2021年9月8日水曜日

古書を巡る旅(14)"Blake Poetical Works" 「ウィリアム・ブレイク詩集」 〜BBC Promsとそのフィナーレを飾る愛国聖歌Jerusalem!〜

BBCより

 今年も英国はプロムス:Promsの季節である。BBCの毎年恒例の夏の音楽祭で、国中が盛り上がる一大イベントだ。今年は7月30日に始まり9月11日に最終日フィナーレを迎える。去年に続いて今年もコロナ感染で開催が危ぶまれたが、一部オンライン、そして会場のロイヤル・アルバート・ホールは無観客で開催することになった。無観客だと、例年のような(写真は2018年のプロムスのフィナーレ)盛り上がりには欠けるだろうが、これも致し方ない、コロナパンデミックはこうした伝統のプロムスの歴史にも異例の出来事として記憶されるであろう。

この最終日にエルガーの「威風堂々」や「Rule Britania」と国歌「God  Save the Queen」と共に合唱される「エルサレム:Jrusalem」。プロムスのクライマックスを飾る聖歌で、英国民はユニオンジャック打ち振りながら感極まり「英国人で良かった!」と感じる瞬間である!そうしたことからGod Save the Queenに次ぐ第二の国歌と言われる。これはウィリアム・ブレイク:William Blakeの詩に、著名な音楽家ヒューバート・パリー卿:Sir Hubert Parryが曲をつけたもの。映画「炎のランナー」Chariot of Fire (Hue Hudson 監督、1981年)でも、映像の最初と最後の主人公エブラハムの葬儀のシーンで、彼への敬意とその功績を讃えて流れる。この映画のプロローグとエピローグを飾る感動的な聖歌である。イングランドの不屈の精神と理想を賛美するこの聖歌は、あらゆる場面で歌われる愛唱歌でもある。以前から感じていたことであるが、こうした愛国歌を心置きなく会場全体で合唱し、国旗を打ち振りながら全員が愛国的歓喜の渦に身を委ねるなんてなかなかないことだろう。愛国心は一歩間違えば、と気に病むのは日本人ぐらいなのだろうか。あのときの戦争の戦勝国と敗戦国の違いをいつも感じる。

かつてロンドンのLSEに通っていた時、ストランドのセントクレメント教会から時々この聖歌Jerusalem が聞こえてきたのを覚えている。そもそも教会から聞こえてくる賛美歌や聖歌の調べは、特に我々のような東洋の国からやってきた人間にはエキゾチックに感じるものだ。しかしその時はなんという聖歌なのか、どういういわくのある歌なのか知らなかった。のちに映画「炎のランナー」:Chariot of Fireで、その冒頭と最後に流れる聖歌が、あの時ストランドで聴いたことのある曲であることがわかった。心が震える思いがした。歌詞を知って日本人の私ですら、妙に愛国的気分が高まり感極まる思いがしたものである。それが詩人ウィリアム・ブレイク:William Blakeとの出会いであった。

ところでエルサレム:Jerusalemを書いた、そのウィリアム・ブレイク:William Blakeとは何者なのか?今ではイギリスを代表するロマン派詩人と見做されているが、日本人にはそれほど馴染みのある詩人ではないかもしれない。彼は1757年ロンドン、ソーホーで生まれ、1827年ロンドンのストランドで世を去った。生粋のロンドンっ子である。彼は画家、銅版画家として活躍し生計を立てた他、詩人、神秘主義のアーティストで、難解な作風で幻想的な詩が多く、生前は認められることが少なく不遇であったという。しかし、彼の死後、その評価が見直され現代に至るまで様々なアーチストに影響を与えた。いわばビジュアルアートと文学をあわせて表現した先駆者であり、神秘主義的、象徴主義的な表現メッセージが再評価されたとも言われている。特に彼の預言書、長編詩集「ミルトン」の序章の一節エルサレム:Jerusalem(1818年)が先述のように様々な場面で取り上げられるようになり、曲が付けられるに及んでついには第二の英国国歌とさえ言われるようになった。「ブレイクといえばエルサレム」と固定観念化された感がある。ところで彼にはこの「ミルトン」とは別に「エルサレム」という長編詩もあるので混同されがちであるので要注意だ。この預言書、長編詩「ミルトン」は偉大なる詩人ジョン・ミルトン:John Miltonを主人公とした詩集である。彼はミルトンをギリシア、ラテンの剣の奴隷に毒された預言者と批判しつつ、一方で彼自身にミルトンを投影するような神秘主義的な作品である。その序章に掲げられた「エルサレム」は古典的な伝統主義や近代的科学万能主義の双方を批判した詩となっている。

