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2023年6月1日木曜日

古書を巡る旅(34)ケネー「経済学・哲学論集」1888年初版 オンケン編




フランソワ・ケネーといえば「経済表」と、高校の教科書に出てきたのを覚えている人は、大学入試で世界史を選択した人だろう。私もそうだった。しかし、それ以上にケネーって何をした人かを語れる人は少ないだろう。18世紀の「重農主義」経済学者、といわれても... 高校の世界史は、こうしたキーワードと年号で覚える暗記科目であった。「下記の文章のカッコ内に当てはまる言葉を書け」という穴埋め問題に「ケネー」と書き込めば点がもらえるのだ。「アダム・スミス」と書くとペケ。それがどういう意味を持つのか、どう世界を動かしたのかを深くは考える必要はない。したがって入試が終わるとすっかりご無沙汰となる。せいぜい経済学部にでも進学すれば再びお目にかかることもあるが、そうでなければおそらく一生ご縁がない。それがあの頃の受験勉強というものであった。こうした知識詰め込み型の教育の弊害を語る人も多い。しかし、こうして歳月を重ね、人生を振り返る歳になり、神田神保町の古書街を歩いていてケネーに出会って、「おおっ!」となるのは、高校時代の詰め込み暗記物があったればこそだ。サラリーマン生活を終えて、「古典に帰れ」生活を送り始めると、50年前の暗記ものの記憶がにわかに蘇る。あの頃必死で覚えたキーワードは意外に忘れていないことに気づく。そしていまやネットで何でも検索し知識を蘇らせることができる便利の世の中になったので、一応の復習ができる。なんでもそうだが、若い頃に勉強して知識を蓄えておく、それが無理やり暗記した断片的なキーワードであっても、これがその後の自分の経験や、あらたに獲得した知識とつながり、知の連鎖、思考の拡大となるものなのだ。受験勉強は無駄ではない。惜しむらくは、もっと早く現役時代にこうした気付きがあればよかったのに。

そんな、にわかに思い出したケネーの重農主義経済学である。以前に、ジョサイア・チャイルド(重商主義経済学者)やアダム・スミス(自由主義経済学者)の著作集を手にした後だけに、スミスやのちのマルクスなどに影響を与えたケネーの著作には興味を覚えた。18世紀のフランスで活躍したケネー。そんな古典がなにげに神保町の古書店の棚に並んでいる、手を伸ばせばそこにある不思議。これは予約済みかと書店に問えば、「すぐ売れるような本じゃないので急がなくても大丈夫ですよ」と!最近はこうした古典を手にする人もいないようだし、大学や公共の図書館からの引き合いも少ないそうだ。しかし、アダム・スミスと並ぶ近代経済学の祖の一人であるケネーの著作であり、私の洋古書コレクターとしての「経済思想史カテゴリー」充実という観点からは無視できない古典の初版だけに、逡巡した挙げ句に手に入れることにした。逡巡の最大の理由は、フランス語の著作だということ。読めないんじゃあ単なる「本棚の飾り」じゃないか!と笑われそうだが、それでよい。どうせ日本語でも読んだことがない。これを機会に読んでみよう。自分に宿題を課すことは老化防止の秘訣でもある、と自分に言い訳した。


フランソワ・ケネーと「経済表」・「重農主義」(ネットから収集した情報に基づく教科書的サマリー)

では、ケネーとはいかなる人物で、どのような功績を残した人物なのか、「経済表」とはなにか、「重農主義」とはなにか。受験時代に覚えたキーワードを、最新の検索テクノロジーを駆使して振り返ってみよう。

フランソワ・ケネー:Fransois Quesnay(1694−1774年)は、18世紀フランスの経済学者。重農主義を説く。国家による管理を廃した自由な経済活動を重んじる、自由放任(レッセ=フェール)の経済を主張し、この思想はアダム・スミスに継承された。なんと!レッセフェールはスミスの専売特許ではなかったのだ。ケネーは有名な「経済表」を1758年に著し、財が地主・農業生産者・商工業者によって生み出され、分配されていく経済構造を明らかにした。この分析手法を駆使して、ルイ14世の絶対王政のもとで、コルベールによって進められた重商主義経済政策に対し、国家による経済統制の行き過ぎを批判し、農業生産を基本とした自由な貿易によって経済を発展させることを主張(すなわち「重農主義」と称される)した。ケネーは当時盛んになった啓蒙思想にも賛同し、ディドロの『百科全書』にもいくつかの重要な記事を執筆している(本書の第二巻に収録されている)。

