ページビューの合計

2021年10月16日土曜日

街からカメラ屋が消える日 〜数寄屋橋のランドマーク「ニコンハウス」閉店〜


数寄屋橋交差点の不二家ビル一階に目立つ黄色い看板。
一等地に店を構える「ニコンハウス」
(2020年2月撮影)





看板が外され店がなくなってしまった。
(2021年10月撮影)





最近街で見なくなった商売にカメラ屋がある。かつてカメラ屋はその街の、いわば文化度の象徴であった。地方の小さな町にもカメラ屋があって、誇らしげな店構えであることが多かった。そこには生活必需品ではないが日常生活に彩りを添え、ワクワク感を与えてくれる商品であるカメラが並んでいた。カメラ小僧にとって気になる憧れの店であったものだ。ニコンなんて高嶺の花。ライカなんて無縁の世界。オリンパスペンで撮るのがせいぜいであったが。大体DPEもやっていた。と言っても最近の人はなんの事かわからないだろう。写真フィルムのD:Development(現像)、P:Print(プリント)、E:Enlargement(引き伸ばし)のこと。安価な同時プリントはよくお世話になった。街の古写真を見ると必ずと言っていいほど、繁華な通りに「〇〇カメラ」「✕✕写真店」「DPE」の看板が写っている。最近はとんと見なくなった。カメラ屋の集積度が高い街は、だいたい都会である。もちろん東京にはカメラ屋が多かった。特に銀座、数寄屋橋界隈は日本でも有数のカメラ屋街で、銀座のブランド、ステータスにふさわしい高級カメラを並べる店が多かった。銀座が外国人観光客のあこがれの街であった理由の一つは、ニコン、キャノン、ペンタックス、マミヤなどのメイドインジャパンのカメラのメッカであったことがある。

緊急事態宣言解除で、久しぶりに数寄屋橋交差点を歩いてみて驚愕した!不二家ビルの一階に去年まであった「NIKON]の看板が無くなっているではないか。なんと... 数寄屋橋のランドマークとも言うべき黄色のニコンの看板が.見えない...どうしたことなのか?ここにはスキヤカメラのニコンカメラレンズの専門店「ニコンハウス」があったはずだ。ネットで調べると去年の8月に閉店してしまったのだそうだ。そういえば、私自身、コロナのせいにするわけではないが、最近、銀座界隈の中古カメラ屋巡りしなくなっている。ニコンハウスが閉店したことすら知らなかったわけだから。

東京の数寄屋橋といえばNIKON。海外からのニコンファンが必ず立ち寄る店だったのに... 狭い店であったがショーウィンドウにずらりと垂涎の交換レンズが並んでいて、店内に入らなくても外からじっくり品定めできた。ウィンドウにニコンファンがへばりついていて、数寄屋橋交差点にちょっとした人だかりができていたものだ。私も通りがかりによく立ち止まってウィンドウを覗き込んだ。店内にはこれまたチトうるさい名物店長が居て、素人には近寄りがたい存在であった。話すと意外に気さくな人だったが...ここで美品のNikon F Photomic(露出計完動!)をゲットした。ちなみにこの「ニコンハウス」、ニコンの直営店ではない。先述のように銀座の老舗カメラ店「スキヤカメラ」の支店である。ブランドの利用に関してニコン本社と悶着もあったようにも聞くが、結果的に、数寄屋橋交差点といえば「ニコン」というニコンブランドの極めて有効なPRになっていたので、双方にメリットがあったのではないか。

デジカメ全盛時代。しかもスマホでかんたんに写真が撮れる時代。カメラは家電製品化して、量販店や、ネットで手に入れる物となってしまった感がある。街からカメラ屋が次々と姿を消して久しい。あのころのフィルムカメラがまた人気を取り戻しつつあるとはいえ、フィルム時代の中古カメラは基本的には消え去るのみなのだろう。さらに流通チャネルの激変もこれあり、カメラ屋が街の文化のシンボル、憧れの商売であった時代は過去のものになってしまった。そしてついに「ニコンハウスよおまえもか!」こうして銀座界隈に残るカメラ屋は三原橋の三共カメラ、晴海通りのカツミ堂、そして数寄屋橋のスキヤカメラ本店だけになってしまった。あとレモン社、清水商会はどうなっているのだろう。コロナで巣ごもってるうちに、すっかり様変わりしてしまった。

カメラが高価で輝いていた時代。いつかはニコン!いつかはライカ!あれはもう過ぎ去りし日のことになってしまったというわけか...時代の流れと言ってしまえばそれまでだが。

惜別


(撮影機材:永遠のライバルNikonへのレスペクトをこめてLeica Q2 Summilux 28/1.7で撮影。もちろんデジカメ!)