2019年8月31日土曜日

クラシックカメラ遍歴(2)〜Retinaという革新と成功。そして衰退〜


工芸品的完成度の逸品 Retina IIIC


私の最も好きなRetina I型


 カメラの歴史において、技術的イノベーションとパラダイムシフトとはライカに始まったと言っても過言ではないだろう。1925年、エルンスト・ライツ社が35mmフィルム(シネフィルムを利用する)を使う小型で高性能なカメラ、ライカ(Leica)を発売した。今でいうバルナックライカ(その後のMライカに対してLライカとも呼ばれる)である。開発者オスカー・バルナック博士にちなんでこう呼ばれている。これは衝撃的なできごとだった。この、いわばベンチャー企業ライツ社の挑戦を受けて1932年には同じドイツの光学機器の老舗ツアイス・イコンから35mm版のコンタックス(Contax)が発売された。今でこそ35mmロールフィルム(ライカ判)が主流となっていて、デジタルになってもフルサイズ(すなわち35mm)が基準になっている。しかし当時はこれよりも大きいサイズの銀塩フィルム(中判、大判)を蛇腹のカメラに装填して撮影するのが普通であった。したがってカメラも大型で三脚などを用いて撮影する方式が普通であった。そこへ35mm幅フィルムを使った小型の高性能カメラ(いわばハンドヘルドカメラ、あるいはコンパクトカメラ)が登場した。これはフォトジャーナリズムや写真文化に大きなインパクトを与えた。しかし、その価格はとても庶民の手に入る価格ではなかった。日本では輸入された当時、なんと家が一軒買える価格だと言われていた。

 そこで、ライカ判フィルムを使えるもう少し廉価版のカメラが、様々なメーカーから世に出始めた。その中でも、その性能と価格で大成功を収めたのがこのドイツコダック(German Kodak)社のレチナ(Retina)である。当時、ライカが300マルク、コンタックスが360マルクであったのに対し、レチナは75マルク。しかし、レンズはSchneider社、Rodensctoch社など現在まで続く超一流のレンズメーカ製、シャッターユニットもDecker社製のCompurをを取入れ、その性能と品質は超一流であったから売れないわけがなかった。伝統的な蛇腹式を取り入れて、折りたたむと極めてコンパクトになる。にも関わらずレンズ交換もできるシステムカメラへと戦後は進化する。伝統と革新のハイブリッドと言ってよい。レチナ(Retina)はドイツ語で網膜という意味。ドイツコダックが製造販売した。米国コダック社はフィルム販売の促進を目指して1931年、ドイツのナーゲル(Nagel)社を買収し子会社化した。このナーゲル(Nagel)社は1928年にカールツアイスの技術者であったAugust Nagel博士によって設立された。そして1934年にAugust Nagel博士はレチナを開発し、同社のシュツットガルト工場で製造、コダックブランドで販売した。やがてアメリカとドイツは戦争となり、戦時中、戦後の混乱期を経験するが、ドイツコダックは存続し、Retinaを作り続けた。戦後一時期は戦前の部品をかき集めて作るなど、品質保持に苦労するが、やがて素晴らしい製品群を次々に世に出し世界的に人気を博した。


 (1)まずは、レチナの原型となったナーゲル社(Nagel)のカメラ二台をご覧いただきたい。August Nagel博士がレチナに先立って製品化した中判フィルムカメラ。ボディーが大きくなりがちな中判フィルムカメラとしては小型化、コンパクト化を狙った意欲的な製品だ。35ミリ判(ライカ判)の蛇腹式フォールディングカメラへ移行する過程での試行錯誤を垣間見ることができる。

Nagel Pupile

レチナの原型の一つである
Nagelブランドベスト判フィルムカメラ
Pupileとはドイツ語で「瞳」という意味
レンズ繰り出しは蛇腹方式ではなくレバーによる回転式
すごい螺旋ネジが鏡胴に潜んでいる!

KodakVollenda

これもレチナの原型となるカメラ
Kodakブランドとなっている。Nagel工場製造のベスト判カメラ

レンズ繰り出しはカバーを下に開ける蛇腹方式




 (2)1934年のオリジナルレチナ以降、様々な形式のレチナが発表された。非常に多様な機種が製品化されたが、基本は蛇腹式フォールディングカメラで非常にコンパクト、高性能であった。その中からその代表的な機種を私のコレクションからご紹介していきたい。


The First Retina (117)

1934年発売


August Nagel博士によって開発されオリジナルレチナ。
ブラックペイント仕様、ニッケル鍍金。
シャッターはCompur Rapid。
レンズはSchneider-KreuznachのXenon 50/3.5。
素通しファインダー。
巻き上げには巻き留め機構が設けられている。



Retina I (010)

1946年発売


黒塗りからシルバーメタリックとなりI型と称した。戦後の混乱期に部品をかき集めて作ったにしてはしっかりとした完成度である。
レンズはSchneider-KreuznachのXenon 50/3.5付きと、US KodakのEktar 50/3.5付きがある。
シャッターユニットはCompur Rapid
ファインダーは素通し
電子部品もない、もちろんデジタルでもない、金属メカニカルと光学レンズだけのミニマルな機械式カメラ。まさに芸術品だ。米国ロチェスタのKodak工場製のUS Ektarは今でも本当によく写る。



