2023年1月5日木曜日

古書を巡る旅(29)アダム・スミス全集初版 〜理念と秩序なき現代資本主義に警鐘を鳴らす〜


アダム・スミス肖像と全集表紙

Adam Smith (1723~1790)のサイン


 年末に、貴重な古書を手に入れることができた。1812年のアダム・スミス全集5巻の初版本だ。スミスの没後20年ほど後にロンドンで、初めて全集として編纂、出版されたものである。いつもお世話になっている神保町の北澤書店で「貴重な本が入りましたよ」というわけで見せてもらった。探していたアダム・スミスである。しかも、スミスの直系の教え子であるデュガルト・スチュアートのスミス評伝、書評付きである。ところが、残念なことに5冊とも外装がかなり傷んでいる。1、2巻の表紙は外れ、背表紙も無くなっているし、3巻以降もモロッコ革のタイトルが剥落して無くなっている。書店では改装してから店頭に出そうと考えていたのだが、内部は完全なのでこのままでも良ければ、と格安で譲ってもらうことになった。古書の保存という観点からは改装/バインディングし直すべきなのだろう。ゆくゆくは少なくとも補修をしなければならないだろうが、当面はオリジナリティーを重んじてそのままにしておくことにした。こうした歴史を纏った古書の扱いは実に難しい判断を求められる。素人が勝手に手を入れて古書の原初の佇まいを失わせてもいけない。修復、改装する以上は専門家の手を借りねばならない。時間も費用もかかる。かと言ってオリジナリティーを重んじると、脆弱になっている書籍を破損してしまう恐れがあり、頻繁に手にすることは憚られる。ジレンマだ。

アダム・スミスの著作には、これまでもなかなか出会うことがなく、いつかは、と念じたものだった。東大の図書館には、新渡戸稲造がロンドンで入手したという「道徳感情論」と「国富論」の初版本が収蔵されている(下記リンク参照)が、古書市場に出回ることは稀である。たまにネットに掲載されることもあるが、稀覯書として値札すらついていないのでとても手が出るものではない。今回、入手したものはスミス自身による上記二大著作の初版本ではないが、初めて全集として出版された貴重なものである。こうした書籍を紹介していただいた北澤書店には感謝である。しかし、こうして出会ってみると不思議なものだ。偶然といえば偶然の出会い。いや、必然といえば必然的な出会いかもしれない。現代の理念と秩序の欠落した資本主義。そういう危機的な状況に瀕しているこの時代、戦争と疫病と経済混乱に翻弄されたその2022年の暮れに、250年前のアダム・スミスがタイムスリップしてきて、「君たち、色々騒がしいようだが、私が言ったことを本当に正しく理解しているのか?」と問いかけてきた。この現世の混乱をあの世で見てられなくなってこの世に蘇ってきた。「原典に帰れ!」と言って、この5冊を置いていった。そう思いたくなるような出会いである。

この全集には、スコットランド啓蒙主義を代表する哲学者の一人であるデュガルド・スチュアート:Dugald Stewart(1753〜1828年)によるアダム・スミスの評伝と書評が収録されている。スチュアートはグラスゴー大学でスミスに師事し、直接の教えを受けてた後継者の一人である。のちにエジンバラ大学の教授として、またエジンバラ王立ソサエティーのフェローとして道徳哲学(Moral Philosophy)を教え、スミス思想の普及者としても名を残した。スミスの友人でよき理解者のデビッド・ヒューム(経験主義哲学)と共に後世に記憶されるべき人物である。本書に収録されている人物紹介と書評は、1793年にスチュアートがエジンバラ王立ソサエティーで講義したものである。

改めて言うまでも無いが、アダム・スミス(1723~1790)は「経済学の父(古典派経済学の父)」と言われている。経済学(Political Economyと呼ばれていた)という学問を生み出した人物とも評されている。我々現代人は経済学という学問領域が存在していることに何の違和感も感じないが、この頃は大学に経済学という科目はなく、彼も経済学者ではなかった。アダム・スミスはグラスゴー大学では倫理学と道徳哲学を教えた。彼の道徳哲学者としての源流をたどれば、友人であるデビッド・ヒュームからハチソン、シャフツベリー伯爵(アンソニー・アシュリー・クーパー)という啓蒙主義を代表する思想家へと遡ることができる。さらには経験論哲学のフランシス・ベーコン、自由主義の父のジョン・ロックに行き着く。経済学は倫理学と哲学から生まれたのである。そういう意味ではスミスは最初の経済学者となったと言うべきかもしれない。その成り立ちと思考のプロセスは彼の著作を読むことで理解できる。彼はまず1759年に道徳哲学の論文として「道徳感情論」:The Theory of Moral Sentimentsの初版を著した。以降、これは何度も修正、加筆が重ねられ、1790年の第6版まで改訂追補された。そしてその論考の過程の中から1776年に「国富論」(あるいは「諸国民の富」とも訳される):An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nationsが生まれた。スミスは「道徳感情論」の第6版の序文で、これに盛り込めなかった考察を「国富論」で実現できたと説明しており、一方で「道徳感情論」の改訂版へのフィードバックも見て取れる。このように両著は、一体で不可分の道徳哲学論として書かれたのだが、後世に「国富論」は古典経済学の原典と見做される事になる。ちなみに時代はアメリカの独立宣言(1776年)、フランス革命(1789年)と激動の時代であり、科学の時代、産業革命勃興期である。これらがスミスの思想に与えた影響は大きい。

