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2019年4月5日金曜日

江戸名所「御殿山花盛」〜現在の御殿山にその痕跡を探す〜

御殿山庭園の桜

早緑とのカラーコントラストが心に沁みる

御殿山通り

新元号「令和(れいわ)」発表

御殿山通り


 江戸庶民の人気の花見名所と言えば、御殿山、墨田堤、上野山、そして郊外の飛鳥山、小金井であった。これらは江戸の五大花見名所と言われている。これら桜の名所に共通する特色は、自然の桜林ではなく人工的に植樹されて名所になった点だ。とはいえ何もないところにいきなり桜を植えたわけではなく、何かしらの遊興施設があったところに桜を配した、というのが実情だ。江戸は急速に人口を増やした大都市であり、人口の大層を占める庶民の遊興の場所が、あちこちに作り出されていったのであろう。

 中でも御殿山は「御殿」という以上、元は徳川将軍家の遊興の場であった。江戸時代初期に将軍の鷹狩りの休息所として「品川御殿」が設けられた。大和吉野から桜の苗木が持ち込まれたという。ここを頻繁に利用したのは三代将軍家光であったが、鷹狩りだけではなく茶会なども催された。もっとも東海道第一番目の宿場、品川宿という江戸の出入口の重要なポイントが見渡せる高台に設けられた「御殿」であることから、江戸の出入りの監視や、参勤交代の大名の接遇などの目的もあったと言われている。だが元禄の大火で御殿が全焼した後は再建されなかった。その後、八代将軍吉宗は飛鳥山とともに御殿山一帯に桜を植えて江戸庶民の花見遊興の場とした。こうして広重や北斎の浮世絵にも度々登場する人気の江戸名所が誕生したというわけだ。江戸切絵図には御殿山の説明に「桜ノ名所ナリ」と記されている。

 しかし、時代が下ると幕末のペリー来航に伴い、江戸の防備を固めることが喫緊の課題となり、江戸湾品川沖にお台場を設けることとなった。このため御殿山と八つ山を取り崩して埋立て用の土を採った。これまでの人気の桜の名所は壊滅的な打撃を受ける。明治になると、新橋〜横浜間に鉄道を通すためにわずかに残った高台を東西に開削してすっかり山としての景観は消滅してしまった。当時鉄道は意外に人気がなく敷設に苦労したという。高輪あたりの大名屋敷や軍の施設は鉄道の通過を嫌い、仕方なく海を埋め立てて堤防を築きその上を走らせた。品川駅は海を埋め立て開業した。品川駅から南は、品川宿の賑やかな町並みを避けて御殿山と八つ山を切り崩して通したという訳だ。今では山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、東海道新幹線の5線が通過する日本でも最大級の鉄道密度のエリアになっている。こうして御殿山、八つ山は現在地名にその痕跡を残すのみとなった。幕末の動乱、明治期の近代化の犠牲となり消えてしまった庶民の花見の聖地であった。それでも品川駅(現在の駅は港区高輪に位置する)から品川方面に第一京浜の緩やかな上り坂をゆき、てっぺんの新八つ山橋交差点を過ぎると、道がどんどん下ってゆくのがわかる。この高低差が今でも御殿山/八つ山地域がその名の通りが高台であることを示している。

 明治になると御殿山と八つ山は、城南五山の一つとして財界人の邸宅街となった。今の品川プリンスホテルは元毛利侯爵邸跡。その隣はノリタケやTOTOなどの陶業企業グループを形成する森村財閥の森村市左衛門邸跡。その後は森村学園に、そして今はマンション(三浦友和/山口百恵夫婦が新婚時代を過ごした)になっている。その隣はあの現在も洋館が残されている三菱開東閣。岩崎家の邸宅であったところだ。道を隔てて御殿山ヒルズ、マリオットホテルは原邸跡。維新の志士にして横浜正金銀行頭取など実業家として活躍した原六郎の邸宅があった。現在も隣接して原邸の洋館を利用した原美術館がある(2020年閉館予定とか!)。その南は三井財閥の中核で数寄者としても名を馳せた益田孝(鈍翁)邸があったが今はマンションになっている。ちなみに城南五山とは、御殿山、八つ山、島津山、池田山、花房山。現在の品川区内の高台にはにはこの様な旧大名邸やその分譲地、政財界人の邸宅地がひしめき合っていた。

 現在の御殿山庭園やマリオットホテル、御殿山ヒルズのあるところが江戸時代の御殿山の高台であった(先述の通り明治には原邸であったが)。広重や北斎の絵を見ると、ここから品川宿の家並み、品川冲の海、さらには富士山が見渡せた様だ。まさしく風光明媚な地であった。今ここに立って品川宿方面を見ても、ビルや建物に阻まれて海も富士山も見えない。しかしその御殿山の桜の名所の痕跡は、わずかに御殿山庭園に見ることができる。ここには桜の古木が池端に枝を広げ美しい桜花をつけている。もみじなどの若葉の新緑とのカラーコントラストが美しい。ここから線路を隔てて、向かいの学校の敷地を望むことができるが、そこにも桜が見える。御殿山通りの坂道を登ると、一帯は今でも高級住宅街で、桜の季節には美しい桜並木や瀟洒な邸宅の庭園に桜の大樹が見られる。ミャンマー大使館の桜も(外から眺めるだけだが)見事だ。結構な桜密度の街並みだ。これらが江戸時代からの桜の子孫であるかは不明であるが、かつての江戸庶民の人気の御殿山を彷彿とさせる景観となっている。

 この時期、御殿山庭園では桜祭りが開催されている。折しも新元号「令和」の発表が4月1日にあったので、その催しの一つとして、江戸時代の「寛永」に始まり「平成」までの元号を記した提灯がずらりと並べられている。新元号発表とともに、書家により揮毫された「令和」の提灯が掲げられた。満開の桜とともに、これから始まる新しい時代が、文字の意味する「Beautiful Harmony」の時代となることを祈念してやまない。

 ここを抜けると、現代の東京の桜名所の一つである目黒川に出る。


第一京浜新八つ山橋あたり
この辺りが一番高い
横浜方面に向かってかなりの下り坂になっている

ここを山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、東海道新幹線が通る
右手が御殿山公園がある一角

東海道新幹線

横須賀線成田エキスプレス


東京マリオットホテル

御殿山庭園







御殿山通り

ミャンマー大使館












翡翠原石館

目黒川

早くも花筏

大崎あたり








 国立国会図書館デジタルコレクション「錦絵」から。往時の「御殿山」の賑わいを想像してみよう。富士山も、品川の海も、品川宿もここから展望できた。

「東海道品川御殿山ノ不二」(富嶽三十六景)葛飾北斎
江戸名所「御殿山花盛」 歌川広重
東都名所「御殿山花見品川全図」一立斎広重
鉄道開業当時の品川駅
海岸を埋め立てて作られた
(明治日本古写真集より)