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2026年5月15日金曜日

世界に冠たる本の街「神保町」を楽しむ 〜ネット時代の古書店は知のワンダーランド!〜


知の殿堂「北澤書店」


書籍・出版文化の危機、活字離れ、書店の経営危機が叫ばれて久しいが、ここにきて書店業界に新しい潮目が現れているようだ。建て替えを終えた「三省堂書店」の本店開業が大きな話題となっているように、本の街、神田神保町が活気付いている。和書、洋書を問わず多様な専門分野の書店が軒を連ねる世界最大の古書街。その神保町での古書店巡りが、海外からのツーリストの東京への来訪目的の一つとなっている。それぞれに特色を持った古書店には外国人ブックハンターが押しかけている。イギリスのTime Out誌で「世界で最もクールな街」に選ばれた。この空前の「神保町」ブームは何を意味しているのか。

日本は、和書、洋書、漢籍を問わず古書/古典書をよく保存し、流通させている国の一つであるとみなされている。イギリス人がシェークスピアやディケンズを求めて神保町にやってくる。フランス人がデカルトやニーチェを探しにやってくる。中国人が杜甫や白楽天を求めてやってくる。それが不思議でないのが神保町だ。浮世絵やジャポニズムだけでなく、日本文学の古典の英訳版が人気である。最近は、漫画やアニメ、映画に加えて日本の新しい文学作品が欧米諸国で人気が出ていることも話題となっている。注目すべきは、こうした「聖地」神保町ブームが、インスタやX、YouTubeなどのSNSによって世界中に拡散している点である。読書離れ、書店や本の衰退が云々されがちだが、神保町を歩いてみると、新しいかたちの書籍ブーム、古書店人気が起きつつあると実感する。

もちろんロンドンにもチャーリングクロス・ロード(あの映画や小説で有名な)やセシル・コートなどの古書街。フリート・ストリートなどの出版、新聞雑誌街がある。周辺にロンドン大学や大英博物館、高等法院などの教育・研究機関が数多いなど、その成り立ちも神保町の書店街と似ている。しかし、その古書店の集積度と多様性は、はるかにロンドンのそれを上回っている。またロンドンの老舗古書店は、最近は店舗をたたみ、郊外に移転するか、オンライショップに変更しているケースが多いと聞く。あの伝説の「Mark's Book Shop」も今はなく、ファーストフード店になっている。神保町でも廃業した古書店もあるが、盛業中の実店舗が130店以上も軒を連ねていることにはおどろかされる。これが世界的に注目されて外国人が殺到する理由となっているとしても不思議ではない。


「知の迷宮」を彷徨う

そもそもかつて古書店は、一種、日常から隔絶された別世界であった。ドアを開けて(ほぼ例外なく)静寂で薄暗い店内に一歩足を踏み入れると、足元から天井まで本、本、本。壁という壁は古色蒼然たる本のモロッコ革の背表紙て埋め尽くされている。そう、本の大海に揺蕩う漂流者になる。ここでは時間の流れが止まっている。いや数百年の歴史が重層的に折り重なっている。本の間から滲み出てくる何百年も前の文字が空間を浮遊している。この「知の迷宮」を彷徨う至福の時間。それが古書店探索の魅力だ。これは決してオンライン書店では味わえない。

ロンドンの古書店の中には、どこに何の本があるかわからないようなダンジョンのような本屋が珍しくなかった。ロンドンで古書店通いしたのは、70年代に留学した時と、90年代にロンドン勤務した時なので、もう随分と前のことだ。古書店の建物自体がチャールズ・ディケンズの時代から変わらぬものである。狭い店内に入ると足の踏み場もない。店員はこちらから話しかけない限り近寄ってこない。それでも薄暗い片隅のデスクに佇む店主に聞くと、たちまち目当ての本を取り出してくれる。魔法だ!いや彼の頭の中にはこのランダムに積み上げられた古書のインデックスが保存されていて、たちどころに脳内のサーチエンジンが起動し、検索、取り出しができるのだ。達人技、いや神技である。そして先ほどまでの寡黙さと眼鏡の奥の無愛想な眼は、芝居だったのかと思わせるような饒舌さで語り始める。本への愛が止まらない。こうした人種はロンドンのダンジョンには生息しているが、現代のアマゾンのジャングルではお目にかかれない。

目当ての本などなくても、ただ迷宮をあてもなく漂うのも楽しい。目についた古色蒼然とした革装の本を梯子を頼りに取り出し(周りの本が崩れ落ちないように気をつけながら)、そこに思いもよらない世界を発見することも古書店の醍醐味だ。数百年という「時間の経過」を纏った古書。先人の知恵との出会いに心が震え、自ずと時間の経過にしかるべき敬意を払うようになる。 17世紀イングランドで刊行された本が、本棚から私に向かって目配せするなんてことが他にあろうか。

古書には前の所有者の蔵書票や、サイン、書き込みがあることがある。時には小さな紙切れに記されたメモが入っていることもある。蔵書票によっては、所有者自身も歴史的な人物であったり、著者と深い関わりを持つ人物だったりする。購入した年月日、誰かへの特別なプレゼントを示す署名。文中の下線や、チェックの部分には所有者のその時の心の動きや愛着が読み取れる。なのになぜそんな本を手放すことになったのか。そして、どんな旅路の果てに私の手元に届けられたのか。そんな以前の所有者の痕跡にこの本にまつわる物語を嗅ぎ出すことができる。そして私の人生もこの本にしかるべき痕跡を残して未来に引き継がれる。ロマンチックではないか。