この全集は原著の出版年代順に合わせて、まず第1巻には「道徳感情論」が掲載されている。ただ掲載されている版はその最終版、すなわち第6版(1790年)である。そして2〜4巻が「国富論」である。大部の著作である。最後の5巻が、そのほかのスミスの哲学論文集と、スチュアートによるスミス評伝/書評となっている。この順番には大きな意味が有ることを理解する必要がある。後世の人は、この順番を間違えてスミスを理解する、すなわち「国富論」が主論文で「道徳感情論」は付随的な論文である、あるいは「国富論」のみを読んでスミスを理解する、という過ちを犯しがちである。確かに「道徳感情論」が顧みられない時期があったが、今では、先述のように、この「道徳感情論」こそがいわば本論であり、そこから「国富論」が生まれたとの評価となっている。この理解が重要である。その理解の欠如がスミスの説く古典経済学理論を正しく理解せず、ひいては現在の資本主義の混乱を招いていると言っても過言ではない。

まずスミスは「道徳感情論」で、そもそも人間とは、自分のことしか考えない利己的な存在ではなく、他人に対する「共感」(sympathy)を持つ存在である。「利己的」ではなく「利他的」に行動する存在であり、故に「社会的存在」(social being)であると。ということは、すなわち個人は自分が所属する社会で一般的に通用する「公平な観察者」(impartial spectator)を胸中に形成し、それによって行動する。これが正義と社会秩序の土台となる。また人間は「賢明さ」と「弱さ」の両面を持つ。「賢明さ」は心の中の「「公平な観察者」の判断に従って行動することであり、社会秩序の基礎をなす。「弱さ」は自分の利益や世間の評判を優先させて行動することであり、社会の繁栄を導く原動力になる。しかし、「弱さ」は放任されるのではなく、「賢明さ」によって制御されなくてはならない。制御されない財産形成という野心や利潤獲得競争は社会秩序を破壊し、結果として社会の繁栄を妨げる。またなぜ人間は財産や地位に固執するのか。それは世間の賞賛と尊敬が与えられるからだ。それが、他人の目を意識するという「社会的存在」たる人間の「賢明さ」でもあり「弱さ」でもあるとした。そして次の論考「国富論」はこの人間理解から出発している。「国富論」をより正しく理解するためには、この「道徳感情論」こそ、よりよく熟読玩味すべきであろう。

次にスミスは、「道徳感情論」で述べたような、そうした性質を持つ人間、すなわち「社会的存在」としての個人が「公平な観察者」という制約条件のもとに、自分の経済的利益を最大化するよう行動する。そういう個人の経済活動が、自由にお互いに競争することによって経済が発展する。そういう社会の仕組みを詳細に論考し「国富論」として著した。すなわち「国富論」は「道徳感情論」のエクステンションとして生まれた産物と言っても良い。元々は、次の論考を「法と統治の一般理論」とする予定であったが、これは未完となり「国富論」となったと言われている。ちなみにこの未完の原稿は、スミスの死の直前に彼の願いで焼却されてしまった。彼の友人の手元に残された一部の断片的な論文が「哲学論文集」としてこの全集に収録されている。ともあれ、「国富論」は重商主義的な王権や国家による経済活動の統制/介入や、金塊の蓄積、保護貿易を批判し、自由な個人の経済活動、自由競争市場こそが、高い成長と豊かで強い国への発展の源泉であると論ずる。さらに価値を生む源泉は個人の労働であるとする「労働価値説」に立つ。換言すると、「個人的利益追及行動」が「社会全体の経済的利益の増大」につながる。そして「レッセフェール」「神の見えざる手」(invisible hand)による市場調整メカニズムが働き価格が安定し、社会の発展と成長へと繋がるのだと。しかし、これは決して「利己的」で、強欲、無秩序な資本主義や経済活動を是とし、それが経済発展、国富増大の源泉であると説いているのではない。繰り返すが、「国富論」でスミスが前提としている人間は、「道徳感情論」で描かれている「他人に対する共感」を持ち「利他的な行動」をとることのできる「社会的存在」である人間、「公平な観察者」としての制御ができる人間であることを思い起こさねばならない。この前提を忘れた「国富論」読みは「論語読みの論語知らず」となる。

