残暑厳しいこの季節、大和路花散策の楽しみは元薬師寺のホテイアオイ。毎年この時期に地元の小学生が休耕田にホテイアオイを植える。ホテイアオイは日本の原生種ではないが、この飛鳥時代の大寺、薬師寺の廃墟跡を埋め尽くす様は、不思議に藤原京の栄華を彷彿とさせる光景となっている。
今は、金堂の大きな礎石が民家の庭先に並び、左右に西塔,東塔の土段と芯礎が残るのみの、寂寞感漂う元薬師寺跡であるが、その廃墟感と、それを埋め尽くす薄紫の涼やかな花の色、さらに、それを取り囲む一面の稲田の緑、青い夏空を背景にした大和三山の広がりという舞台設定。やはり「大和は国のまほろば」だ。
この薬師寺は、天武/持統天皇が,藤原京(新益京:あらましのみやこ)造営に伴い創建したもの。やがて、694年の遷都からわずか16年ほどで新都は廃され、平城京へとさらに遷都される。これに合わせて薬師寺も、平城京西ノ京の現在の位置へと移転する。しかし、平城京への移転後も平安時代頃まで、本薬師寺としてこの地に存続したようだ。
乙巳の変(645年)、白村江での敗戦(663年)、壬申の乱(674年)、と日本の歴史を変える動乱を経て、ようやく新しい国家体制が確立しつつあった時代。倭国の飛鳥から日本国の新益京へと脱皮した時代だ。日本の新たな転換点に創建された元薬師寺の跡を今はホテイアオイが埋め尽くす。
(元薬師寺金堂跡からホテイアオイの群生を楽しむことが出来る)
(元薬師寺の伽藍配置。金堂跡、東塔跡、西塔跡が現存している)
(藤原京配置図。天香具山、耳成山、畝傍山の大和三山に囲まれている。薬師寺の位置も確認出来る)