製本・装丁(Book binding )の世界

そしてまた、洋古書には蠱惑的な奥深い世界がある。製本と装丁である。本は活版印刷された文字列を記録する紙媒体であるだけではない。モロッコ革装、マーブルボード、天金、金文字、羊皮紙、簾の目紙、背表紙補強(five raised band)、アンカットページ、エッチング挿画など。製本技術や装丁が本を工芸品にする。時間という試練に耐えた装丁の書籍の存在にクラクラしてしまう。あるいは、時の経過(aging)により、背表紙が外れボロボロな姿になって書棚に横たわっている古書にも、詫び、寂び、古びといった美を感じることすらある。昔は出版人(Publisher)とは別に、装丁専門のBook binderがいて、書籍の購入者が、アンカットの紙の束を買って、製本・装丁を依頼した時代もあった。活版印刷が普及したとはいえ、本は貴重で高価なもの、誰でも購入して読めたわけではない。詩人が事前に購入予約者を募り、代金を支払ってもらってから出版し、装丁家が買主の注文に応じてデザインを施すこともかつて流行ったことがある。詩集の装丁が殊に美しいのはそのせいか。蔵書家が著者と作品への敬意を込めて、あるいは知的資産への愛着を込めて、美麗な装丁を施して大切に所蔵する。これも本の文化の一つである。それを今、古書店で手にすることができる。

今でもイギリスの田舎のマナーハウスを訪ねると、立派な書斎に天井まで高い書庫があり、美しい革装丁の背表紙がずらりと並んでいる光景を見ることがある。特に全巻揃えの古典書全集などは壮観である。本は絵画や彫刻、調度品などと共にその家の品格、教養、趣味といったものを誇示するアイテムである。知性と身分を誇示するステータスシンボルであった。

著者や出版人は表紙に名を残し、後世まで記憶されるが、装丁家は、その名が小さな字で裏表紙にクレジットされていることもあるが、多くは歴史に名を残さない。そんなBook binderという工芸家、職人の見事な「お仕事」を今に残すのも洋古書である。一方で、和綴本に魅せられて、神保町で古書店に群れている外国人コレクターの熱量もわかる気がする。


神保町から見る西洋古典書事情

このように神保町は世界的にもユニークな古書街として賑わっているが、一方で、これまでの大口顧客であった国内の大学図書館や、公共図書館、研究機関からの学術的にも貴重な古典書への引き合いが減少しているという。今やネットで世界中から本を取り寄せることができる時代なので、神保町の古書店に来て本を探す必要も無くなったというわけだ。これが一時期神保町に閑古鳥が鳴くようになった原因の一つだという。もちろん読書離れ、学生すら本を読まないなどの、知的欲求の低下が残念ながらある事も否定できない。しかし、バブル時代に日本が海外で買い集めた貴重な洋古書は日本の古書街に眠っている。今やネット時代。東京の神保町にお宝あり!が世界中にが拡散している。そして円安もあり、欧米のバイヤーや古書コレクターによって買い集められている。すなわち神保町の客層が日本人から外国人に移りつつあるようだ。

かつては日本マネーが海外でアンティークや貴重な古書を買い漁ったものだ。これまでは日本で開催される国際的な古書フェアーは、日本マネーを狙って海外の売り手が殺到したものだ。日本にはそれだけの需要があった。しかし、今は日本に眠る洋古書や和書を買い付ける海外バイヤーや古書マニアが押しかけるようになった。長いデフレと円安で、今や「日本」は海外バイヤーによって買い漁られる国になってしまった。彼らから見れば「爆買い」は、かつての「ジャパンアズナンバーワン」時代に海外流出した「文化財」の買い戻しである。神保町が世界の古書の共有市場(common market)となることは嬉しいが、流出一方では寂しい。国の経済的な衰退が、知的な欲求の衰退、ひいては文化的な衰退につながりかねない。「貧すれば鈍する」だ。

神保町の古書店組合は、こうして蓄積された古典書の、言わば書庫的機能を果たしている。書誌データを記録し、情報発信し、貴重書が散逸したり、価値の毀損が起こらないよう保全する役割を担っている。協同で古書フェアーを開催したりオークションを開催して、歴史的遺産たる古書の適正な取引の仕組みを保持している。そうした地道な活動が世界に評価され、世界的な古書市場としての信頼を獲得しているという。

古書市場も「レッセフェール」に任せていたら、淘汰され消えてゆくユニークな店舗や、売れなくて廃棄所処分される貴重な古書が出てくる。しかし、古書店組合のような一見閉鎖的なギルドが、一定の規律と互助精神を持って歴史的遺産としての古書の価値を守り、伝統を継承し新たな価値創造を推進する。いわばSDGs ,社会事業(Social business)の役割を担っている。その中から若手経営者がオンラインやSNSとの融合で新たな事業モデルを生み出す。古書の持つ新たな価値に光を当てる。古書は「過去の賢人からの預かり物」という古書店主の言葉が印象的である。


