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2023年8月15日火曜日

終戦から78年目の夏 〜酷暑と台風の中で思うこと〜




終戦から78年。今年もまた8月15日の終戦の日がやって来た。コロナ禍は少し収束に向かったものの、今年の夏はほぼ1ヶ月も続く35度前後の連日の猛暑。そして台風6号、7号の連続襲来で、九州、関西中心に大きな被害が出ている。長崎の原爆被害者慰霊祭も、東京の全国戦没者追悼式も、台風を避けての縮小慰霊祭となった。日本は戦後の78年にわたる平和な時代を享受してきたが、高度成長期が終わり、少子高齢化、人口減少、30年以上続く経済の縮小という、衰退先進国の道を歩み始めている。軍事大国から敗戦を経て経済大国へ、というドラマチックな「奇跡の物語」は終わった。徳川幕府の崩壊、天皇の明治維新体制が成立してから、敗戦によるその崩壊までが78年である。今年はその敗戦から78年である。新しい時代への節目なのかもしれない。軍事大国から経済大国へ、そしてその次はどのような国になってゆくのか。

振り返ってみると、この戦争は、始まりも、終わりも、誰が判断し決定したのかも曖昧であるし、どのような勝利の前提条件をもとに開戦を決定したのかも不明である。合理的意思決定とは程遠いものであったように思う。というか、誰も対米開戦して勝てる見込みがないことは分かっていたが、リーダーもおらず、誰も何も決めず、問題先送りして様子見であった。そのうちに、状況は悪化し、選択肢がなくなってしまい、「やむを得ない」と意思決定なき開戦になだれ込んで行った。そもそも宣戦布告もなく政治の意思決定もないまま、現地の軍部のなすがままにずるずると拡大していった満州事変とそれに続く日中戦争が始まりである。政治意思の不在が現場の実力部隊を統制できなかった。中国権益と南方資源を同時に得るために、戦線を拡大して、泥沼と化した中国との戦争に加えて、米英と戦争をすることが可能なのかについての冷静な判断、それがなかった。いやあったのかもしれないが開戦回避に向かわなかった。最後は、合理的に考えれば絶対に勝てないことが分かっていたのに、「一撃講和」パターン(日露戦争勝利という僥倖で憶えた)を信じて開始した対米戦争。敗戦必至になってもなお特攻自爆攻撃でアメリカを恐れさせて講和に持ち込むという、この後に及んでの「一撃講和」を信じ続ける軍部。ドイツと同盟関係を持ちながら独ソ開戦を予見できなかった外交インテリジェンス。ドイツが降伏し、日本の負けがはっきりしているのに、ポツダム宣言を黙殺。全く当てにできるはずもないソ連の仲介によるアメリカとの講和を期待した外交。この外交センス、優秀であっただあろう国のリーダーには悪いが、笑止千万と言わざるを得ない。仮にそんなことができたとすれば、戦後の日本は分裂国家となり、東半分はソ連領となり「日本人民共和国」になっていただろう。最近の研究では、この時期にアメリカ国務省高官から内々に(ソ連の脅威を意識した)日本に配意した講和条件打診が、バチカンの外交ルートを通じてであったことが明らかになっている。しかし外務省内で有耶無耶にしてしまった。日本にとって有利な方向に変化しつつある世界の情勢を読みきれていなかった証拠だろう。結局、連日の都市空襲、沖縄の地上戦、広島の原爆投下(8月6日)、長崎の原爆投下(8月9日)、そして、当てにしていたソ連の突然の参戦(8月9日)。さらに大勢の国民が亡くなった。それでも「本土決戦」「一億総玉砕」を叫んで戦争を止めようとしなかった軍部。ついに天皇の聖断で8月15日にポツダム宣言受諾、無条件降伏となる。最後にようやく世俗権力を超越する聖権威を持ち出さねばこの戦争は終わらなかった。終戦の意思決定においても、誰も決めない、見通しもなく問題先送りで様子見を決め込もうとした。「わかっちゃいるけどやめられね」ってわけだ。

