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2018年12月31日月曜日

「平成」の終わり 〜元号の持つ意味とは?〜

平成30年最後の富士山



 平成30年が間もなく暮れようとしている。そして来るべき2019年には平成という時代が終わる。明治以降これまで元号は天皇の崩御に伴う改元が常であったが、今上陛下はかねてよりご退位の意向を示され、これにより来年5月に退位、新天皇即位となることとなった。したがって5月には元号が変わる。すなわち平成は来年4月で終わることが事前に分かっている。改元が前もって予定されることは近年なかった。にわかに「元号」について様々な考察やストーリーが語られるきっかけになっている。

 そもそも元号は中国前漢の時代に武帝が定めたものが最初であると言われている。中華世界の皇帝が、その領土人民だけでなく時間をも支配するという観念を示すものとされている。この元号を倭国(当時の日本)が取り入れたのは、いわゆる「乙巳の変」(645年)ののちに、大王(天皇)中心の統治に移行する意思の表明の一環として、孝徳天皇が「大化」と定めたのが初めであると言われる。その後、しばらくは断続的に使用されはしたものの定着しなかったようだが、天武天皇五年(701年)に「大宝」を元号として定め、以降途切れることなく元号が定められた。大化以降、平成まででその数247を数える。

 これまで改元は、即位改元、干支改元、の他にも天災や戦乱などによる「災異改元」や、あるいは吉祥による「祥瑞改元」行われてきたが、明治以降は「一世一元」と定められた。すなわち天皇崩御に伴う代替わり「即位改元」が行われるようになった。これは中国の明、清朝を見習ったものと言われる。しかし、本家本元の中国は「辛亥革命」による清朝の終焉をもって2000年の歴史を有する元号を用いなくなってしまった。そして今、世界を見渡してみると元号を使用している国は日本だけになってしまった。中国の近代化が永年続いた王朝支配(易姓革命による「王朝交代」という考え方に基づく)を廃し、共和制に移行するという「近代化」を選んだのとは異なり、日本はアジアでいち早く「近代化」を行ったが、明治維新が「王政復古」という形であり、「万世一系」の天皇が元首となる国家統治システムを「復古」させ、領土人民だけでなく時間をも支配する体制(中国古代からの思想)としての「一世一元」の元号が、以前にも増してより実質的な意味を持つ制度として用いられ続けることとなった。こうして「王朝」とそれを象徴する「元号」が永続的に用いられている国は日本しかなくなったのだが、これが日本人にとって、国家の興亡の歴史を経験しないという「国家の永続性」を確信させ、それによる日本人のメンタリティーや行動様式を規定してきたことは間違いないだろう。

 少なくとも明治以降、日本人は「明治」とか「大正」とか「昭和」という元号で時代区分してその時代を理解しているが、言うまでもなく世界の人々にはそうした時代区分も認識もない。元号は我々が思っている以上に日本人の独特の「歴史観」を形成させているといえよう。日本も明治以降は西暦を併用してきたが、公式には元号を用いることが定められている。元号に紐つけられる明治維新とか大正デモクラシーとか昭和恐慌、一転して昭和元禄などという歴史概念は日本人だけのものである。

 そういう我々日本人の視点で「平成」という「時代」を振り返ってみると、三十年続いたにしては「明治」や「大正」「昭和」に比べてどのような歴史的画期が起こったのか、どういう「時代」であったのかはっきりとしたイメージが湧いてこない。もう少し時間が経過しないと歴史としての評価がなされないのかもしれない。確かに相次ぐ未曾有の災害に見舞われた時代ではあったが、戦乱のないある意味で平和な時代であった。少なくとも日本の歴史の転換点となるような大きな革命や戦争が起こった時代ではない。もちろん1980年代の高度経済成長が90年代に入り崩壊、失われた10年、20年となり、少子高齢化、低成長の時代に突入し、貿易戦争により国内主要産業が海外へ流出して国内が空洞化した時代である。1989年の雲仙・普賢岳の火砕流被害に始まり、1995年の阪神・淡路大震災、オウム地下鉄サリンテロ、さらに、世界が2001年の米国9.11のうようなテロに時代に突入する。2011年の東日本大震災、福島原発事故などの国難に見舞われた時代であったのだが。考えてみるとこの頃になるとこうした時代の変化は西暦で語られるようになっている。平成何年の出来ごとなのかいちいち換算してみないとわからない。ひょっとすると平成がのちの時代に具体的なイメージとして思い出しにくい時代になっているかもしれない。

