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2022年3月29日火曜日

それでも桜の季節がやってきた 〜パンデミックと戦争の間で〜

 今年は東京の桜の満開は3月27日。コロナパンデミックも3年目。さらにウクライナでの戦争が始まった。どちらも収束の見通しが立たず、先の見通せない混沌とした時代だ。そんななかでの桜の開花。「知恵の実を食べた人間」の傲慢と愚かさにもかかわらず自然は毎年桜を艶やかに咲かせてくれる。彼の国の戦争で子供を含む多くの無辜の市民や、駆り出された兵士が殺されているその惨状を思うと、こうして桜を愛でることができることををありがたいと考えなくてはなるまい。しかし迫り来る予見不能な未来に漠然とした不安を感じざるを得ない。しかし、この戦争は国と国との戦い、民族と民族の戦いではなく、専制主義と民主主義との戦いだ。すなわち専制的な独裁者と国を超えた市民との戦いである。ウクライナの人々が武力に屈せず勇敢に戦うのは家族を守る、故郷を守る、民主主義を守る「大義」があるからだ。独裁者に駆り出されたロシアの若者は「なぜこんなところで死ななけりゃいけないんだ」、「何から誰を守ろうとして戦うのか」わかっていない。彼らに戦いの「大義」はない。これは悲劇だ。市民は国を超えて連携し、市民を戦争へと駆り出す専制的権力と戦わねばならない。功罪は色々あれど、マスメディアに代わってネットが世界中の市民が連携するツールとして情報の共有とフェイクニュースやプロパガンダに惑わされないことに役に立つことは、今回の戦争が教えてくれた点の一つだ。停戦交渉が始まっているが、この「大義」のための戦いに妥協や取引があってはならないように思う。しかし一方で、この戦争に巻き込まれた人々にとっては一刻も早い戦いの終結が願いだ。もうこれ以上の殺戮を止めたい。故郷の破壊を止めたい。正義の感情を納得させることと人の命とのジレンマだ。

もう一つの人類への挑戦、コロナパンデミックもなかなか終息しない。東京では「マンボウ:蔓延防止措置」は解除になったものの、感染者数は減少は緩やかで、ここ数日は再び上昇傾向に転じている。いつ果てるともないコロナとの戦い、いや付き合いに、生活のスタイルもこれまでのようにはいかない。非日常が日常になっている。いや、3年も経つと何が日常であったかそろそろ忘れ始めている。かつての日常を取り戻すのではなく、新しい日常に慣れていかなければならなくなっている。外出や人との集まりが憚られる事態は解消していない。ましてこの時期の「お花見乱痴気騒ぎ」なんて、いつの時代の話だったか。昭和バブルの話か、はたまた北斎漫画の世界の話であったか... 

我が家の今年の桜は、こうした「自粛ムード」に加えて連れ合いが足の骨折というアクシデントに見舞われたため、遠出はせずにご近所散策と洒落込んだ。桜はこの季節、街の景色を一変させる。いつも通る街角や公園のなんの変哲もない裸の樹が一斉に花を咲かせて別世界の景色を生み出してくれる。日常の中の非日常。こういう非日常は気分を変えてくれて良いのだが、本当はこの頃、平凡な日常がいかに大切かを思い知らされている。桜が咲いたことで「非日常」を感じる平凡な日常が愛おしい。今回はそんな心境で撮った写真を淡々と眺めていただきたい。余計な能書き無しにして。


1)大森水神公園














今年もブルーシート「お花見」パーティーは自粛




ご近所の児童公園の夜桜見物もまたオツなものだ



2)目黒川(品川、大崎、五反田界隈)







ホント、カメラ持ってる人がいなくなってしまったなあ!

