2018年の初日の出 東京は穏やかな新春を迎えた |
2018年平成30年年頭所感。
曇天、初雪の大晦日に比べ、2018年元旦は、一転、快晴の穏やかな1日となった。午前零時の大井埠頭の一斉汽笛とお台場の花火とともに明けた2018年。見事な初日の出を拝むことができた。
今年は平成30年。平成を振り返る番組が正月から特集されている。今年が平成最後の一年になるからだ。これは我が国の歴史上画期的な出来事だ。なぜなら来年2019年5月に元号が変わることが事前にわかっているからだ。昨年、天皇陛下の退位のご意向が明らかになり、平成31年4月30日に天皇陛下は退位されることとなった。いわゆる生前退位である。ご高齢、象徴天皇としてのご公務継続に支障ということで、ご自身が退位の意思を表明された。皇太子が5月1日に即位され新天皇になられる。すなわち元号が改まる。平成は31年で終わることが事前に決まったというわけだ。そうか、もう振り返る「時代」に成ったのか平成は。平成生まれの若者は、小渕官房長官の「平成」という新元号を掲げる写真を「歴史の教科書」で見たことあると曰う。昭和なぞ、もうすでに「歴史」になってしまったわけだ。「ゆく年や昭和は遠くなりにけり」
こうした改元は日本だけの事情であるが、元号がその時代を象徴するキーワードになる。「昭和」が「明治」の国家の近代化の行き着く所の無謀な戦争と無残な敗戦、奇跡の戦後復興と高度経済成長、という激動の時代であったのにたいし、「平成」はバブル崩壊、失われた20年の時代。日本が高度成長を終えて、低成長、少子高齢化、人口減少、の時代を歩み始めた時代である。世界を見渡すと、日本のアジアにおける19世紀後半の近代化のトップランナーとしての役割と経済成長牽引役は、21世紀に入り中国へと移り、さらにその中国が世界のリーダーアメリカにとって変わろうとする時代に入った。戦後レジームは大きく変わろうとしている。戦後をリードしたグローバリズムとリベラリズム、知性主義が後退し、自国ファースト、反移民、ポヒュリズム、反知性主義へ揺り戻しの時代へと大きくステージが変わりつつある。2016年のイギリスのEU脱退国民投票、いわゆるBrexitを皮切りに、欧州における反グローバリズムと反移民、極右勢力の伸張、11月にはアメリカはその憲政史上およそもっともふさわしくない人物を大統領に選択した。すなわちアメリカは自由と民主主義と資本主義の旗を掲げ、宿敵共産主義を倒し、正義と繁栄の戦後レジームを築いたリーダとしての地位と、その誇りをかなぐり捨てることを選択した。そして2017年は核兵器を弄ぶトランプと金正恩に振り回された年となった。
2018年はどのような年になるのだろうか。日本では30年に及ぶ長い停頓の時代、平成が最後の一年を終えようとしている。日本も世界も負のスパイラルを変えることができるのか。日本は新たな成長と繁栄の時代を築けるのか。いままでのような平和を享受できるのか。残念ながらあまりポジティヴな展望が開けない気がする。為政者や国家の動きに任せていると、個人はどこへ連れて行かれるかわからないという不安がある。ポピュリズムや反知性主義は、すなわち国民の現行の国家や政治権力への不信の表れだ。しかし、その反作用としてリベラリズムやグローバリズムを否定するグループを支持するという誤った選択肢を選ぼうとしている。さらに大衆受けする政策のスピーディーな意思決定と実行、これまで営々と気づきあげてきたものを一気に否定する「分かりやすさ」が国民の熱狂を呼ぶ。しかし、ふとドイツの戦後復興(第一次大戦)を規定した理想主義的なワイマール体制への批判がナチスを生んだ状況が脳裏をよぎる。ナチスは、BOPだけでなく、政治無関心層であった中産階級や、裕福な上流階級にも一気に支持されていった。ナチスのスローガンの一つは「信頼の政治」「政治の効率性」だ。しかし政治や為政者を簡単に信頼することができるなら民主主義も自由主義も法の支配生まれてこなかっただろう。これらのシステムは、専制君主であれ、民主的に選ばれた指導者であれ、独裁者であれ「為政者への不信」が原点にあるものだ。政治を経営や経済のような数量的な合理性や効率性でのみ測ることはできない。民主主義とは結構めんどくさいものだ。「分かりやすい」説明には時として落とし穴があることを知っておくべきだ。多様な価値観の調整には時間がかかり、万人に分かりやすい仕事ではない。しかしそれを厭うことがあっては危険だ。二度の世界大戦を経験した世界はその歴史にまだ学んでいない気がする。こうなると人は国家という枠組みとは別に、世界市民として、グローバルヴィレッジの住民として、一私人として、平和で幸福な人生を歩める社会を目指して連帯して行くべきかもしれないとすら思う。もし国民が衆愚政治にも独裁政治にもならぬように為政者を監視する能力と忍耐を放棄するのなら、これからも国家という枠組みが私人の幸せを保証する枠組みであり続けるのか疑問を抱かざるを得なくなってしまう。
Super Moon on 2nd January |