ある老舗洋古書店の「ビジネスモデルイノベーション」物語

創業120年の老舗「K書店」は、4代続く神保町を代表する英文書籍の殿堂である。かつては多くの文人墨客が集い、大学の研究者、学生にとっては憧れの書店であった。この店に出入りすることが知的なステータスですらあった。戦後、高度経済成長期には店頭での洋古書販売。新刊書販売も併設し全盛時代を迎える。しかし、21世紀に入りネット全盛時代を迎えると、大口の注文が減り、徐々に書店経営受難の時代の波をかぶることに。やむえず店舗縮小し古書専業へ。それでも一時は廃業の危機に。伝統ある老舗の事業継続を維持しようとする経営の苦労は察して余りあるものがある。しかし、ここからが老舗古書店の新たなスタートである。

4代目店主は3代目の娘さんで、大学を出て全く先祖代々の家業たる書店とは無関係な仕事についていたが、実家の危機を目の当たりにして、仕事を辞め家業を継ぐことにしたという。古い商慣行や、付き合いが横行する業界での若い店主デビューは苦労の連続であった。しかし2代目(祖父)、3代目(父)の背中を見て育った。持ち前の才覚はメキメキと発揮され、オンラインショップ開始。さらにディスプレー書の販売と書籍を活用した空間デザインコンサルという新基軸を打ち出す。ネット店舗とリアル店舗をうまく融合させた事業モデルを開発していった。

着想の背景には、売れなくなった古書の存在。大量の廃棄本という社会問題がありこれに着目した。捨てるなんて勿体無い!まずデザインの優れた装丁の本をディスプレー用(ホテルや、インテリアショップ、アパレルショップ、レストラン、バーなど)にセット販売。セッティング受託やディスプレーのコンサルもやる。重厚で整然とした書店内を古書をテーマとした写真撮影の場として提供。これが話題となり多くのメディアで取り上げられ注目を浴びる。「カリスマ店主」からの提案である。

最初は「本を何と心得るか」とか、「老舗も落魄れたものだ」「邪道の古書販売だ」とか、色々批判が殺到したという。しかし、革新には抵抗がつきもの。革新は常に伝統とセット。若い感性と問題意識が洋古書への関心を高め、さらに古典への関心、書籍に囲まれた生活への憧れ、といったライフスタイルが広まっていった。それにまず反応したのが海外の客というのが興味深い。それだけ日本人の読書離れは深刻なのだろう。実店舗は数年前までは閑散としていたが、今では連日外国人客で賑わっている。この言わば「神保町現象」が、古書の魅力を思い出させ、個人の研究者や愛好家などの、いわば古書マニアが戻ってきたのだ。かく言う筆者も明らかにその一人である。

4代目は、古書店を、近寄りがたい店、敷居が高い店、ではなく、思わず入ってみたくなる店に変えた。最近は外国人客の増加に合わせ、Books on Japan in Englishとして、気軽に手に取れる日本関連の英訳ペーパーバック版などの品揃えを充実させている。そしてネットで繋がる時代だからこそ、遠く離れた海外の会った事もない客とのコミュニケーションが新しい書店文化を創造する。いや、考えてみればこれは「チャーリングクロス街84番地」の伝説の古書店「マークス」のフランク・ドエルとニューヨークの作家ヘレーヌ・ハンフの時から成立していた本を通じた信頼関係、書店文化ではないか。手紙がネットに替わり、時代は変われども底流にある「本への愛」は変わらず。それを改めて発見!「朋ありて遠方より来たる亦楽しからずや」だ。

最後に、今どきの「世界の神保町」を象徴するようなエピソードを紹介したい。アメリカの比較文化学の女性研究者は、数年前から神保町を拠点に、古書店でインターンをしながらフィールドスタディーを続けている。そんな彼女は最近、「神保町の沼」にハマってしまったのか、「古書の大海」に飲み込まれたのか、研究対象の古書店の店主とめでたく結ばれ、神保町の「女将」に収まってしまった。なんと、神保町も女性のパワーと感性に活気付いている。ワクワクさせられる。



KITAZAWA DISPLAY BOOKS

このディスプレーもオシャレ

今や神保町のランドマーク





老舗「八木書店」

「一誠堂書店」は建物もクラシック

「大久保書店」


「文房堂」書店ではないが

浮世絵・版画といえば「大屋書房」

「三省堂書店」新本店開業

ロンドン セシル・コート古書店街





参考:

84 Charing Cross Road:Marks Bookshop:マークス書店

1986年制作の映画の復活 出演:アンソニー・ホプキンス、アン・バンクロフト

へレーヌ・ハンフ(NYCの作家)、フランク・ドエル(Londonの古書店主)

日本語文庫本『チャリング・クロス街84番地』へレーン・ハンフ編著、江藤淳訳 中公文庫










2026年5月3日日曜日

古書を巡る旅(78)An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nations:アダム・スミス『国富論』刊行200年記念復刻版 〜「神の見えざる手」は本当は何を動かしているのか?〜

 