まだ花筏は無い





Sakura Reflections








3)御殿山(3月30日追加)
















(撮影機材:Nikon Z9 + Nikkor Z 24-120/4)

このモンスターマシンNikon Z9の威力はすごい。こうした近所の桜ハンティングにも活躍してくれる。以前のブログで「Z9をご近所ブラパチに持ち出すのは、ベンツSクラスでコンビニに買い物に行くようなもの」と自嘲気味に書いたが、使ってみるとこうした日常の撮影にも取り回しが非常に良いことに気がついた。決して重すぎずバランスが良いし、縦位置グリップが役立つ(前言を節操もなく翻すことをお笑いください!)。特にNikkor Z 24-120/4との組み合わせは最高。いつも持ち歩きたくなるパートナーだ。ベンツでコンビニに買い物に行くのも悪くない。食わず嫌いは偏見の元だと気付かされた。


2022年3月21日月曜日

戦争の只中に「敗軍の将、兵を語る」書と遭遇するの巻〜「神田古本まつり」「国際稀覯本フェアー」を徘徊する〜

神田古本まつり
コロナ禍のため3年ぶりに開催だ




プーチンのウクライナ侵略戦争は、案の定泥沼の様相を呈し始めている。緒戦で短期間にキエフを占領して民主的なゼレンスキー政権を殲滅し、ロシア寄りの傀儡政権樹立で講和に持ち込む、というプーチン版「一撃講和」作戦は、ウクライナ側の愛国的で頑強な国土防衛戦の前に機能せず、都市における無差別爆撃、市民や避難民を標的にした脅迫戦という、人道上全く容認できない無差別殺戮へと発展しつつある。世界に冠たる(と信じている)ロシア軍が苦戦すると、追い詰められたプーチンは、ジェノサイドや生物化学兵器の使用、果ては核の使用に言及するなど「禁じ手」に発展する危険を孕みつつある。それでもこれは防衛戦だ、ロシア人に向けたテロを殲滅する作戦だ、反ナチの戦いだ、アメリカの生物化学兵器に対抗するものだ云々の偽プロパガンダを用いる。ロシアが伝統的に他国を侵略するときに用いる常套手段だ。そして自国民であるロシア人自身の消耗戦をも厭わないし、膨大な戦死者が出ている戦況劣勢の事実は国民には知らせない。まさに人の命など屁でもない独裁者の時代錯誤に基づく誇大妄想戦争と化しつつある。

ロシア人は過去のナポレオンによる侵略、ナチスによる侵略をとりあげ、ロシアはいつも他国に侵略されてきたきた歴史を持つと主張する。もっともこの2度の侵略に立ち向かい、勇敢に戦ったのはウクライナのコサックであった。しかしそれ以上に、伝統的な南下政策に代表される周辺諸国への領土的野心をあらわにした侵略の歴史を忘れるべきではない。またバルト三国やウクライナ、ジョージア、モルドバ、中央アジア諸国など、戦後我々はその歴史も知らないまま、全部「ソ連」だと教えられてきた地域は、実はそれぞれ独立した別の国であったことを、独立を奪われてロシアに支配された国々であったことを「ソ連崩壊」で知った。ロシアがかつて歴史に汚点を残した数々の戦争。それは、条約を破って同盟国に侵攻する。終戦のどさくさに紛れて火事場泥棒のように他国領土を占領し、そこの住民を拉致してシベリア強制収容所に送る。戦争のためには自国民がいくら死んでも構わない。降伏した友軍を処刑する。そんなことを繰り返してきたことは、いまさら説明を受けなくても、我々がつい最近、身近に経験した悲劇を思い起こせば十分だろう。いまだに北方の島々が不法に占拠されたままである。57万人のシベリア抑留者と、地獄の逃避行。わかっているだけで5万人を超える同胞の死という記憶は日本人の心から消え去ることはない。日本人はこれらは自分達が起こした戦争の結果だから仕方ない、と口をつぐむが、歴史は勝者によって語られるのみで、敗者はその悲劇を語ることを許されないのだろうか。戦争を自己正当化するのではなく、その間に起きた「戦勝国」による数々の非道と理不尽はやはり語り継がれるべきであろう。戦争そのものが非人道的なものなのである。

21世紀になって、今ウクライナで再び侵略戦争が起きている。いやな時代になったものだ。そんなさなか、東京の神田神保町では3年ぶりに古本市が開催された。コロナ渦で中止になっていたが、久しぶりの開催である。コロナ禍や戦争で鬱々とした気分を転換すべく出かけた。前日の雨も上がり、通りには露天のワゴンも立ち並び、大勢の読書家、古書ファンが街を埋め尽くした。久方ぶりに見る街の賑わいである。ウクライナで悲惨な戦争が繰り広げられて市民が苦しんでいるなか、日本では平和な日々を過ごすことができている僥倖に感謝する。しかし、ウクライナは対岸の火事ではない。「今日のウクライナは明日の日本である」:What Ukraine is today is what Japan will be tomorrow.この平和がいつまでも続くよう祈ると共に、過去に学ぶ努力を怠らないようにしたいと強く思う。


そんなご時世の古書街の徘徊、古書ハンティングで出会ったのは、結局、戦争に関する2冊の本だ。どちらもテーマは「敗軍の将、兵を語る」である。


今回の収穫!