彼は英国ロマン派詩人と言われているが、自由主義、反戦主義、人種差別反対、奴隷制廃止、女性解放 そして産業革命時代の科学万能主義に抗う歌や作品を数多く描いた。かといって必ずしも政治的なスローガンを前面に出した反体制詩人というわけでもない。神秘的な題材を借りて象徴主義的な表現で語った。この「エルサレム」の歌詞にも産業革命、科学万能時代のシンボルたる煙を吐く工場を「悪魔の工場」に見立て、再び緑豊かなイングランドの丘に理想郷、エルサレムを打立てるのだ!と歌われている。「工場」を英国を覆うあらゆる権威主義、科学的合理主義や自由を束縛するものどものシンボルとし、これと戦う意志の表れとされるが、彼の表現はなんとも幻想的、象徴主義的であり、アナーキーなものを感じる。一方で、イングランドこそ聖なる都エルサレムが建設されるべき「選ばれた地」であるという選民意識の表れとも解釈される。ここが「愛国歌」として持て囃される所以なのだが。

第一次大戦中の1916年に、英国民の戦意を鼓舞するために、先述のように彼の詩に音楽家のヒュバート・パリー卿:Sir Hubert Parryが曲をつけたのがこの聖歌となった。しかしブレイク自身が国粋的な「愛国者」かといえば、前述のように、ある意味ではシニカルでアナーキーな反戦主義者であった。その彼の詩がなぜ、後世、国民の戦意を鼓舞する愛国歌とされたのか?ちなみに作曲をしたパリー自身も自由主義者で戦意高揚歌には抵抗があり、そういう点からブレイクの詩を選んだとも言われている。「愛国歌」であり「反戦歌」であるという、イギリス人には不思議な愛され方をしたものである。その証拠にこの聖歌は、先述のように第二の国歌として歌われるだけでなく、婦人参政権運動の応援歌として、イングランドのラグビー・クリケットチームの応援歌として、労働党の党歌として、あるいは極右グループの愛唱歌としても歌われるという多様な面を持っている。英国という国の持つ多様性というか、感性の複雑性というか、人々の愛国心も一様ではない、なかなか単色で理解がしにくいメンタリティーであると感じる。

日本では大和田建樹、柳宗悦、大江健三郎が ブレイクをロマン主義の詩人として紹介している。


Jerusalem:原詞と日本語訳

And did those feet in ancient time.
Walk upon England's mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Englands pleasant pastures seen!

いにしえの時
イングランドの緑の山々に
神の御足が降り立ったというのか
聖なる神の子羊が
清純なる緑野に顕れたというのか

And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?

雲立ち込める丘に
神の御顔が輝き出でたというのか?
こんな闇の悪魔のような工場の間に
かつてエルサレムが存在したのか?

Bring me my Bow of burning gold;
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

燃え盛る黄金の矢を我に!
望みの矢を!槍を!雲をけちらせ!
炎のチャリオットを!

I will not cease from Mental Fight,
Nor shall my Sword sleep in my hand:
Till we have built Jerusalem,
In Englands green & pleasant Land

心の戦いは決して止まず
剣は手の中で眠ることなし
イングランドの清純なる緑野に
エルサレムを再建するまでは!


BBCより

THE SUNより


会場となるロイヤルアルバート・ホール


2012年のBBCプロムスのYouTube動画はこちらから⇒ https://youtu.be/041nXAAn714


今回入手した「The Poetical Works of William Blake」は1890年の出版の小型の詩集で、いつもの神田神保町の「北沢書店」で入手した。彼の知人のWilliam Michael Rossettiの撰録、編纂であり、巻頭に長文の回顧録が掲載されている。ブレイクの作品の多くが彼の死後、価値が薄いものとして焼却されたり散逸したりしたようで、このロゼッティも、彼なりの評価で撰録し、捨てるものは捨てている。ロゼッティはブレイクの名誉を守るために、彼の名声を傷つけると感じた作品を処分したとしている。その取捨選択の適否はともかく、ブレイクはまだまだ奥深い彼独自の世界を持っていたようで、多くの未知の作品が現代まで残っていないのが残念である。20世紀になって、英国ロマン派の創始者として再認識され、BBCが英国の偉大なる芸術家100人の一人に選定するなど、再評価が進んでいる。本当の芸術家は死してその名を輝かすものなのだろう。



The Poetical Works of William Blake、1890年版
編者は彼の友人William Michael Rossetti

預言書「ミルトン」Jerusalemの一節


預言書「ミルトン」の序文
ここに詩「イェルサレム」が掲載されている

ブレイクによる装画


彼の描くアイザック・ニュートン
産業革命後の科学万能時代を批判する意図で描かれた