2009年6月14日日曜日

紫陽花を巡る 矢田寺









例年より2週間ほど遅く梅雨入り宣言が。と思う間もなくその2日後には早くも梅雨の中休み。
その「中休み」の合間に矢田寺の紫陽花を見に行った。

この矢田寺は、斑鳩の里の西に横たわる矢田丘陵の中程に位置する。創建は古く千三百年前に、大海人皇子が戦勝を祈念して矢田山に登られ、天武天皇即位後に七堂伽藍四十八坊を創建されたのが起源だとか。
紫陽花寺として有名になったのはいつの頃かはよくわからないが、結構な人出で驚いた。大和には花の寺が多いが、紫陽花がこれほど人を集める力を持ってるとは。

もっとも花だけを求めて人々が集まってくる訳ではない。ここ矢田寺も多くの参詣者は地蔵信仰、霊場めぐりの善男善女で、貸し切りバスやマイカーで続々と集まってくる。大和郡山駅から日頃は一日に5ー6本しかないバスが、紫陽花シーズンには大増発されて一時間に3本も出る。私はそれに乗って向かったが、こちらはあまり混んでいない。ゆっくりした路線バスの旅、だ。観光で遠くから来る人たちはそれほど多くない。

関西の寺院はよそ者には観光の対象であるが、地元の人々にとっては大事な日常の信仰と地域活動の場である。
特に地蔵信仰は日常生活に根付いていて、大阪や京都や奈良の街角には必ずと言ってよいほどお地蔵様が祀られた小さなお堂があるのに気づくだろう。これだけでも大阪は東京とは異なった異空間だ。

さて、紫陽花だが、これほどい多様な花色と形状があるとは驚きだ。もともと日本オリジナルで、母種は額紫陽花のようだ。シーボルトが長崎に滞在していたときに興味を持ち、ヨーロッパへ持ち帰っている。基本的には日本から中国を経由してヨーロッパに渡り、改良種が逆輸入されたりして西洋紫陽花と呼ばれている。矢田寺の裏山(地蔵山)はまだ満開には至らないが全山が紫陽花と言っても過言ではなく、深山幽谷に青や薄紫、白やピンクの紫陽花が咲き誇り、日々色を変える様はお地蔵様の化身のようだ。