1)Stories from Froissart 1832, Barry St. Leger(1733~1793)

1776年のアメリカ独立戦争でイギリス軍の将校としてサラトガの戦いに参戦して敗北したバリー・St.レジャーの著作である。彼はサラトガ戦の敗者として歴史に名が刻まれているが、著作家としても名を残した人物。中世の年代記の作家であるジャン・フロアサール:Jean Froissart (1337~1405)の物語を紹介した本書は示唆に富む本であると思う。かれはイギリスにおける統治者、政治家の意思決定の歴史について振り返り分析している。なかでも戦争はどうやって始まり、どのように終わったかをフロアサールの物語を紹介しながら語っている。特に戦争は始めることよりも終結させることのほうが難しい、ということを歴史的に証明して見せた点が非常に興味深い。フロアサールは14世紀フランスの著述家で100年戦争初め当時の多くの戦争についてイギリス王室の視点から年代記を著した。また、騎士道についても賞賛する著作を多く残し、むしろ王室の戦争を賛美するトーンが目立つ作家である。しかし、St.レジャーは、フロアサールの戦争年代記を勇ましい戦記として取り上げるのではなく、先述のような国家が戦争するということはどういう意味を持ち、どのような影響を及ぼすのかという、為政者、政治リーダーの意思決定のプロセスという視点で歴史を振り返っている。その多くは一部の政治指導者の意地や面子やツマラナイ妄想から始まり、終わりはやはり彼らの面子の張り合いでなかなか終わらないと分析している。そうして戦争が生み出すものは何もない。特に庶民にとっては何の意義もないどころか厄災だけがもたらされるものだと。彼は「戦争」を語るとき、王や貴族や支配者階級の戦争に言及し、庶民の反乱や抵抗運動や、革命については言及していない。まさに今、戦争が専制的な政治指導者の妄想によって何の大義もなく始められ、その為政者の面子のために終わりの見えない泥沼に庶民がズルズルと引きずり込まれてゆく、という歴史が再び繰り返されている。そういう時期に紐解くべき格好の歴史書であろう。




革装の豪華な装丁


表紙



Barry St. Leger



2)The Russian Army and The Japanese War 1909, Алексей Николаевич Куропаткин:Aleksei Nikolaevich Kuropatkin,(1848~1925)

