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| William Ball版 ”Works of Lord Bacon ” in 2 volumes, 1831刊行 |
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| Francis Bacon(1561~1626) |
「偉大なる哲学者」ベーコン
前回は「ベーコン書簡集」(下記ブログ参照)を基に、「偉大なる哲学者」フランシス・ベーコン:Francis Bacon(1561~1626)のもう一つの顔、「王権にへつらう卑しむべき政治家」大法官としてのベーコンを語った(同時代の風刺詩人アレキサンダー・ポープの「最も輝ける、最も賢明な人物、そして最も卑しむべき人物」という評価に由来する)。またエドワード・コークとの「法の支配」「コモン・ロー」「司法の独立」「議会の優位」を巡る論争についても語った。しかし(ラッセルが評するように)彼は聖職者でも学者でもなく、ある意味でよくある普通の宮廷官僚であり、王権と有力者に取り入り出世栄達の競争に腐心した世俗の人間であった。今回は、前回看過した嫌いがある「偉大なる哲学者」としてのベーコンに立ち戻って語る。政治家、宮廷官僚、法律家ベーコンにはさまざまな毀誉褒貶がつきまとうが、結局ベーコンは何をしたのか?なぜ「偉大なる哲学者」なのか?彼は膨大な著作集を残している。それを辿ることで彼のもう一つの顔を見ることができるだろう。彼は、いわば近代合理主義の思想的、方法論的元祖であり、科学の進歩に大きな第一歩を記した人物と見做されている。のちの産業革命、自由貿易体制、立憲君主制(かれ自身は絶対王権信奉者で自由主義者でも民主主義者でもなかったが)など、いわば西欧流近代合理主義の時代を生み出す哲学的思潮の源流であった。我々日本人の視点で言うと、東洋の日本にもたらされた「西欧近代文明」の元祖の一人と言って良いだろう。
哲学と神学
ベーコンはイギリス経験論哲学の祖。近代科学、合理主義、経済学、自由主義、民主主義の源流と言われる所以は如何。かれの哲学思想は、ギリシア哲学、さらには「哲学は神学の僕(しもべ)」とするスコラ哲学に対する懐疑と批判から生まれた、ベーコンは神学と哲学は分離されるべきものであり混淆してはならないものであるとする。哲学は人間の理性にのみ依拠すべきもの。神学は神の啓示に依拠すべきものとし、「理性の真理」と「啓示の真理」という「二重の真理」の擁護者であった。これはトマス・アクィナス以来スコラ哲学が基本的な神学/哲学理解と考えられていた時代に画期的なことであった。我々日本人はその歴史の中で幾多の世界文明を受け入れ、日本的に変容させてきた。それはインドから来た仏教思想であり、中国から来た道教、儒教思想であった。しかし西欧文明における「神の啓示の真理」は受け入れなかったが、「人間の理性の真理」は受け入れた。すなわち17世紀にキリスト教の受容は拒絶したが、19世紀に近代合理主義は受容した。この史実は日本の外来文明の受容と変容の歴史において大きな意味を持っている。この哲学思想は、中国や朝鮮などでは強い抵抗を受けたが、日本の精神土壌には受け入れられたのである。西欧の知識人が懐疑的であった「キリスト教化されない文明開花」に答えを出したのである。
17世紀「科学の時代」
デカルトやベーコンの時代、17世紀は「科学の時代」幕開けの世紀であった。それは主に天文学、物理学(自然学)の領域で始まった。記憶されるべき重要な人物はコペルニクス、ケプラー、そしてガリレオである。そしてやがてニュートンが生まれた。仮説をたてそれを観察/実験で実証する。こうした学問のアプローチ、実証主義的な世界観は、「天動説」を否定し「地動説」実証することになる。これはまさに天地がひっくり返る出来事であった。哲学者が科学的発見やその進化に大きな影響を受けたことは想像に難くない。哲学は神学から分離される。ニュートンはベーコンの後に生まれたのであるが、ベーコンの経験論哲学の影響を受けて科学の時代の画期となるニュートン物理学を打ち立てた。若き日のベーコンがケンブリッジでギリシア哲学やスコラ哲学に興味を惹かれず、自ら自然の観察や実験にのめり込んでいったことも大いに理解できる。ちなみにニュートンもケンブリッジの学生であったし、のちには教授であった。またベーコンの経験論哲学を体系化して、次の近代合理主義に組み立て直したのはニュートンと同世代のロックであった。
