2015年5月4日月曜日

新緑の「三渓園」散策 ー古建築の粋を集めた名園ー

 時々、人間って妙な生き物だと思う事がある。人間は何かを集めたがる動物である。コレクションをして楽しむ動物である。集めたものに囲まれて暮らす。これが非常に心地よいと感じる。そんな動物は他にいないだろう。そもそもモノを「所有する」という欲望は他の動物にはない。人類が長い時間をかけて大脳皮質に刻んだ特質なのだ。 この傾向は女の子よりも男の子に強いと言われる。そういえばあなたが男の子だったなら、あるいは男の子を持つ親ならば、小さいときからいろんなものを集めた経験があるだろう、そういう子供の姿を見つめてきたことだろう。めんこ、ビー玉、牛乳の蓋、チョロQ、石コロ、チョウチョ、虫、化石、キーホルダー、ワッペン、バッジ、ブロマイド、古銭、切手、筋肉マン消ゴム、etc.etc. まあよく色々集めるものだ。大抵は引っ越しの時にウン年ぶりに物置から出て来て、「おお!懐かしい!」としばし感慨に耽るが、やがて「ええい、眼をつぶって捨てよう」となる。大人になると、カメラ、萬年筆、時計、ビンテージカー、根付け、パイプ、盆栽、カンナ、骨董品、フィギュアー、ワイン... 子供の頃手に入らなかったお金がかかるものに執着するようになる。「物欲煩悩留まる所を知らず」。大抵はツレアイとケンカになる。購入費用の捻出とそれらの保管スペース、という極めて現実的な諸課題を解決しなくてはならないからである。

 世の中には幸せな人たちもいる。そんな諸課題を,課題と受け止める必要がない人たちである。資産家になると,古美術品、陶磁器、掛け軸、書画、茶道具など文化財級のものを集めるようになる。そうなると個人の所有欲、物欲の域を超えて,究極的には文化財の保護者としての役割を果たし始める。そして個人で「美術館」や「ギャラリー」を開くようになる。その極みはヨーロッパの王侯貴族、メディチ家のような大富豪。ロックフェラーやモルガンなどのニューヨークの大富豪など。こうして、その時代に繁栄した国の富裕層のもとに世界のお宝は流れてゆく。

 しかし、いかに文化財コレクターといっても、古建築を集める人はそう多くは無いだろう。しかも、京都や鎌倉から重要文化財級の古建築、古民家を収集し、自分の邸宅に移築する。もちろんそれらを収容するのだから半端な敷地では足りない。ただそこに並べれば良いのではないから、そこに古建築を配置するにふさわしいステージとしての庭園を造る。

 横浜本牧にある「三渓園」は、明治/大正期に横浜の生糸/製糸貿易で財を成した原三渓(富太郎)の古建築コレクション庭園である。東京湾に面した「三之谷」という谷あいの地にに、広さ約175,000平米という広大な土地を手に入れ、自らの邸宅と庭園を設けた。京都/鎌倉などから歴史的な建造物を17棟集め、四季折々の自然と調和した見事な日本庭園を開く。その一部を公開し(外苑)、一部を私邸(内苑)とした(のちに内苑も公開)のが三渓園だ。

 このような古建造物を集めた施設としては、東京たてもの園や明治村、民家園などがあるが、三渓園は、保存を目的として集めて来た博物館とは異なる。篠山紀信は「博物館/美術館/ミュージアムはアートの墓場だ」と言った。確かに、とりわけ建築物という作品はまさに,あるべき所にあって,その役割を果たしているからこそ意味がある。いわば「動態保存が望ましい」のだが、現実には打ち捨てられて、壊されてしまうよりは「静態保存」で良いから残した方が良い。そういうことで博物館的な施設に移築、収容されることになる。必ずしもベストの解決策ではないが。

 そういう視点で三溪園を見つめてみると、これらの古建築は。この場にその住処を見つけうるのか?ここは本来あるべき場所なのか?という問うてみたくなる。しかし、ここのしつらえには、あたかも古の昔からもともとここにあった建築物であるかのような佇まいを感じる。「いやここにあって新たな命を生きるのだ」と言ってるように思われる。たしかに現地で忘れ去られ、朽ち果てるか,破壊されるかという運命から救われた面はあるだろう。しかし,それだけではない。ここは古建築に新たな命を吹き込む不思議な空間だ。単なる金持ちの道楽で、趣味が高じて集めてみたのではない、本当の数寄者の懲りようだ。

 三渓は、芸術文化に造詣が深く、芸術家、文学者などの幅広い文化人と交流し、三渓園は一種の近代日本の文化を育むサロンのような役割を果たしてきた。現在もその重要な役割を担い続けている。横浜という名もない寒村が、明治以降、西欧文化の流入する開港地として急速に表舞台に出て来て、今や人口で日本第二の大都市になった。そんな歴史の浅い新興都市に、唐突に集められた歴史的建造物群という感がないでもないが、であるが故にこそ、こうした文化サロンが必要であっただろう。ご維新以降、関東が日本の中心に位置するためには、関西財界のパトロンに負けない文化活動の拠点の創造が必要だった。そういう財界人の矜持というようなものが経済都市には必要なのだ。

 コレクターもこれくらいまで極める事が出来ると世の中に役立つんだが、資産家でないばかりか,教養もなく徳も文化に対する感性も薄い凡夫ではどうにもならない。もちろん三溪ほどの人物とは比較にならないことは言を待たないが、世の中の役に立つ見込みのない収集品は個人の趣味の域を出る事は出来ない。やはりツレアイの諫言通り、がらくた化したコレクションは処分するか...