本書は、ロシア軍の総司令官から見た日露戦争の記録である。1909年にロンドンのJohn Murrey社から出版された英語版である。

アレクセイ・クロパトキンは日本人には馴染みのある帝政ロシアの将軍である。日露戦争時の敵将である。ロシアでは露土戦争で勝利した英雄として人気があり、陸軍大臣まで務めた。1907年の日露戦争ではロシア軍満州軍総司令官として日本軍と戦い、大山巌、乃木希典などが率いる陸軍に連敗し、敗北を期した「敗軍の将」である。彼は戦前に日本から招待を受けて賓客として訪問しており、多くの要人と会い、軍事施設も視察している。その経験から、日本の軍事力を高く評価していて日本との全面対決を避けるよう皇帝に進言していた。しかし、皮肉にも日露の戦端が開かれると満州軍総司令官に任ぜられて日本軍との戦いに臨むが、連戦連敗で、日露戦争の「関ヶ原」と言われた奉天会戦では優勢であったにも関わらず撤退し、ロシア軍は完敗する。これにより前線から更迭され、総司令官を解任される。彼が戦いを振り返り敗戦の要因分析を行ったものである。このように戦後に責任者である将軍が自ら分析し著作にまとめ、後世に引き継ぐという、まさに「敗軍の将、兵を語る」である。史記の「敗軍の将、兵を語らず」の東洋的な思想とは異なるこの「負けいくさを総括して語る」姿勢は重要である。彼はロシア陸軍の「敵を引きつけて殲滅する」という伝統的な戦術(撤退戦も兵力を温存しながら敵を引きつけて撃滅する伝統戦法の一つであった)の誤りと、鉄道を利用した兵站の重要性を説いている。また強大な陸軍を有するロシア帝国の力への過信と楽観主義、偏狭な大ロシア主義的世界観を批判している。ロシア帝国の高級軍人にして陸軍大臣をも歴任した指導的な人物ですら、日本との戦争遂行という国家の意思決定を止めることができなかったし、挙句に実戦で祖国を救うことはできなかった。彼はこの失敗の教訓を後世に引き継ぎ、歴史家にその評価を委ねた。この10年後の1917年にはロシア革命が起き、帝政ロシアは崩壊した。ちなみにクロパトキンは革命による処刑や投獄を免れて、晩年は小学校教師として穏やかな余生を送った。この頃のロシアは軍人としての矜持を持ったこのような人物がいたし、こうした出版ができる国であった。いつ頃からこの国は大義のない殺戮と破壊という戦争をウソのプロパガンダで平然と遂行し、批判も反省も許さない国になってしまったのか。ロシア革命は本当に「徒手空拳のプロレタリアート」を「鉄の鎖」から解放する革命だったのか。この書を読んでふとこのような疑問が脳裏をよぎった、


ロンドン刊 英語訳

Kuropatkin元帥

乃木希典将軍
大山巌元帥

表紙

日露戦争当時の東アジア

この2冊の本とはまさに時宜を得た出会いであったと感じる。St.レジャーについては、これまでなんの知識もなかったが、この時期に人類普遍のテーマである「戦争」について考えさせられる格好の書である。良書に巡り合ったと思う。実はこの著作は書店の店員の勧めで手に取った。彼女はハーバード大学で比較文化人類学を研究する院生でもある。日本の古書店をテーマにフィールドワークのためにインターンとして滞在しているのだという。その彼女の書評とも言える言葉が心に刺さった。よく問題の本質を掴んでいる人の言葉は簡潔で要を得ている。この2冊の熟読玩味はこれからであるが、通読しただけでも人間は本当に歴史に学ばないということがよくわかる。こうした「敗軍の将、兵を語る」は歴史書としては評価されないのであろうか。東洋の思想では「敗軍の将は兵を語らず」で、負けたのにクダクダいうな、とか言い訳するなとか、潔い態度が高潔な人物の証であるかのように崇められるが、全く敗戦に関する反省と責任が論ぜられない点が不可思議である。これに対して西洋の思想ではそのような「潔さ」は評価されない。失敗を繰り返さないための次の一手を考えるためにも歴史の教訓を残すことが重視される。クロパトキンも彼の著作の序文で「これは自分の失敗の言い訳や、行動の正当化のために書いたものではない。この失敗に後世の人々が学び、同じ誤りを犯さないようにするために書いたものである」と。しかし、それでも、その敗戦の歴史に人は本当に学んでいるのだろうか。まさに歴史は勝者のものである。であるから、なかなか人は負けた歴史に学ばない。そう見てくるとまさに人間は古今東西を問わず、いつの時代にもヒトラーや、スターリン、プーチンのような独裁者を生み出し続け、その戦争を止められないという過ちの歴史を繰り返してきた。思い起こされるべきはまさにアメリカ植民地軍に敗れた大英帝国の姿であり、極東の新興国日本に敗れたロシア帝国の姿である。さらにはのちのソ連の崩壊である。そして日露戦争に勝利して有頂天になり「一撃講和」の味を占めた大日本帝国のその後の運命である。でないと専制主義者による「根拠のない楽観主義」が重大な国家の意思決定を支配することになる。その結果大勢の無辜の民が塗炭の苦しみを味わうことになる。そのロシアは再び「過ちの歴史」を繰り返している。