表紙

左に『道徳感情論』の著者と紹介がある

付属の解説書



本書はアダム・スミスの『国富論』(『諸国民の富』)An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nations(1776年初版刊行)の、200年記念復刻版(ファクシミリ版)として1976年に刊行されたものである。今からちょうど50年前である。日本は高度経済成長に浮かれ、スミスが資本主義経済のバイブルと崇められていた時代である。初版本を忠実に再現した総革装、マーブルボード、スリップケース付き全2巻の、歴史的な著作の復刻に相応しい重厚で美しい装丁の書籍である。歴史的な古書、稀覯書の復刻であり、経済学の古典書、歴史的な書籍としての価値はもとより、美麗本。古書コレクションとしても魅力的である。日本の出版社(雄松堂書店)が世界各国で各々復刻プロジェクトが進行しつつあった中、重複出版を避けるべく調整し、製紙、印刷、製本(背表紙はフランスの装丁)し、1,000部限定刊行した。981部は市販され、本書は14番目。付属の解説書には、英米日3カ国の専門家により、この復刻の経緯と書誌的解説が詳細に紹介されており貴重である。しかし『国富論』はもちろん重要な著作であることは論を待たないのだが、この復刻版発刊から50年という時間の経過の中で我々が見せられた世界の変貌ぶり、衝撃的な事象を顧みると、この際、我々はスミスのもう一つの大作『道徳感情論』の復刻を願わざるを得ない。


1)書誌的考察(付属の解説書による)

1776年の初版から1789年の第5版まで。William Strahan(スミスのスコットランド人の友人)が出版を手掛けた。スミスのもう一つの主著「道徳感情論」1759年の初版から6版も手掛けた人物である。スミス生前の改訂は5版に及ぶ。すなわち、1776年初版(500部)、1778年第2版(500部)、1784年第3版(1000部)、1786年第4版(1250部)、1789年第5版(1500部)である。初版は500部刊行された。あまりにも好評で、派生版(いわゆる「ダブリン版」)も刊行された。

初版は高評価で、書評には「起業家や財政家が苦労する仕事を、哲学者やることの困難さはいかばかりか、このように理論と学説を科学的に体系づけた論者はいない」と絶賛している。エドモンド・バークと思われる人物による評論は「フランスの経済学者が色々理論を述べ立てるが、それを体系的に著した著作を見たことがない。総合的に俯瞰する哲学者だからできることだ」と称賛。「ただ新奇な説はそれが証明されるまでに時間を要すだろう」と評しており、これは現代におけるスミスの評価にもつながっている。

初版が発表されてから数年以内に各国語に翻訳(ドイツ語訳が最初)され一斉を風靡したが、1780後半−90年初頭に入るとパタリと途絶える。その後考えられているより書誌的には普及に時間がかかったようだ。彼の学説に反対する重商主義者や官房学派の抵抗の影響も考えられるが、正確な理由は依然不明という。しかし90年代後半に入ると再び関心が高まっていった。世の中は政治的にはアメリカ独立、フランス革命を経て、やがて産業革命という大きな時代の転換点である。

日本での受容は、シーボルト二度目の来日時1858年のドイツ語版が確認されているのが最初と言われているが、日本で読まれた形跡がない。幕府開成所「葵文庫」で1863年エジンバラ版が記録され、福沢諭吉『西洋事情外編』1867年で『国富論』が取り上げられているが、スミスの名は引用されていない。明治維新以降、急速に西洋思想が流入してくる。経済思想も同様。しかしスミスが明確に認識されるのはもう少し先だ。とはいえ、東洋では日本語訳がイギリスとの関係は深かった中国語訳よりも早い。韓国では九州帝大に学んだ人物が1910年に翻訳を手がけた。本格的な邦訳は、1882年(明治15年)、田口卯吉主宰の「東京経済学講習会」が著名外国経済書翻訳刊行を手掛け、その一つに「国富論」を取り上げた。明治15年1882から明治21年に完成を見た、石川暎作・嵯峨正作訳 しかし底本となった版がどれなのかは明らかではない。その後の全訳は5種類ある。竹内謙二(1921−23)、青野季吉(1928−29)、大内兵衛(1940−44)、水田洋(1965)、大河内一夫他(1976)。どれもスミス生前の最後の版、第5版(水田訳は初版)が底本となっている。このほかにもスミスの解説、研究書、引用は数多あり、日本におけるスミス研究の幅広さと深さを示している。

また、CiNiiで検索すると、稀覯書とされる初版本の日本の大学における所蔵数は、一橋大学(6冊)慶應大学(3冊)名古屋大学(2冊)をはじめ、東大、千葉大、京大、阪大、九大がそれぞれ1冊ずつ所蔵しており、OPAC検索ではそのほかの大学、研究機関、個人も含めると日本には合計49冊あるという。これは初版発行部数500部の10%に相当する。スミスの母国であるイギリス、スコットランドの、大英博物館(1冊)オックスフォード大学(2冊)グラスゴー大学(3冊)と比較しても、日本は世界でも有数のスミス研究が盛んな国といえよう。ちなみにアメリカのニューヨーク・パブリック・ライブラリーには5冊収蔵されている。


