さて、ライカのクラカメファンにとってSLとかSL2とか言うと、往年のライカ一眼レフLeicaflex SL, Leicaflex SL2を思い出す。このころはすでに、ニコンやトプコン、キャノンが次々とTTL測光、AE標準装備のプロ仕様の一眼レフカメラを出していて、日本の一眼レフが世界のカメラ市場を席巻していた時代だ。ライカにとって日本勢の背中は遠い存在であった。これに追いつけ追い越せ、と伝統のレンジファインダーカメラMシリーズとは別の一眼レフ、Leicaflexシリーズを開発し世に出した。レンズ群はRマウントシリーズが新たに開発された。これが1964年(先の東京オリンピック開催の年だ)のことである。ライツ社はこのころから経営的にも苦しくなり、1974年には創業家であるLeitzファミリーから所有権がスイスの会社に移り、本社も創業の地WetzlarからSolmsに移転していった。そんな苦闘の中の新製品であった。
一限レフカメラLeicaflexシリーズを俯瞰して言えることは、ライツ社(当時はまだLeitz社のLeicaカメラ)らしい、高品位な作りの工芸品であると言って良いだろう。レンジファインダーカメラの最高峰Mシリーズのそれに劣らない作りが特色である。シルバークロームの梨地メッキ表面は、とてもきめ細かくスムースで日本のカメラメーカーはここまで高品位なメッキのボディーは採算が取れず、コストパフォーマンスで成功してきた日本型ビジネスモデルには不向きであった。ブラックペイントボディーもMカメラと同様、使いこむと光沢を増し、さらにペイントが擦り切れると真鍮の下地がのぞく、使い込むほど手に馴染むプロのお道具にふさわしい風貌に変化するカメラであった。もちろんRマウントのレンズには優秀なものが多い。同じズミクロン、ズミルクスでもMシリーズより近接撮影に有利、最短撮影距離が0.3~0.5mと、Mのように0.7~1.0mなどという「老眼でない」ので使いやすい。今でも語り継がれて、中古市場でしか手に入らないApo-Macro Elmarit-R 100/2.8など伝説のレンズもある。残念ながら、ボディー側の性能面での劣勢は否めず、日本製との競争では大きく水をあけられたままであった。またAFが当たり前の時代になってもボディー、レンズ共にAF対応になっていない。こうしてR8型を最後に一眼レフから撤退する。こうしてRマウントレンズ資産を宝の持ち腐れにしてきたユーザーが多かった。ライカ社はRレンズユーザをずっと意識してきた。ついにデジタル化を果たしてからMマウント用Rアダプターを用意。さらにSLになってLマウント用Rアダプターを用意して、「流浪の民」となっていたRレンズユーザの帰るべき故国を用意したというわけだ。こうしてRマウントのライカ一眼レフカメラはライツ社、ライカ社の栄枯盛衰を見てきた歴史の証人である。
私のクラカメリストの中から、2000〜2004年ころの中古カメラハンティング、購入奮戦記と評価の記録をここに引用してみたい。紹介したカメラの写真は、Rレンズへのレスペクトを込めてミラーレスカメラLeica SL+Rマウントアダプター+Macro-Elmarit-R 60/2.8で撮影した。
1)Leicaflex (1964年〜)
ライカフレックス最初期型(Mark I)。フィルムカウンター窓が扇型のもの。ライツ社初の自社設計一眼レフカメラ。レンズは1カムのズミクロン50mmが付いている。やはり鍍金など作りがいい。また巻き上げレバーもスムースでさすがライカ。本品は概観も綺麗だ。露出計はTTLでなく外部測光式。残念ながら動きが不安定。ついに電池接点の金具が折れてしまった。ファインダープリズムにうっすらと腐食が出ており、それで安い(通常は10万円前後)。セルフタイマーが戻らなくなってしまった(ということは、シャッターが下りないということ)。ファインダーは真ん中の円形の焦点板を除くと、素通しなので、とても明るい。しかし、焦点板以外の部分でピントを合わせることができないので、一眼レフの特色が生かせない。ライカ初の一眼レフは、やはりMシリーズのRF式の思想が生かされており、2000分の一秒が最高速として搭載されたとはいえ、日本製一眼レフには一歩譲ることとなる。何しろ、この時期には既にトプコンがTTL測光方式を世に出し、1959年に登場したニコンFもTTLファインダーが用意され、日本製カメラはTTLが技術的にも認知された測光方式として定着していた時期だ。