コロナ禍が少し落ち着いて、神保町の久しぶりの活気に身を置いて感じるのは、平和のありがたさと、その平和の脆弱さへの危惧である。平和は努力して守らねばすぐに修羅場に代わってしまうことを、今のウクライナを見ていると嫌でも知らされる。この神保町が市街戦で破壊される姿を妄想することは耐えられない。ウクライナに一刻も早い平和が訪れんことを切に願う。そして子供たちが再び好きな本を手にとって親しむことができるように祈りたい。祈ることしかできないもどかしさ。しかし心から「ウクライナの人々の独立精神に連帯を!」



同時期に開催された「国際稀覯本フェアー2022」
有楽町東京交通会館にて

有楽町駅前の東京交通会館




2022年3月8日火曜日

古書を巡る旅(21)Paradise Lost: ジョン・ミルトン「失楽園」 〜禁断の果実を食べた人間はどのように賢くなったのか?〜

 








今回の古書は、ジョン.ミルトン:John Miltonの「失楽園」:"Lost Paradise" Newton版1749年初版を取り上げる。比較的平易な文体で記述されているとされるが、古英語での表現は決して平易でわかりやすいとは言えない。まして彼独特の詩表現の文体である。かと言って日本語訳(岩波文庫ほか)から入ると、その訳者の理解に左右されるし、原作者の息遣いが感じられないので、まずは原書から入ろうと無謀にも考えた。やはり無謀であった。結局は日本語訳との対比で読み進めることとなった。しかし古書の良いところは、少なくとも、ページを開いた時に部屋中に充満するその時代の空気を感じることである。「時空の旅行者」にとってはそれを感じる旅もまたよし、だ。

ジョン・ミルトン:John Milton (1608~1674)

あらためて言うまでもなくイギリスの文学の巨匠として名を上げられる人物の一人でシェークスピア、サミュエル・ジョンソンなどと並ぶ時代の画期をなす詩人である。1608年ロンドン生まれ。裕福なプロテスタントの家に生まれ、ケンブリッジ・クライストカレッジ出身。卒業後はヨーロッパ各国を遍歴し宗教改革者カルバンのジュネーヴも訪ねている。1642年のピューリタン革命ではクロムウェルの共和派を支持。また英国国教会を押し付ける国王に反対し、ピューリタンとしての信念を貫いた。ジェームス一世の処刑を支持し、革命後は共和制の護民卿クロムウェルのラテン語秘書官となった。17世紀中葉のイギリスは王政打倒、共和政、そして王政復古。さらにはカトリックから英国国教会、それに反発するピューリタン革命と、政治上も、宗教上も激動且つ混迷の時代であった。しかしミルトンは一貫して共和派、ピューリタンの立場を貫き、多くの詩や散文など著作を発表。イギリスの文学史上に一つの画期をなした。しかし、クロムウェルの死と、チャールズ一世の即位による王政復古とともに反王党派として投獄され苦難の時期を歩む。処刑は免れたが心身を健全を損なう日々のなか失明。そんな中、1665年から創作に取り組んだ長編叙事詩「Paradise Lost:失楽園」を1667年に完成させた。口述筆記での著作である。ダンテの「神曲」とともにキリスト教文学の最高峰と言われる。ちなみに日本では江戸時代初期で三代将軍家光治世。島原の乱、バテレン/ポルトガル人の追放、オランダ東インド会社の長崎出島移転などの「鎖国政策」総仕上げの時期である。徐々に世の中が安定し始めて庶民の文化を中心とした江戸文化が広まりつつある時期である。歌舞伎が庶民の間で人気となり、荒事の市川團十郎の江戸歌舞伎、和事の坂田藤十郎の上方歌舞伎が盛んになった時代でもあった。

我が手元にある本書は18世紀半ば、1749年初版となるトーマス・ニュートン:Thomas Newton(1764~1782)編纂の、いわゆる「ニュートン版」の第9版(1790年)である。ミルトンの初版1667年から123年後に出版された。ニュートンは聖公会のの聖職者で、ブリストル聖堂の大司教:Bishop of Bristol (1761~1782) 、ロンドンのセントポール大聖堂の主教長:Dean of St.Paul's(1768~1782)であった人物。2巻からなる本書には、12章(Twelve Books)の詩編が収められ、ニュートンによる献辞、巻頭言のほか、多くの批評家によるミルトンの評伝や、この叙事詩への批評、注記が寄せられていている。この出版の時代背景としては、フランスで起きた啓蒙主義の時代であり、やがてイギリスは1770年頃から勃興した産業革命、アメリカ独立宣言(1776)、フランス革命による王政の終焉(1789)があった。すなわち「共和制」誕生という、絶対王政やキリスト教の権威の見直しが始まった時代であったと言える。