そのケネー は、1694年にパリ郊外に労働者階級の子として生まれ、のちに医学を学んで1718年に外科医を開業、1749年にはルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の侍医としてヴェルサイユ宮殿に呼ばれそこで暮らした。さらには王子の天然痘治療に功績があって貴族に列せられ、国王の侍医長となった。しかし55歳で経済学に転じ、1758年に『経済表』を発表した。ケネーは医者としての自然認識を社会にも適用して、自然法をいわば自然科学的にとらえたと言われている。ケネーは人間の身体の中で血液が循環し、たえず再生される構造を知ったが、それと同じことが社会の中にも認められると考えた。社会のなかを循環する富を生産し、再生産する究極の場所はどこにあるのだろうか。それは農業の営まれる土地であると考えた。ケネーは土地を資本としてとらえ、資本の利潤に相当する「純生産物」が土地から生まれることを明らかにした。彼はこの関係を、社会の諸階級:地主階級・生産階級(小作農民)・不生産階級(職人)の関係と捉え、その富の再生産の相互連関を表式にまとめ上げた。これが「経済表」である。そのなかでケネーは生産の統轄者として地位を「地主階級」にあたえている。この「地主階級」は、資本主義的な生産を前提とするから、もちろん封建領主階級ではないが、しかし封建領主階級と言えども領主権に依存することをやめて、単なる土地所有者として再生すれば、「純生産」を手に入れることができると主張する。(河野健二『フランス革命小史』1959 岩波新書)

こうした主張から、日本では「重農主義」と呼ばれるが、当時は、その体系を「Physiocratie:フィジオクラシー(自然による統治)」と呼んだ。また彼は自らをEconomist:経済学者と称した。したがって欧米では「フィジオクラシー」が一般的である。アダム・スミスがこの学派を「Agricultural system:農業に関する理論体系」と評したことから、日本では「重農主義」と訳された。その骨子は、地主と農業生産者こそが富の生産と再配分の源泉(「生産階級」)であり、商工業者は「不生産階級」であるとする。すべての産物は土地から発生し、商工業者は、必要な分だけ加工しそれを流通させるだけで、付加価値を産まないとする。イギリスで論じられた資本と労働という考えがそこには無い。その背景には当時のフランス絶対王政の戦費の増大や宮廷の奢侈による浪費、さらに重商主義政策の失敗、これらに起因するフランスの国家財政破綻という現実があった。同時期に産業革命に成功して産業資本による自由な貿易を進めたイギリスとの違いが見られる。ケネーは、具体的な政策としては、土地所有者の安全と自由が保障されなければならないとした。その重農主義運動(フィジオクラシー)は、1760年代の「穀物取引の自由」や「土地囲い込みの自由」を実現した。この運動は絶対王政と結びついた特権的地主、特権ブルジョワの支配を揺るがし、地主や富農、産業ブルジョワジーの経済的自由主義を後押ししたが、具体的な政治改革とは結びつかなかった。また、重農主義(フィジオクラシー)の、土地を私有財産として、自由放任によって生産性向上のために競争させるという考えかたは、労働が価値を生む源泉であるとする労働価値説を否定し、「持たざる者」である農民層の没落、プロレタリア化をひきおこした。70年代になると、食糧暴動や囲い込み反対一揆が頻発し、重農主義(フィジオクラシー)は後退を余儀なくされ、ケネーも1774年に失意のうちに死んだ。彼の死の15年後の1789年にはフランス革命で絶対王政(ケネーは、これを必ずしも否定しなかった)が倒れる。このケネーを批判して、土地所有を貧富格差の根源であると論じたのがルソーであった。しかし、ケネーの「経済表」は、初めて富の流れ、経済活動を科学的分析手法で解き明かしたもので、経済思想の初期の重要な貢献の一つであり、フィジオクラシーは自由経済市場(レッセフェール)を主張し、アダム・スミスの『国富論』と並んで近代経済学の出発点となったと見ることができる。また彼の「経済表」による分析的アプローチは、その後のマルクス(再生産表式)やワルラス(一般均衡理論)、ケインズ(有効需要原理)、レオンチェフ(産業連関表)、ミルトン・フリードマン(貨幣供給理論)にも引き継がれていると言われる。ただ、農業分野での「レッセフェール」と産業貿易分野での「レッセフェール」。これがフランスとイギリスの将来、そしてケネーとアダム・スミスの歴史的な評価を分けたのかもしれない。参考に2023年1月5日「アダム・スミス全集」を参照あれ。

