2010年10月10日日曜日

長崎くんち 



福岡,長崎と,出張だった。

福岡の街の変容ぶりと、都市景観の落ち着きには来るたびに驚かされる。福岡の都心部には高層タワーマンションなどの町並みを猥雑にする建築物がない。ビルの高さが一定に保たれているので整然とした落ち着きが保たれているのだろう。何よりも空が広いので気持ちよい。これは福岡空港が都心に近い所にあり,建物の高さ規制が適用されているためだ。航空機の騒音には悩まされるが、日本一便利な空港と低層ビル群。これが福岡の都市の特色となっている。アメリカのワシントンDCの都市景観も同じような理由で福岡に似ている。

コンファレンスのあったシーサイド百道のヒルトンシーホークホテルが唯一の高層ビル,と言っても良いくらいだ。
百道の都市景観は素晴らしい。穏やかな博多湾と能古の島、志賀島、そして糸島半島に囲まれた人工的な海浜都市景観。自然と都市の調和がよく保たれていてリゾートに行かなくても十分ゆったりとした時間を過ごせる。
子供の頃、樋井川のほとりから父のこぐボートに乗って百道の海水浴場へ連れて行ってもらったあの時の景観は既にないが...

長崎へは来年3月開業予定の九州新幹線にあわせて大規模な立て替え工事を行っている博多駅から特急で2時間強。将来長崎新幹線が開通しても1時間半かかるようだ。やはり遠い。東シナ海に面したいくつかの入り江が天然の港として、中国、南蛮、紅毛貿易の拠点になっていた。この辺りは地形が入り組んでいて、山も多く、複雑な海岸線が続き、平戸におけるポルトガル、オランダ、イギリス貿易に始まり、長崎に落ち着くまで、いくつかの入り江を点々と交易港にして来た歴史がある。

鎖国政策後の長崎は幕府によって管理された国際貿易港であった。新教国のオランダと中国だけが貿易相手国として長崎入港を許された。中国上海には近いが、九州の西の果ての、しかも陸路では江戸から遥かに遠い地に築かれた港町であった。幕府直轄の天領で、長崎奉行の支配下にあり、筑前黒田藩と,肥前鍋島藩が交代で警備にあたった。

10月の7,8、9日の三日間は長崎くんちのまっただ中で、町中が祭り一色であった。ちょうど長崎支店に到着した時におくんちの蛇踊りが「庭先回り」で来ていた。7年に一度「踊り町」の順番が回ってくるそうで、来年が弊社支店のある出島町がその番となる。準備が大変と聞く。しかし、長崎ならではの祭りに参加出来る栄誉を担う楽しみもある。

長崎の祭りは国際色豊かでエキゾチック。意匠を凝らした山車だけでなく、有名な蛇踊りや、本踊りやお囃子の行列の華やかで、南蛮、紅毛、唐のフレーバーを加えたし好はエレガントでもある。あでやかなきれいどころの踊りが色気と華やかさを盛り上げる。

見せ場の中心はもちろんお諏訪様(諏訪神社)だが、八坂神社、中央公会堂前広場でも楽しめる。しかし、早くから座席券を手に入れなければならない。他にも中央公園広場では無料で誰でも見ることが出来る。もちろん山車が市中の役所や企業、店を回る「庭先まわり」を市内いたるところで楽しむことも出来る。とにかく町が祭り一色になる。夏の精霊流しも風情ある祭りだが、くんちの雰囲気は最高によい。