 ただ、俯瞰的に眺めてみると、実は昭和と平成との間には大きな時代のパラダイムシフトとでもいうべき大転換があったことが理解できる。すなわちグローバル化とデジタル化である。グローバル化は日本はもはや日本だけにクローズドし、自己完結的に歴史を重ねる時代ではなくなった(もちろん過去においても世界から隔絶された歴史を歩んできたわけではないが、国民国家概念が確立されてから以降、飛躍的に国家を超える流れが進んでいる。その反動が昨今のナショナリズムや反移民ムーブメントだが)ということを意味している。「平成史」を振り返ると、あらゆる場面でグローバル化、ボーダレス化が圧倒的に進んだ時代であった、と後世の歴史には記述されるだろう。日本史と世界史が分けられなくなった。かつて年末のテレビの総集編番組は「今年のニュース:国内編/海外編」と2日に渡って分かれて放送されたものである。我々の日常の感覚からみて世の中の出来事が国内と海外の出来事に分けられる時代であったからだ。日本人の深層心理において海の外は別世界であった。しかし今や我々の日常生活が常にグローバルな出来事や情報に紐ずけられていて、経済にしても政治にしても、社会現象にしてももはや日本だけの出来事に止まらないことを経験している。

 一方で、デジタル化が世の中を大きく変え始めた時代である。メディアという点で見ても昭和という時代の前半はラジオ、後半がテレビの時代であった。衛星放送が「鉄のカーテンを」を突き破って東西冷戦を終わらせた。20世紀後半の出来事である。平成は明らかにインターネットの時代である。デジタル化である。産業、社会、生活のデジタルトランスフォーメーションである。テレビやラジオが一方通行のマスメディアであったのに対し、双方向、かつユーザがコンテンツ/情報を発信できるのがソーシャルメディアである。一家に一台の茶の間のテレビは、一人に一台のスマホに変わり、時と場所を選ばず情報の共有、発信ができる。これが一層個人の日常のグローバル化を進めた。それにとどまらず、その個人の情報が大きな価値を生み出し新たな資源となる。マネーが国境を越える。SNSというプラットフォームが国家、国境を超えて情報を流通させ、マスメディア時代のような情報を管理し、編集し、発信する側と、それをただ受ける側という区分がなくなってゆく。そんな極めて民主的な世界が広がっていくのかと思いきや、このことが大衆受けするフェイクニュースまで世界に蔓延させてポピュリズムを引き起こす事態が起きている。人々の融和よりも対立を引き起こす結果さえ出ている。マスメディアとは異なる形で権力者がこれを使い大衆の分断を図る道具にもできる。さらにIoTとAIが人間を介さず結び付き合い情報を共有し流通させる、これまで人間たちが考え、作り出してきた規範や制度、システム、思想がワークしない「予測不能な世界」が待ち受けているようにも思う。デジタル技術の発展とメディアの激変によるパラダイムシフト。20世紀と21世紀に区分されるこの大きな変化は、日本的には昭和時代と平成時代を分ける出来事であった。

 こうして考察してみると、先ほども触れたように平成は明治、大正、昭和、に比べて、年号で記憶させられるような歴史的な事件が無い分、イメージしにくい時代として後世に理解されるのかもしれない。さらに来年迎える新しい元号がこうした世界的な時代のうねりの渦中にあってどのような歴史的視座を与えてくれるのかとても興味深い。途切れることなく用いられてきた元号が、他の国とは違う日本人としてのアイデンティティーを感じさせてきたのは間違いないだろう。一方で、元号に規定される時代区分、それに伴う歴史理解が、グローバル化しデジタル化された時代の、いわばフラット化した世界におけるそれと大きな齟齬をきたさないよう、かつ自らの立ち位置を見失わせないようにレビューし続ける努力が必要もあるように思う。グローバル化し、デジタル化された時代においては、これまでにも増して日本人のアイデンティティーを求める欲求が高まるだろう。そしてその自分が世界に何がしか貢献でき、価値を持つ存在であり、あるいはそのように承認されることを求めて「いいね!」ボタンの数を数えるのだろう。それが、実は大きなパラダイムシフトに向かった平成という時代であり、来るべき次の元号の時代なのだろう。元号を持つ民、日本人は予測不能な世界に何を盛り込むのか。