時空トラベラー The Time Traveler's Photo Essay
この国のなりたちをたどる旅。その心象風景を綴るフォトエッセイ。 旅の相棒はいつも写真機。
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邪馬台国と初期ヤマト王権
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2023年2月27日月曜日
古事記の神話は「文字の起源」をどのように語っているか? 〜「漢文」「変体漢文」「万葉仮名」から「平仮名・片仮名」へ〜
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古事記 寛永版板本(江戸時代) 「文字」を使う、ということはどういうことを意味するのか? 音声による「言語」は、誰かが作ったり、使わせたりしたものではなく、人々が感情や情報や意思を「伝える」ために「発声」し、それを聞くという「聴覚」によるコミュニケーションツールとして自然発生的に...
2023年1月11日水曜日
古事記の神話は「人の起源」をどのように語っているか? 〜葦原中つ国の「青人草」とは?〜
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「葦原中つ国」の「青人草」 「豊葦原瑞穂国」の実り これまで「初期ヤマト王権はどこからきたのか?」という問いに対する答えを求めて古事記を読んできた。その問いに対し古事記は「ヤマトは天上界(高天原)の神々が産んだ地上の島々(大八洲すなわち葦原中つ国)に、天照大神の子孫が降臨し、その...
2021年8月25日水曜日
初期ヤマト王権はどこから来たのか?(第六弾) 〜とりあえずこのシリーズ完結編。で、謎は解明されたのか?〜
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竜王山から展望する 初期ヤマト王権の地 左から大和三山、箸墓古墳、纒向遺跡、行灯山古墳、渋谷向谷古墳、背景は葛城山、金剛山、二上山 甘樫丘から見る三輪山 黒塚古墳頭頂部より箸墓古墳を展望 纒向居館跡発掘現場 背後には三輪山が 大和路散策もままならぬこの夏、夏休みの宿題じゃない...
2020年12月26日土曜日
「邪馬臺国はどこにあったのか?」〜「邪馬臺国位置論争」にはどのような意義があるのか?〜 「49同期会プレゼンテーション資料」
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12月19日に開催されたZoom「49同期会」において、表記のタイトルでプレゼンテーションの機会を与えていただきました。その時のパワーポイントスライドを掲載いたします。楽しく活発な意見交換をありがとうございました。答えは未だ見つからないものの、謎に迫る新たな論点もいくつか明ら...
2020年7月1日水曜日
初期ヤマト王権はどこから来たのか(第五弾)〜考古学はどのように語っているのか?〜
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三輪山 この山麓に「おおやまと」という「クニ」が生まれた 2009年三輪山山麓で古代居館跡が発見された 纒向遺跡である 箸墓古墳 「おおやまと」の初代の王の墳墓だと考えられる 三輪山を背景に これまでは中国の史書、そして日本の文献史料「古事...
2020年5月26日火曜日
初期ヤマト王権はどこから来たのか?(第四弾) 〜日本書紀は何を語っているのか?〜
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河内と大和の間にそびえる生駒山 カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)は生駒山麓の河内の草香江から大和に攻め入ろうとしたが、ニギハヤヒ(饒速日)の支配下にあった土豪ナガスネヒコ(長髄彦)の抵抗を受け敗退する。 ちなみに現在の東大阪のあたり(画面左)は当時は「河内湾」ないしは「...
2016年10月18日火曜日
「初期ヤマト王権」とは何か? 彼らはどこから来たのか?
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2009年秋の纒向遺跡発掘現場 中華文明フロンティアの移動。 10万年前にアフリカを出た人類は、アラビア半島からユーラシア大陸の西端に向かった一団と、ヒマラヤ山脈の北と南に分かれてユーラシア大陸の東へと進んだ一団とに分かれた。そして、その一部が3万年前に...
2016年5月9日月曜日
結局「邪馬台国」はどこにあったのか? 〜倭国「天下統一」事業の実相〜(続編)
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伊都国平原遺跡 王墓 時空トラベラー The Time Traveler's Photo Essay : 結局「邪馬台国」はどこにあったのか? 〜倭国「天下統一」事業の実相〜 : 広大な筑紫平野と筑後川、有明海の恵み ここが邪馬台国のホームグラウンド、チクシ倭国連合の...
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