The War in The Far East 1904-1905 |
明治天皇 |
明治天皇への献辞 |
海軍戦力比較 |
表紙 |
ロシア皇帝ニコライ2世 |
大山巌元帥 |
クロパトキン元帥 |
東郷平八郎提督 |
リニエヴィッチ将軍、乃木希典将軍、 |
今回取り上げる古書は1905年出版の、"The War in The Far East 1904~1905" by The Military Correspondent of The Times,:「極東における戦争 1904−1905」。英国タイムス紙の日露戦争従軍特派員報告/論評である。出版社はロンドンのジョン・マレー社:John Murray。ポーツマス講和条約締結の年1905年に早くも出版された。
イギリスを代表する高級紙タイムス:The Timesの日露戦争従軍記者の記事を中心に、他誌からの記事、東京特派員、北京特派員による記事や作戦情報、外交戦略報告を加えた総合的な日露戦争レヴュー(論評)となっている。また開戦(宣戦布告)から終戦(ポーツマス条約)までの出来事が日付ごとにリスト化されている。明治天皇、ニコライ皇帝ほか大山巌、クロパトキン、乃木希典、ロジェストヴィンスキー、東郷平八郎など日露双方の将軍の写真、旅順攻略戦や日本海海戦などの作戦地図をふんだんに用いて、1904年2月5日から1905年8月29日までの各地での作戦、戦闘の詳細が全50章で解説されている。特に後世にも名を残す「旅順攻防戦」「瀋陽会戦」「奉天会戦」「対馬海戦(日本海海戦)」については、あらたな情報を加え全面的に書き直したとある。日刊紙の記事としても十分に詳細報道であるが、それを時系列的に並べただけでは、十分な戦況分析、論評ができないので、他の情報源からの入手資料を加えて本書のために編集している。日本が宣戦布告するに至る東アジア情勢、満州、朝鮮をめぐる緊張状態については冒頭に一章設けて解説。さらに当時の日本の国力、軍事力、政治情勢、並びにロシアの国力、軍事力、政治情勢を解説している。ただ、なぜか現地からの写真は一枚も掲載されていない。それにしても終戦の年1905年には「戦記」としてまとめられて刊行されるという速さである。巻頭言で筆者は、過去に多くの歴史家、戦史研究者が優れた「戦史」を残しているが、本書は、読者にこの戦争の現状を報告する「戦記」として編集した」と書いている。1905年刊行という生々しいタイミングから見ても、これは歴史というよりは時事報道であり、無闇に歴史家ぶらないジャーナリストとしての妥当な自評であろう。この戦争を歴史として論評するにはもう少し時間が必要だ。
本書は、交戦国の日本側の視点でも、ロシア側の視点でもない、「第三者イギリスのジャーナリスト」の視点で記録、論評されたものである。といっても、ロシアを共通の仮想敵として締結された日英同盟による「同盟国イギリス」の視点は拭いがたく、また日本軍に従軍して観戦しているので、戦勝国となった日本対する好意的な論評が中心となっている。旅順港閉塞作戦を米西戦争におけるキューバ・サンチャゴ湾閉塞作戦(秋山真之が観戦士官として詳細を報告しており、旅順港作戦に生かされたとされる)、奉天会戦をウォータールーの戦いと比較するなど、戦史に残る戦いであったと評価している。またバルト海から出航したロシア・バルチック艦隊が北海通過の際にイギリスが寄港や補給を拒否したこと、東洋への遠征ルート上でその動きを日本側に提供したことなど、日英同盟に基づく連携が日本海海戦勝利の一因と記述している。コサック騎兵を誇るロシア陸軍の騎兵戦が日本の塹壕戦、機関銃に脆弱であることを示す戦いでもあり、戦史に画期をなすものであったこと。鉄道が兵站にとって重要なインフラであることなども報告されている。そして同じ島国である日本の戦いがイギリス国民にとっては示唆的で興味深いものである点も語っている。このほかにも各地の戦況や作戦の妥当性などの論評が詳しく述べられているが、ここでは詳細には立ち入らない。