Retina Ia (015)

1951年発売


巻き上げレバーが設けられた戦後バージョンのI型。Ia型と称した。
シャッターユニットがSynchro Comperにグレードアップされた。
ファインダーは素通し。
レンズはUS Ektar付き。
ストラップ用のアイレットが付いた。
戦後落ち着き始めた時期の製品で仕上げが美しくなった。



Retina II (011)

1946年



距離計連動ファインダーが搭載されII型となった。

シャッターユニットはCompur Rapid改良型。

レンズはRodenstock Heligon 50/2で明るくなった。

II型は戦中戦後にわたって作られ、名称や巻き上げ方式などに統一感が失われた時期の製品である。このII型(011)は戦後の混乱の中、様々な残存部品を寄せ集めて組み立てられたもので、レンズも様々。しかしこの個体はレンズはコーティングが施されたHeligonで、軍艦部も一体成型の美しい仕上げ。



Retina IIa (150)

1951年発売


II型は戦後、巻き上げレバーが採用されIIa型となった。
これ以降はライカMを含めて巻き上げレバー方式が主流となっているが、当時ライカもコンタックスも巻き上げレバーを採用しておらず、この頃は「レチナ式」と呼ばれた。
シャッターユニットはX接点を持つSynchro Compur。
レンズはSchneider-KreuznachのXenon 50/2。
ストラップ用アイレットがつき、カメラを首からぶら下げるスタイルが流行り始めた。
完成度、仕上げの美しさ共にドイツの工業製品を代表する逸品。


Retina IIIc (021)

1954年発売


露出計が導入されIII型となった。
この後に出されたIIICに対し、いわゆるスモールcと呼ばれている。
セレン式露出計(Light Value方式)を搭載。
シャッターユニットはSynchro Compur。
レンズはSchneider- KreuznachのXenon 50/2.0。
レンズ交換(前玉交換)ができるようになった。ただし距離計ファインダーのフレームは50mmのみ。したがって35、80mmは外付けファインダーを取り付ける。これも優れものでパララックス補正(手動だが)できる。
巻き上げレバーはボディー底部に移されたが意外に使いやすい。


工芸品といっても良い美しさが魅力だ
巻き上げレバーが底部に見える




Retina IIIC (028)

1958年発売


俗に大窓(ラージC)と呼ばれる最高級機
改良型セレン式露出計(Light Value式)に変更。
レンズ前玉交換ができる。
IIIc(スモールc)と比べ、見やすい等倍の連動ファインダーに50mmと35mm、80mmのブライトフレームが見える。距離計に連動してパララックス補正ができる優れもの。
クローズアップレンズなども用意されてシステムカメラとしても完成された。
シャッターユニットはSyncro Compur。
レンズはSchneider-KreuznachのXenon 50/2.0付きと、RodenstochのHeligon 50/2.0付きがある。
巻き上げレバーはボディー底部にある。
戦後の光学技術の極地、芸術品とも言える工作精度の賜物で、しかも商業的にも成功した完成形モデル。私の最も好きな機種の一つで、今でも実用機として使える。

この姿の美しさも魅力だ
蛇腹は外に露出しない構造になっている


  (3)この後レチナは、伝統の蛇腹折りたたみ式をやめて、固定式レンジファインダーカメラ(Retina IIIS 1958年)や、レンズシャッター式一眼レフカメラ(Retinareflex III, VI 1960〜64年)(いずれもデッケルマウント)のシリーズを出してゆくことになる。機構の複雑な蛇腹折りたたみ方式から固定式への移行は、ある意味では合理的であったのだろう。しかしレチナのコンパクトさという個性が失われ、他社の製品との差別化が難しくなっていった。レチナ衰退の始まりであった。特にレンズシャッター一眼レフへの転換は、50年代後半にブームとなった、ツアイスイコン社のコンタフレックス(Contaflex)などのレンズシャッター式一眼レフのトレンドに乗ったものだ。しかし、レンズシャッターゆえのそのメカの複雑さと(したがって)故障の多さ、撮影後のファインダーブラックアウトの不評等で市場からフェードアウトしていく。結局、ニコンのフォーカルプレーン式シャッタ、クイックリターンミラー式一眼レフがハイエンド機の主流となり、やがて中級機、普及機でも日本のカメラメーカーを中心に主流となっていった。こうして一斉を風靡したレチナは市場から退場してゆく。しかし先ほど紹介した、戦前のメカニカルでミニマルなカメラの原点とも言える姿、全盛期の蛇腹式レチナのコンパクトさと工芸品とも言える美しい仕上がりの「お道具」には今でも惚れ惚れする。もちろん写りは最高だ。蛇腹デジタルレチナ復刻はないものだろうか?



Retina IIIS

1958年


デッケルマウントレンズ交換式レンジファインダーカメラ
Retinareflex VI

1964年


デッケルマウントレンズ交換式レンズシャッター一眼レフカメラ