「失楽園」は、旧約聖書創世記第三章で語られる神とサタンの戦いの物語を題材とした長編叙事詩である。前半は天上界の神と、地獄へと追放された堕天使(サタン)の戦いが描かれている。後半にはあのアダムとイヴの話が出てくる。神と対立した堕天使ルシファー(サタン)に唆されて「禁断の知恵の実」を食べた最初の人間イヴと、イヴに勧められてやはり禁断の実を口にしてしまったアダムが神により楽園を追放される。それを受け入れて楽園を出てゆくアダムとイヴ。人間はこうして知恵を得たが故の苦難の道を歩むことになる。やがては神の恩寵により救済される。人間の原罪と神の恩寵というキリスト教の原点の物語である。聖書ではここから天地創造と神の律法の物語が始まる。ミルトンはこの聖書の創世記をそのままコピーして取り上げているのではなく、聖書の他の物語も巧みに取り入れながら彼なりの物語としてややパロディ風に脚色している。それは詩集というよりは、一つの戯曲のように感じる。その最初の「失楽園」の物語には、ミルトンが描いた人間の苦悩の始まりと強さ逞しさとともに、人間社会への幻滅、悲観、軽蔑、そして警告が込められている。またミルトンはダンテの「神曲」の描き方に強い敬意を持ちながら、彼のカトリック的な世界観には厳しく批判を下している。偉大なる詩人は偉大なる先達を尊敬しつつ、それを批判的に乗り越えようとするものである。


ミルトンが影響を与えた人物

同時代のジョン・ドライデン:John Dryden(1631~1700)もミルトンを敬愛した詩人の一人である。ケンブリッジの23年後輩で、王室桂冠詩人として活躍し、「ドライデンの時代」と言われる画期をなした大御所である。彼はミルトンと同じピューリタンに改宗し、またクロムウェルの共和派であった、クロムウェルの葬儀にはミルトンとともに参列し、彼を顕彰する詩を送っている。しかし彼は、王政復古とともに王党派に転向し、またプロテスタントからカトリックに改宗するなど、その時代の主流に靡くという「日和見的」傾向にあった。やがて名誉革命などの政治的激変に伴い、桂冠詩人としての地位を追われ、失意の人となるが、晩年にはミルトンの「失楽園」の戯曲化に取り組むなど、ミルトンへの尊敬と敬愛を示した作品を生み出した。2021年11月17日「古書をめぐる旅」(17)ジョン・ドライデン「聖ザビエル伝」

もう一人は以前に紹介したイギリス・ロマン派の詩人ウィリアム・ブレイク:William Blake(1757~1827)である。彼もミルトンに大きな影響を受けた詩人である。彼の予言の書、詩集「ミルトン」では、偉大なるミルトンの姿を自身に投影し、壮大な物語を紡ぎ出すという、彼独特の詩表現を披露している。この詩集の序章で掲げられている予言の書「エルサレム」は、現在でもイギリスの愛国歌として人々に慕われていることは、以前のブログでも紹介した通りである。ただ彼自身の解釈では、ミルトンもシェークスピアもギリシアやローマ/ラテンの古典に毒されていると批判的に捉えている。こうした古典文学は聖書を誤って引用したものが始まりで、そうした古典に影響されたシェークスピアもミルトンも彼にとっては批判の対象であり、あるいは古典を重視する学界や文学界をも厳しく批判されるべしとする。そして聖書に描かれる聖なる都「エルサレム」はこのイングランドの地にこそ打ち立てられるべきと歌ったのがあの「エルサレム」である。ダンテを超えようとしたミルトンと同様、ミルトンをを超えようとしたのもブレイクであった。2021年9月8日「古書をめぐる旅」(14)「ウィリアム・ブレイク詩集


