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2019年10月18日金曜日

デジタルに疲れたらアナログで行こう! 〜高校時代のLPレコードが半世紀ぶりに復活!〜

久しぶりに我が家にアナログレコードプレーヤーがやって来た。
視覚的にもこの土星の輪を彷彿とさせるストリーミングが美しい!


ヘンデル「メサイア」
パッケージングも素敵だ!
私のお宝レコードだ!


世の中なんでもデジタル。スマホもデジタル。カメラもデジタル。オーディオもデジタル。こういうブログもデジタル。SNSもデジタル。仕事もデジタル。思考様式もデジタル。お金までデジタル。これからは全てがデジタル。そうデジタルトランスフォーメーションだあ!だけど少しデジタルに疲れたなあ!と感じる今日この頃である。何か一息つけるものはないものか。

膝を痛めてウォーキングを自粛している間に、少し部屋の片付けを始めた。ところがいけないものが出てきた。高校時代にクラシックにハマっていた頃のレコードが出てきた。懐かしいLPレコードの数々。デジタル時代に突如現れた我が家のアナログ遺産。当時は親のすねかじる高校生。今のCDのようにどんどん買い込むほどの小遣いはなかったので一枚買うのにもよく考えて買ったものばかりだ。それだけに、その一枚一枚に込められた思い出が一気に蘇ってきた。開けてはならない「玉手箱」を開けてしまった。「あっという間に白髪のおじいさん」が、一気に時空を超えて高校生の頃の自分に戻った。中でもSir Adrian Boult指揮、London Symphony Chorus and OrchestraのHendel作曲「Messiah」のLP3枚組セットが出てきた。これは高校生の当時としてはかなりの大枚を払って天神福岡ビルのヤマハで買ったものだ。福岡では年末には福岡市民会館で恒例のヘンデル「メサイア」の市民合同演奏会が開かれていた。荒谷俊二指揮、九州交響楽団と社会人/大学/高校の合唱団総出のスペクタクルな演奏会。ステージも聴衆も一体となってハレルヤを合唱する一大イベントであった。合唱団としてステージ参加した私はその感動が今でも忘れられない。クラシック、中でもバロックや古楽器演奏の曲が好きなのはその時の身震いするほどの歓喜の「トラウマ」が今も引きずっていいるからだ。その思い出にとレコードを買い込み、自宅で友人と集まり、父に買ってもらったばかりのコンポステレオで擦り切れるほど聞き倒したものだ。自分たちが市民会館で歌ったパートをSir Adrian Boultの指揮とLondon Symphonyの演奏に合わせて合唱した。当時ステレオプレーヤーといえば、家具のような立派な装飾のプレーヤー/アンプ/スピーカー一体型が主流だったが、パイオニアが初めてそれぞれ独立したセパレートコンポ型のステレオセットを売り出した。父はカタログを取り寄せて研究し、天神のヤマハに行って視聴し、確か県庁前のベスト電器で買った。アンプは真空管だった。スピーカーは卓上型だったが、セッティングが変えられるので高音から低音まで素晴らしい音域を持ったコンポだったことを覚えている。

こんな思い出が一気に吹き出してこのお宝レコードをどうしても聞きたくなった。レコードはウン10年のお蔵入りのわりにはカビもなく、あんなに聞き倒したにしては傷も見えず、程度は良さそうであった。そういえば父の遺品のレコードコレクションも大量にあるはずだ。しかし肝心のレコードプレーヤーがない。針を落として聞くアナログプレーヤーなど、いつ頃我が家から姿を消してしまったのか。確か古いベルトの切れたプレーヤーを、ロックにハマっていた息子が高校生の頃だったか、「壊れてるならもらっていい?」ということで進呈したとこまでは記憶している。その後のあのプレーヤーの消息はようとしてつかめない。息子は友達とDJの真似事をしようとスクラッチ演奏の練習用に持っていったらしい。きっと完全に壊れて捨てられたに違いない。ということでオーディオといえば、いつの間にかカセットテープへ、ウォークマンへ、そしてCDへと変遷していった。今やネットワークオーディオとかハイレゾとか、完全にデジタルオーディオに移行してしまった。PCやスマホでアップルやアマゾンからのダウンロードで手軽に聴けるようになった分だけ、オーディオもコモディティー化が進み、趣味人として道具にこだわる余地が少なくなってしまったような気がするのは私だけであろうか。そう思っているところへ、先だって他界した義父の形見分けで大量のCDとLP盤のレコードが我が家にやってきた。義父もクラシックが好きで単身赴任先のアパートでよく聞いていたのを覚えている。ピアノのリチャード・クレーダーマンが好きで、よくカセットにダビングして送ってくれた。