経験論哲学 ベーコンとデカルト
ベーコンはデカルトと双璧をなす合理主義哲学の祖と言われるが、デカルトが「われ思う(考える)故に我あり」:Cogito Elgo Sumとして、全てを疑ったのち(デカルト的懐疑)、肉体(物質)よりもCogito(考えている自分、すなわち精神)だけが確かなものであり、この真理の原点から物事を説明し理解する「演繹法」:deductionを取ったのに対し、べーコンは自然や社会を実験と観察による実証で理解説明する「帰納法」:inductionをとった。そのゆえに「経験主義」:empiricismと呼ばれる。ベーコンは科学的心性をもつ哲学者の系譜の最初に位置する人であった。そして学問の方法論を見直し、全く新たな体系化を目指した。とは言いながらラッセルが批判するように、彼は科学の時代を切り拓いた(天文学/物理学)コペルニクス、ケプラー、ガリレオの重要な科学的発見(「地動説」「惑星の運動周期」などの天文学的な発見)の成果を十分に取り上げておらず、その意義を看過している。また科学を重視しながらも「仮説」の重要性をが強調されておらず、単にデータや事実を秩序正しく整理すれば仮説となると考えた。しかし実際には仮説を作り出すことが科学的仕事で一番難しい。しかも科学における演繹法の果たす役割は大きく、その演繹は数学によってなされることが普通である。彼は科学研究における数学を軽視した。この点で同じように天文学や物理学といった科学の発展にインスパイアーされ数学や幾何学理論を重視したデカルトと異なる。このように彼の経験論、科学的合理性には多くの問題を含んでいたとも言える。「魔術から科学へ」の過渡期にあったベーコンの限界であったのだろう。彼の後に出たニュートンでさえ「最後の魔術師」などと評されたくらいである。
近代合理主義の源流 そして「合理的」とは?
とは言え、ベーコンが人間の理性に基点を置き科学的合理性を重視した哲学者として果たした歴史的な役割は否定できない。ホッブス、ロック、ニュートン、バークリー、ヒューム、スミスと続くイギリス経験論哲学、イギリス啓蒙思想を生み出した。のちの西欧流近代合理主義の源流とみなされている。一方でそうした近代合理主義は、道徳、倫理、信仰の問題をどう捉えたのか?科学的合理性が世界を、人類を大きく進歩させた。しかし、人は科学的合理性では果たし得ない価値があることにも気がついた。観察と実験、検証と法則発見という、経験論的な実証主義、帰納法だけでは解けない世界の深い闇。カール・ポパーは科学的合理性は実証ではなく反証可能性でしか語れないと、ベーコンの帰納法による合理性を批判している。歴史を科学的な理論として捉えようとする動きに対し「歴史に理論的な法則などない」と断じた。社会のあらゆる事象が科学的合理性で語られるわけではない。そうした哲学論争はともかく、科学的合理性、資本主義的合理性に疲れている現代人が多いことは確かだ。人間の理性も感性も、全てが科学的合理性を受け入れているわけではない。そのように世の中が動いていると考えるわけでもない。産業革命期に起きたラッダイト運動(機会打ち壊し)や科学万能主義への反発、ロマン主義の台頭が起きたように、現代の情報革命の時代にあってもAIを無批判に歓迎するわけでもない。非合理的な感情や、感性、美を懐かしむ人も多い。詩歌や音楽や美術は科学なのか。侘びや寂に科学的合理性があるとでもいうのか。また資本主義的合理性が見落としたさまざまな社会の矛盾にも気づいた。商業活動における「三方一両得」は非合理的なのか。利他的な自己犠牲という選択は合理的意思決定ではないのか。「合理的」:Rationalとは何か? そんなことをここで言って、ベーコンを責めてもしようがないが、21世紀の現代、「近代合理主義」教の教祖の一人ベーコンの400年前の著作に触れて、その後何度も押し寄せた「合理主義」への反動の波が今再び押し寄せていることに気づく。
「偉大なる哲学者」と「世俗宮廷官僚」