2)もう一つの主著『道徳感情論』への言及

この『国富論』記念復刻版の解説には『道徳感情論』への言及がほとんどない。これはもちろん、当時スミスの主著とみなされていた『国富論』の復刻版企画であることから理解しなくもないが、1976年当時のスミス研究、評価の立ち位置を示すものと考えられる。『道徳感情論』は「忘れられた名著」と言われ、21世紀に入るまで『国富論』の傍に追いやられていた。しかし現在では『道徳感情論』こそがスミスの主著であり、そこから生まれたのが『国富論』であるというのが通説となっている。スミス自身も序文やヒューム宛の手紙の中でそう語っている(「最近暇に任せて「道徳感情論」の続きを書き始めている」と)。(以前のブログ参照:2023年1月5日古書をめぐる旅(29)アダム・スミス全集)。本書は1976年以降、特に21世紀に入ってからのスミス研究の新しい成果が反映される以前の刊行である。これまで「予定調和」「レッセフェール」「神の見えざる手」が資本主義的合理性の原理とする経済哲学のみが受け入れられ、「社会的存在」「他人への共感」「公平な観察者」としての倫理的、道徳的人間の存在が前提の「神の見えざる手」というスミスの道徳哲学が看過されてきた。21世紀前半の現代において、理念と秩序が欠落した資本主義の矛盾、そこから始まる経済合理性優先の西洋文明の解体の兆しという事態を目の当たりにして、スミスの経済理論は間違っていたのではないかという言説まで飛び出す始末であった。ここにきてようやくスミス=「国富論」という捉え方を見直し、忘れられたスミス=「道徳感情論」を再評価する動きが出てきた。そもそもスミスは倫理学、道徳哲学者であり経済学者ではなかった。経済学は道徳哲学から生まれた科学なのである。そういう意味においてスミスは「近代経済学の父」と呼ばれているのだが、今は経済学の観点からだけではなく、哲学、倫理学の視点からもスミスが見直されている。


3)アメリカ独立宣言(1776年9月)と『国富論』刊行(1776年3月)

『国富論』刊行のタイミングは、ちょうどアメリカ植民地における独立運動が盛んになり、その対策がイギリス本国にとって大きな政治時問題になっていた時期である。これに対するスミスの見解をまとめるために刊行が遅れていたが、しかし親友デービッド・ヒュームの督促もあってアメリカ独立宣言の直前に刊行することとなった。実際に。独立宣言の6ヶ月前に初版を刊行している。スミスは『国富論』最終章で、アメリカ植民地経営のあり方論を展開している。興味深いので紹介しておきたい。

第一案:統合案 「代表なくして課税なし」を認めて、アメリカ植民地住民のイギリス議会への代表権を認める。しかし、アメリカの方が経済成長速度が早く、人口も増え、納税額が本国を凌駕するだろう。そうなると、やがてはアメリカ植民地代表の議席がイギリス本国を上回り、首都をアメリカに移さざるを得ない事態になるだろう。

第二案:分離案 植民地の独立を認め、イギリスの同盟国としてアライアンスを組む。貿易額が増加し本国の貿易収支にも好影響があるだろう、植民地の防衛のための軍事力維持などの費用負担を減らすことができる。身の丈にあった帝国版図の経営をすべし。

ピットやバークなどはこの第二案(分離案)に賛成したが、大方の国民やイギリスの議会は猛反発した。しかしアメリカ植民地住民は独立戦争に突入し勝利したため、イギリスはパリ条約で否応なしにアメリカの独立を承認せざるを得なくなった。スミスの「分離案」が結果的に取り入れられた。アメリカ植民地の喪失。これが大英帝国の第一次崩壊である。しかし19世紀は大英帝国繁栄の時代となり、アメリカは帝国の一員としてではなくの同盟国になった。やがて第一案で予測した通り、アメリカは西部開拓、経済成長、人口増で国力がイギリスを上回り、20世紀には「世界の首都」がロンドンからニューヨーク、ワシントンに移ってゆく「アメリカ帝国主義」の時代となる。


4)「神の見えざる手」の真実

そして21世紀の今、その「アメリカ帝国」の崩壊、解体が始まった。歴史はものすごいスピードで動いている。自分が生きている間にそれを目撃するとは。これは、とどのつまりアメリカ、イギリスを含む西洋文明の崩壊である。スミスが唱えた自由主義経済、労働価値説に基づく経済が西洋諸国で崩壊して行く。生産活動に携わる労働者、市民が富創造の源泉、経済価値の創造者であり、民主主義、自由貿易体制を支えていたが、ヨーロッパ、アメリカではグローバル化で生産活動が海外に移転し国内ではそれが縮小してしまった。残ったのは大きな雇用を産まない(労働価値再生産の働かない)金融やAIなどの知識集約型のサービス活動、あるいは富の創造ともいえない市場マニュピレーションで相場を動かす活動で、一部の持てるものと大多数の持たざる者の格差が増大してゆく。理念と秩序と道徳が欠落した現代資本主義。とてつもない格差社会と社会の分断。そして政治・経済リーダーの知性と道徳の崩壊。「神の見えざる手」はこのようなデストピアを産み出そうとしているのか。『国富論』にはあらゆる経済史、経済政策、経済理論、経済思想が網羅されている。しかしその彼の分析と評価と理論の前提となっている「人間の道徳」「社会の道徳」の問題は書かれてない。それは『国富論』ではなく、その前に著された大作『道徳感情論』に提示されている。今こそスミスの主著『道徳感情論』に立ち返る時であろう。その上で『国富論』を読み直し、「他者への共感」「社会性」「道徳感情」を失った人間の上に置かれた「神の見えざる手」の真実を知る必要がある。まさに『道徳感情論』の復刻の時ではないか。