ようし、こうなりゃレコードプレーヤーを買うまでだ。とネットや量販店で物色して購入を決断した。こうしてウン10年ぶりにアナログレコードプレーヤーが我が家にやってきた。最近はまたLPレコードブーム再来だとかで、Amazonでも、量販店でも結構な種類のプレーヤーが出ている。PioneerやSansuiのように姿を消したメーカーもあるが、懐かしいYAMAHA、Technics、Luxman、DENON, TEACなど老舗メーカーの復刻プレーヤーも出ている。中古レコードショップも渋谷や秋葉原に出ている。オーディオの世界こそ、カメラの世界以上に凝りだすと底無し沼の無間地獄に落ちるので、「物欲煩悩」と戦いながらながら程々のプレーヤー(TEAC)を買ってきた。ここで背伸びしなかった私は、やはりカメラで修行を積んできただけあって、「とどまるところを知る」境地に達した、と自己満足した。懐かしい!ベルトドライブ、のシンプルなやつだ。最近のデジタルオーディオアンプにはフォノイコライザーがないものが多いので、フォノイコ内蔵のやつを買った。カートリッジもまあまあのやつがついている。最近ぽいのは、USBポートがついていてPCにつなげてデジタル録音ができる。スピーカーはイギリス時代に大枚叩いて買ったB&Wのトールボーイタイプ。リビングで無用の長物としてただ植木鉢を置く台になっていたものが、再び本来の実力を発揮できる仕事を与えられることになった。その音は悪いはずがない。早速、デジタルアンプと繋げてメサイアを再生してみた。針を落とす瞬間のドキドキ感がたちまち蘇った。おお!なんとこのアナログなほんわかした空気が一気に部屋に充満するではないか。そこはかとないノイズすら人間的なリアリティーを感じる。高校時代に誤って針を落として傷つけた箇所での「ポチッ」という音も、時空を越えて鮮やかに再現された。英国人のトールボーイとの相性も良い。しかし思った以上にノイズも少なく、滑らかな音色と高音から低音までクリアーに再現できるアナログサウンド。デジタルの合理性に疲れたらアナログのゆるい世界に浸ってみよう。気づくと時間が50年タイムスリップして、私は福岡市民会館の大ホールのステージに立っていた。高校の友人とThe Glory of the LordやFor unto Us a Child is Born, Behold The Lamb of God,そしてHalleluyah!を合唱している。あの高揚感に浸る。なんとアナログレコードは「時空トラベラー」にとって、今まで気づかなかったが、時間をワープするタイムホールだったのだ。こうしてすっかり昭和40年代の市内電車が走る福岡に時空旅行して、懐かしい旧友たちに会った。

いやあ考えてみると危険だ。モノを減らしていこうと思って片付け始めて発見した懐かしいレコード。その結果、レコードプレーヤーを買う羽目になり結局モノが増えた。物欲煩悩の無間地獄だけでなく、危うく異界にまで引きずり込まれて帰って来れなくなりそうだ。アナログレコードの世界がこっちへ来いと手招きしている。しかし、まあそれも良し。地獄へも行ってみよう。異界にも行ってみよう。なるようになる。しばらく膝が治るまではこの世界に身を委ねてみる気になった。カメラを抱えて「山川を跋渉して寧処にいとまあらず」のはずが、「寧処」でアナログオーディオ三昧の日々を送っている自分も悪くはない。




TEAC のベルトドライブターンテーブル

オーディオテクニカのMMカートリッジ

なんとか隠れ家のデジアナ混在環境が完成した

サー・エドリアン・ボールト指揮
ロンドンシンフォニー/合唱団
ソプラノはジョアン.サザーランドが...

高校時代の懐かしいLPレコードが出て来た
ドイツグラモフォン盤
カラヤンとリヒテル
ウイーンフィル

福岡市民会館での年末恒例の「メサイア」コンサート楽譜も出て来た。

練習の痕跡が随所に