終わらせ方のシナリオを持たずに始める戦争ほど愚かな戦争はない。最後は、超人的なパワー「神風」が国を守ってくれる。「神州不滅」神話に逃げ込む。そんなバカなと思いつつも、どこか万に一つの僥倖を期待する。そんな「根拠のない楽観主義」もまた日本人の宿痾なのか。国のリーダーは国民を総力戦に駆り立て、出征兵士には「お国のために死ね!」と言う。町に空襲があっても、老人、女性、小さな子供しか残っていない市民を避難させるのではなく、バケツとハタキで消火せよ、と焼夷弾降り注ぐ街中にからの退去を許さなかった。学童疎開は、貴重な戦力の温存としか考えなかった。大学生の徴兵猶予廃止、学徒動員が話題になるが、その前に少年航空兵を確保するため、中学生の予科練志願という動員ノルマが全国の中学校に課せられていたことも、最近、記録が発見されてわかってきた。もはや戦争に勝ち目はない、と分かっても、誰も止められない。「やむをえない」「仕方がない」と。「国家」が起こした戦争で多くの「国民」を死に追いやった責任を「国家」はどう取ったのか。「統帥権」を盾に、戦争をなし崩しに進めた軍部は、敗戦で連合国に武装解除はされたが、国民に対して敗戦の責任を取っていない。「一死を以て大罪を謝し奉」と割腹した陸軍大臣は、国民に謝罪したわけではない。天皇、いや陸軍に謝罪した。戦勝国による「極東軍事裁判」は、敗戦国の戦犯に「人道に対する罪」を問うた。それならば戦勝国側にも戦犯がいるだろう。日本人の手による「国民」に対する戦争責任の総括が無いまま、戦後の冷戦構造の中での免罪符を得て、朝鮮戦争特需で経済復興し、「高度経済成長」などに浮かれて、かつての失敗の責任と贖罪を忘却の彼方に追いやってしまったのではないのか。無条件降伏の譲れぬ「一線」であった「国体」が守られたので、「国民」に対する戦争責任はどうでも良くなったのか。そんな「国体護持」も戦後はなぜか忘れ去られて、誰も「国体」の「こ」の字も言わなくなる。国民に命をかけて守れと言っていた「国体」ってなんだったのだ。明治維新の幕藩体制を終わらせるために持ち出されたイデオロギー、スローガンであったに過ぎなかったのか。そんなものの為に「国民」は死んだのか。「根拠のない楽観主義」「不確かな前提条件に基づく判断」「意思決定と結果責任の不在」。これはこの戦争に限った話ではない。

日米開戦を回避するために、主戦派の陸軍を抑えることが枢要と考えた元老たちは、日米交渉に失敗し、政権を投げ出した近衛首相の後に、東條陸軍大臣を首相に据えた。開戦回避が彼の最大のミッションであったはずだ。しかし、東條は、関東軍憲兵隊司令出身で、満州で反日、反満の取り締まりには辣腕を振るったが、陸軍内部でもそれほど実力を認められた将軍ではなく、まして政治家でもない。そんな彼に、陸軍を統制し、日米開戦を回避できるリーダーシップと実行力があるとはとても思えない。むしろ、東條陸軍大臣が首相を兼務、という人事は、いよいよ日米開戦に向けて総力戦体制を整えた、というメッセージを内外に発出したに等しかった。現にマスコミは国民を「いよいよ米英との戦争だ!」と煽り、アメリカ側は、日本は近衛の外交交渉路線を捨てた、と見做した。こうした、密室で元老達により決定された人事のロジックは、外の世界には全く通用しないどころか、反対のメッセージを送ることとなった。こうした巨大組織の内部での「見えないルール、ロジック」が世間、世界には全く通用しない例は、今でも珍しくない。一方、戦後、旧陸軍の幹部が回想で、陸軍上層部もアメリカとの戦争は絶対に勝てないと言っていたという。しかし、当時は国民の開戦への熱狂と、突き上げが激しく、これを抑えることができなくなっていた、と。「よく言うよ」である。国民を開戦へと焚き付けたのは陸軍幹部とその広報機関と化したマスコミではないか。そういう情報統制下における反米プロパンガンダがミラーリングして軍部と政府に帰って来ただけだ。まるで国民が開戦に責任があるかのような言説には呆れ果てる。