ライツ社はこれを知っていてあえて、外部測光のほうが技術的に安定した方式である、として採用しなかった。 いかに後発の一眼レフが先行者と差異化するかの苦労の一端とも見れるが、なにやら負け惜しみくさくもアル。この頃ののライツ社は、このライカフレックスをプロ用の機器としては位置づけておらず、ハイエンドアマチュア向けの、高級一眼レフと位置づけていたようだ。レンズも、35,50,135mmという、品揃えで、やはり、プロはMシリーズを、というわけか。既に一眼レフの領域では、日本の各社が完成されたモデルを出しており、ライツ社はこれを追っかける立場になっていたわけだ。レンジファインダー機でMシリーズを出し、日本各社が追いかけるのをあきらめて、一眼レフへ方向転換した史実を鑑みると、開発競争とは厳しいものだと知らされる。 電気系統が弱っているがマニュアルメカニカル機なので問題ない。結局、商品としての人気はイマイチだってようだ。すぐにSLが発表になる。
翌年、ライカフレックス初期型のマイナー改良版(Mark II)を出す。変更点は、1)フィルムカウンター窓が、円形クローム枠に、2)露出計スイッチが付いた(巻き上げればーを予備角に起こすと、スイッチオン)3)三脚ねじ部分が底蓋一体型に、4)ストラップ管の形状がやや変更。5)セルフタイマーレバー先端が面取りされて滑らかに。 ずんぐりボディー、ワンカムレンズ、外部測光、素通しファインダーは同じ。 しかし、ライツ社が満を持して世に問う一眼レフ機への期待感の高まりにに反し、発表されたライカ初の一眼レフはあまりにも旧式のスペックで評判悪く、2年後には結局、東京光学が発明し、日本製一眼レフでは標準装備されているTTL測光方式を取り入れたフレックスSLが発表になる。 とは言うものの、やはり作りはライカ。機能面でよりは、その作りのよさ、仕上げの丁寧さ、質感が今の一眼レフカメラとは全く違う。ファインダーはあくまでも明るく、クリアーで見やすい。やはり、ハイアマチュア向けに丁寧に作られた高級一眼レフ、という位置づけにこだわったものだ。お金と手がかかっており、日本の各社が出す製品群が次々と生産管理技術の合理化により、安くて、シンプルな作りになっていく(よって、安くても高性能でみんなが使える)のを尻目に、意図的にか図らずもか、ライカはニッチマーケット商品の道を歩き始める。 本品は、きわめて程度のいい極上品。ケースもほとんど新品だ。残念ながら、無限大ピントがずれている。いずれ調整に出すつもりだ。
Leicaflex Mark II |
このクロームメッキのシルキーな感触がたまらない |
Leitz Wetzlar 誇らしく輝く! |
TTL測光ではなく外部測光 露出計がペンタ部にビルトインされている 水銀電池を格納する丸い蓋と受光部の非対称が印象的 |
ボディーのカーブ 意外にホールドは良い |
2)Leicaflex SL (1968年〜)
とうとうTTL方式の軍門に下ったライカ初のTTL一眼レフカメラ。開放F値をレンズ側のカムで伝えるため2カムタイプのレンズが必要。ミノルタとの提携前の一眼レフの設計開発に試行錯誤していた時代の製品だ。当時既に日本ではニコンやキャノンが高い評価を得た一眼レフ製品を世に出しており、結局、結果的にはこのSLは正直言って機能的にはそれほど見るべき点の無い平凡な一眼レフと言わざるを得ない。一般にライカの一眼レフは外装など丁寧な作りで価格が法外に高い割には性能面での評価は低くい。ドイツ流のコスト度返しのものづくりの考え型と、日本流のコストダウン方式による、性能面での完成型一眼レフというコストパフォーマンス優先の考え方との闘いであった。かつての老舗が後発に追い抜かれ、もはや商業的な成功を収めるのは無理であった。その後、ライツ社は方向転換を図り、ミノルタとの共同開発を進めるが、中身ミノルタ、外装ライカ、として、昔からの保守的なライカファンにやたらにバカにされており、R3やR4は人気が無い。しかし、個人的には優れた技術の日本のミノルタ/セイコーと丁寧な作りのドイツのライカの組み合わせはドリームチームとしか言いようが無いと思う。 中にはニコンよりSLの方がカメラの出来が良い、と言う人もいるが、残念ながらそれはライカ一神教信者の妄想である。ライツブランドの盲信でしかない。 しかし外装の作りなど手抜きの無い仕上げはやはりライカだ。ボディー形状が後ろが丸くなったずんぐりしたシェイプだが、ホールディングはいい。
