17世紀イングランド(英国)は激動の時代であった。清教徒革命、王政復古、名誉革命、三王国戦争に、カトリック、国教会、ピューリタンの宗教対立。この混沌の中から現代の民主主義、資本主義、自由貿易主義が生まれた。そう現代社会の揺籃の時代と言える。いまそれが300年経って揺らぎ始めているのだが、その話は別としよう。今回は王政復古期の英国の文芸の話だ。
1660年にチャールズ2世が亡命先から帰国して王位についた王政復古:Restrationの時代は、イングランド王国の文学、演劇界にとっては画期的な時代であった。クロムウェル共和政時代には禁欲的なピューリタン主義により、「退廃的な」演劇や、風刺詩、音楽が禁じられ、シェークスピアすら上演されることが少なくなった。イングランドが文芸的、演劇的に不毛な時代であった。それが演劇好き、文芸好き、いや贅沢好きな王様が帰ってきて一斉に文芸復興が起きた。いや度を越した退廃的な文化すら沸き起こる。ピューリタン共和政時代の反動である。
この時代はまた転向の時代でもある。ピューリタンで共和派のジョン・ミルトンが王政復古で投獄の憂き目に遭って失明しても、節を曲げなかったのに対し、ジョン・ドライデンはピューリタン、クロムウェル礼賛から一転して王政を礼賛し、王室桂冠詩人となる。もっともこの時代の変節は普通のことで特に道徳的に非難されるべきことでもなかったようだが、現代の道徳観から見るとやはり尊敬に値しない姿勢と言わざるを得ない。晩年にイソップ物語やセネカ論集を英訳したロジャー・レストランジェが、王党派の立場から新聞や政治パンフレットを発刊し、国王のために言論統制を行い、王政時代の言論人として活躍した時代でもある。こんな時代にもう一人ピューリタンを徹底して風刺した長編詩を発表し、チャールズ2世の愛読書となる『ヒューデブラス』:"Hudibras"を産み出した男がいた。その男はサミュエル・バトラーである。
このサミュエル・バトラー:Samuel Butler (1612−1680)、生まれはそれほど高貴な家柄でもなく、教育もケンブリッジに短期間在籍しただけの、いわば家系や知性をバックグラウンドとして持つ人物ではなかった。地方官や貴族の秘書や執事として働くうちに頭角を表し韻文の世界に入っていった。セルバンテスの『ドン・キホーテ』を翻案したとも思える風刺詩『ヒューデブラス』1662年が大ヒット。王政復古で帰国、即位したばかりのチャールズ2世の愛読書となり、国王から爵位と年金を得ることになるという幸運に恵まれる。時代が産んだ寵児と言って良いだろう。これはピューリタンや革命に対する風刺、揶揄を込めた韻文作品であり、愚人を英雄に仕立てたいわゆる「擬似英雄詩」である。主人公のピューリタンの騎士ヒューデブラスが、従者のラルフォーを伴って諸国行脚の旅に出る。そこで巻き起こる騒動を、ピューリタンの偏狭さと偽善と狂信を痛烈に皮肉る長編の韻文で表現している。のちに、人気の画家ウィリアム・ホガース(1697−1764)がこれに彼独自の風刺の効いた挿画を提供するに至って、さらなる人気を博することになる。
今回紹介する本書は、バトラーの初版から約100年後の1744年版で、英国国教会の保守派スポークスマンで反ピューリタンの牧師ザッカリー・グレイ:Zachary Grey(1688-1766)が、「イギリス革命」の時代の歴史考証をもとに膨大な注釈を加えて再編集した、いわばGrey版とよばれるものである。先述のホガースの挿画を大幅に取り入れ読みやすい書に仕立てている。ケンブリッジ大学印刷でロンドンの複数(あのドライデンと組んだJ.Tonsonを含む)の出版人から出された。サブスクライバーのリストがある。グレイがこの時期にバトラーの『ヒューデブラス』を取り上げたのは、清教徒革命から100年経過し、王政復古から80年余りが経ち、名誉革命を経て政治的には立憲君主制の時代である。英国国教会の正当性を改めて論じることが目的であったようだ。時代はニュートン科学やそれに続く産業革命の進行や、近代合理主義の萌芽期でもあり、イングランドやスコットランドで啓蒙主義が盛んになっていった時期である。一方でそうした時代の大きな流れに対する「保守反動」が台頭した時期でもある。また芸術的にはカトリック的な中世ゴシック文化へのノスタルジア、ロマン主義が沸き起こった時期でもある。グレイ版ヒューディブラスは、そうした歴史評価の相剋の中で復刊された。しかし、これ以降『ヒューデブラス』がイギリス文学界で脚光を浴びることは少なく、次第に忘れられた存在になっていった。ちなみにほぼ同時期に、国教会ブリストル大司教のトマス・ニュートンがピューリタンで共和派のジョン・ミルトンの『失楽園』を復刻した(1749年)(古書を巡る旅(21)ミルトン『失楽園』)。ミルトンは長く人気があったが、王政復古期の文芸はドライデンですら看過された時代が続き、20世紀になってようやく再評価の機運が高まったくらいだ。バトラーの作品は、18世紀のグレイの復刻にも関わらず、イギリス革命期を物語る歴史的資料としてはともかく、文学作品としては評価されなかった。ちなみに日本での翻訳出版は、2018年松籟社刊「ヒューデブラス」(飯沼万里子他)がある。しかし日本人に馴染みのある詩人とは言い難いだろう。
