上町筋(うえまちすじ)は今も昔も上町台地を南北に走る幹線路で、ちょうど東側城下町部分の武家屋敷地区と、西側商業地区部分、本町の町家地区とを隔てる道路になっている。さらにこの道を南に下ると西側には谷町筋周辺の寺町地区、南の四天王寺終点に至る。
この上町筋は私の通勤経路でもある。バスに乗って町並みを眺めていると、ビルやマンションの合間に点々と古い切妻の町家が生き残っているのに気付く。特に道の西側に顕著であるのは、先程述べた江戸期の街割りの残映であろうか。あるものは見るも無惨に改造され、あるものは取り壊されてその残影のみを残し、あるものは見事に補修復元され。しかし都市近代化の波にのまれ、数の上からも間もなく全てが消えてなくなるであろうことを予見させる状況だ。風前の灯という奴だ。
都市の景観は、近代化だけでなく、戦争や災害、バブル期の地上げに伴い大きく変貌して来た。江戸/明治期の町並みがドンドンなくなってゆく。東京日本橋や銀座辺りはもはやその痕跡すら見つけるのは困難になっている。間口の狭いペンシルビルが乱立している姿に往時の町割りの面影を求めるのみである。しかし、ここ大阪上町筋は、よく見るとこうしたビルの谷間に取り残されたように町家が存在し、やがてこれらもマンションに建替え間近であっても、まだ今は残っているではないか。そしてこの点と点を繋いでゆくと、線となり、繁栄の大坂、上町筋の町並み景観が蘇ってくるではないか。
こうした時空を超えた空想は楽しい。感動だ。まるでCG再現のような江戸期から昭和初期の天下の台所、大坂の上町筋の景観が蘇って来る。大阪は時代の痕跡を今にとどめながら生きている街だ。京都のようにそれを売り物にしていない分だけ、妙にリアリティーと想像とが時空を超えて交錯している街だ。
(町家は間口が狭く奥行きの深い、いわゆる「うなぎの寝床」だ。いかにも町家壊して建てましたという風情の、薄っぺらマンションビルの奥行きを見るとよくわかる。現存する町家は切妻造りでどこも平入(軒下に玄関を設けている)となっている。ビルの谷間に点々と残された町家を追っていくと町並みの線が脳内で視覚的つながり、昔の上町筋の町並みを想像することが出来る。)
(無惨にも切り取られた町家。その跡は現在駐車場に。しかし、切り取られた部分の後ろをご覧あれ。昔の町家の奥がどのような構造であったのか、その屋根のラインがシルエットで教えてくれる。まさにA瀬川G平先生のトマソン芸術だ。)
(このように美しく修復されて使われている町家もある。しかもちゃんと両側に立派なウダツが上がっている。クーラー室外機が惜しいが。この建物の所有者と住人の方々の文化センスをうらやましく思う。建築や町並みへの愛着と景観保存への深い理解を感じる。同時にこの建物をこのように維持するご苦労を思う。)
(古い外観を残した町家と改造された建物と。時代に応じて幾度かの外観変更があったのだろう。外装の看板建築を取り除けば往年の町家外観がまだ残っているのではないかと思う。しかし今後、この連続した家並が復活することはないのだろう。残念だが... 子供の頃読んだ「小さな家」という童話を思い出す。アメリカの童話作家が書いたニューヨークの街の発展の中に取り残された小さな一軒家の話だった。)
(こちらも立派なウダツを残す商家。軒下はシャッターに改装されているが、これからもご商売を続けていただきたいものだ。でないとここも両隣の様な建物に建て替えられてしまうことだろう。)