SLのブラックペイントは後期の一時期に作られた限定モノ。非常に美しい塗りで、M2,M4の剥離してくる塗りとはまた一味異なる。本品は特に程度がよく、後塗りを疑ったほどだが、SLくらいで後塗りする酔狂な人間もいないだろう。ファインダーもクリアーで、巻き上げはSL2などに比べスムース。このごろは一眼レフに凝っている。特に、ライカの一眼レフは商業的には失敗作だろうが、この無骨でメカニカルであるが、工芸品的な作りは日本製のTTL測光やAEなどの先進技術を駆使した量販品とは一線を画す道具に仕上がっている。ずっしり重いのもいい。写真は感性を刺激するものであるがゆえに、道具にもこだわりたい。弘法筆を選ばず、のたとえもあるが、良い道具による芸術性を追求する美学は本来日本人の感性ではなかったのではなかろうか? TTL露出計は、一段以上オーバー気味だったので、ペンタ部前方の張り皮をはがし、調整した。
Leicaflex SL Black Paint |
軍艦部の佇まい 大きなシャッタダイアル |
ASA/ISO感度ダイアル TTL測光の証だ |
このころはまだ LEITZ WETZLAR GERMANY |
ペンタ下部の貼り革を剥がすと露出計調整ができる。 |
光沢のあるブラックペイント |
3)Leicaflex SL2 (1974〜76年)
ブラッククロームのSL2。ライツ社自社開発の一眼レフとしては、これが最後のモデルとなった。1972年にはミノルタと業務提携を行い、73年にはミノルタ/ライツ合作のLeica/Minolta CLが発表された。このSL2も設計はライツ、ミノルタによる製造が行われたと言われている。この後、ミノルタインサイドの日独混合一眼レフR3、R4へと転換する。このSL2は1974年の製品で、私が社会人一年目で関西配属の同期の仲間と、盛んに京都で写真を撮りまくっていた時代の製品だ。この時代われわれが使っていた一眼レフは、すでに電子シャッター、AE化されていて、ニコンEL,ミノルタXEであったことを考えると、ライツの新製品が相変わらずのメカニカルシャッター、TTLになったとはいえ、レスポンスの遅いCdSメーター付のマニュアル露出式である。日独のカメラ開発技術のの差を見て取れる。翌年にはまさにミノルタの機構をそっくりライカの皮で包んだAEモデル、R3がライツから発表になったことが、日本の勝利宣言にもつながる出来事だった気がする。 さてこのSL2,SLとの違いは、あまり大してないように見受ける。1)ファインダー内にシャッター速度と絞りが見えるようになった。露出計は追伸式(針がクリップのような形状に変わった)で、低輝度側に2段感度が上がった。2)ファインダー内の照明ができる(これの効能がイマイチ分からない)3)ボディー形状が少し長方形に近くなった。4)裏蓋の開閉がフィルム巻き戻しを持ち上げる方式になった。5)レンズ着脱ボタンが金属円形になった。6)電池は、露出計用とは別に、ファインダー内照明用にもう一個銀電池を使用する(このための電池室がボディー正面右に見える)。7)アクセサリーシューに電気接点が設けられた。8)巻き戻しノブに白い線が入り、動きを視認しやすいようにした。9)ファインダーアイピース部が変更になり、Rシリーズにも引き継がれていくこととなる。てなところか。数えると結構あるか。巻上げレバーの感触はフレックス時代から比べると、徐々にスムースさが薄れてきており、Mシリーズと同様、オリジナルモデルほどゴリゴリ感がない。 ところで、この個体、レモン社に委託で出ていた。外見は傷凹みもなく、きわめて美品。埃がこびりついて錆っぽくなっていて清掃されていなかったような形跡がある。多分大事に仕舞い込まれていたのかもしれない。底の鍍金が少し痛んでいて、小さなぶつぶつが吹き出物のように出ている。ライツ社としたことが、こんな品質の鍍金で合格させたのか?経営不振の時代の産物なのだからか。ファインダーをのぞくと、端にカビがある。メーターが動いてない。ファインダー照明もつかない。電池を換えてもらって試すと、メーターは時々動く。照明はやはりだめ。電気系統が経年劣化で不安定のようだ。 