ベーコンの思想と哲学、学問の理想、科学の実践は、世俗における欲望と葛藤と無縁ではないように思える。若き日の出世意欲に満ち満ちた時期の著作『随想録』。権力の頂点、大法官に上り詰める過程での著作『学問の進化』『諸学の大革新』『新機関』『森の森』などの大作(未完のものが)。そして失脚後に著した膨大な改訂作業、ラテン語著作。さらには死後に刊行された『ニュー・アトランティス』。ケンブリッジの学生時代に没頭した実験と観察による自然の解明しようとする情熱と姿勢は、やがて宮廷官僚として世俗政治の世界に塗れるうちに変わっていったのか。「知は力なり」は結局、知性ある絶対君主による統治を美化し、理想とした。そのような絶対王権の下でで学問の再構築、再体系化を試みた。しかしそれはその時代には実現しなかった。後世において知の体系化はフランスのデュドロなどのいわゆる百科全書派によって異なる形で実現された。また英邁な君主のもとに組織化される「ソロモン学院」のような科学の殿堂を夢見た。これはのちに王立アカデミーという形で実現する。彼は知識を重視し「四つのイドラ(偏見)」に囚われて世の中を見誤らないよう警告しているが、結局は彼自身が、世俗の煩悩というイドラに絡め取られてしまった。ベーコンの主治医で血液循環の仕組みを解明した科学者ハーベイは、彼を「大法官のように哲学した」と評した。ラッセルは、「ベーコンが世俗の欲望からもう少し離れていれば、もっと多くのことをなしたに違いない」と評している。ベーコンの思想・哲学の歴史的意義を評価するも、その完成を見るためにはロックなどによる経験主義哲学の体系化の成果を待つ必要があった。
次にベーコンの主要著作を紹介し、その主張をまとめてみた。
ベーコンの主要著作(刊行年別)
1)『随想録』:Essays or Counsel Civil and Moral 1597年
人生、政治、学問などについて独自の洞察を短文で綴った随筆集、最初は10編からなったが、のちに追補を重ね56編に及んだ。
2)『学問の発展』:The Proficience and Advancement of Learning 1605年
既存の哲学批判と知の大切さ。独自の学問分類を提唱。「心理の性質」と「学問する人間の知的能力」の二分法。哲学、詩、歴史、自然研究へと繋げてゆく知識獲得方法と人間の認識、判断を妨げる意識について言及。のちの帰納法、「イドラ」につながる分析。知識の伝達が重要とし、研究者間、世代を超えた共同研究で知識を発展させることを期待。
「知は力なり」:Ipsa scientia potestas estで知られ、当時の学問の現状を分類、批判し、有用な知識の探究と学問の発展を幸福のために追求することを説いた。一方で科学の発展には権力が必要で「知」と「権力」の結びつきを説いた。理想的な統治形態は「知性」に溢れる王による「絶対王政」であり、学問や科学はそういう国家で発展すると考えた。
1603〜1605英語版刊行であるが、その後幾たびかの改訂作業ののち、20年後にラテン語版が。さらに没後にその英訳版が1640年にオックスフォードで刊行されている。
3)『諸学の大革新』(全5編):Instauratio Magna 1620年
全6編からなる、壮大な学問改革計画。観察と実験による機能法による科学の方法論を確立することを目指した。すなわちギリシア哲学、スコラ哲学に基づく既存の学問体系、方法論を全面的に見直そうと言う壮大な試みである。先の英文著作『学問の発展』を発展させたもの。彼の失脚後の著作でラテン語で書かれた。しかし未完と言わざるを得ない。
第2編の『ノヴム・オルガヌム』がその要となる論考。
4)『ノヴム・オルガヌム:新機関』:Novum Organum 」1620年
アリストテレス論理学の「オルガノン」への批判。4つの「イドラ」偶像あるいは偏見を排除して「実験、観察、検証、法則」から真理を導く「帰納法」を提唱した。「オルガノン」は機関というより方法論、論理という訳の方が適切かもしれない。ベーコンはアリストテレスの強烈な批判者であり、アリストテレスの「三段論法」を軽蔑した。実用的科学や技術の進歩を重視する経験論哲学を説き、新しい論理学による諸学問の近代化を目指した。
5)『森の森:自然科学史』:Sylva Sylvarum A Natural History 1627年 没後