王政復古期はこうした文芸復興の空気がみなぎっており、多くの詩や劇作が発表された。また先述の通り、時代の流れを敏感に読み取り、共和派だった人物が王党派に転向したり、ピューリタンから国教会やカトリックの宗旨替えしたり。時の権力者や主流となる動きに迎合する人物も多く出た時期でもある。一貫してピューリタン、反王政を貫いて投獄されたミルトンは別にして、ドライデンもレストランジェも、そしてバトラーも王権に寄り添う「文化人」であった。彼らはみな名誉革命でその政治的地位と名声を失うことになる。しかしドライデンは失脚し桂冠詩人の地位を追われるが、その名声を生かしてギリシャ/ラテン古典翻訳(エルギウス詩集)や劇作に精を出し(古書を巡る旅(60)ドライデン『喜劇、悲劇、オペラ』)、レストランジェも、失脚後はまた古典翻訳作品(イソップ寓話集、セネカ論集など)を発表して名を残すことになる(古書を巡る旅(63)レストランジェ『セネカ論集』)。詩や演劇作家はこれまでの王侯貴族というパトロンとは訣別し、新たに台頭してきた出版人(Jacob Tonsonのような)とともに物書きとして生き残っていった。いわばジェントリー層や都市富裕層をターゲットとした出版ビジネスモデルが創出され職業作家が生まれた時代だった。ただバトラーは、生前にこの人気作品があったにも関わらず彼自身には金銭的な実入がなかったと言われ、貧困のうちに没している。これ以外の目立った作品が残っていないようだ。もっとイングランドの激動の時代が産んだ風刺詩作品の一つとして注目されても良いのではないだろうか。
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ドン・キホーテとサンチョ・パンザよろしく、中世風騎士を気取るヒューデブラスが従者ラルフォーを伴って旅に出る冒頭シーン(以下、全てホガースの挿画) |
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熊いじめとバイオリン弾きの村人と出会い揉める |
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一人勇ましく村人と戦うが、捕えられて晒し者にされてしまう。 |
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当時はやっていた「スキミントン晒し者行列」に遭遇する |
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金持ちの未亡人に取り入ろうとするヒューデブラス |
追記:
本書には蔵書票が添付されている。Sir Stafford Henry Northcote. Bart(準男爵スタッフォード・ヘンリー・ノースコート卿)とある。彼は19世紀ヴィクトリア女王治世で活躍したディズレイリ、グラッドストン首相時代の保守党政治家で、Chancellor of Exchequer, Secretary of State for Foreign Affairs, President of the Board of Trade, First Lord of the Treasuryなどの重要閣僚ポストを歴任した人物である。
なぜそんな著名人の蔵書が今私の手元にあるのか?英国から日本への旅路は不明であるが、本書はとある関西の大学図書館の除籍本である。ここにヒントはあるのだろうか?日本人研究者が英国で手に入れて大学図書館に寄付した... あるいは日本の古書市場に現れるようになった「流転の経緯」に何か奇なるストーリーがあるんじゃないか。なんて妄想を膨らませることも古書を巡る旅の楽しみの一つである。
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Sir Stafford Henry Northcote. Bart (1818~1887) Wikipediaより |