メカは大丈夫のようだがやはりメーターはだめか、と購入を迷ったが、外見はすばらしくきれいなので、買うことに決めた。今までにも電池室の接点を磨いたりすると、ちゃんとメーターが動き出すケースもあったので一か八かやってみよう!ケースがついてきた。なんと、ほとんど新品のこげ茶の素晴らしいハードケースではないか。店員もびっくり!これだけでもメーターが動かない分を補って余りあると自分を納得させるに十分である。ケースの後ろに、東京シュミット商会の輸入証明のこれまた立派なバッチがしっかりと取り付けられている。やはりライカは並みの国産カメラとは違うんだぞ、ということを主張している。 当時はドイツ製カメラは先ほど述べたように技術と、商業的な成功では日本に追い抜かれたが、ステータスが違うよ、ステータスが、と貫禄で勝負していたのだろう。確かにすごい貫禄で有無を言わせぬ存在感がある。 家に帰って、早速電池を新品に換えて試したら、ヤッター!ちゃんとメーターもファインダー内照明も生きてるじゃないか!レモン社もいい加減な電池使うなよ。もっとも、感度が一段分低下しているようだが。ファインダー内のカビを除けば、なんと完動品ではないか。結果的に美品で掘り出し物だった。ひさびさのヒットか?これだから中古アサリは面白い。もっとも、もし壊れたら修理はドイツ送りで10万円のOHしか手はないそうだが。
もう一台はシルバークロームのSL2。SL2の時代はブラッククローム全盛の時代に入っており、生産台数はシルバーのほうが少ない。希少とまではいかないが、程度の良いものは手に入りにくいほうだ。さて、このクローム鍍金の出来が素晴らしい。惚れ惚れする仕上がりだ。そのシルキーな手触りは撮影するというよりは、撫で回して愛玩していたい。ライカはほんとにモノつくりに職人芸を駆使してプロの「お道具」に仕立てることにこだわりを持っている。ライカ独自の設計による一眼レフ機はこれが最後となり、R8の登場まではMinolta Insideのカメラとなることは周知のとおりだが、それにしても外装はライカ独特のこだわりを持って製造されていることに感銘を受ける。 ネットでシルバーを探していたら、上野の千曲商会に出ていた。ここはライカよりもコンタックスを売りにしている店だが、いかんせんライカのほうがやはり売れ筋だという。とはいえ、最近はクラカメブームも一段落、SL2なぞ探している酔狂なやつも少なくなっているご時世なので、これも既に値札が大安売り状態。売れ残って不良在庫になっても困るだろうと店主に嫌味を言いながら、さらに値切り倒してゲットした。
Leicaflex SL2 Silver Chrome |
シルキーなクロームメッキの質は極上! 惚れ惚れする... |
お道具としての佇まいにクラッと来る |
真正面から見てもバランスのとれたスタイル |
ペンタ部下部に露出計バッテリーチェックボタン 不思議な位置どりだ |
軍艦部 ペンタ部のボタンはファインダー内露出計を「一部」照明するもの このために別に電池を一個使用する この仕掛けの意味がいまだに理解できない |
ロゴにも品格がある |
ペンタ部正面にも貼り皮が |
Leicaflex SL Black Chrome |
X接点が設けられた |
このブラッククロームも高品位! |
ここまでがライツ社独自開発による一眼レフである。この後、先述のように1972年には日本のミノルタと提携し、73年にMマウントのレンジファインダーカメラ、CLを両社ブランドで出した(日本ではMinolta CL、ドイツ/米国/ヨーロッパではLeitz CL)。一眼レフでは1976年、外装はライカ、中身はミノルタというR3(Minolta XE)を、1980年にはR4(Minolta XD)一眼レフシリーズを出していく。ミノルタとの提携で一眼レフを学んだ後、この後再びライカ独自設計のシリーズR5、R6.2、R7を出し、ついに1996年には全くデザインを一新した怪物カメラR8でライカ独自の一眼レフRマウントシリーズの最高峰を達成する。しかし、この時点でもAFもなく、時代はすでにデジタルカメラ時代に突入。これも商業的には成功したとは言い切れず、一眼レフ市場から撤退する。こうしてデジタルミラーレスで次の巻き返しを計るべく、さらに数十年を要することになる。ちなみにライツ社は1990年にはライカ社に名称を変更した。
Leica R3 中身はミノルタXE |