「惟神の道」から眺める「失楽園」の景色

しかし、「失楽園」と聞いて、あの不倫小説を思い出す俗世の煩悩にまみれる現代の日本人にとって、このミルトンの長編叙事詩「失楽園」の深淵はなかなか難解である。最近流行りのアニメ作品のゲーム風に活劇ストーリーを追うだけなら面白い読み物なのだが。そもそも神とサタン(と言っても元は神の使いであった天使)の戦いのなかで、人間がサタンに利用され争いに巻き込まれて神に反逆するが、やがて神によって許される。誘惑と裏切りという人間世界における生々しい争いを神の世界に投影した話が聖なる書の冒頭を飾っているわけだ。ミルトンの「失楽園」は必ずしも聖書のコピーではなく彼一流の脚色がある。例えば彼は天上界の神に戦いを挑む地獄のサタン、ルシファーを一種の英雄として描いている。サタンの誘惑に負けた人間の弱さも裏を返せば強かさの表れであるとも描いている。それでもその基底には当時のキリスト教における宇宙観がある。すなわち唯一の天地創造主と、迷える愚かな人間、原罪を背負った人間、預言者の出現と神の愛による救済という信仰の姿である。そうした創造主である神と非創造物である人間という関係性の受容が前提となっている。この天地創造の序章としての物語は、一見、我が国における古事記の「神代」最初の物語を想起させる。イザナギ/イザナミという男女二神の「国産み」神話である。原初の神が人間臭いところは共通するところはあるが、しかし、この二神の行いがのちの人間の業や煩悩の初源という捉え方はない。人間が原罪を背負って生きるよう運命付けられたというストーリーはない。また八百万の神々のルーツと神の系譜の体系化は出てくるが人間のルーツは語られてはいない。人間で出てくるのは「神代」につながる「人代」の天皇家やそれに連なる氏族であり、その祖霊神とその末裔としての記述である。そこには創造主と非創造物という対比構造は見られない。そこに語られているのは、神のように生きる人間、「惟神(かんながら)の道」、すなわち天皇。要するに「天皇は神の子孫である」という権威の正当性伝承である。日本の神話、神道には生きている人間への教えや教訓めいたエピソードがない。人間が背負う「原罪」という観念はもちろんない。のちに伝わった外来の儒教や仏教によって、人間の備えるべき仁義忠孝などの道徳感、あの世とこの世の観念や死生観、この世の煩悩や解脱の観念がもたらされ、後世になって神道にもその影響が現れるが、聖書や仏典やコーランのような教義を説く書はもともとない。あるのは太陽や水、山や岩、一木一草にに宿る自然神であり、一族の祖霊神などの「八百万の神々」の世界であって、そこには「教え」といったものは語られていない。したがって神道には神学論争や、教義に違いによる争いがないと言われている。神道の世界は、キリスト教のような一神教の教義や聖書の解釈の違いによる争い、また元は同祖であったはずのユダヤ教やイスラム教などの一神教の異教徒との争いがその後の歴史の重要な部分を占める世界とも異なる。別に日本の宗教が平和で争いがなかったとは言わないが、原始宗教である多神教と、教えを説く預言者が現れたのちの一神教の違いを感じる。寛容と許しと和。これらはどの宗教においても共通する価値観であると思うのだが。「ウクライナを勝たせる神」と「ロシアを勝たせる神」が、同じ唯一神であることは、多神教世界に生きる我々の理解を超える。

ミルトンの「失楽園」が物語るようにキリスト教的な理解では、何も知らず平和に楽園で生きていた人間はこの時に、サタンの唆しで知恵を身につけ、そこからさまざまな欲望や自己主張を知り、争いを始めたという。人間が背負う原罪と神の恩寵と救済。この本を読み始めたまさにその時、21世紀になっても独善的な理由から他国を侵略し戦争を始める人間の存在を見ていると、その愚かさの始まりはアダムとイヴが「禁断の知恵の実」を食べたことであったことを思い出した。その人間の業の深さが今日まで続いている。果たして神の恩寵はあったのか。救済はあったのか。神の愛は隣人愛を生み出したのか。人間は長い間に身につけた知恵により、より賢くなったのだろうか。


表紙


楽園で自然のままに暮らしていた人間

堕天使ルシファーに唆されて「禁断の知恵の実」を食べたイヴ。
そしてそれをイヴに勧められ戸惑うアダム


知恵をつけてしまった人間が神に糾弾される場面

ついに楽園を追放される