2024年10月21日月曜日

武蔵國荏原郡大井村 鹿嶋神社の秋祭り

 今日20日は鹿嶋神社の秋の例大祭。

「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日。ドンドンヒャララ、ドンヒャララ🎶朝から聞こえる笛太鼓」

ここ武蔵國荏原郡大井村は江戸近郊の農村だった。今の東京都品川区大井である。東海道からは少し離れていて、海岸べりの品川宿からは坂を登った高台に位置している。縄文時代の遺跡である大森貝塚(大井町にあるのだが)や弥生集落遺跡も多く検出されていて、先史時代から海にも山にも近い立地の集落として栄えていたようだ。律令時代には、一時みやこから下向した武蔵國の受領が館を構えたこともあるそうだ。鎌倉往還沿いには来迎院という平安時代開基の天台宗寺院がある。天台宗ということは平将門の乱平定と関係があるのだろうか。江戸時代には三代将軍家光の鷹狩りの休息所「お茶屋敷」に利用されたという。鹿嶋神社は来迎院の域内社として常陸国鹿嶋神宮から勧請された。現在は明治初期の神仏分離令で別れてしまったが今でも隣り合わせ。大井村はこの辺りでは結構大きな村だった。かつては海岸段丘にあり今でもあちこちに湧き水が出ていて水神様の祠や井戸がある。だから地名が「大井」なのだと土地の古老は言う。そうした水場は江戸に出荷する野菜の洗い場だったとか。明治になると伊藤博文の別邸など、政財界の大物の別邸が設けられた。それにつられるように帝都東京郊外の閑静な住宅街として官僚や軍人、会社員が住んだ。さらに鐘紡、日本光学、三共製薬などの工場も進出してきて賑わい、人口も増えて東京市の一部となっていった。関東大震災の被害が少なかったせいで、震災後は急速に住宅地化していった。昭和7年(1947年)には東京市の行政区画が15区から35区に組み替えられ、旧大井村は品川区になった。戦後は23区に再編され品川区である。品川というと品川駅が中心だとを思いがちだが、あそこは高輪(旧芝区、現在は港区)。品川区の中心は大井町で区役所も最寄駅は大井町駅である。ちなみに京急北品川駅は品川駅の南にある。五反田駅、目黒駅は品川区にある。ああ、ややこしや、ややこしや。