静かに令和元年を迎える |
本日5月1日から令和元年がスタートした。Happy New Era ! NHKなどのマスメディアは昨日までは「平成最後の...」とか「平成30年を振り返る」「行く時代くる時代」などの番組満載であった。ちょうど年末の「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」状態だった。世の中、退位と新天皇の即位と改元で大騒ぎだ。「時空トラベラー」としては、少し静かに新しい令和の時代を迎えたいと思い、自分の隠れ家に籠って今からちょうど30年前の平成元年(1989年)にはいったいどんなことが起きたのか振り返って見た。するとこの年はある意味で時代の大きな転換点であったことに気がついた。一言で言うと世界は「戦後の冷戦構造の終焉」、日本は「バブル経済最後の年」という時代の画期であった。まだまだ日本のGDPはアメリカについで世界第2位。アメリカの名門企業を次々買収するなど世界を騒がすバブリーな経済大国の最後の輝き(?)を見せていた。そしてソ連が崩壊に向かい、社会主義体制の東欧の国々が自由化、民主化されることとなり、日本を含む自由主義、資本主義体制の勝利が見えてきた年であった。一方で中国の民主化、自由化の動きは「人民解放軍による人民弾圧」という「天安門事件」により危機的状況を迎える。一つの時代が終わり、一つの時代が始まった。しかし平成元年以降の30年は、日本は「失われた10年...」の時代へ、相次ぐ未曾有の災害に見舞われる時代、超少子高齢社会、デジタルトランスフォーメションの時代に突き進んでいく。日本は戦争こそなかったが、世界はアメリカ一極から中国の台頭、新興国の経済発展、テロの時代、反グローバリズムの時代へと、その日本を取り巻くグローバルな環境も大きく塗り替わっていく。この年齢になると30年前といってもついこの間の事のようで、それほど昔のことではないような感覚であるが、この変化のスピードが早い時代における30年という年月は結構な時間の経過である。平成元年と令和元年では隔世の感ありだと改めて気づかされる。今日5月1日から始まった令和元年は、のちにどのような時代の転換点として、あるいは時代の始まりとして人々に記憶されるのか。本日即位された新天皇の時代、令和は文字通りBeautiful Harmonyの時代の始まりになってほしいものだと思う。
30年前の「平成元年」という時代の変わり目の一年を日付順に追って振り返ってみよう。
出来事
1月7日:昭和天皇崩御、平成改元 新天皇即位の礼(翌1990年11月12日)
大喪の礼(2月24日)冷たい雨の一日。世の中全てにわたって自粛ムード。
リクルート事件で江副前会長、真藤NTT前会長逮捕(その前年に退任)(2月3月)
手塚治虫逝去(2月9日)
吉野ヶ里遺跡発見(2月23日)
消費税スタート(3%)(4月1日)
任天堂ゲームボーイ発売(4月21日)
松下幸之助氏逝去(4月27日94歳)
ベトナム難民(ボートピープル)相次いで漂着2300名(5月)
NHK衛星放送開始(6月1日)
竹下内閣から宇野内閣へ(6月3日)
中国北京天安門事件(6月4日)
シャープ液晶テレビ発売、ソニーハンディカム発売(6月5日、21日)
美空ひばり逝去(6月24日52歳)
宇野内閣退陣(在任わずか69日)、海部内閣発足(7月8月)
ヘルベルト・フォン.カラヤン逝去(7月16日)
礼宮殿下婚約(9月12日)
ソニー、米国コロンビアピクチャー買収(9月27日)
三菱地所、米国ロックフェラーセンター買収(10月31日)
ベルリンの壁崩壊(11月9日)
東欧諸国民主化、激動(ルーマニアチャウシェスク処刑、政権崩壊など)(12月22日)ちなみに翌年、ソ連一党独裁放棄、東西ドイツ統一。
総評解散、連合発足(11月21、22日)
ブッシュ/ゴルバチョフのマルタ島会談(冷戦集結12月3日)
東証大納会、史上最高の38,957円44銭。バブル経済最後の花火!年明けバブル崩壊へ!