参考:

古書を巡る旅(29)『アダム・スミス全集』デュガルト・スチュアート版初版

アダム・スミス『道徳感情論』高哲夫訳 講談社学術文庫

『アダム・スミス 道徳感情論と国富論の世界』 堂目卓生著 中央公論新書

ちなみにガルブレイズは、読まれないのに頻繁に引用される古典名著として、『聖書』『資本論』と『国富論』を挙げている。


末尾になって恐縮ではあるが、今回も神保町の北澤書店に大変お世話になったので感謝申し上げたい。



2026年4月28日火曜日

 景観の美学:崇高と美とピクチャレスク 〜「時間の経過」に対する敬意とは?


九州帝国大学法文本館竣工(1924年大正13年)

キャンパス移転に伴い法文本館取り壊し(2016年平成28年)


跡形もなく消滅


日本の場合、再開発とは常に歴史的建築物、都市景観の消滅を意味する。歴史的な建築や景観を保存修景するという発想がない。古いものは汚い、効率が悪い、邪魔だ。「古い」というだけで壊して捨ててしまう。まるで経済合理性だけが全ての価値基準だと信じて疑わない後進的資本主義の現れのようだ。いや壊しては作る。作っては壊す。それで金を回す経済社会なのだ。日本にはヨーロッパのような長い歴史を纏った建物や街並みといった景観は育たない。「時間の経過」:ageingに対するしかるべき敬意が払われない。例えば150年前にベアトが愛宕山から眺めた整然とした江戸の街並みは、今の東京ではその痕跡すらなく、まるで全く別の街になってしまっている。これは震災や戦災による都市破壊が原因というばかりではない。むしろ平時における営みの中でゼロクリアー、上書きされたものである。これは明治維新の「近代化」「一等国」邁進という強迫観念の後遺症だ。戦後はそれに拍車がかかり、バブルが弾けた後も続いている。日本の伝統的価値観、審美眼である「わび」「さび」を忘れたのか。「最新」や「最先端」はすぐに過去のものとなる。革新は時の流れの中で熟成されて伝統となり未来に生きる。2019年3月1日 愛宕山から見た江戸の街(ベアト写真)

ベアトが撮影した江戸の街並み(愛宕山から)
江戸の街並みは見当たらない現代の東京


18世紀後半〜19世紀のヨーロッパ、とりわけイギリスは産業革命という近代合理主義の波に洗われたが、その伝統や文化、景観や自然を守ろうという動きも盛んであった。この科学や合理主義一辺倒に対する抵抗としてのロマン主義。時にゴシックリバイバル。それは文学や美術、庭園や建築に現れた。いわば彼らの「美意識」を覚醒させた。彼らは近代合理主義、科学技術の果実を享受しつつも古いものを過去の遺物として葬り去るのではなく、そこに美を見つけた。美学者、旅行家のウィリアム・ギルピンは、宗教改革で廃墟となったカトリック修道院の佇む丘に美を見出し、山上の中世の古城に荘厳を求めた。詩人のウィリアム・ブレイクは、緑の沃野に屹立して黒煙を吐き出す工場を「悪魔の窯」として憎悪した。そして造園家、建築家のユヴデール・プライスは、古い街並みを保存修景しあの時間を今に引き継いだ。また自然を生かしたイギリス庭園を産んだ。崇高と美、そしてピクチャレスクである。そして哲学者、政治思想家のエドマンド・バークは、政治制度においてもフランス革命のように王政を徹底的に破壊して捨て去るのではなく、立憲君主制という議会制民主主義を生み出し、中世、近世そして近代を生き続けたコモン・ローを賛美した。これを人は保守主義という。しかしこのラディカリズム(急進主義)に対するインクレメンタリズム(漸変主義)。これが長い歴史を有するイギリス人の「時間の経過と歴史の知恵に対する敬意」であり、「革命」そして「民主主義」の姿なのだ。それが美意識の中にも現れている。我々はイギリスの近代合理主義に学んだのに、なぜそのもう一つの思想とムーヴメントについても学ばなかったのか。2025年3月15日古書を巡る旅(62)ピクチャレスクとは?


Elm Hill地区Norwich 
建物も通りもそのまま保存修景

海軍大学Greenwich London
背後のシティー金融街は高層ビル化したが

(上記写真2葉は "All about Great Britain" FBより引用)


日本は2000年の歴史をもつ国でありながら、その歴史の中で幾度もその文化や伝統をかなぐり捨てて、新しい外来の文化に飛びつき、その受容と変容を繰り返してきた。もっとも最近では、80年前の敗戦と占領に伴うアメリカ文化受容であり、その前は150年前の明治維新における西欧文化である。2000年前には中国から、1500年前にはインドからも最新の文化を取り入れては日本古来の文化を大きく変容させてきた。この外来文化の「受容と変容」の歴史は日本の特色であり、確かに文化的な進歩をもたらし独特の文化を生み出したのだが、その反面、新しいものは素晴らしい。古いものは捨て去って顧みないという思考を生んだ。明治維新のそれが顕著である。さらに戦後のアメリカ物質文明はそれに輪をかけている。「日本人は国家に対する自尊心が高いが、自己の文明を2度も捨てた。中国人は政治制度としての国家には敬意を払わないが、自己の文明に対する自尊心が強い」。そう喝破したのは明治期のジャパノロジスト、バジル・ホール・チェンバレンだ。日本人は悠久の歴史と文化をもちながら日本固有の伝統や、価値観や美意識をいつも見失いがちであった。新しいものには飛びつくが、古いものへの敬意が薄い。にも関わらず国家意識だけは強い。我々自身はそう思っていないつもりだが、外の目には違った姿が見えている。ラフカディオ・ハーンの作品に通底するのもそれへの警鐘だ。岡倉覚三の「茶の本」の心は欧米人に向けて発したものだが、それは同時に日本人への警鐘である。

