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2018年4月22日日曜日

悪夢

悪夢!

 時々恐ろしい夢を見る。うなされて目が覚める。汗びっしょりになって目が覚めて、ああ夢だったんだ、と我にかえりまた寝る...

 「高校の物理の卒業試験が赤点になってしまった。卒業できない」
 「困った。どうしたらいいんだ。大学入試も合格して進学し、卒業もし、就職も決まって、この間定年も迎えたのに! もう一度人生やり直しか?」

 非論理的なストーリーが夢の常である。あまり同じような夢を見ないものなのだが、こんな夢も見た。

 「数学の授業中、内職で日本史の勉強ばかりしてたので、数学の試験が不安だ。一夜漬けできるのか?無理に決まっている!卒業できるのか?できないに決まってる!」

 この歳になってもこんな悪夢にうなされるなどよほど理数系科目で苦労した経験がトラウマになっているようだ。確かに理科系というよりは文科系人間であったのは事実。一たす一が二になるという自然科学的合理性に違和感を感じていたからだ、などとカッコイイこというつもりはない。必ず答は一つしかないということに疑問を感じる、などと不確実性の時代を生きる今風の考えの持ち主であったわけでもない。別に論理的思考法が苦手だった気もしない。ようは数字に興味を抱かず面白さを感じなかっただけなのだ。今でもツレアイのように数独にハマって、次々上級問題へステップアップしてゆく快感を理解できないのだ。それでも結局、受験勉強の末に苦手な数学を克服し、余裕で合格点を取れるようになったのだが。にもかかわらず今でもあんな夢を見る。仲間には「歴史が覚えられない!」と泣いていた理数系人間もいた。彼らは今頃「日本史で赤点」という悪夢にうなされているのだろうか。

 考えてみるとあのころの国立大学受験は大変だった。ただですら団塊世代のしんがり、毎年入学試験は史上最高の狭き門。なにせ9科目も受けなきゃいかん。文系受験では、現代国語、古文、漢文、英語(リーダー、グラマー)、日本史/世界史/地理/倫理社会/政治経済の中から二科目選択、数学I, IIB、物理/化学/生物/地学の中から一科目選択。よく勉強した。それがこれまでの人生で役に立ったと思う。知識詰め込みというが、若い頃に知識ベースを構築しておかないと、後のロジカルな思考力も、批判精神も、クリエーティブな創造力も、豊かな感性も育たない。学生時代に無理やり覚えた知識が、社会に出て獲得した経験、知見と連鎖して新たな知識体系、思考様式を発展形成する基礎となる。あんなに苦手であった数学や物理も受験勉強で苦労した分だけ、このデジタル全盛、技術イノベーション時代をICT企業人として生き延びることができた。受験勉強という試練を通じて、自己管理とストレスコントロールも出来るのだという自信もついた。人生においてはそんなものまだまだ甘い試練であったこと、ストレスだらけの社会を自ら生き抜くための初歩訓練であったことも後でわかった。なにしろ入学試験なんて「答」がある問題を解けばいいのだから。知識偏重教育の是正、とか「ゆとり教育」とかいって多くの無知を生み出した日本の教育の迷走を考えると次世代の日本は本当に大丈夫かと心配になる。「知」は力なり。それが「答」のない時代を生き抜くための基礎体力になるのだから。

 昨夜は、先ほどの「悪夢」が本当の「悪夢」になるという「悪夢」を見た。やはり日本はもう一回やり直さねばならない。