世相
人口:1億2300万人
1ドル:151円〜123円
盛田昭夫/石原慎太郎「Noと言える日本」
宮﨑駿「魔女の宅急便」
スティーブン・スピルバーグ「インディージョーンズ最後の聖戦」
千代の富士国民栄誉賞
美空ひばり没後「川の流れのように」大ヒット45万枚
レコードがCDに変わり、ポップス、ロックブーム到来
レコード大賞はWink「淋しい熱帯魚」、有線大賞はプリンセス・プリンセスの「Diamonds」(どちらも知らない!)
流行語大賞:「セクハラ」、「オバタリアン」が受賞。そのほかに「ホタル族」「5時から男」「ぬれ落ち葉」などが印象に残る。「ペレストロイカ」「グラスノスチ」も。
IT関連
ゲーム機、ファミコン全盛時代
1985年の「スーパーマリオ」に続くファミコンゲームソフト次々と
ワープロ全盛(富士通OASYSシリーズ)
パソコン登場(Apple Macintosh、富士通FMTownシリーズ)
アナログ電話回線モデム経由の「パソコン通信」始まる。ISDN前夜
「ケータイ」「スマホ」の時代はまだまだ。NTT移動体事業部の自動車電話、ショルダーフォンの時代(加入者24万)
インターネット時代、SNS時代、デジタル時代は未だ遠し。
我が会社人生
我が家はこの年、NTT America 勤務で米国コネチカット州グリニッチ在住。CNNで、昭和天皇崩御、大喪の礼、新天皇即位、ベルリンの壁崩壊、ソニーのコロンビアピクチャー買収、三菱地所のロックフェラーセンター買収のニュースを見た。NTTの海外事業開拓萌芽期であった。とはいえ当時のNTTは、基本的には国内通信事業専業で、肝心の国際通信事業は禁じられており、海外市場でやれることは限られていた。しかし、産業のボーダレス化が急速に進み、海外進出著しい多国籍企業向け法人営業を中心にいわばソリューションサービスを手がけ始めた時期であった。この後7年ほどで規制緩和と法改正がなされて国際通信事業に参入することになる。こうして本格的なグローバル事業展開が始まり、今日のグローバルソリューションカンパニーNTTへと発展してゆく。後から思えばこの平成元年はその下準備元年であった。この間の詳細は拙著「グローバルビジネスその終わりのない進化の道のり」を参照いただきたい。
平成の終わり、令和の始まりに際して私個人の思い出としては、昨日退位された天皇陛下(本日より上皇陛下)には、かつて昭和56年(1981年)12月、英国留学からの帰国報告に東宮御所に伺った時に初めて拝謁の栄誉に預かった。当時は皇太子であられた。昭和58年(1983年)浩宮徳仁親王殿下の英国留学の歓送会が英国大使館で催された時には、美智子妃殿下、徳仁親王殿下にお会いすることができた。また平成7年(1995年)11月には父が皇居宮殿で天皇陛下から叙勲を受けた。こうして奇しくも親しく接していただく機会を得たことは我が家にとって大変な名誉であるとともに、そのお人柄に触れてますます敬愛と尊崇の念を強くした。「象徴天皇」としての役割を果たすべく真摯に努力されるそのお姿が心に焼きついている。天皇の憲法上の役割を認識し、年齢から今後その責任を全うするためには譲位しかないとご自身で退位をご決断になり、昨日退位された。これまでの上皇上皇后両陛下の国民に寄り添ったご公務の姿勢に、心からの感謝の言葉と誠にお疲れ様でしたと申し上げたい。そしてこれからはお元気でゆったりした時間をお二人でお過ごしくださるよう祈念してやまない。
昭和56年(1981年)12月東宮御所にて |