毎年この戦没者慰霊の時期になると、戦争を忘れるな、近隣諸国民と国民の苦悩を忘れるな、二度と戦争は繰り返すな!とマスコミで終戦日記念特集が組まれるが、「戦争」は感情論で議論するのではなく、まさに国の政治であり外交の問題である。冷徹に敗戦の歴史に学ばねばならない。歴史に学ばない国の行く末は心許ない。ただこれは、中国共産党や北朝鮮の権力の場にいる人間たちが言う「歴史認識」問題などとは全く異なる。彼らは彼らの権力維持ロジックから仮想敵国の「悪逆な歴史」を利用しているだけなのだ。本当の被害者は、アジア諸国においても、日本においても、「国家」が引き起こした戦争に翻弄された「国民」なのだ。その国民感情を権力維持に利用することではない。2年目に入ったロシアのウクライナ侵略戦争が、21世紀になっても、「国家」による戦争の脅威が去っていないことを示している。ふと我が国の周辺を見渡すと、核とミサイルを手に軍事的威嚇を続ける国や、軍事力で東アジア秩序の現状変更と海洋進出を試みる国、武力で他国を侵略する国が日本を取り囲んでいる。軍事力を「国家」の存立基盤に据えているかの如き態度である。これらの国々は、かつて「日本軍国主義」の脅威を声高に非難していたのでは無いのか。日本は過去の歴史を直視せよ!と言っていたのではないのか。しかも、どれも強権的な専制主義国家である。民主主義、人権、法治主義という価値観を共有しない国々である。彼らの振る舞いこそ、日本の過去の負の歴史に学んでいるとは思えない。これが戦後78年の夏の日本を取り巻く現状である。こうした国際情勢の中、今後、日本は自ら他国に戦争を仕掛けることはなくても、自国に襲いかかる侵略者に対してどう対峙するのか、その覚悟と対処が問われている。これがウクライナの戦いの教訓だ。アメリカに守ってもらう、などといまだにナイーヴに他力本願を信じているのか。「戦争は良くない」。そんなお題目だけを念仏のように繰り返していても、問題の解決にはならないし、平和は実現できない。戦争に巻き込まれないためには、世界の動向をよく見、事実を知り、正しい分析と判断する眼力を持つ、これに尽きる。それに基づき、自らの外交戦略と情報戦能力、防衛力の強化で、集団的安全保障を図らねばなるまい。ウクライナの祖国防衛戦争を見てわかるのは、21世紀の戦争は、平時からの外交戦、情報戦であるということ。それをゼレンスキーと政権幹部がよく認識して実行していることである。防衛力強化は、NTT株売ってその金でアメリカからミサイルを買うことではない。そして何よりも、民主主義、人権、法の支配といった人類が獲得した価値観を共有する国々との国際連携を平時から強化しておく事だ。また日本の舵取りを行う人材問題、「意思決定プロセス」/「リーダーシップと責任」の問題に向き合うことだ。そしてポピュリズムの「熱狂」を避けるためにも国民の情報リテラシーを高めねばならない。いつまでも「外交下手」「戦争下手」「平和ボケ」の日本、なんて自虐ネタをやってられない。戦時は平時の延長だ。戦時は突然やってくる。


(今日正午、酷暑と台風の「全国戦没者追悼式」鎮魂 黙祷 )


参考:
半藤一利「昭和史」「日本の一番長い日」他
保阪正康「昭和史の論点」他