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2019年2月11日月曜日

2013年姫路城平成大修理 〜あの時の姫路を振り返る〜



姫路城の「平成大修理」
天守閣に覆いがかけられている

 気がつくとあれはもう6年も前のことだった。その時のことをブログに記録していなかったことに気づいた。今からでも遅くない書き記しておかねば。まだ大阪にいた頃だった。今しか見れない姫路城の平成大修理を見学に行った。入社して最初の配属地、姫路を訪ねるノスタルジックツアーだ。大阪から新快速に乗り姫路で降りる。久しぶりだ。駅前から真正面に見えるはずのいつもの姫路城は修理のため大きな覆い屋根に覆われていて風景が違う。別の街に来たような錯覚すら覚えた。「アレカラ40年...」だからだけではない。まずは元の職場を訪ねる。駅前からのみゆき通り商店街のアーケードは以前と変わってないが、出勤途上でモーニングセット食ってた喫茶店「モカ」は無くなっていた。40年も前のことだからなあ。全国屈指の大局、職員数700名を超える姫路電報電話局は、建物は残っているが、いまや人気も途絶えてしまった。みんなあの時の人たちはどこへ行ってしまったのか。かつて総裁発令の局長が本社から赴任してきた姫路局も、今や組織的にはNTT西日本関西事業本部兵庫支店の姫路営業所(といっても窓口はない)という位置付け。交換機を保守するわずかな社員と受託パートナー会社がいるだけだ。そりゃあそうだよ。今は固定電話の時代ではない。モバイルとインターネット全盛の時代だ。街中に大きな電話交換局はいらない。大勢の人手もいらない。当時はまだ電話交換手がいた時代だった。電電公社の2大目標、全国ダイアル自動即自化(交換手なしでダイアル接続できる)、積滞解消(申し込めばすぐ電話が引ける)が目前に迫っていた時期だ。まだ大勢の交換手がいた旧館は、そのレトロな外観を生かし、ブライダルホールとレストランになっている。中を見学させてもらったがなかなか洒落た佇まいだ。同じ兵庫の芦屋電話局のレトロな近代建築も同じようなリファービッシュメントが施されている。古い建築物を壊すのではなくリユースする。いい発想だ。営業窓口のあった新館(当時)はファミレスになっていた。機械棟の巨大な建物はそのままNTT西日本のビルで、屋上には全国サブRC局(全国網副統括局)のシンボル、新幹線からも見える無線中継塔が誇らしげにそびえ立っている。どちらも姫路のランドマークだが、中身の機能はほとんどなくなってしまい産業遺産化してしまった。

 さて電話局から姫路城は歩いても遠くない。歩を進めるごとに城が近づいてくる。もちろん姫路のランドマークといえば姫路城であることは疑う余地がない。1993年に世界遺産に登録された。戦時中、二度の空襲で一度は焼夷弾が天守閣に命中したが不発弾であったため被害を免れた。徹底した空襲で街が紅蓮の炎に包まれ夜空を照らした翌朝、市民は焼け跡の硝煙に悠々とそびえる白亜の白鷺城を見て涙したという。電話局営業課にいたヒゲさんに聞いた話だ。ヒゲさんは私が姫路局にいた当時60歳くらいであったろうか。立派な口ひげを蓄えた凄みのあるおじさんだったが、新米の私には優しく接してくれた。トラブル処理を担当していた。戦時中は中島飛行機で働いていたそうだ。中島飛行機の工場は破壊され尽くされたが、姫路城が残ったのが嬉しくてみんなで泣いた、と語ってくれたヒゲさんの目にうっすらと涙が光ったのを見た。あのヒゲさん、どうしているのだろうか。そういえば思い出したが、その営業窓口に筑前さん(苗字がみなさん歴史を感じさせる方々が多かった)という妙齢のおばさんがいたなあ。ヒゲさんの好敵手で、ふたりの口頭バトルがはじまると、「どっちも負けへんで!」と皆で観戦したもんだ。若い女性職員は「ヒゲさん、筑前さんのこと好きなんとちゃう?」と噂してたがどうだったんだろう。

 脱線したが話を戻すと、こうして姫路城は奇跡的に焼け残った。姫路市民を励まし、戦後復興を見守ったそんな強運の城を守ろう、そしてしっかり補修して未来へ引き継ごうと「平成の大修理」が行われた。2008年に始まり2015年完成した。修理が始まった当時はは7年も姫路城天守閣が見れない、と悲しんだものだが、いやいや!こんな機会はなかなかない。修理中の今こそ姫路城を訪ねる価値があると思った。普段は見ることのできない屋根やシャチホコを自分の目の高さで間近に見れたほか、展望スペースが設けられており、ここから姫路城の縄張り全体が見渡せた。こんな機会は今しかない、というわけだ。

 私の40うん年前の姫路勤務時代にもすでに優美で雄々しかったのだが、今や大修理が完成して覆いが外され再び白亜の白鷺城がそびえ立っている。何度見ても美しい。しかしこんなに白い城なのかと驚きもした。屋根の漆喰が塗り直されたのでより白鷺城のイメージが強調されたようだ。おそらく創建当時の真新しい天守閣はこんな姿だったのだろう。だとすればこ西海道、播磨路に出現したこの城の衝撃は凄まじかったことだろう。2013年に大阪から東京へ転勤となり、残念ながら完成した姫路城にはまだ行っていない。遠望するだけでも美しいが、またあの天守閣に登ってみたいものだ。

 平成もやがて終わりを迎え、今年の4月からは新しい年号となる。平成も過去の年号となり歴史になる。まして「昭和は遠くなりにけり」だ。私には「姫路も遠くなりにけり」。東京へ移ってからは新幹線で姫路城を遠くから眺める機会もグンと減った。しかし初任地の姫路がわがデジタルトランスフォーメーション、グローバルストラテジー人生のスタートポイントだった。青空にそびえる白亜の城。世界中どこへ行っても、どんな時でも日本人であることを思い出させてくれた心の原風景であった。姫路城よ永遠なれ!



天守閣大屋根
こんな目線で見れるのは修理中しかない

7年間の修理中この覆いが

立派な見学コースが用意されていて、今しか見れな景色を堪能できた

各層に見学窓が用意されていた
屋根瓦を漆喰で固定修復
天守閣の鯱鉾復元完成


修理期間中この覆屋自体が見学施設となり「お城テーマパーク」であった

旧姫路電報電話局のマイクロウェーブ鉄塔は今も残る

大手前通り、姫路駅方面

化粧櫓と西の丸長局(百間廊下)
姫路城西側の縄張り全貌は修理中しか展望できない



化粧櫓

小天守










西の丸長局(百間廊下)


2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」
姫路もPRに力を入れていた。もちろん我が故郷福岡も...

菱の門

2015年に大修理完成なった姫路城
修理前の天守閣
みゆき通り商店街
姫路電報電話局旧館
現在はリノベーションされてブライダルホール/レストランに

40うん年ぶりに中へ
すっかりお洒落な空間に改装されている。
時の流れを感じた瞬間


威容を誇るマイクロウェーブタワー