2010年7月19日月曜日

西ノ京 睡蓮を巡る 喜光寺、唐招提寺、そして薬師寺遠望

 やっと梅雨が明けた。各地に集中豪雨と土砂崩れの災いをもたらした今年の梅雨。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

 夏の花と言えば、ムクゲ、酔芙蓉、百日紅... 睡蓮も今の季節だ。
睡蓮は朝花が開いて、夕方には花を閉じてしまう。また花の命は2ー3日。はかない。
しかし、6月の下旬位から8月上旬位まで、次々と異なる種類の蓮が花をつけるので、割に長く楽しめる。
蓮の台に仏がおわす。まさに...

 喜光寺は唐招提寺の北、西大寺の南の両寺の中間くらいに位置している。この辺りは奈良市菅原町。古くは菅原一族の発祥の地で菅原道真公の生誕の地でもある。この寺も創建時は菅原寺と呼ばれていた。有名な大寺に隠れて普段訪れる人も多くはないが、寺の縁起によれば721年行基菩薩により創建された。748年に聖武天皇が参詣された際にご本尊より不思議な光が放たれた、それを喜ばれた天皇が喜光寺を改名された、と。

 ご本尊は平安時代の阿弥陀如来であるが、創建当時のご本尊が何であったかはわかっていない。
行基はその後東大寺造営を指揮しているが、この喜光寺の本堂を見ると、どこかで見たことのある建物だということに気付く。そう、東大寺大仏殿の縮小版だ。行基はこの本堂を参考として大仏殿を建てたとされる。

 喜光寺はこの季節、様々な種類の睡蓮で華やぐ。鉢植えの睡蓮が境内に並び、大仏殿の「試みの堂」を背景にこの世の極楽浄土を出現させたような美しさだ。この日は残念ながら、出足が遅くなってしまい、到着したのが正午。閉じてしまった花も多かったが、それでも白やピンクの花々が咲き誇っていた。この花の白、ピンク、葉の緑、そして花心の黄が絶妙のバランスだ。またまだつぼみのほんのりとしたピンクも美しい。

 唐招提寺の睡蓮は、その本坊庭園の大賀博士の古代蓮が有名だが、こちらは当日は公開されておらず残念。これを期待して来たと思われる観光客も門を閉じた本坊庭園の中を覗き込んで「今日はあかんなあ。ホンマやったら奇麗で」と語り合っている。寺のサービスであろうか、本坊玄関周りに数鉢が並べられて観光客の目を楽しませてくれていた。しかし、誠に鑑真和上の志の高さと慈悲の心に、静に咲き誇る睡蓮は文字通り花を添える。

 この日は、花の写真撮影の常として重い望遠ズームレンズを担いで行ったので、ここまで来たら以前行った大池越えの薬師寺を景観を撮りに行こうと考えた。
ここは薬師寺の東塔、西塔、金堂全てを池越えに望むことが出来、しかも背景に若草山と春日奥山を展望出来る絶景ポイントだ。入江泰吉はじめ著名な写真家のショットにもここからのものがある。

 梅雨明けの暑い夏の日差しをもろに浴びながら、近鉄の線路を渡り田んぼと住宅街の中をてくてく歩く。暑い! 汗が吹き出る。出がけの女房の「帽子かぶって行きなさいよ」という、母親の子供に対する注意じみた言葉がしみじみ思い出された。

 ようやく大池にたどり着いた。誰もいない。我ながら酔狂な...と、思わず笑ってしまった。

 以前来た時には、あまり天気がよくなくて薬師寺も背景の若草山も霞んでいた。しかも手持ちのカメラは古いライカM4に50ミリズミクロンのみ。ちょっと引きが足りなくて悔しい思いをした。

 今日は太陽もちょうど西から射している。再建された西塔の朱と金色の水煙が美しく光る。しかも東塔はこれから解体修理で十年程お目にかかれないそうだ。遠くの山肌のグラデュエーションもいい。今回は、ニコンの70ー400ミリ望遠ズームでじっくり撮ることが出来た。こういう風景写真はやはりニコンD3sの存在感が光る。重い機材を担いで来た甲斐があった。

 写真撮り終えると、それを待っていたかのように一人の若者が近づいて来た。差し出された名刺を見ると読売新聞の奈良支局の記者でSさんという。私が一生懸命写真撮ってるんで、ちょっと話を聞かせて欲しいということで。奈良の風景の特集記事を連載しているとのこと。こんな私に奈良の風景、歴史やウンチクなどしゃべらせると終わらないことを、この若い記者はすぐに悟ることとなった。

 たいがいしゃべりたいことしゃべって、お蔭さまで私としては楽しいひと時を過ごすことが出来た。心理学で言うカタルシス状態。彼は貴重な時間を素人のオヤジカメラマンに費やされて大いに迷惑だっただろう。この場を借りてお詫びいたします。あの時はスンマセンでした。良い記事書いて下さい。