2014年7月31日木曜日

福岡と博多 ツイン・シティーの栄枯盛衰 (福岡・博多シリーズ第1弾)再掲

 NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」もいよいよ後半のクライマックスに突入。秀吉の天下取り。関ヶ原の戦い。時代を動かした名軍師官兵衛の生き様の描写が面白くなってきた。さて、終盤では官兵衛、長政父子の活躍の舞台は、豊前中津、筑前福岡に移って行くことになるのだが、多分、このドラマでは、官兵衛が家督を長政に譲り、隠居して如水と号して福岡で余生を過ごすところで終わりなのだろう。我が故郷、福岡がこのドラマで主要な舞台となることは無いのだろう。如水/長政父子が築いた城下町福岡と古代からの国際貿易都市、博多について、以前に綴ったブログを「軍師官兵衛」にちなんで下記に再掲しました。

「時空トラベラー」 The Time Traveler's Photo Essay : 福岡と博多 ツイン・シティーの栄枯盛衰 (福岡・博多シリーズ第1弾): 福岡と博多はそもそも別の街であったことをどれだけの人が知っているだろう。古くからの博多っ子ですらよくわかってない人がいるくらいだし、まして転勤族である福岡市民はあんまり考えたこともないだろう。知らなくても日常の生活に支障はないからどうでもいい。しかし,そこには栄光の歴...


福岡城 別名を舞鶴城。ここは大手門跡。
かつてのプロ野球パリーグの野武士軍団西鉄ライオンズの平和台球場へはここから入っていた。

天守閣はなかったが、多くの櫓が連なる壮麗な舞鶴城も、明治維新以降大きく破却されてしまった。
ここはわずかに往時の威容を伺わせる多聞櫓。

下の橋御門と伝潮見櫓 
いずれも戦後復元されたものだが,実は正確な資料が残っていないため,位置や様式に論争を残す結果となっている。

博多湾 シーサイド百道 福岡の新しいウオーターフロントの景観だ。
左の緑は西公園。万葉集にも歌われた荒津山。かつて海に突き出していた半島もいまや陸に閉じ込められてしまった。

福岡城上空写真 大濠公園が見える。ここは古代には草香江の津であった。築城時にこれを外堀とした。
右下の円形の構造物は平和台球場跡。筑紫鴻臚館遺跡が見つかり現在発掘作業が続いている。遠景は魏志倭人伝にでてくる伊都国。したがってこちら側は奴国。いにしえの倭国の風景でもある。