敗戦を経験した戦後においても変わっていない。むしろ伝統と格式を封建的なものとして否定することが民主主義と経済合理性であるとさえ考えるようになった。いまだになかなか成熟した大人になれない若造のようである。「いい加減で自分のアイデンティティーを持ったらどうだ」というと、すぐに皇国史観と忠孝道徳、滅私奉公の愛国心が踊り出てくる。あるいは形を変えた排外主義が頭を擡げる。どうも二択思考が染みてしまっているようだ。「明治維新には革命の思想がない。あるとすればそれは「尊王攘夷」だけだ。国権の伸長が優先で、民権は後回しであった」。そう振り返ったのは司馬遼太郎だ。西欧列強の「一等国」を目指す富国強兵、殖産興業、文明開花型の明治維新を棚卸し、パクスブリタニカ、パクスアメリカーナの退潮を目の当たりにして、次のフェーズの日本の姿(和魂)を描く時期に来ているのではないか。それは時の流れ(歴史)への敬意を忘れた資本主義的合理性の丸出しの「再開発」という名の文化破壊や、善隣友好の思想のない国粋主義的な軍事力強化を、「やむを得ないでしょう」などと見過ごし、思考停止するような日本の姿ではないはずだ。それはSublime(崇高)でもBeautiful(美)でもPicturesque(ピクチャレスク)でもない。日本は長い歴史の中で外からの多くの文明・文化を受容し、それを変容しつつ独自の文化を育んできた。と同時に、日本は長い歴史、時間の経過とともに海外の本家ではすでに失われてしまった、あるいは失われつつある人類の知恵や価値観、美意識といったもの(東洋のものであれ、西洋のものであれ)を保存し、習合し、然るべき時に向けて発信する「文明のアーカイヴ」の役割を果たすことができる立ち位置にある。そいう歴史を歩んできた。「日本文明」と言うものがあるとすれば、それはは、時間の経過と知恵を保存し育む文明であり、日本にはRadicalism(急進主義)ではなくIncrementalism(漸変主義)こそ相応しい。近視眼的なロジックで無闇に捨て去ったり壊してはならない。





めも:

自然と共に生きる民草(青人草)。一木一草に神宿る 一切衆生悉皆成仏。

慈悲と利他。執着と煩悩に囚われず生きる。

諸行無常 生々流転 時の流れに対する敬意・美意識 奢れるものも久しからず。盛者必衰のことわり。行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。

ワビ、サビ、旧びの美

そして多様な文化を受け入れて独自に変容させ、さらに発展させる逞しさ


Sublime, Beautiful, and Picturesque

William Gilpine (1724-1804)

Edmund Berke (1729-1797)

Uvedale Price (1747-1829)




2026年4月5日日曜日

OIMACHI TRACKSという再開発 〜「大型複合商業施設」には惹かれなくてもいっぱい電車が見れる!〜

OIMACHI TRACKSテラスから電車が見える!


JR線の高輪ゲートウェー、品川、大井町と3駅間の広域再開発事業の一環としてOIMACHI TRACKSが3月28日に開業した。旧国鉄の大井工場、現在のJR東日本の品川総合車両センターの一部を再開発したもの。東京の再開発ブロジェクト・都市改造とやらは渋谷、日本橋、日比谷、品川でいつ果てるとも知れぬ取り壊し工事と建設が続き、近寄らないようにしていたが、ついに我が地域コミュニティーの足元にその波が押し寄せることとあいなった。


国鉄大井工場といえば、初めて会社に入社した時に他企業見学という研修の一環で見学させてもらったのを覚えている。「国電の窓枠はなぜ白いか?それは黒枠だと窓に映った顔が不吉で乗客が嫌がるからだ!」と、説得力ある?担当者の説明が、妙に今も記憶に残っている。あとは忘れてしまった。赤煉瓦の蒸気機関車車庫があった。これは今も残っている。

それにしてもオフィス、ホテル、タワーマンション、複合商業施設というおさだまりのパッケージの高層ビル群。外見も、最近どこにでもある何の変哲もないガラスとスチールの合理性優先の工業製品化されたプレハブ建築。東京の都市再開発・都市改造は、都市景観を没個性、無機質、無表情なものにしているようでワクワクしない。