確かにこの戦争で日本は善戦し勝利したが、日本の圧勝と言い得るのであろうか。満州における作戦は、ロシア側の士気の低さや作戦ミス、兵站の脆弱性に助けられた薄氷を履むような勝利という面もあると分析している。奉天会戦におけるクロパトキンの撤退の不可思議さなど、ロシアの伝統的な戦術(撤退して敵を引きつけ反撃する)が功を奏しなかったことも指摘されている。日本人の勇敢さ士気の高さや、敵将に対する敬意など武士道精神にも言及しているが、同時に、日本の外交、諜報、国際世論形成、戦費調達などの戦場の外での活動で優位に立ったとも分析している。しかし日本は勝ったものの、多大な人的、物的損失を被り、1年半の戦いで継戦能力を失ってしまっていた。もし奉天から退却したロシア軍が体制を整えて反撃してくれば大敗を喫していただろう。そうなれば軍隊も壊滅し、日本は国家存亡の事態に追い込まれていただろう。国力に見合わないギリギリの戦争であった。またロシア国内情勢が不安定化しており、「血の日曜日事件」や革命の匂いがしていたことも日本に有利に働いた。イギリス、トルコとのクリミア・黒海方面での緊張関係で、ロシアが極東に追加派兵する余裕が無くなっていたことも影響した。そんな僥倖の中、日本は米国ルーズベルト大統領の調停で講和となり助かった。これを引き出した日本の官僚たち(栗田慎一郎、高橋是清、金子堅太郎、小村壽太郎など)の外交努力、調略、国際世論対策の結果である。ところが日本国内では、大国ロシアに勝った!との熱狂で有頂天になり、戦争の実情や、国家存亡の瀬戸際に立っているという内実が見えていなかった。ロシアから賠償が取れないと暴動が起きた(日比谷焼打事件)。日清戦争後の「三国干渉」「臥薪嘗胆」を忘れていなかった心情は理解するも、もはやロシアに対して賠償要求を交渉できる力は残っていなかったのが実情であった。それを一部の政治家や軍幹部は理解しなかったし、国民は知らされていない。こうした「一等国」になったという興奮と、「一撃講和」の味をしめ外交戦略と国際世論形成の重要性を評価しない外交観、戦争観がこの時形成されてしまった。この後、わずかな戦力でも「大和魂」で一撃を与えれば大国に勝てる、という合理的根拠のない楽観主義により、戦争に突き進む空気を醸し出していったように感じる。日露戦争がある意味で明治維新の一つの到達点だとすれば、この朝鮮、満州における戦争がこの後の泥沼の戦争、そして破綻への序章であったと言えるだろう。
本書は、イギリスのマスメディアの情報収集/発信能力を具体的な形で示したもので、大英帝国全盛期の力を感じる。1902年の日英同盟で共有される情報に限らず、英国独自の諜報能力、情報収集能力の高さは驚嘆する。満州における作戦展開、戦況について極めて詳細な情報をどのように入手し配信できたのか。特に、従軍取材とはいえ掲載されている各地での日、時間ごとの作戦行動、部隊配置図、戦況分析図は臨場感がある。これらはタイムズが独自に作成したものであるが、「取材により作成した」と短い注釈があるだけで取材源は記されていない(取材源の秘匿は当然ではあるが)。また、戦争遂行に必要な外交、諜報、世論工作、戦費調達、軍艦などの軍装物資調達など、戦場外での日本の動きについても分析している。事実、栗野慎一郎駐露公使、明石元二郎駐在武官のロシア国内工作、金子堅太郎の米国・セオドア・ルーズベルト大統領工作、高橋是清の米国金融界における戦費調達。小村寿太郎全権代表のポーツマス講和会議での交渉など(ちなみに金子、栗野、明石は福岡藩修猷館の出身)の活動が戦争勝利に大きな影響を与えたことは歴史的にも評価されている。また日本海軍の最新の戦艦や巡洋艦、魚雷艇の調達先についても、すっかり調べがついている。強かな外交、戦争慣れした大英帝国のインテリジェンス能力。それは報道機関の取材力、正確な動向把握能力と情勢分析力にも共通していて印象的だ。この頃にはイギリスは世界を駆け巡る電信網を有しており、タイムス特派員の情報は1日で世界を駆け巡った。世界中に張り巡らされたネットワークによる情報収集、情報発信。海底ケーブル、電信線ネットワークを駆使したロイター通信社の底力。