ケネー著作集を手に入れたことがきっかけで、「重農主義(フィジオクラシー)」について久しぶりに復習してみた。とくに、重要な経済思想家であったケネーを知ることは、同時代人であるアダム・スミスの現代的意義を理解する上でも避けて通れない道なのだとも知らされた。日本では「重農主義」と訳されたことから、近代産業資本中心の経済思想史の観点から、過去のものの扱いになってしまっているが、先述のように「フィジオクラシー」の基本は、市場における自由競争「レッセフェール」であり、これを唱えた先駆者であることを再評価する必要があるのではないだろうか。ケネーの思想を理解するには、ネット検索や解説書などの二次資料だけではなく、一次資料たる原典に立ち返ることが大事で、そのための古書ハンティングであるのだが、フランス語の原書にどこまで肉薄できるかは甚だ心もとない。本書の日本語訳の「ケネー全集」が有斐閣から出ている。また岩波文庫からは「ケネー経済表」が出ている。せめて日本語訳でと考えたが、どっこい、ともに絶版だ。ケネーの著作はなかなか誰でも手に取れる経済学の古典、という訳にはいかないようだ。神保町の古書店か、図書館で探してみよう。


「ケネー経済・哲学論集」:Oeuvres économiques et philosophiques de F. Quesnay,(Éd.1888)

本書は、1888年にフランクフルト、パリで刊行されたケネー著作集の初版である。ケネー自身の著作はまとまった形で出版されたものは少ない。かの「経済表」(Tableau Economique)の原著も現存しない。18世紀の彼の論文や寄稿文は「百科全書」への寄稿記事や、ケネーの追悼文が科学アカデミーに掲載されているが、多くは19世紀になってから経済思想研究者によって纏められたり、復刻された論文集として残されている。彼の没後114年経った1888年になって、ベルン大学の経済思想史研究のアウグスト・オンケン:Auguste Onckenによって編纂された本書が、最初の体系的なケネー著作集であり、ケネー研究の定本となっている。日本語訳「ケネー全集」有斐閣刊はこのオンケン編を原典としている。

この著作集は三部構成になっており、

第一部:ケネーの評伝 ミラボー公爵による追悼文 科学アカデミーにおける各氏の称賛文
第二部:経済学論集、農民(小作人)論と穀物論、ディドロの百科全書所載の論考、「中国の専制政治」などの「農業ジャーナル」からの引用論文、「経済表」による分析など
第三部:哲学論集、農業王国の経済統治の一般準則、自然権などについての論考など

本書の外装は濃紺の革装で、タイトルは手書きと思われるラベルが背表紙に貼付されている。おそらく比較的新しく換装されたものであろうが、こういう古書リストア手法もあるのかと、その装飾性を廃した簡潔な姿が新鮮だ。何と言っても、モロッコ革に金文字ではなく、手書きのラベルが目を引く。スイス・チューリッヒの文房具商(papeterie)のシールが貼られているので、ここで装丁されたのであろうか。残念ながら、蔵書票や蔵書印などはないので所有者に関する手がかりを見出すことはできない。わずかに鉛筆による「しるし」が書き込まれている箇所がある。読まれた形跡が見出されることは、この書が過去に、誰かの知識の連鎖の一端を担った証であり、それを継承する責任を感じる。

First edition. The first part (pp. 3-142) includes biographical essays by Mirabeau, d'Albon and others. The second part (pp. 145-718) contains the economic works, including the famous articles "Fermiers" and "Grains" from the Encyclopédie, the "Analyse du tableau economique" from 1758, and numerous extracts from the "Journal de l'agriculture" and the "Éphémerides du citoyen", including the important article "Despotisme de la Chine". The third part (pp. 721-814) contains the philosophical works, including the "Essai physique sur l'économie animale" and a bibliography of Quesnay's works.


Fransois Quesnay 1694-1774) (Wikipediaより)

19世紀に復刻された「経済表」


濃紺の革装に手書きのタイトルが独特



表紙

「経済表」による分析に関する論考




編者のアウグスト・オンケン:August Oncken (1844-1911)について

1844年ドイツ・ハイデルベルク生まれ。ハイデルベルク大学、ミュンヘン大学、ベルリン大学で学び、スイス・ベルン大学教授。18世紀の経済思想史、啓蒙思想史が専門。アダム・スミス研究、重農主義(フィジオクラシー)理論の研究で重要な功績があり、彼の研究がドイツ経済思想史学界における定説となっている。フランソワ・ケネー「経済・哲学論集」1888年初巻は、いまでもケネー研究の古典的な定本となっている。


August Oncken




参考:

「ケネー全集」 有斐閣 1952年 島津亮二・菱山泉 訳
「ケネー経済表」岩波文庫 2013年 平田晴明・井上泰夫 訳