民民主主義共和国 イギリスから独立した植民地

フランス: フランス革命で君主を処刑して共和国に。しかし、共和派の内部争いからナポレオンが登場するも、王政と共和制が交互に起きて長く不安定な政治体制。

イギリス: 君主を処刑したのちに一時共和制になったが王政復古。のちに名誉革命。マグナカルタ以来、権利請願、権利章典に至る議会と王権との長く激しい歴史的闘争の末に生まれた立憲君主制。法の支配、すなわち「君臨すれども統治せず」の伝統 いわば「君主制の下の民主主義」


参考:

1776年 アメリカ独立宣言
1789年 フランス革命
1804年 ナポレオンが皇帝に即位
1814年 ウィーン会議
1823年 モンロー宣言
1829年 ジャクソン大統領就任 民主党創設(~37年)ジャクソン主義アメリカの出現期
1830年 フランス7月革命(ブルボン復古王政崩壊)
1831年 トクヴィルがアメリカを旅行
1835年 『アメリカのデモクラシー(第一巻)』発刊
1840年 『アメリカのデモクラシー(第二巻)』発刊
1848年 フランス2月革命(ルイ・フィリップ王政崩壊)
1852年 ナポレオン3世即位
1853年 ペリー、浦賀に来航
1861年 アメリカ南北戦争





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