そしてジョン・マレー社の出版と、当時のマスメディア先進国イギリスの役者が揃った感がある。極東で起きた戦争を即時に「戦記」にまとめ刊行できた本書こそまさにその具体的な証左である。日露両国には厳しい情報統制と、検閲、出版規制が引かれていたが、その中で、イギリスの報道機関がこれだけの情報を新聞紙上に掲載できている事実にも驚かされる。「報道とはそういうものだ」を見せつけられる思いがする。大本営発表、報道発表資料をただ書き直して記事にする「広報」とはえらい違いである。ちなみに、当時、日本側の報道機関がまとめた日露戦争記録のような刊行物は見当たらない。ただ一つの例外は、このタイムス刊の本書を和訳した時事新報社の「日露戦争批評」(森晋太郎訳)である。そのことを本書の巻頭言でも述べている。人々は新聞の華々しい戦果報道によってのみ戦況を知ることができた。一方で、戦死者の家族には悲しい知らせが続々と届いた。国民はそのギャップに戸惑うばかりであったろう。まだまだマスメディアに関しては「一等国」と言える状況ではなかった。この姿は日中戦争、太平洋戦争の時にも変わっていない。日本で日露戦争に関する戦史や関連する資料は、海軍、陸軍、外務省の公文書(国立公文書館アーカイヴ)として残っているものが情報公開されている。日露戦記として個人がまとめたものはいくつかあるが、戦後の半藤一利の「日露戦争記録」が白眉であろう。あるいは司馬遼太郎の「坂の上の雲」のような歴史小説にも描かれて、NHKのテレビドラマ化もされている。しかし日本のマスメディアによる戦争を記録、論評し、歴史的に評価する「戦史」が見当たらないのはいかがなものであろうか。タイムスの日露戦争報道記録はジャーナリズムのあり方を考えさせられる。
本書のライター、編者については署名やクレジットの記述がどこにも見たらない。しかし、調べてゆくと、英国陸軍軍人でボーア戦争(1899-1901)などに従軍した、Charles A Court Repington (1858-1925)という人物がThe Timesの従軍特派員として日露戦争について書き、記事を編集したようだ(英語版Wikipedia)。彼は兵役の経験を有する従軍記者としてイギリスでは名声を得ていたようだ。クレジットはないが彼がおそらくライターであろう。巻頭言で、各方面での詳細な作戦や戦況に関する地図は、東京駐在(おそらくタイムス紙の)のPerry Fisherなる人物の提供によると記されている。このような情報をどのように入手したのかについては書かれていない(取材源は秘匿されるのが常識だが)。またThe National ReviewのMr. L. J. Maxse、The SphereのMr. Clement Shorterの協力に謝意を示しているが、どういう人物かは不明である。先述のように、本書の日本語訳「日露戦争批評」が東京の時事新報社の森晋太郎訳で明治39年出版されている。また、前回のブログで紹介したロシアのクロパトキン元帥の回顧録(2022年3月21日「敗軍の将、兵を語る」)もロンドンのMurrey社による1909年の出版で、本書からの引用が多数見られる。
参考1:本書に掲載されている各方面の作戦、戦況地図抜粋
The Battle of The YALU 1,2 : 鴨緑江渡河作戦 日本陸軍/ロシア陸軍との初戦
二〇三高地(wikipedia) |
陥落後の旅順港(Wikipedia) |
参考2:本書に掲載されている1904年2月5日〜1905年8月29日の主要な出来事
朝鮮・仁川上陸 宣戦布告と出兵
鴨緑江渡河作戦 日本陸軍の満州へ進軍
黄海海戦 日本海軍、ロシア旅順艦隊を旅順港に閉塞
旅順港閉塞作戦 日本海軍、旅順艦隊撃滅は失敗するが無力化に貢献
金州会戦 日本陸軍の奉天への進軍開始
旅順陥落 乃木将軍の203高地攻略 水師営におけるステッセル降伏
遼陽会戦
沙河会戦
黒溝台会戦
奉天会戦 ロシア陸軍、クロパトキンの撤兵
対馬海戦(日本海海戦)東郷元帥のバルチック艦隊の撃滅
樺太占領
ポーツマス講和会議