10の世紀のそれぞれ100項目にわたる、実験、観察、自然現象、医学、物理実験の事例集。そのような知識、データ、事実の集積と分析が科学的な仮説をうみ、それを実証的に証明する学問につながると考えた。帰納法の論拠とした。
6)『ニュー・アトランティス』:New Atlantis(未完)1627年 没後
科学技術の発達した理想社会を描いたユートピア小説 架空島ベンサレムのソロモン学院という研究機関構想がのちの1660年の王立協会設立に繋がった。さらにオックスフォード理学協会へとつながる。5)のSylva Sulvarum A Natural Historyの第10編に掲載される
書簡集については以前のブログで紹介
2024年8月10日古書を巡る旅(54)ベーコン書簡集(1)
William Ball版『ベーコン全集』全2巻:’The Works of Lord Bacon’ in TwoVolumes, 1838年刊の構成
出版人William Ball自身による70ページにわたるイントロダクション。ベーコンの私的牧師、伝記記録者であったDr. William Rawleyによる略歴や解説の引用随所。それ以外は後世のベーコン研究者や翻訳家などの評論や注釈を一切用いていない。またラテン語で書かれた著作は、英訳されず原文のまま全集に取り入れられている。各著作は、書かれた年代順、時系列ではなく、カテゴリーによって分類され掲載されている。
19世紀当時、他の伝記作家、ベーコン研究者によって編纂されたアカデミックな大型「全集」(16巻本)よりコンパクト(と言っても2巻本に小活字で1600ページが凝縮されている))にまとめられている。主な読者層としては、学生、法律家、ジェントルマン層で、図書館ではなく自宅で読めるよう手に取りやすさを意図して刊行された。当時のロンドンの出版業界の中心街Paternoster Rowで商業的な成功を収めた全集と言われている。
現代の日本語訳(岩波版)の底本となっているのは、The Works of Fr. Bacon, collected and edited by J. Spedding, R. L. Ellis and D. D. Hearth, London 1858のようだ。ラテン語文の英訳責任者はSpedding (Trinity college Cambridge)。
第一巻
Introductory Essay (署名はないが出版人William Ballによるものと考えられる)
Philosophical Works(哲学論集)
The Proficiency and Advancement of Learning, Divine and Moral(学問の進化)
Sylva Sylvarum, or A Natural History, in Ten Centuries(森の森:10の世紀の自然史)
New Atlantis (ニュー・アトランティス)(未完)
他
Works Moral(道徳論集)
Essays or Counsels Civil and Moral(随想集)
Theological Works(神学論集)
Works Political(政治論集)
Law Tracts(法律論集)
Writing Historical(歴史著作)
第二巻
Letters(書簡集)
Speech(演説集)
Instauratio Magna Pars I(諸学の大革新)ラテン語原文
Instauratio Magna Pars II
Novam Organum, Siva Indecia Vera De Interpretatione Naturae(ノヴム・オルガヌム:新機関)
Instauratio Magna Pars III
Instauratio Magna Pars IV
Instauratio Magna Pars V
出版人:William Ball at Aldine Chambers and No.34 Paternoster Raw 1835~1841
参考書:
『西洋哲学史』バートランド・ラッセル 市井三郎訳 (みすず書房)


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