こうしたスミスの二つの著作への再評価は、まさに現代の資本主義が抱える問題への反省と、課題解決への取り組みの中から生まれてきた。スミスは決して「欲望の資本主義」の教祖ではないし、彼の論理が間違っていたわけでもない。これを日本に当てはめて考えてみると、渋沢栄一の「道徳/経済合一」主義である。渋沢がここへ来て思い起こされるようになった時代背景と共通するであろう。彼の場合は論語的な道徳観であるが。道徳、倫理を忘れた経営者、政治家ではダメだということは、スミスも18世紀末にはすでに唱えていたわけだ。このスミスの「道徳感情論」を渋沢栄一も読んでいた。彼は講演の中でスミスの言葉をを引用している。このスミスと渋沢の原点が忘れられてきたことへの反省が今湧き起こってきたとも言える。そして哲学的、倫理的視座を持たない、すなわち理念と秩序の観念の欠如したリーダーに説得力あるビジョンは語れないし、正しい富の創造もできない。リーダーと言われる人々が大好きな歴史を語って見せても(戦国武将や維新の英傑をロールモデルに準えてみても)、「歴史的な想像力」を働かせる能力が涵養されなければ、その歴史に学ぶことも叶わぬ。。日本の高等教育に欠けているのはコンピュターサイエンスやデータサイエンスなどの教育や、起業マインド醸成や金融、財務、法務知識だという人がいるが、そのような「パンのための学問」(Brot Wissenschaft)、いや「諸科学」(Sciences)の前に、「哲学」(Philosophy)の素養が忘れられているのではないか。「広い視野」「高い目線」と「深い洞察」が養われていない。何よりも「人間への理解」が欠如している。そちらの教育が先じゃないか。アダム・スミスも渋沢栄一もそれを教えている。「総論あって各論なし」というが、むしろ「各論あって総論なし」では無いのか。日本の先人には論語の素養という重要な徳育科目があった。西欧の先人にはキリスト教的な倫理、道徳から止揚した啓蒙主義、近代合理主義という素養があった。その根底にはギリシア語、ラテン語の古典素養があった。その上での経済であり、政治であり、法律であり、科学技術であった。アダム・スミスをただ自由放任主義(レッセフェール)を唱える「国富論」を書いた古典経済学の祖と捉えるだけでは、こうした哲学という基盤の上の経済思想であることを理解していないことになる。繰り返すがスミスは啓蒙主義の倫理学者、哲学者であった。「資本主義的合理性」とは何か。もう一度考え直してみる必要がある。

さて、アダム・スミスの贈り物をじっくりと研究し直してみるとしよう。またしても日暮れて道遠しではあるが。暗い夜道はやるべきことが多くて忙しい。それもまた結構結構。ただその前に、この全集の装丁の修復、改装を行わなければならないだろう。

参考ブログ:2020年の年頭に書いたブログで、SDGsの提唱者の一人で社会問題解決の理論と実践でノーベル平和賞を受賞したモハメド・ユヌス博士の、ソーシャル・ビジネス(社会事業)について述べた。ユヌス博士は彼の著作「三つのゼロ」の中で、アダム・スミスの再評価と資本主義の再定義を提唱している。実践する社会事業家である経済学者の理論はまさに傾聴に値する。2020年1月6日「欲望の資本主義」の行く末 2020年年頭の妄想を参照することをお勧めしたい。



アダム・スミス全集5巻
1、2巻は背表紙が欠損している。3〜5巻もタイトルが剥落している。
外装はかなりの痛み具合だが、中はしっかりしている。


「道徳感情論」(初版1759年)表紙

「国富論」(初版1776年)表紙


Dugard Stewart による人物評/書評

Dugard Steward (1753~1828)


東京大学経済学図書館・資料室デジタルミュージアムに
スミスの「国富論」初版本など、貴重な蔵書が展示されている。

リンク:東京大学経済学図書館・資料室デジタルミュージアム



参考文献:「アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論』の世界」堂目卓生著 中公新書

                    「アダム・スミス 自由主義とは何か」水田洋著 講談社学術文庫