美学の観点から18世紀イギリスのエドモンド・バーク、ウィリアム・ギルピンが唱導した風景論、「崇高と美」「ピクチャレスク」の視点で見ると、「時間の経過」による成熟を消し去るこのような再開発は、少なくとも崇高でも美しくもないし、美的感覚を呼び起こすことはない。こうした「時間の経過」(わび、さび、ほろび)という美意識は日本文化の真骨頂で、イギリスの思想家も産業革命で破壊されるイギリスの美しい風景や美的感覚を憂い、日本や東洋の美意識に学んだものであったはずだが、今やそれが日本で失われつつあることは歴史の皮肉だ。

そしてまた、人口減少、資材不足・高騰、建設作業人材確保困難、消費低迷、と言ってる中で、スクラップ&ビルドという再開発事業で金を回そうという経済成長モデルはもうワークしないのでは無いか。資本主義的合理性と言えるのか。保存と再利用。もったいない精神で無駄に資源を使わない。「複合商業施設」と言いながら、テナントはチェーン店ばかりで、ミュージアムや図書館、劇場、コンサートホールのような文化施設は念頭にないというオマケ付き。

ということで、色々能書を言ったが、3月28日に開業したOIMACHI TRACKSに行ってみた。JR大井町駅と東急大井町駅から品川区役所までの東急大井町線沿いに、2棟の高層ビルをつなぐ3層構造の長い回廊となっている。商業施設はどこにでもあるタイプで、出店者もこの種のショッピングモールの常連さんばかりで特に印象深い感じはしないし、開業まもないので物珍しさと春休みとで混み合っているのでパス。この広場は災害時には避難場所になることが想定されており、一時宿泊スペースや災害救援用の上下水道設備が整えられているという。

しかし嬉しい発見は、ここは「撮り鉄」の聖地だと言うこと。目の前にJR品川総合車両センターが広がり、山手線の車両がずらり見渡せる!京浜東北線、東海道線の走行シーンと土手の桜並木が一望できること!そう電車がいっぱいなのだ。テラスも3層になっていて展望が効くのが嬉しい。この風景は崇高でも美でもないが、現代のピクチャレスクかも知れない。近代合理主義を視覚的に捉えるとこうなる!?

私の隣でオバチャンがスマホでカシャカシャ電車と線路土手の桜並木を撮っている。私と目が合うと、恥ずかしそうに「私は鉄っちゃんじゃないんですよ〜でもこれは凄い。興奮です!」とまたカシャカシャ。いいんです。鉄ちゃんでいいんです。断らなくていいからどんどん撮ってください。私ももちろんいイッパイ写真を撮りますから。みんな子供になって「でんちゃ」で遊ぼう!

この再開発の陰でひっそり消えていった歴史的な建築物がある。これは明治の鉄道開業時に新橋駅に建設された「御料車車庫」である。新橋駅の機能拡大と駅改造に伴い、皇族用のお召し列車を保管する「御料車車庫」は、明治期に品川の大井工場に移されたのである。イギリス風の赤煉瓦作りの風格ある車庫が2棟あったそうだ。一棟は早くに取り壊されたが、品川区役所との境にもう一棟がつい最近まで現存していた。気が付かなかった。残念ながら2023年にこの再開発で取り壊されてしまった。赤煉瓦壁面だけがショッピングモール内に一部再現されている。日本の場合、再開発とは常に歴史的建築物、都市景観の消滅を意味する。歴史的な建築や景観を保存修景するという発想がない。古いものは汚い、効率が悪い、邪魔だ。「古い」というだけで壊してしまう。経済合理性だけが全ての価値基準だと信じて疑わない後進的資本主義の現れだ。日本にはヨーロッパのような長い歴史を纏った建物や街並みといった景観は育たない。「時間の経過」に対するしかるべきレスペクトが払われない。これは明治維新の「近代化」「一等国」邁進という強迫観念の後遺症だ。それがまだ続いている。

子供の頃、母に読んででもらった「小さな家」という絵本を思い出した。のどかな田舎に建てたあの家は都市化でビルの谷間に取り残される。廃屋寸前であったが取り壊されるのではなく、ひ孫に引き取られて再び平和な田舎に引っ越してゆく。羨ましい。あの小さな家になりたい。この絵本はアメリカの絵本作家バージニア・リー・バートンの作である。


JR大井町駅と東急大井町線駅

JR大井町駅からの眺め
大井町駅からのコンコース







東急大井町線が走る

現品川区役所庁舎と新庁舎建設現場

品川総合車両センター

電車目当ての来訪者が!


JR大井町駅「アトレ」からの展望

東海道線、京浜東北線と土手の桜並木





(撮影機材: Leica SL3 + Sigma 20-200/3.5-6.3 DG)



参考:品川御料車庫古写真(毎日新聞より)


「旧御料車庫」写真 (毎日新聞より)

2023年4月解体直前の御料車庫

赤煉瓦壁面だけが一階車寄せ脇にひっそりと再現されている。


2026年4月3日金曜日

2026年桜レポート(第三弾)西大井界隈

桜の良いところは特別な「名所」に行かなくても日常の中で楽しめることだ。この辺りは桜の名所でもなんでもないが、普段、駅に向かう通りすがりの見慣れた景色がこの時期だけは全く別の表情を見せる。桜マジックだ。。日本中至る所でパッと花咲き、枯木に花を咲かせましょう!と景色を一変させる。日本は良いところだ。住宅街の最寄り駅周辺を散策。



































(撮影機材:Nikon Z8 ± Nikkor Z 24-120/4 )